第2話
これは、放っておいたら大惨事になるやつ!
クレアは大慌てで動き出した。
「確か、棚の奥にマークが赤ちゃんの頃に使ってたものを入れた箱があったはず……あった!」
子ども部屋に設置してある棚から箱を引っぱり出して、中身を確認する。
ほ乳びん、スタイ、ロンパース、赤ちゃん用メリー。それから、新品の布おむつ。
よし、ひとまずおむつは確保した。
でも、おしりふきにしてもよさそうな布が見当たらない。どうしよう。
「クレア……俺は何をしたらいいんだ? というか、この子は男の子? 女の子? もし女の子だったら、俺がおむつを替えてもいいのか?」
ロットは大泣きする赤ちゃんを抱っこしたまま、おろおろと部屋を歩き回っている。
「落ち着いて、ロット。……ああっ! 漏れてる!」
「ど、どうしたらいいんだ!?」
「服まで汚れちゃってるから、もう全部着替えさせるよ。ついでにお尻もきれいに洗っちゃおう。大丈夫、私が手伝うから」
「……俺、ちゃんとできるかな?」
「できる、できないの問題じゃないの。やるしかないのよ!」
ふにゃあああ、と泣く赤ちゃんの声が、より一層大きくなる。
クレアはおむつ、下着、ロンパースを掴むと、ロットを引っぱってお風呂へと直行した。
*
赤ちゃんのお尻をきれいに洗い、おむつを替え、下着とロンパースを着せる。
たったそれだけの作業なのに、小一時間もかかってしまった。
ちなみに赤ちゃんは男の子だった。
「ふにゃあああん! ふにゃあああ!」
お尻がスッキリしたはずの赤ちゃんは、なぜかまだ泣いている。
ロットは「どうしたらいいんだ……」と困り果てた様子でうなだれた。
「なんで泣き止んでくれないんだ? ママさんがいなくて寂しいからか?」
「うーん、お腹が減ったのかも」
赤ちゃんの汚れたおむつなどを下洗いしながら、クレアは答える。
そうして、気付く。ほ乳びんはお下がりというわけにはいかないだろう。粉ミルクやおしりふきなど、買ってこないといけないものがたくさんある。
おむつの下洗いを終え、クレアはロットを振り返った。
「私、ほ乳びんとか粉ミルクとか、いろいろ買ってくるよ。ロットは子ども部屋で待ってて」
「買いに行くなら、俺が」
「何を買ったらいいか、わかる?」
「……わからない」
赤ちゃんの泣き声がさらに大きくなる。ロットは自分の財布を差し出して、「頼む」とクレアに告げた。
クレアはその財布を受け取り、「じゃあ行ってくるね」と階段を駆け下りた。
*
急いで買い物を終えて子ども部屋に戻ると、意味不明の状況になっていた。
相変わらず大泣きしている赤ちゃん。
その赤ちゃんを抱っこして、子ども部屋の隅っこに座るロット。
そのロットの背中を叩きながら、わんわんと泣いている弟のマーク。
泣いている子が増えている。
なんなら、ロットまで泣きそうな顔をしている。
「クレア……」
「ロット、今ミルクを用意してくるから。あと少し、頑張って」
クレアはロットに励ましの声をかけた後、弟のそばに座り、その小さな手を掴んだ。
マークは涙をぽろぽろとこぼしながら、クレアを見つめてくる。
「マーク、ロットを叩かないであげて。叩いたら、痛いからね」
「でも、ぼくもあかちゃんのおせわがしたかったの。なのに、ロットにいにがダメって」
「そっか。マークはお手伝いがしたかったんだね。じゃあ、ねえねと一緒にミルクを作ってくれるかな? 赤ちゃん、きっと喜ぶよ」
「うん! ぼく、ミルクをつくる!」
マークがぱっと明るい笑顔を見せた。
クレアはマークを連れて厨房へと向かい、ミルクを作った。ほんのり温かいミルクが入ったほ乳びんを、マークがはりきって運んでくれる。
ロットと赤ちゃんが待つ子ども部屋に戻り、ロットにミルクを渡した。
ロットがおそるおそる大泣きする赤ちゃんの口元にミルクを持っていくと、赤ちゃんは待ってましたとばかりにほ乳びんに吸いつく。
「おおっ、飲んでる……」
ロットが感動したように、ぽつりとつぶやいた。
よほどお腹がすいていたのか、ミルクは驚くほどの速さで減っていく。ぷくぷくとした小さな両手でしっかりとほ乳びんを掴み、赤ちゃんは休むことなくミルクを飲み続けた。
ミルクを飲み終わると満足したらしく、赤ちゃんは先ほどまでの泣きっぷりが嘘のように大人しくなった。
ロットの顔をくりくりとした目でじっと見つめたかと思うと、にこっと笑う。
「笑った! なあ、見たか? この子、笑ったよな、今!」
「うん、見たよ。可愛いね」
ロットはひとしきり赤ちゃんの笑顔に感動して、それからふと神妙な顔になった。
「そういえば、この子の名前って何だろう?」
「ママさんから聞いてないの?」
「うん。そんな暇なかったし」
赤ちゃんはご機嫌で「おー! あうー!」とおしゃべりしている。
こんなに可愛らしい赤ちゃんなのだから、さぞかし可愛い名前がつけられているのだろう。
「……やっぱり、できるだけ早くママさんを探して、いろいろ話を聞かないといけないよな。街の人たちに聞き込みとかして、情報を集めるか」
「私も手伝おうか? ロット一人じゃ大変でしょ」
「そうしてもらえると、すごく助かる。ありがとう、クレア」
そう言ってロットが嬉しそうに微笑むものだから、クレアの心臓がどきんと跳ねた。
けれど、クレアはあくまでも平静を保つ。
ロットはこういう人なのだ。
いちいちドキドキしていたら身が持たない。
心を落ち着けることに集中していたクレアのスカートを、弟のマークがつんつんと引っぱってくる。
「あのね、ぼくもいっしょにゴッちゃんのママをさがしにいきたいの」
「ゴッちゃん? ゴッちゃんって誰?」
「あかちゃんのおなまえ。ゴッちゃんでしょ?」
いやいや、こんなに可愛らしい赤ちゃんに『ゴッちゃん』はない。
「マーク。赤ちゃんに勝手にお名前をつけちゃダメよ」
「かってにつけてないよ? ゴッちゃんが『ゴッちゃんだよ』っておしえてくれたもん」
「…………」
マークは嘘をつくとき、目が泳ぐ。けれど、クレアがじっと見つめていても、マークの目が泳ぐことはなかった。
――うちの弟、もしかして赤ちゃんの言葉がわかるの?
そんなことあるわけがないと思いつつも、クレアはちょっと期待してしまう。
本当に赤ちゃんの言葉がわかるなら、ママ探しの役に立つかもしれない。
「ねえ、マーク。赤ちゃんとお話できるなら聞いてみてくれる? 赤ちゃんのおうちは、どんなおうちかな? って」