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食育

作者: 斎木伯彦

 現代の学校教育では、食育が行われています。

 実際のところ、これは家庭教育の範疇なのですが、その家庭教育ができない親御さんが増えているのでしょうね。

 食育の基本は「いただきます」と「ごちそうさま」でしょう。

 これらの気持ちがなければ、食材への感謝、調理への感謝、食事ができる平和への感謝などの常識が育つはずもありません。

 平和への感謝がなければ、それは戦争へと繋がります。

 ですから「いただきます」と「ごちそうさま」を言わせないなどと非常識な要求をするような方は、平和を乱す軍国主義の方かもしれません。

 食品を無駄にするのは、輸入に頼る我が国では致命的な欠陥思想です。

 特に食べ放題などの自由裁量で自己の食事量を調節できる方式で食べ残しを発生させる方は論外です。

 その食べ残しによる損害が如何ほどであるのか想像力が欠如していらっしゃるのでしょう。

 ややもすると、そうした想像力を養う教育の機会がなかったのかもしれません。

 以前、インターネット上でも「ご飯粒を残さず食べるのは貧乏くさい」などという暴論を恥ずかしげもなく披露された方がいらっしゃいましたが、本当に可哀想な方とお見受け致しました。

 こういう可哀想な方は御仏に救って頂くより他ありませんので、曹洞宗などの禅寺に預けて性根を叩き直すしかないでしょう。

 食物は農家などの生産者の努力によって、より美味しく、より安全に、効率的に収穫されています。

 田畑や牧場の拡張は自然を開拓しますので、多くの野生生物を外縁部へと追いやります。

 「菜食主義だから、動物を虐待していない」とは主張できません。

 むしろ満遍なく飲食して、食材に感謝する心を育む方が人間的に豊かになれると思います。


 偏食にも問題があります。

 肉しか食べない、或いは野菜しか食べないというのは人体に深刻な影響を与えます。

 特に成長期にある子供たちに重要なタンパク源である魚や肉類を与えないのは、正常な成長を阻害し様々な悪影響があります。

 第一に、筋肉が形成されないので筋力や体力が低下し、免疫力なども低下します。

 結果、病気になり易い不健康な身体になるでしょう。

 我々人類の身体を形成しているのはタンパク質が主体ですから、これを不足させたり欠乏させるような食生活は、虐待と断言しても過言ではありません。

 タンパク質の不足は脳の萎縮などの悪影響もあります。

 更にタンパク質によって形成された筋肉は、脂肪の三倍も水分を保持します。

 熱中症予防の一環として筋トレが挙がるぐらいですから、タンパク質の不足が生命を維持できないぐらいの悪影響があるのは明らかです。

 菜食主義であっても、豆類や芋類を積極的に摂取して植物性のタンパク質を身体に入れるのは有用ではありますが、効率はすこぶる低いと言わざるを得ません。

 やはり動物性タンパク質、魚や肉類を摂取するのが人体を効率的に構成できます。

 野菜類も必須栄養素を含む食品群です。

 ですから、昔の日本人が獣肉を食べなくなっても魚介類を食べ続けたのは、動物性タンパク質が健康維持に必要だったからです。江戸時代でも「ももんじや」として畜類の肉を食べさせる店舗が存在し、彦根藩の特産品である牛肉の味噌漬けを将軍家に献上し、他藩からも問い合わせがあったのは動物性タンパク質が滋味豊かで健康増進に効果があったからでしょう。

 肉類が健康に悪いとすれば、肉食獣は全て不健康な食生活を送っていることになります。

 世の道理を弁え、自然の摂理を理解していれば、健康的な食生活がどのようなものか理解できるでしょう。

 こうした食育を通じて、バランスの良い食事を心懸けるならば、健康的で魅力的な身体を手に入れられます。勿論、そこには健康維持に必要な適度な運動も要素として含まなければなりません。

 私の両親は「子供の内に本物の味を知っておかないと、成人してから苦労する」との持論で、良い物を用意してくれました。成人してから同じ物を食べようと思うとお財布が危機に陥るのが難点ですが、それだけ愛情をかけて貰えたのだと実感も湧きます。

 自然と両親に感謝の念が起きますし、親孝行の一環としてより良い物を用意したくなります。

 仮に私の両親が菜食主義者で野菜しか食べたことがなければ、肉類を食べた時に衝撃を受けると共に「どうしてこれだけ美味いものを食べさせなかったのか?」と疑問や怒りの感情も湧いて来るでしょう。

 「食指が動く」との故事成句も現在の意味は「野心の現れ」、「入手したい衝動」となっておりますが、本来の故事は別の出来事も含んでおります。

 これは古代中国の鄭の国の公子が人差し指が動くのを見て「これはご馳走に与れる前兆だ」と喜んで帰宅すると、まさにスッポン料理が準備されていました。

 兄弟はニンマリと微笑んで顔を見合わせると、父の鄭公が子らの行動を訝しみます。

 それで食指が動いたことを述べると、鄭公は悪戯を思い付きました。

 食事の時間になると公子の食卓にはスッポン料理はなく、父は笑っています。

 バカにされたと感じた公子は立ち上がって父の料理の皿に指を入れて、その指を舐めながら退出してしまいました。

 父に対する無礼を咎められますが、公子はそれを無視。後に嫌がる弟と共に父を襲って殺害してしまいます。

 この故事からは「食べ物の恨みは恐ろしい」との戒めも得られるでしょう。

 さて、食育の大切さが理解できましたでしょうか?

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