第9話
車内では田辺が今にも倒れてしまうではないかと心配するほど真っ青な顔して小笠原に詰め寄っていた。
「見られた!目が合った!」
ただ自分の感情をぶちまけているだけだ。誘拐の現場を見られたのは間違いない。
「大丈夫だ。顔を見られたからといって捕まるわけじゃない。」
なだめようとする小笠原だが、田辺にとってはそんなものではとても落ち着けない。
「目が合ったんだ。誘拐の現場を見られた。すぐに警察がくるぞ!」
さっきから同じような内容の言葉を叫ぶ。体は大して動かしていないのに肩で息をしているのがわかる。
「そんなに心配することはない。大丈夫だ。」
小笠原もさっきから同じようなことを言っていることに田辺は気づいた。落ち着きはらっている小笠原だが、内心あせっているのではないか。そんなことを考えてみるとなぜか少し落ち着けるような気がした。自分だけが焦っているわけではないというのが感じられたからなのだろか。
「小笠原、前!」
田辺はフロントガラスの前を指挿した。そこには赤い回転灯が見える。まさか、こんなに早くに警察がくるとは。少し落ち着いた田辺の心臓の鼓動がまた慌しくなる。
「落ち着け。下手な動きするな。」
顔を動かさず前を真っ直ぐ見つめたまま運転手は呟く。というよりもこちらに対して苛立ちを感じているのだろう。あきらかに不機嫌そうだ。
「そうだ。まず座ったほうがいい。」
小笠原の言葉で自分の頭が天井に擦り付けるくらいの距離にあるのがわかった。ゆっくりと腰を下ろす。
「・・・」
佐藤早紀がこちらをただ黙って見ている。ワンボックスの3列目に乗せていたのだが、あれから一言も発せず、ただ黙って座っていた。恐ろしくて動けないのか、それとも、こちらが隙を見せるのを待っているのか。こんな子供にそんな神経を使うことはない、と田辺は油断している部分がある。
「あれは検問だ。」
運転手がさっきと同じ調子で喋る。それを聞き田辺は小笠原を見た。小笠原はこちらを見ない。まっすぐ赤い回転灯を見ている。車内が静まり返った。とくになにもしていなくても警察というものは緊張させられる。だが、あきらかな犯罪を犯しているときの警察というものほど嫌なものはない。
「避けるぞ。」
運転手はそう言うと左にウインカーを上げた。検問の100m手前、車を路地へと向きを変える。その動きを感じ安堵する田辺。しかし、それも束の間の安堵だった。交差点を曲がったすぐ先、そこにはさっきまで真正面で回っていた赤い光が見えた。別のパトカーだ。田辺の体に緊張が走る。左右を見渡すが曲がれるようなところはない。あきらかにこちらを待ち構えている。パトランプが大きく、明るくなるのがはっきりとわかった。田辺は後ろを見た。佐藤早紀が警察に助けを求めるのではないかと心配になったのだ。だが佐藤早紀はそんなそぶりは見せず、ただ体育座りの体制で蹲っている。顔を膝の裏に隠すようにしていたため表情は見えない。
「こっちにくる。」
運転手が言った。それを聞いた田辺は車の前へと視線を戻す。たしかにパトカーがこちらへと向かってきている。車3台分も離れているだろうか。
「そこの車左に寄って止まりなさい。」
パトカーから拡声器越しに声が聞こえる。間違いなくこの車のことを言っているのだろう。なぜこんなに早くに警察が来るんだ。田辺の心情は穏やかではない。このまま捕まってしまえば何も得るものはない。なんとかならないのか?そう願いを込めるかのように小笠原、運転手を見た。二人は田辺よりもはるかに落ち着いているように見えた。運転手は左ウインカーを上げハンドルを左へ切る。車のスピードが徐々に落ち止まった。それを待っていたかのようにパトカーは車の目の前で止まる。パトカーから警官が助手席から一人、そして運転席から一人降りてきた。田辺は後ろを振り返る。後ろには車もいなければ人もいない。このタイミングで車をバックすれば警官を振り切れるのではないか。田辺はその思いを言葉で運転手に伝えようかと前へ視線を向けた。が、すでに警官は運転席の窓をコンコンと叩いていた。
「開けなさい。」
警官は壊れたおもちゃのように同じ言葉を繰り返す。運転手は何度かその言葉を聴いた後ゆっくりと窓を開けた。