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第1話

  バスの後ろか2列目の右窓側の席に田辺は座っていた。すでに30分は経っただろうか。バスは街の中を走っている。窓から見える街は外灯の明かりで、夜とは言ってもとても明るい。

 「このバスは、札幌発稚内行き。到着は午前6時予定です。」

 乗ってまもなく聞いたアナウンスを思い出した。今の時間は12時。まだ到着までは6時間はある。このバスは普通の都市間バスで、言ってしまえば狭い。そんなに新しいバスでもなく、どちらかといえば古い部類に入るだろうか。取っ手の擦り傷やシートの擦れなどところどころにその痕跡がみえる。だが、不快になるようなものはない。バス会社の管理が良いからだろう。

 「となり、よろしいですか?」

 窓の外をぼんやり眺めていたところいきなり声をかけられ、田辺はとっさに対応ができない。顔だけをそちらへ向け2秒かたまってしまった。

 「どうぞ。開いてますよ」

 やっと口から出た言葉がそれだった。声をかけてきたのはスーツを着た男だった。歳は40代だろうか、髪は短髪で好感の持てる顔と表情をしていた。手には黒いバックを持っている。

 「失礼します。」

 そう言い、男は田辺の横に腰を下ろす。ふわっとタバコの臭いが鼻を刺激する。田辺はタバコを吸わない。それにこのバスは禁煙車だ。そのせいもあってかタバコの臭いが敏感に感じられる。それでもとなりでタバコを吸われるのに比べればこれくらいの臭いなら我慢できる。そこで田辺は車内を見回した。他に客は八人くらいか、空席などいくらでもある。田辺は嫌悪感を覚えた。

「出張ですか?」

 田辺は会話をするつもりは無かったが、隣の男に問いかけた。今顔を合わせたばかりの男にそんな気を使うこともないのだが、男が横にきた時、自分にしかめ面が出たのがわかった。男にばれたのではないか、それをなんとかごまかそうとした。これからの長旅、少しでも気分良く行きたい。

「まぁ、そんなところです。」

 男はこちらに愛想よく答える。こちらのしかめ面に気づかなかったのか、それとも男がなにかこちらに愛想を良くして得することがあるのか。どちらかわからないが、田辺はなにか落ち着かない。

「あなた、これから死ぬ気ですね。」

 いきなり男は田辺に問いかける。さっきまでと同じ愛想良い顔でだ。

「・・・」

 田辺は声が出ない。

「なんとなくわかる。今まで何人とそういう人を見てきている。」

 表情は変わらないが、声は少し低音になった。表情と声がつりあわないのが余計凄みを感じる。

 「なぜか日本の最北端で死のうとするひとはこのバスに乗るんだ。どこで死んだって同じなのになぜか最北端を目指す人がいるんだよ。」

「いったい、何を言うんだ。」

 やっと田辺は声を出した。唐突におかしなことを言ってくる男を睨みつけている。

「やっぱり、思ったとおりだ。死のうとしている人にこういうことを言うとかならず皆同じ反応をする。」

 田辺は周りを見回した。この会話が他の乗客に聞こえているのではないのか。しかし、乗客たちは気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。まったく反応を示さない。

「大丈夫、誰も気づいていない。他の客なんて周りなんか気にしないし、そんな聞こえる声の大きさじゃないだろ。」

 田辺の不安を見抜く言動。田辺は目を丸くし男を見た。たしかにそんな大きな声じゃない、というよりもすぐ横にいないと聞こえないくらいの小さな声だ。話の衝撃で声が大きく感じたのか。

「さて、本題に入ろう。」

 さらに男は続けた。すでに男のペースに入っている。田辺はただ聞くだけになっていた。

「あなた、どうせ死ぬんだったら、ひとつ面白いことに手を貸さないかい?こっちは死のうとしている人を探しているんだ。死のうとしている人を探すとき、このバスは良いんだよ。話す時間もあるし、死のうとしている人を見つけるのも簡単だ。まぁこれからゆっくり内容については話すがそんな悪い話じゃない」

「どういうことだ?」

「簡単だよ。自分が死ぬ前に人を一人殺して欲しいだけだ。」

「・・・」

 田辺は言葉がでない。この男は何を言うのか。殺しの依頼だって、まさかそんなこと見ず知らずの男に頼むなんてことがあるのか。

「どうせ死ぬんだったら人一人殺したっていいじゃないか。なにもただで殺せと言っているわけじゃない。それなりの報酬は用意する。」

「あんたが何を考えているかわからないが、そんなこと頼むなんてどうかしてる。」

 田辺はやっと頭が少し回ってきたことを実感した。それでもまだ今起きていることが現実なのだろうかと勘ぐってしまう。

「俺が頭のおかしい人なんじゃないかと思っているだろう。俺はいたって正常だ。それにそろそろ、いい時間だ。」

 男は左腕を上げ腕時計を出す。暗い車内でもはっきりと高級時計だとわかった。

「少し待っていてくれないか。」

 なにを待てというのだ。田辺はなにがあるのか見当もつかない。ただ男を睨みつけるしかできなかった。

「そうだ。これ返しておくよ。」

 男はそういうとスーツの左胸のポケットから田辺にとって見覚えのあるものを取り出した。

「それは・・・」

 田辺の財布だ。間違いない。さっきまで、そうバスに乗るまではたしかに自分のハンドバックの中にあったものだ。いったいいつ。そんな思考をめぐらせている中、男は田辺のハンドバックにゆっくりと財布を戻した。田辺はただその動きを目で追うことしかできない。

「中身を見せてもらったよ。田辺 利孝っていう名前なんだな。歳は51。」

 そうだ、運転免許証だ。田辺ははっきりとわかった。財布の中で身分を証明するものといえばそれしかない。

「名前がわかったからって、どうするんだ。それで俺がなんでも言うこと聞くとでも思っているのか?」

 興奮しているのか、声が大きくなった。頭をすっと低くし隠した。ほかの乗客に聞こえたのではないかと、ゆっくりと顔を出し周りを見渡しただが、誰も反応がない。

「そんな大きな声だしたらさすがにまわりもなにかあったかと聞き耳立てるぞ。」

 さっきからずっと好意的な表情をしていた男の顔が変わった。声色はさらに凄みを増す低音だ。

「・・・」

 田辺はその迫力に圧倒されて口を噤んだ。

「おっと、どうやら来たようだ。」

 そう言い、男はスーツの右ポケットから携帯電話を取り出した。着信音は聞こえないが青いライトが点滅している。すぐ横だからわかるがバイブレーションで着信を知らせている。男は携帯を広げボタンを押す。そのまま画面を見入っている。リズム良く2秒おきにボタンを押す。電話ではなくてメールか。田辺にもそれはわかった。男は黙ってメールに目を通していく。男の顔が携帯の明かりではっきりと見えた。あの好感の持てる営業ス

マイルだ。だが、田辺にはそれは好感が持てるわけが無かった。

「田辺さん。あんた不倫で人生失敗してんだね。」

 さっきから驚いてばかりだ。なんでこんなことになったんだ。

「それは、なんで・・・」

 事実だった。田辺は12年前に不倫が原因で離婚している。

「今から12年前だったんだ。相手は同じ会社の上司?これはまたおもしろい相手と不倫したもんだね。しかも4つ年上ときたか。」

 いったいどうしたら個人情報がこんなにも簡単に分かってしまうんだ。たしかに12年前はこのことで社内ではかなりの問題になり妻とも離婚。そして会社も辞めなければならないはめになってしまった。

「しかも、10年娘と会っていないみたいじゃないか。」

 まくしたてるように男は言う。田辺はかれこれ10年娘と会っていない。元妻と別れてから2年ほどは娘と月1一回会っていたが、それも元妻が拒否しはじめ、それに合わせるように娘も田辺のことを拒否するようになっていた。最後に会ったのはたしか娘が8歳の時だった。

「お前、いったい誰なんだ?」

 ついに、いや、やっとと言うべきか。田辺は目の前の男がなにものであるかを問うた。

「俺かい? 名前は小笠原だ。他のことについては何も言うつもりはない」

「小笠原。いったい俺のことは全て知っているとでも言うのか?」

 そうに違いない。違うと言ってくれと言う想いで田辺は小笠原に詰め寄る。

「ああ。その通り。全て知ってるよ。まぁ、今分かったことだが、田辺君については知らないことはないね。」

 やはり。田辺は愕然とする。自分にとって消し去りたい過去。そう、12年前の出来事について小笠原は知っている。

「そんな悪いようにはしない。さっきも言ったが報酬は出す。」

 田辺は自殺を決行するためにこのバスに乗っていた。報酬だって。どうせもうすぐ死ぬ俺にしたら大金を積まれたってなんだというのだ。言葉には出さず、ただ小笠原を睨みつけた。

「報酬といってもただ金を渡したっておもしろくない。どうせ田辺君はもうすぐ死ぬんだろう?それなら違うものを貰ったほうがいいんじゃないのか?」

 こいつはどこまで俺の心が読めるのか。田辺は背中になにが冷たいものが通り抜けかと錯覚する。

「俺は最後に自分の娘に会うっていうのが田辺君にとって最高の報酬になるんじゃないかと思っているよ。」

 暖かいストーブの効いた部屋から、いきなり真冬の吹雪の中へ飛び出したかのようだ。体が動かない。いや、頭も口も固まってしまった。

「やはりね。ここまで思ったとおりだとこっちが拍子抜けしてしまう。」

 なにが拍子抜けだ。こっちはもう普通の神経ではいられない。小笠原の依頼の前に、自分自身からの依頼で目の前の男を殺してしまいそうだ。

「俺の言う通りにして最後に希望を叶えるのか、それともこのまま最北の地で人生を綺麗に終わらせてしまうのか。ゆっくり考えてくれ。2時間後返事を聞く。少し俺を休ませてくれ。さすがにこの仕事も楽じゃないんだ。」

 そう言うと小笠原は背もたれを少し倒し、ゆっくりと目を瞑った。赤子のような寝顔をしている。はっきり言って憎たらしい。なにを考えろというのだ。いまから死に行く都合の良い人間をつかまえて利用しているだけなんだ。頭ではわかっているが揺らぐ気持ちがあるのを田辺ははっきりと解っている。最後のバス旅行。すっきりしていた気持ちで乗ったはずなのに、今ではどうしたらいいのか、頭かおかしくなりそうだ。いや、自殺を決めた時点からすでにおかしくなっていたのだろう。そうではないとこんな話で心が揺らいだりするはずはない。


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