第7話
田辺は車の後部座席に座り外を眺めていた。今乗っている車は、今朝方乗った車と同じもので、運転手も同じ。横に座っているのも同じく小笠原だ。マンスリーマンションを出て十分くらいだろうか、車は住宅街の入り路肩に停車した。車に乗ってからここまで、誰一人口を開かない。この静けさが田辺を緊張させていた。良く緊張したときの表現で、心臓の音が他人に聞こえているのではないか、心臓が飛び出しそうだ。と言うが、こういう状態のことを言うのだろうと田辺は感じていた。
「もう少ししたら佐藤早紀がここを通る。いつも友達と合わせて三人で塾へ通いこの道を三人で帰って行くんだ。」
小笠原が沈黙を破る。田辺はそこで小笠原に視線を向けた。小笠原は目の前の道を指でなぞるように示した。
「そして、あの十字路で佐藤早紀の友達二人は右へ曲がる。そして佐藤早紀は真っ直ぐ進む。佐藤早紀が一人になったときに行動に出るぞ。」
小笠原が向かって左の十字路を指差した。ここは住宅街だ。誰が見ているか分からない。人通りの良い国道付近で誘拐をするよりはましであるが、田辺はここで誘拐することに不安を拭い切れないでいた。
「誰かに見られたらどうするんだ?」
田辺は説明をしている小笠原に割り込んで質問を投げかけた。
「大丈夫だ。誘拐するのは田辺君、きみにやってもらう。だから安全というわけだ。」
安全?どういう意味だ?田辺は疑問に思う、が、すぐに答えに導かれる。俺は全ての罪を背負い死ぬ、そして小笠原と名前も知らない運転手は安全というわけだ。
「佐藤早紀が一人になり、少し歩いたところ。そうだな、十字路から三軒目の家にさしかかったら車を佐藤早紀の横に着ける。そこで田辺君は車を降り佐藤早紀を車に押し込んでくれ。相手は子供だ。そして一瞬で事は終わる。なにも難しいことはない。」
簡単そうに小笠原は言う。初めて犯す犯罪に田辺は自分を納得させる言い訳はないかと思考を巡らせていた。良心?理性?そんなもの今はいらない。とにかくやらなくてはならない。
「来たぞ。」
運転手がぽつりと呟いた。その声に田辺は身を乗り出す。小笠原は待ちくたびれたというような態度を見せている。三人の女の子が右から歩いてくるのが見えた。なにを話しているのかは聞こえないが、とても楽しそうにしている。この女の子を殺さなければいけないのか。田辺は自分のすることを再認識させられる。それを考えると誘拐なんて簡単だと開き直ることができる気がした。
「落ち着けよ。慌ててうまくいくわけがない。」
小笠原がこっちを見ている。田辺はなぜかアドバイスする小笠原に昔、部活をしていた時の厳しいが頼れる先輩に似ていると錯覚させられた。
「わかってるよ。」
期待されている?いや、利用されているだけだ。と、勝手に騙されそうになる甘い自分が嫌になった。車の前を三人が通りすぎる。佐藤早紀の顔が、表情がはっきりと見えた。背筋が凍る。
「別れるぞ。」
運転手が口だけを動かした。三人に気づかれないようにだろう。十字路に差し掛かった三人は佐藤早紀と友達二人に別れる。名残惜しそうに小幅に足を運ばせながら手を振っていた。お互いが視界から消えると、いつも通りの歩幅に戻る。佐藤早紀は一軒目の家を通り過ぎる。二件目に差し掛かる。三軒目まで来た。車に火が入る。田辺の心臓にも火がついたかのように高鳴った。運転手は素早く車を出した。十字路を過ぎる。一軒目、二件目、三軒目。車の速さが恐ろしい。気づけば窓の外、目の前に佐藤早紀がいた。背中に強い圧力が加わる。振り返らなくてもわかる。小笠原が背中を押しているのだ。田辺はドアに手を掛け力強く開けた。外の冷たい空気と佐藤早紀の驚いた視線が田辺に突き刺さった