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電車を1回乗り換えて、ドアtoドアで35分。智也の家から、もえぎクリニックまでの所用時間である。
前回来た時と、打って変わって、ビルにはひっきりなしに人が出入りしている。エレベーターに乗り込み、6階を押す。6階に降り立つと、前回同様、ドアが閉まったままだった。恐る恐るドアを少しだけ開けてみる。
「こんにちは」
女性の声が飛んできて、驚いてしまう。智也は、鏡もないのに髪型を整えるふりをして、背筋をのばして院内へ入った。
「青山さんですね?」
白いナース服を着た、40代くらいの女性が笑顔で聞く。
「はい。あの、黒……院長先生に呼ばれてまいりました」
「聞いてますよ。少し待ってね、あ、来た来た」
女性がにこやかに顔を向けた方向を見ると、スーツ姿の黒川が見えた。一瞬、ドキッとしてしまった。てっきり白衣を着ているものとばかり思っていたから。黒川は、ダーク色のスーツに白地に薄いストライプの入ったドレスシャツ、襟元にはソリッドなナロータイを締めていた。すごく恰好がよくて、見惚れてしまったくらい。
だが、すぐに我に返って、普段着で来てしまったことを後悔した。
「思ったより早かったな。迷わなかったか」
「はい、大丈夫です。あの、すみません、こんな恰好で来てしまいました」
「どうして? ああ、スーツじゃないってこと? 全然問題ないよ。俺は仕事着と思ってスーツを着ているだけだから。それじゃあ、みんなに紹介しようか。長谷さん、柴田さんを呼んで来てもらえる?」
「はい。わかりました」
長谷さんと呼ばれた、さきほどのナース服の女性が奥へと消えていった。
「午後1時から2時半まではクリニックは昼休みなんだ。今日は智也を紹介するために、残ってもらっていたんだけど」
「そうだったんですか。あの、黒川さん、本当に、僕……」
話しかけた途中で、にぎやかな話声が聞こえて女性ふたりが戻ってきた。ひとりはさっきの長谷さん。もうひとりは、はち切れんばかりのお腹を抱えた若い女性で、薄いピンクのナース服がもはやナース服には見えない状態だった。
「まず、彼を紹介しよう。青山智也君。今回、柴田さんの代わりに受付に入ってもらうことになりました。入ってもらう時期と勤務時間はこれから相談ってことで。じゃ、一言」
黒川に背中をポンと押され、促されるように一歩前に踏み出す。
「え? あ、えっと、青山智也です。知識も経験もないんですけど、一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!」
深々と頭を下げると、パチパチと温かい拍手が降ってきた。みんなが笑顔で拍手をしてくれている。
「じゃあ、彼女たちを紹介しよう。白の服を着た彼女は看護師で、長谷さん。フルタイム勤務をしてくれている」
「長谷です。青山君、よろしくね。わからないことは何でも聞いてね」
「そして、ピンクの服の彼女が受付の柴田さん。見ての通り、もうじき赤ちゃんが生まれるんだ」
「柴田です。短い間になってしまうけど、引継ぎをさせてもらうので、よろしくお願いします」
「柴田さんはあと3週間ほどで産休に入るから、それまでに仕事を教わるように」
「はい。長谷さん、柴田さん、いたらぬ点が多々あるかと思いますが、よろしくお願いします」
もう一度お辞儀をして頭を上げると、ふたりから温かい歓迎の色と共に、青い色が見えた。信頼の色。きっと黒川が話をしておいてくれたに違いないけれど、それにしても全面的に信頼を向けてくれるなんて。でも、それは僕への信頼でもあるし、やはり黒川に対する絶対的な信頼が成せるものなのだろう。