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黒川を全面的に信用したわけではないが、彼の発した一言は聞き捨てならなかった。何故、智也が色を読む力を有していることを知っているのか。それについてはどうしても知りたいと思った。
駅とは反対方向に歩き出したのでタクシーにでも乗り込むのかと思ったら、競馬場から少し歩いた場所にあるコインパーキングに車を停めていたらしく、ビルとビルの間に設置されたパーキングの前で立ち止まった。
「ほら、乗れよ」
そう言うと同時に智也に向かって車のキーを投げる。とっさにキャッチしたものの、智也はわけがわからなかった。だいたい、生命の宿らないものの色を見分けることなどできないのだ。
パーキングは満車で5台の車が並んでいた。車と黒川を交互に見比べながら、どれが似合うか似合わないかという当てずっぽうでいくしかない、と思ったところで黒川が笑いだす。
「ロック解除のボタン押せば、車のほうからここですよーって教えてくれんだろうが」
智也の手からキーを取り戻すと、キーについているボタンをワンプッシュする。真ん中に駐車されていた白のハイブリッドカーのライトが点滅した。
にやりと笑いながら「ほらな」と目で示して見せる。
「からかわないでください」
「からかってなんかないさ。ちょっと確かめたかっただけ。さ、行こう」
確かめるって、だから何を……と言おうとした智也の目の前で助手席のドアが開いた。
「どうぞ」
まるでエスコートをするように、黒川がドアを開けていたのだ。こんなことをしてもらったことがないので、少しどきっとしてしまった。
車は静かに走り出す。運転席の黒川をちらりと見ると、意外と精悍な顔つきをしていることに気が付く。どちらかというと二重の目は優しげな印象を与えるのに、その上の一筆走らせたようなスッと持ち上がった眉が顔を引き締めているのかもしれなかった。鼻筋もとおっていて、やや薄めの唇はとても形がいい。全体的にシャープなのに、先ほど笑ったときに見えた右の口元のえくぼがなかなか似合っていた。
「なんだ、俺の顔になんか書いてあるのか」
急に指摘されて、そんなに見つめていたのかと恥ずかしくなる。世の男たちが行き交う女性の顔やスタイルをついついチェックしてしまうように、智也は同性の容姿を無意識に見てしまうことがよくあった。
「ちょっとエロいこと考えただろう」
「! そんなの考えていませんよ!」
とっさに否定したものの、「そんなこと言っても、ピンク混じってた」と言われて愕然とする。
ピンクっていうのは、智也が見えるという人の感情の色の中でも愛欲に関する色味なのだ。普段、他人の感情の色を読み取ることはできても、自分の色を読み取られたこともなければ自分自身の色が見えたこともなかったので、智也はとても驚いた。
「見えるんですか?……えっと、黒川さんも」
「見えるよ。だけど、いつでもどこでも誰彼かまわず見てるわけじゃない。そんなの、透視能力がある人間がいたとして、力使って気になる男の股間を覗いちゃいますってのと一緒だろう。道徳的にいかがなものかと思う」
「なっ……」
あまりに露骨なたとえに言葉に詰まってしまったが、その科白を胸の中で復唱してみて疑問にぶつかった。
「じゃあ、見ないこともできるってことですか?」
「あ、そっちに反応したのか。股間を覗くってほうかと思ったのに」
「!! ……競馬場で僕らのこと見ていたんですね。確かに、僕は恋愛対象が同性です。でも、そんな風に偏見を持たれたり、からかわれたりするのは……」
「偏見なんて持ってないよ。というか、俺も同じだしな。からかったのは……悪かった。緊張で固まってるみたいだったから、リラックスさせようと思ったんだ。すまない」
「え……」
黒川の発言はすべてに驚かされる。というか爆弾発言が多くて、どこから切り返したらよいのか迷ってしまう。何から聞こうか迷って、あ……とか、う……とかでつまずいていた智也を横目に、「これからゆっくり何でも話してやるから」と、余裕の態度で黒川は言うのだった。横顔だったけれど、その表情は穏やかなものだったし、内容はいかがなものかと思うが、砕けた話題を振ってくれたおかげで、ガチガチに警戒していた智也の心はほんのり溶けてきたようであった。