05トドメを指したのは彼ではなくカノジョだった
守るためにライジオネルの前に飛び出した。
「やめてください!セレス様は何も悪くない!」
言葉に耳を貸さず、狂気の笑みを浮かべてナイフを振りかぶった。ナイフの切っ先は心臓に真っ直ぐに突き刺さろうとしていた瞬間、心臓は止まりそうになる死を覚悟したけど、痛みはない。
目の前にはセレスが立っていた。
彼は身体を庇うように両腕を広げ、掌からは淡い光が放たれ。ライジオネルのナイフを壁にぶつかったかのように弾き飛ばす。
「フュリス様は所有物ではありません。彼女の姉である彼女も、君の所有物ではない。妹を得ようなどと度し難い」
セレスの声は静か。声には狂気を凌駕する、強い意志が込められていた。婚約者だった男は自分のナイフが弾き飛ばされたことに、驚きと怒りを隠せないらしい。
「な、なにをするうううう!!!僕からっ、奪おうとするなんてぇっ!」
再びナイフを拾い上げ、セレスに飛びかかろうとした。その時、フュリスが部屋の扉を開けて出てきた。
フュリスの顔には恐怖の色はない。セレスの腕の中にいる姉を見て、ライジオネルの顔を見て、静かに言う。
「お兄ちゃん、もうやめて」
フュリスの声は魔法のようで、ライジオネルの動きは言葉にピタリと止まった。そんなに効果があるなんて。
ライジオネルは、フュリスの顔を見た。いつもと変わらない、普通の女の子の顔。
しかし、ライジオネルの目にはフュリスの真の美しさが、はっきりと見えている。
「なぜだ……なぜ、君はそんなにも美しいんだ……」
ライジオネルはフュリスに手を伸ばそうとしたが、フュリスは手を避けるようにこちらの後ろに隠れた。彼女は逆にライジオネルの顔に、はっきりと恐怖を浮かべる。
「この人、怖い」
フュリスの言葉はライジオネルの心を深く突き刺した。ぐっさりと。ナイフならば刃が最後まであるところまで、深く深く。自分が愛していると信じていた人物に、はっきりと拒絶されたのだ。
ライジオネルの顔から怒りも憎しみも消え、絶望だけが浮かぶ。自分の独占欲がフュリスをどれほど傷つけていたのかを、ようやく理解したようだった。今?今気づく?遅すぎる。
「僕の……僕のフュリス……」
呟くと崩れ落ちた後、ライジオネルは彼の父によって屋敷から連れ出されていった。
「すみませんでした」
手紙を出したら、慌てて来たのだ。彼の父はライジオネルが我が家、セレス、フュリスに危害を加えようとしたことを知り深く謝罪してくる。
「は、はあ」
「ああ、はい」
「いえ……」
あまりにも把握が遅いと思ったが、爵位的にこちらが罰するのは不可能なので受け入れるしかない。ライジオネル家との婚約は正式に破棄され、我が家はセレスを正式に客人として迎え入れた。一件落着。
数年後、フュリスは魔法の力を借りずとも人々と笑顔で話せるようになっていて、過去の恐怖に囚われてはいなかった。
「おねぇ様」
「はいはい」
自分はセレスと恋に落ち、彼は心を家族を守ってくれたのだ。愛はライジオネルの歪んだ愛とは違い、優しさのみ。
ライジオネルとの一件が解決し、平穏な日々が訪れた。フュリスの心は少しずつ回復し、彼女は魔法に頼らずとも、人々と話せるようになっていた。
しかし、かけられた普通に見える魔法は決して完璧なものではない。
セレスはフュリスにかけた魔法について警告している。
「魔法は彼女の心が大きく揺れ動いた時、一時的に解けてしまいます。特に強い喜びや悲しみ、あるいは……怒りを感じた時、美しさはほんの一瞬だけ外に漏れ出てしまうでしょう」
警告を心に刻む。感情が不安定になるような状況を徹底的に避けるように心がける。
ある日、街の噴水広場にいたらフュリスは同年代の子供たちと笑顔で遊んでいた。その光景を見て胸は温かくなった。フュリスがこんなにも楽しそうに笑っているのを見るのは、本当に久しぶり。
その時、一人の男がそばを通りかかった。どこか学者然とした風貌で分厚い眼鏡をかけている。彼はフュリスの無邪気な笑顔に目を留めた。
フュリスは嬉しさのあまり、高らかに笑い声をあげた瞬間、セレスが警告していた通りフュリスの感情が大きく揺れたのだ。
フュリスの周りに淡い光が放たれた光は、一瞬のうちに消え去ったが一瞬、彼女の真の美しさが眼鏡の男の目に焼き付く。男はその場で立ち止まった。彼は信じられないものを見たかのように何度も目を瞬かせる。
「……ありえない。あれほどの美しさが、どうして隠せる……?」
呟くと、フュリスに歩み寄ろうとしたが男の異様な雰囲気に気づき、フュリスを抱きかかえ、その場から離れようとした。
「……失礼。そちらの、愛らしいお嬢さんは、一体……?」
フュリスの美しさの秘密を探るかのように、気持ち悪く話しかけてきた。子供に美しさを唱えて、答えを得られると思っていると?
「私たちの娘です。何か御用でしょうか?」
男は言葉を無視するように、フュリスの顔を覗き込もうとした。嘘でしょ、ありえない。その時、セレスが前に立ち男を遮った。
「失礼。何か?」
セレスの静かな声に男は顔を上げた。セレスの瞳の奥に宿る、魔法使いとしての力を感じ取ったらしい。
「いえ、失礼いたしました。ただ、珍しいお子様だと思いまして」
言い残し、その場を去っていった。しかし、瞳に浮かんだフュリスの美しさに対する執着を、見逃さない。今まで誘拐されかけて、相手の執着に淀む目をいつも見てきたからわかる。
セレスもまた、男の視線に気づいている。流石だ。
「あ〜……彼は、ただの学者ではなさそうです。フュリス様に隠された秘密を探ろうとしようとしているのかもしれません。気を付けておかないと」
再び不安に襲われた。ライジオネルという個人的な執着を持つ敵は去ったのに。今度は、フュリスの美しさそのものを研究対象とする新たな敵が。
歪んだ愛とは違う。知的な執着はフュリスをさらなる危険に晒すとやがて、思い知らされる。
眼鏡の男は好奇心からフュリスに近づいたわけではなかった。彼の名は、エドウィン。王立魔法学院に籍を置く、異形の魔法を専門とする研究者。
自身の研究のためなら手段を選ばない男として知られていた。エドウィンはフュリスにかけられた魔法を、単なる普通に見える魔法ではなく異形変幻の一種だと推測。
それは、この世の理から外れた究極の美を隠すための禁術に近しい。エドウィンはフュリスを稀代の魔法の被験者と見なし、秘密を解き明かそうとしていた。
歪んだ探求心はライジオネルの独占欲とはまた違う、冷たく知的な危険を孕んでいる。そのことがすぐに知れたのは、相手がプロフィール込みでやってきたから。
数日後、エドウィンは我が家の屋敷に、王立魔法学院の使者としてやってきた。家族にフュリスの健康診断と称して、様々な魔術的な検査を提案。
「お嬢様の健康状態を科学的に魔法的に調査させていただけないでしょうか?王立魔法学院の研究の一環として、お嬢様の健康状態がこの国の魔法界の発展に大きく貢献するはずです」
言葉は一見、親切で公正なものに聞こえたが瞳の奥には、フュリスの美しさの秘密を暴こうとする冷たい野心。気持ち悪い。
父と母はエドウィンの提案に迷っていた。正論に聞こえたから。




