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黒川が話した内容は、智也にとって衝撃以外の何物でもなかった。
「この力をもつ者には共通点があるといったが、ひとつは名字に色が入っていること。もうひとつは、同性しか愛せないこと。そして……短命であること」
「名字と寿命については、なんとなく納得できる部分があります。でも、同性しか愛せないって、そんな共通点があるなんて信じられません」
「これは俺の予測でしかないが、たぶん繁殖を防ぐためだと思う」
「繁殖?」
「そうだ。この力を持つ人間が異性と交わり子孫が誕生することとなると、同じ力を有した子供が生まれるかもしれないし、同じ力を持つ男女の場合だったら純血の子供ということになる。その力は想像するだけで恐ろしい。世の中の秩序を保つために繁殖能力が制御されているんじゃないかと……まあ、これはあくまでも俺の想像だけどな。でも、青山君には男の恋人がいるようだし、俺も恋愛対象は男だったことしかない。ちなみに、俺の叔父が同じ力を持っていたんだが、やはり同性のパートナーを持っていた」
「黒川さんの叔父さんも力を? 僕も会うことはできますか?」
「それは無理だ。叔父は10年以上前に亡くなった。……37歳だった」
珈琲はすっかり冷めていたが、智也はカップに残っていた分を一息に飲み込んだ。
かすかに手が震える。
「俺は叔父がいたおかげで、かなり救われた。色が見えることを指摘し始めた途端に母親が俺を抱きしめて、弟……つまり俺にとっては叔父のところへ連れて行ったよ。力のコントロールも叔父に指南してもらったんだ。青山君はずっと独りだったのか」
「はい」
「……つらかったな」
わずかな間をおいて黒川がいたわりの言葉をかけたことが、智也の強固な心を崩した。
智也は震える手のひらを握りしめあい、黒川を正視した。
「物心つくころから人のまわりに色が見えました。最初は親もすごいねなんて言って笑っていたけど、だんだんと感情と色の組み合わせパターンがわかるようになってきて、親や友達の感情に合わせて言動を考えるようになってしまいました。よくあるじゃないですか、顔色ばっかり窺う子みたいな。でも、それなりにうまくやれていたんです。途中までは」
「途中までは?」
「はい。うちは父が出張とか多い人で、家にいないことが多かったんですけど、ある日、僕は見えたんです。3日間出張で戻らないという父が紫色にまみれていたのを」
「紫……つまり、親父は嘘をついていたんだな」
「はい。当時、小学生だった僕は、母に言いました。お父さんは嘘をついている、と」
「……」
「普段は優しい母が形相を変えて、誰に聞いたのかと問いただしてきました。僕は聞いたんじゃなくて、嘘色が見えるって言ったと思います。その途端、母は父に詰め寄り出張の真意を確かめ、言い合いになりました。母はきっと、前から父に女の影があることに気が付いていたんだと思います。僕の目の前で、父は不倫を認め離婚を切り出しました。母は酷い罵声を浴びせ続けて、恐ろしい修羅場でしたよ。そのあとすぐに両親は離婚しました。僕があんなことを言わなければ、あれからもずっと家族でやっていけたかもしれないのに……僕が壊したんです」
「もともと壊れていたんだろ。責任を感じる必要はない」
「でも! 僕を引き取った母は毎日のように言うようになりました。人の気持ちを盗み見て楽しいのか、と。おまえみたいな化け物がなんで生まれてきたんだろう、と。僕はっ、僕だって、生まれたくて生まれたわけじゃっ!!」
最後まで言い切るまえに黒川が智也を引き寄せた。黒川の胸に顔をうずめた途端、どうしてだか泣きたくなった。
「もう、いい。何も言うな」
荒々しく引き寄せられたというのに、その腕は優しく智也を包み、大きな手のひらは、少し癖のある柔らかな智也の髪をゆっくりと梳く。
どのくらいそうしていたのだろう。黒川は唇を智也のつむじあたりに押し当てたまま腕の中に智也をとじこめている。その状態で背中をさすられ、髪を撫でられ、まるであやされているようで次第に気持ちが和いでゆく。
「俺は慰め方をよく知らない。……キス、していいか」
遠慮がちに、でもはっきりした意志をもった声が頭の上から降ってくる。
何故、そこで黒川の身体を突き放して拒否しなかったのか。そこまでしなくとも、嫌だと言葉にすれば、きっと黒川は無理強いはしてこなかったであろう。
でも、智也はそのどちらもしなかった。そっと黒川の胸から顔を離すと、黒川の優しい瞳を見つめ、そして瞑った。
触れるか触れないかの優しいキスが降りてくる。
最初の2回は、ほんの一瞬触れただけ。
最後の1回は、相手の体温を感じられるくらいの長さで。
智也は黒川から温かいものが流れ込んでくるのを感じた。薄く瞼を開くと、橙色のかたまり。そして黒川の橙色が智也をすっぽり包んでいることに気づく。人の色を見ることはあっても、その色を受け入れるという感覚は初めてだった。
橙色は愛情、慈しみの色。黒川の体温と同じく、温かい色。ずっと昔、まだ親子3人の生活がうまくいっていたころは、よく両親から感じた色。もう長いこと、見ていなかった色。
「! なんだよ、キスの最中に目を開けるなんて趣味悪いぞ」
照れ隠しとも取れる悪態をつきながら、黒川が離れる。ただ触れ合うだけのキスだったのに、とても気持ちがよくて、離れていった黒川の唇を凝視してしまう。
「……そんなにピンク振りまいてると、襲うぞ」
「嘘!? 僕、ピンクですか!? あれ、さっき橙色だったのに」
「俺と離れたからな。さっきは、うまく俺の色を受け取れたんだな」
「受け取るなんてことができるなんて、初めて知りました。というか、今日、黒川さんと出会って、僕は本当に世界が360度変わりました」
「360度だったら、元に戻ってきてるぞ?」
「ん? あ、間違えました! 180度です!」
黒川はえくぼを見せながら「やっぱり抜けてるよなぁ」とつぶやいた。慰めの意味でしてくれたキスとはいえ、唇を合わせたことの恥ずかしさがあったが、黒川の変わらない態度に智也も平常心を保つことができた。
それでもふたりの距離は確実に狭まったはずで、仕切りなおして話を再開するときには、黒川は智也の隣に当然のように腰を落ち着けていた。
「青山君は自分の力を捨てたいと言ったけど、例えば、その力を活かしたいと思ったことはないか。というか、活かしてるのか、あの男のために」
一瞬、何のことを言われているのかわからなかったが、それが競馬場での一件だということに行きつく。
「ああいうこと、よくやってるのか。その、ギャンブル関係で儲けたりってことだ」
「あれは……僕の本意ではないです。ジュンは競馬が好きで、一緒に出かけるといったら競馬場でした。以前、話が盛り上がればいいと思って、競馬場でつい言ったんです。あの馬、勝ちそうだねって。鋭気がみなぎった色を放っていた馬でした。ジュンは馬鹿にしました。あれは一番不人気の馬だって。でも、その馬が1等になりました。それから、です。でも毎回、当たるわけじゃなくて、2位になることもあります」
強く批判されることを覚悟で話したが、予想を裏に黒川はその件に関してはそれ以上、何も言わなかった。その代りに、智也をみつめて話し出す。
「俺はよく叔父に言われたよ。持って生まれたからには、使ったほうがいいと思わないか、と。基だったら、どうやって使うか、と。ガキだったから、答えられなかったな。けど、そのうちに叔父は養護教諭になった。あ、保健室の先生ってやつだ。『人は言葉にできないものをたくさん抱えて生きている。気持ちとは裏腹の言葉を語ることもある。でも、それに気づいてくれる人がひとりでもいたら、その人の負担は軽くならないだろうか』とな。って、聖人君子じみたことを言っておきながら、配属先の男子校の生徒とデキちゃったんだからな。ちゃっかりしてるよ」
「嘘っ」
「ほんと、ほんと。保健室の常連みたいな生徒ってのが、いつの時代もいるみたいなんだけどさ、そいつが本心と違うことばっかり言うのが気になって、あれこれ世話を焼くようになって、ひと悶着もふた悶着もあってから恋愛関係になったそうだ。でも、まあ、そいつとは死ぬまで愛し合う関係だったから、幸せだったんじゃないかな」
「その、叔父さんと恋人関係だった人は今は?」
「それがさ、今、スクールカウンセラーやってるんだよ。叔父の影響があったんじゃないかな、はっきり聞いたことないけど。たまにここにも相談というか雑談にきたりするけどな。来るたびに俺に、まだ相手は見つからないのかって五月蠅くてな」
「仲いいんですね」
「気になる? 青山君とならもっと深く仲良くしたいって思ってるけど?」
「……」
「ゴホン。で、俺も叔父の影響を受けて医者の道を選んだんだ。心療内科って聞いたことあるか?大々的に診療科目を掲げてないのは、患者さんへの配慮。心に風邪を引いた人は、思った以上に弱っているからな。俺は心の声を聴く医者であろうと思ってる。症状に合わせた薬を処方することは大切だ。でも、それ以上に、心を開放することが元気になるための近道だって思ってるんだ」
「それで、この力を?」
「ああ。俺のこと、カラーセラピストとか思ってる患者さんも多いんじゃないかな。ここは緑の部屋だけど、あっちに橙色と青の部屋もあるんだ。患者さんの色を見て部屋を決めたり、気分で決めてもらったりしてるんだけどな。クリニック名の【もえぎ】は春に萌える新芽の黄緑だ。暗く寒い冬を抜けて、新しい季節を迎える色でもある。ここにぴったりだろ」
エレベーターの中で【もえぎクリニック】の表示を見たときに抱いた疑問が解けてゆく。しかも、クリニック名にまで患者を想う黒川の気持ちを見たようで、智也は胸に温かいものが広がった。
「……そんな風にこの力が使えるなんて。黒川さん、すごい。お医者さんになるのだって簡単なことじゃないのに」
「見直した?」
「はい」
「努力する男っていいだろ?」
「……はい」
「惚れそう?」
「……」
「そこはノーコメントか。まあ、いいや。即否定されなかっただけ好感度は上がったと解釈しておくよ。これから徐々に、力のコントロールの仕方も俺が教えてやる。時間があるときにいつでもおいで」
「はい」
智也は、これほどまでに忌み嫌っていた力を、人のために使うことを選んだ黒川に対して尊敬の念を抱くとともに、不思議な安堵感を覚えていた。
独りではない、そう思えたのだ。