プロローグ
私は今、戦場にいる。
足元で、白い地面が崩れた。踏み込んだ衝撃だけで砕け散り、粉のようになった大地が、低く這う霧のように静かに舞い上がる。
風はない。それでも白い粉塵は消えず、亡霊の吐息のように漂い続けていた。
視界を上げる。広がるのは、どこまでも続く、白。
かつてそこに何があったのか――想像することすら拒むように、色も温度も奪われた地表が、ただ静かに広がっている。
そして、その静寂を引き裂くように、赤黒い柱が乱立していた。地中から突き出たそれは、一見すれば植物のようにも見える。だが、よく見れば違う。
表面は歪み、節のように膨らみ、管のような筋が絡み合う。その奥で、何かが脈動していた。
膨らむ。しぼむ。また、膨らむ。
呼吸に似た律動。――それは生命ではない。
――カルナ・フロラ。
大地そのものが侵食されている。その事実だけが、遅れて理解として浮かび上がった。
それと対峙しているのは、私ではない。視界は、私のものではなかった。
ヘッドギア越しに流れ込む映像。人の目では捉えきれない情報が幾重にも重なり、ひとつの《《感覚》》として脳へ落ちてくる。
八メートルの量産型人型兵器――スサノヲ。
機体のアイカメラを通して世界が流れ込む。そこにいるのは――私の相棒。
「……キルシュ」
名を呼ぶ。返事はない。だが、応じるように視界がわずかに安定した。
次の瞬間、地面が弾けた。
白い大地を突き破って現れた影が、そのまま前方へと殺到してくる。
蟻型サーヴィター。
硬質な外殻を持つ群れが脚を叩きつけるたびに地表が砕け、白い砂煙が帯のように立ち上る。その動きは直線的で、迷いがない。
一直線に、こちらへ来る。数は――十二。
一瞬で、戦場の空気が変わった。ヘッドギア越しに情報が流れ込む。位置、速度、軌道予測。理解するより先に、身体が動いた。
キルシュの腕を操作し、大盾を引き寄せる。角度をわずかに修正する――ほんの数度。だが、その数度が生死を分ける。
その背後にあるものを、私は知っている。私はこの機体の中にいない。後方、特殊装甲車アメノウズメ。
あの装甲の内側に、私がいる。仲間がいる。
――だから。
「……みんなは、私と……キルシュが護る。そう、決めたから」
呟きは静かに消えた。
前線が爆ぜる。一機のスサノヲが地を蹴った。
白い地面が砕け、粉塵が跳ね上がる。短剣を携えた機体が蟻型サーヴィターへ一直線に突き進み――消えた。そう見えた。
接触の直前、軌道が折れる。鋭角。常識外れの切り返し。次の瞬間には……死角。
刃が閃き、首元へ正確すぎる一撃が叩き込まれる。外殻が裂け、巨体が崩れる。
だが、止まらない。倒れた敵を踏み台に反転し、跳躍。そのまま二体目へ。速い。いや――速すぎる。
跳躍した機体を、私は目で追う。だが、追いきれない。視界の中で、キルシュのセンサーが補完した残像だけが遅れて重なり、《《そこにいるはずの位置》》に像を結び直す。
気がつけば――すでに、終わっていた。
蟻型サーヴィターの体がわずかに震える。内部から遅れて伝わる、ぎこちない痙攣。支えを失った脚が崩れ、巨体が傾ぎ、白い地表へと崩れ落ちた。砂煙が静かに噴き上がる。
一瞬、何が起きたのか理解が追いつかない。だが、確かに。《《斬られている》》。それだけが現実として浮かび上がってくる。
そして――もう一機。長刀を構えたスサノヲが、低く身を沈める。
刀身を構成する装甲板と、輪郭に並ぶ白いチップエッジが怪しく光を湛え、静寂を孕んだまま息を潜めていた。
次の瞬間、一気に加速する。踏み込みと同時に地面が抉れ、砕けた白い大地が砂煙となって噴き上がった。
横薙ぎ。空間に、鋭い一線が走る。
遅れて、蟻型サーヴィターの頭部がずれ落ちた。白い地表に叩きつけられ、乾いた音を響かせる。
それでも刃は止まらない。回転。淀みなく、流れるように。
続く一撃が、もう一体の蟻型サーヴィターの上から落ち――断つ。
回避も、防御も間に合っていない。まるで、最初からすべてが定められていたかのように。
私は、それを見ていた。見て――把握し、次を読み、備える。それが、私の戦い方。私が、ここにいる理由だ。
――護る。それだけは、譲らない。
白い大地の上で、粉塵がなお揺れている。倒れた異形の影が、淡く滲んでいた。巻き上がる砂煙と崩れた巨体の影が重なり、残存個体の輪郭を曖昧にする。
白い粉塵が視界を曇らせ、位置を掴みきれない。見失う――そう思った瞬間、私は目を凝らした。
わずかに動く影。砂の流れに逆らう違和感。それを追う。逃さない。左右。まだ、残っている。私は視線を巡らせた。
その少し後方――アメノウズメと前衛の二機のスサノヲの中間に位置を保ったまま、全周へ意識を広げる。
右。わずかに早く、動く。
「……来る!」
呟いた瞬間、キルシュを旋回させた。加速は最小限。踏み込みすぎない。間合いを崩さない。迎撃に最も適した位置で止める。
白い砂煙を裂きながら、蟻型サーヴィターが突進してくる。大顎を大きく開き、噛み砕くように迫る。
キルシュの腕を操作し、盾を前へ。衝突の瞬間に合わせ、角度をわずかに調整する。
受け止める――その直前。視界の端を、影が横切った。
サーベルと盾を携えたスサノヲが、キルシュの前へ滑り込む。
鈍い衝撃音が響いた。その機体が盾で噛みつきを正面から受け止めた瞬間、蟻型サーヴィターの口腔が開き、酸が噴き出す。
白煙が広がる。だが――通らない。白い装甲に覆われた盾は、侵食を拒絶していた。
反撃は、一切の淀みもない。まず、足。サーベルが閃く。一瞬で、支えとなる脚部が断たれた。巨体が沈む。
体勢を崩したその瞬間――もう一閃。蟻型サーヴィターの動きが止まり、沈黙が訪れる。
間髪入れず、反転したスサノヲが左の目標へ駆けだした。迷いのない軌道。そのまま左側の迎撃へ向かう。
――なら、右が空く。
キルシュの重心を落とし、盾を引き寄せる。視線を右へ。一歩、前へ。アメノウズメを背に、位置を微調整する。進路を塞ぐ。その目前の蟻型サーヴィター――数は、三。
その瞬間だった。長刀を構えたスサノヲが動く。
踏み込む。無駄のない、沈むような予備動作。そして――横一閃。
風圧が白い砂煙を切り裂いた。刃の軌道上にいた三体が、同時に裂ける。――一撃。時間差で崩れ落ちる。まるで、順番を待っていたかのように。
「……っ」
息が止まる。残る四体の蟻型サーヴィターも、もう二機のスサノヲにより瞬く間に沈黙させられた。
確かに敵は、怪物だ。だが、それと渡り合い、ねじ伏せるスサノヲと、それを駆るパイロットたち。
その中に――その一員として、私はここにいる。それは、決して偶然ではない。
私には、双子の姉がいる。咲ちゃんは――カルナが出現した日から、一度も目を覚ましていない。あの日のまま、時間が止まったみたいに。
原因は、わからない。呼んでも、触れても、何も返ってこない。それでも――カルナを知ることが近道だと、先生は言った。
だから――私は、ここにいる。
気がつけば――思い出していた。
すべての始まりは、あのブリーフィングルーム。基地司令が私の名を呼んだ、あの冷たい声――あの瞬間だった。




