第4話
日が暮れる前に、クレアたちは食堂へと帰った。
それからは赤ちゃんをお風呂に入れたり、離乳食を作って食べさせたり、バタバタとお世話に追われる。
すっかり夜になった頃、ロットは赤ちゃんを連れて、自分の家である商会へと帰っていった。夜に飲ませるミルクや布おむつなどが入ったリュックを背負い、赤ちゃんをあやしながら帰っていく姿に、クレアはほんの少し寂しさを覚える。
いつも、そうだ。
ロットはいつも困っている誰かを見ていて、クレアの方はあまり見てくれない。
クレアはロットの背中ばかり見つめている。
だから、クレアは胸の奥に生まれかけた淡い気持ちに気付かないふりをする。
「私とロットはただの幼なじみ。それ以上でもそれ以下でもない」
自分に言い聞かせるように、夜空の下でつぶやいた。
*
翌朝、午前七時。
クレアのところへやってきたロットは、目の下にクマを作っていた。赤ちゃんはというと、ロットの腕の中で大泣きしている。
「助けてくれ……クレア……」
「ちょっと、大丈夫? 赤ちゃんの抱っこ、代わってあげようか?」
「頼む……」
クレアが赤ちゃんを抱っこすると、なぜか赤ちゃんはぴたりと泣き止んだ。
赤ちゃんは、くりくりした大きな瞳でクレアの顔をじっと見つめて、「あう!」と元気よくあいさつしてくれる。
「嘘だろ……俺がどんなにあやしても泣き止まなかったのに……」
食堂のドアの前で、頭を抱えてうずくまるロット。そんなロットの肩をぽんと叩いて、クレアは子ども部屋へと彼を促した。
ロットは子ども部屋に入ったとたん、力尽きたようにへなへなと座り込む。
「一晩くらいなら、ひとりでも余裕で赤ちゃんの世話くらいできると思ってたけど、全然そんなことなかった……。なんか心配で、夜中に何度も目が覚めるし……」
「お疲れさま。朝起きてから、ミルクはあげた?」
「ああ、すごい勢いで飲んでた。おむつも替えてる」
クレアに抱っこされている赤ちゃんは、きょろきょろと部屋の中を見回している。泣き出すような気配もなく、元気そうだ。
「そういえば、俺、昨日の夜に思ったんだけど」
ロットが壁に背を預けながら、ふと思い出したように言う。
「マークが赤ちゃんの言葉を通訳してくれてたじゃん? 俺、正直なところ、全然信用してなかったんだけど……その通訳、信じてみようかなって思ったんだ。実際に赤い屋根の家は存在したし、その近所の人もこの子のことを知ってたし。それに、この子の名前!」
「名前?」
「近所の人、この子のこと『ゴッちゃん』って呼んでただろ? マークが言ってたとおりに」
言われてみれば、確かにそうだ。
赤ちゃんとマーク、ふたりの言葉が真実でなければ、名前が一致するはずがない。
「まあ、『ゴッちゃん』って愛称だと思うし、だとしたら本名は何なんだって話なんだけどさ」
「ゴンザレスかな? ゴドフリーかも?」
「ママさんを見つけたら絶対に聞きたいよな、この子の本名。俺、気になってしょうがない」
話題の中心人物である赤ちゃんはというと、ベッドで寝ているマークを見つけたらしく、嬉しそうに「あーう!」と叫んでいた。
その声が聞こえたのか、マークが目をこすりながら起き上がる。
「ゴッちゃん……? なんでここにいるの?」
「だうだう」
「うん、いいよ。でも、ぼく、きがえなきゃいけないから、ちょっとまってて」
「あきゃーい!」
今日もマークと赤ちゃんは仲良く会話をしている。
ちびっこたちの様子を見たロットは、真剣な顔をしてふたりに問いかけた。
「マーク、ゴッちゃん。ゴッちゃんのママについて教えてほしいんだけど、いいか?」
「いいよー。ね、ゴッちゃん」
「たー!」
赤ちゃんはクレアの腕の中で、にこにこしながらおしゃべりを始めた。
マークが赤ちゃんの言葉を通訳していく。
そうして、ちびっこたちから話を聞き出したクレアとロットだったけれど、これはこれで頭を抱える羽目になった。
「……つまり、ママさんがひとりでゴッちゃんを育てているのは、パパさんがもう亡くなっているからなのか。パパさんは騎士様で、魔獣との戦いで命を落としてしまった、と」
「そんな重い話を、まさか赤ちゃんから聞くとは思わなかったよね」
「しかも、『ママはパパのところにいったとおもう』って! なんてこと言うんだ、ゴッちゃん!」
パパが天国にいるのなら、ママも天国にいるということになってしまう。
本当に、なんてこと言うんだ、この赤ちゃん。
「ねえ、ロット。ママさんは本当にもうこの世にはいらっしゃらないのかな……」
クレアはぎゅっと赤ちゃんを抱きしめる。
温かくて、柔らかな、可愛らしい赤ちゃん。手も足もまだまだ小さくて、丸っこくて、ぷにぷにしている。
こんな可愛い子を置いて、いなくなるわけない。
そう思いたいけれど――。
「クレア、そんな顔するな」
ロットがぽんぽんとクレアの頭を撫でてくれる。
大きくて温かなロットの手。この手に撫でられると、クレアはいつも安心する。
「……でも、これからどうするの? 何の手がかりもないままだよ?」
「うーん、どうするかな……」
ロットはしばらく考え込むようなしぐさをしてから、ぽつりとつぶやいた。
「もしかしたら、ママさんは……」
*
クレアたちの住んでいる街を一望できる丘の上に、騎士様たちが眠る墓地がある。
緑の木々に囲まれた、穏やかで平和な場所だ。
クレアたちは、その墓地を目指して歩いていた。
初夏の爽やかな風が、青々とした木々の葉をさわさわと揺らしている。
細い坂道を登って丘の上に出ると、いくつもの墓石が並んでいるのが見えた。
「ママさんが生きていて、しかも『パパさんのところにいる』というゴッちゃんの言葉も信じるのなら、ママさんはきっとここにいるはずだ」
赤ちゃんを抱っこひもで抱っこしたロットが、まっすぐに前を見据えて言う。
クレアもマークの手を引きながら、ロットの見ている方向へと目を向けた。
墓地には墓参りに来たと思われる家族連れや、騎士たちがいる。
クレアたちは、その中に赤ちゃんのママらしき女性がいないかと探して回った。
そうして、墓地のはしっこにある比較的新しいお墓のエリアに来たとき、ひとりの女性の姿が見えた。濃い茶色のワンピースを着ていて、その手には小さな旅行鞄を持っている。腰まである赤い髪の毛が、風に吹かれてきらめいていた。
その女性がこちらを振り向いた瞬間、ロットが「あ」と声を漏らした。