第3話
もうすぐ午後四時を迎えるという頃。
クレアはマークと手をつないで、街の大通りを歩いていた。隣には抱っこひもを使って赤ちゃんを抱っこしているロットがいる。
マークによると、赤ちゃんは『赤い屋根の家』に住んでいるらしい。
すぐ近くに小さな川があって、ちょろちょろと音が聞こえてくるのだそうだ。
マークが本当に赤ちゃんの言葉がわかるのかどうかは、半信半疑のままだ。
けれど、他に手がかりもないし、ママの情報を集めるついでに赤い屋根の家も探してみることにする。
「まずは一度、うちの商会に寄ってもいいか? クレアのところに行く前に軽く説明はしたんだけど、俺、急に仕事から抜けちゃったからさ。仕事が滞ってないか、一応確認しておきたい」
ロットの言葉にクレアはうなずく。
商会にはいろんな人がいるし、上手くいけば赤ちゃんのママや赤い屋根の家の情報が手に入るかもしれない。
クレアたちが商会に向かって歩いていると、旅行者と思われる中年女性たちとすれ違った。女性たちはこちらを見て、ふふふと笑い合う。
「あら、若いご夫婦ね。子どもがふたりも!」
「仲が良いのねえ」
誰と誰が夫婦……?
クレアはきょろきょろと周りを見回し、夫婦と間違われそうな二人組が自分たち以外にいないことに気付く。
カッと顔に熱が集まった。
慌てて隣を見ると、ロットは真っ赤な顔で口を引き結んでいる。
抱っこされている赤ちゃんが「あうー?」と言いながら、ロットの胸のあたりを小さな手でとんとん叩いていた。
このまま黙っているのも気まずくて、クレアはわざと明るい声を出す。
「ふ、夫婦だって! しかも子どもふたり! 私たち、まだそんな年齢でもないのにね。……あ、間違われないように離れて歩く?」
「いや、離れなくていい。隣にいてくれ」
ロットはそう言ったけれど、妙に表情が硬い。
クレアと目を合わせようともしない。
まるで本心を悟られたら困るとでもいうような態度だ。
クレアと夫婦に間違われたことがそんなに嫌だったのだろうか。
なんとなく気まずい空気になったまま、クレアたちは商会へと向かった。
*
商会での用事を終えて、情報を集める。
すると、赤ちゃんのママについては何もわからなかったけれど、赤い屋根の家についてはあっさりと場所が判明した。
街のはずれにあるらしく、そんなに遠くもなさそうなところだった。
赤い屋根の家を目指して、クレアたちは歩いていく。
その道中、マークは赤ちゃんと楽しそうにおしゃべりをしていた。
「ふーん、ゴッちゃんはヨーグルトがすきなんだね。きらいなたべものはある?」
「あうー。ぶー」
「えっ、そうなの? ぼくはすきだよ、あまいもん」
「ぶうぶう! あだだーい!」
赤ちゃんはなにやら文句を言いながら、元気よく手足をばたつかせている。
ロットは赤ちゃんの背中を優しく叩きながら、うーんとうなる。
「マークとこの子、本当に話しているように見えるよなあ。でも、この子、食べ物を口にしたことがあるのか? まだミルクだけなんじゃ……?」
「もしかしたら、離乳食を始めてるかも」
クレアは気まずいと思いつつも、勇気を出してロットに近付き、赤ちゃんの口を覗いてみる。すると、ちょこんと可愛らしく並ぶ下の歯が二本見えた。
「歯が生えてるね。じゃあ、夕食のときには離乳食も用意しないと」
「そうなのか! うわあ、どうしよう。離乳食なんてよくわからないんだけど!」
「大丈夫。うちは食堂よ? 食事のことなら任せといて」
「助かる。……本当、何から何まで世話になりっぱなしだな、俺」
クレアはふるふると首を振った。
何から何まで世話になりっぱなしなのは、昔のクレアの方だったから。
あれは、クレアがまだ五歳くらいだった頃。
その頃のクレアは人見知りが激しくて、お母さんに公園へ連れて行ってもらっても、他の子どもたちと一緒に遊ぶことができなかった。
夏真っ盛りの、とても暑い日。
周りで楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえていた。
太陽はひとりぼっちで膝を抱えてうずくまるクレアの背中をじりじりと熱していく。
暑い。
つまらない。
クレアはどんどん膨れっ面になっていった。
でも、そのとき。
背中を照りつける太陽の熱が、ふっと和らいだ。
「こんなところで、なにやってんの? なんかおもしろいものでもある?」
急に知らない子の声が聞こえて、クレアは思わず顔を上げた。
そこにいたのは、赤茶色の髪の少年――ロットだった。
ロットはクレアに「いっしょにあそぶ?」と聞いてくれて、クレアがこくりとうなずくと、すぐに手をつないで子どもたちの輪の中に連れて行ってくれた。
すごく嬉しくて、その日以来、クレアはロットを見かけるとそのあとを追いかけるようになった。ロットも、そんなクレアにいつも微笑みかけてくれた。
だから、世話になりっぱなしだったのは、クレアの方だ。
クレアは、あのとき助けてくれたロットに恩返しをしているだけ。
「……クレア、なにぼんやりしてるんだ? 赤い屋根の家、もうすぐだぞ」
「あ、うん! ……本当だ、すぐ近くに川もあるね」
ロットに話しかけられて、クレアは思い出から現実に帰ってくる。
改めて景色を観察してみれば、もう目の前に赤い屋根の家があった。
木造建ての小さな家で、すぐそばには川がある。水の流れは穏やかで、ちょろちょろと涼しげな音が聞こえてきた。
マークによると、赤ちゃんも『ここがゴッちゃんのいえ!』と言っているらしい。
ロットが玄関のドアをノックする。でも、誰も出てこない。
窓から家の中を覗いてみたけれど、人の気配は全くなかった。
赤ちゃんのママは、ここには戻ってないのだろうか。
考え込んでいると、そこに近隣住民と思われる五十代くらいの女性がやってきた。
「あら? その赤ちゃん、もしかしてゴッちゃん?」
「えっ! この子のこと、ご存じなんですか!?」
ロットが驚いた声で問い返すと、女性はもちろんと大きくうなずいた。
「ゴッちゃんのママは、ひとりで子育てしていてね。でも、最近はずっと疲れた顔をしていたわ。だから、近所のみんなも『手伝おうか』と声をかけてたんだけど、ゴッちゃんのママったら『大丈夫です』の一点張りでね。誰にも頼ろうとしないから、心配してたのよねえ」
子どもを預かってくれる人がいてよかったわ、と女性は笑った。
ママに関する情報をもっと引き出せないかと、クレアとロットは女性にいろいろ質問してみる。
けれど、ママの行方はもちろん、それ以上のことは何もわからなかった。
せっかくここまで来たけれど、完全に行き詰ってしまったようだ。
女性に礼を言って別れた後、クレアたちは食堂に戻ることにする。
赤ちゃんのママ探しは、思っていたよりも難しいのかもしれなかった。




