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カイト泥遊びをする

とある農夫視点のお話です。

「ふざけるな!」

「水を独占しやがって」

「川を堰き止めるなんて!」


 親から引き継いだ畑に来てみたら、待ち構えていた農夫達に囲まれてしまった。

 彼らは新参者の集まりだ。目を血走らせて、唾を飛ばしながら罵声を浴びせてくる。


 最近、新しい領主が赴任してきて、寂れた田舎町は一気に変貌した。余所の土地から引っ越してきた農夫が増え、それに伴い、こうしたトラブルも増えた。


 荒れ地ばかりだった広大な敷地は農地になり、収穫が増えたのは喜ばしい事だが、ゲルマにとっては良いことばかりではなかった。


 ゲルマは農夫だ。両親と妻と自分で野菜を作っている。問題なのは、ゲルマ一家の畑が泥畑だったことだ。


 元からあった湿地帯の泥の土壌の中で、育っている野菜を見付けたのは何代も前の先祖。

 泥の中で見付けたそれを口にした先祖は、よほど飢えていたのだと思う。普通は泥まみれのそれを口にしようと思わないから。


 泥畑で採れるその野菜は煮込んでも固いため、他の野菜に比べると不人気だった。売値も安いので、同じ農夫の中でも見下されている。

 それでも一部の物好きからの需要もあるので、一家が暮らしていけるだけの収入はあった。ゲルマ一家はそうして細々と暮らしてきたのだ。


 泥の畑なので、当然、他の畑よりも水を必要とする。

 特に今は収穫時。水不足で泥が乾いてしまうと大打撃だ。年中、水分を多く含む土壌なのだが、ここ数日の晴天 続きで土の表面が乾きかけていた。

 だから近くを流れる小川からの水路を半分土を盛って堰き止め、泥畑に水が流れるように誘導していた。それが他の農夫達は気に入らないらしい。


「俺の畑は泥畑だから、水を多く必要とするのはしょうがないだろう」


「あんたの所が水を多く取るから、こっちは迷惑しているんだ!」

「そうだ」

「もう良いだろう」


「よくないからやってるんだ」


「何を?!」

「あんた一人のせいで迷惑なんだよ!」

「少しは譲れよ!」


「出来ないって言ってんだろ!」


「何だと!」


「文句を言われる筋合いはない! こっちはずっとここで農業をしてきたんだ。ここに来たばかりの新参者のくせに、よくもそんな事を言えるなっ」


「うるさい! 来たばかりとか関係ねえ」

「そうだ! 水は皆で共有するもんだろう」


 多勢に無勢。ゲルマ一人が相手なので向こうは強気だ。

 しかも育てているのが単価の安い野菜だから、自分達を優先するのが当然だと思っている。他にこの野菜を育てている農夫がいないのもあり、ゲルマには味方がいない。


 それでもゲルマは引く訳にはいかなかった。一家の生活がかかっているからだ。


 複数人に囲まれながら怒鳴り合いをしていると、制止する声が割り込んできた。


「まあまあまあ、皆ちょっと落ち着きなさい」


 その場にいた全員がバッと振り返ると、農夫達を取りまとめる世話役の爺さんが立っていた。

 いつの間にやら近づいていたらしい。興奮していたので気付かなかった。日に焼けた白髪頭で、困ったように苦笑している。


 その後ろに領主様二人の姿を見付けて、全員、口を引き結んだ。

 若い男前の金髪青年と、茶髪の童顔少年。この町で、この二人を知らない者はいない。全員、居住まいを正して礼をした。


 少年はにこやかに笑っていた。


「水路の事で揉めてるって?」


「はい。泥畑が他よりも水を必要とするのですが、その理解がなく……」


「泥畑で採れるのって蓮根でしょ?」


「れんこん?」


「こっちでは何て言うのかな? 蓮根に似た食感の、ほくほくして歯応えのある野菜。穴はないけど」


「そう、それです」


 ゲルマは目を瞠った。領主様が不人気の野菜を知っているのに驚いたのだ。


「僕、野菜のクリーム煮が大好物でね。くたくたになるまで煮込んだ野菜も好きだけど、シャキシャキする歯応えの野菜も好きなんだ。ここで採れるんでしょ?」


「はい」


 ゲルマは無意識に胸を押さえた。

 自分の育てた野菜を、カイト様が好きだと仰った。これほど光栄なことはない。きゅうと胸が熱くなる。


 対照的に、先ほどゲルマを見下して罵倒していた農夫達は、気まずそうに身動ぎしていた。


 カイト様はぐるりと周囲を見渡すと、あっさり言った。


「要は水路を増やせば問題解決だよね? この小川は小さいから、少し遠くの川から支流を作ってくるか。どう巡らせれば良いのか指示してくれる?」


 カイト様が農夫達に聞き、水が欲しいと騒いだ農夫達が自分達の畑を指差しながら説明する。

 カイト様はそれらを全て確認し、世話役にも話を聞いて、胸元から杖を取り出した。


 そしてかなり歩いて遠くの川まで行き、支流を作り出した。指示された場所の土を抉り、畑の境界を縫うように、どんどん水路が作られていく。

 やがて大きく迂回させた支流を再び元の川と合流させると、最初の箇所を決壊させて水を通した。

 水はスムーズに水路を流れていく。


 ゲルマも世話役も農夫達も、その圧倒的なスピードに仰天した。

 魔法使いが魔法を使う場面に立ち合う事は稀だが、これがとんでもない神業だというのは説明されなくても分かる。

 カイト様は聖人様なので当然かもしれないが、やはり目の当たりにすると驚いてしまう。

 話には聞いていたが、まさかこんな簡単に……こんな規模の土木工事をあっさりと……。


「これで良いかな?」


 確認するカイト様に、全員こくこくと頷いた。


「こんな風に簡単に片付くんだから、喧嘩しちゃ駄目だよ? 喧嘩する前に世話役に相談してね。その為の世話役なんだから」


「「「はい……」」」


 毒気が抜かれたように、農夫達が全員項垂れる。

 ゲルマは尊敬の眼差しでカイト様を見詰めた。


「ありがとうございます」


「いつも美味しい野菜をありがとうね」


 泥畑を眺めたカイト様は、何か思いついたように、にまっと笑った。


「いま収穫時期なのかな?」


「はい」


「一緒に作業して良い?」


「え?」


 カイト様はいそいそと外套と皮鎧をを脱いで薄手のシャツ一枚になり、ズボンまで脱ごうと腰紐に手をかけた。

 目を剥いたケビン様が慌ててその手を止める。


「カイト、何をっ?」


「え? 一緒に収穫作業をしようかなって」


「それはちょっと……」


 ケビン様が難色を示したのも当然だ。貴族が泥の中に入るなんて、とんでもない。そんなの聞いた事もない。

 ケビン様だけでなく、その場にいる世話役や農夫達も、みんな絶句している。


 カイト様だけが呑気に笑っていた。


「大丈夫、大丈夫。収穫体験してみたいだけだから! ちゃんと手伝うよ! 泥遊びした事ないから、ちょっとやってみたくなった……と言えなくもないけど、ちゃんと手伝うから!」


 言い訳するように手を振り回すカイト様は子供のようだ。

 それでも渋い顔のケビン様を説得して「洗浄魔法があるから大丈夫!」と何とか頷かせた。

 カイト様は靴を放り出し、ズボンの裾を膝まで捲って裸足になり、本当に泥に足を踏み入れてしまった。

 あぁ……と周囲から声が上がる。


「教えて! どうやって収穫するの?」


「は、はいっ」


 慌ててゲルマも泥畑に入った。中腰になって泥の中に手を突っ込みながら説明する。


「この畑中に根が張っているので、まず実が成っている箇所を足で探ります。そして手で大きさを確認して、小さいものはそのままで。大体、手のひら二つ分より大きい物を採っていきます。実と茎の繋がっている箇所を捩じると、結構簡単にもげますよ」


「分かった! やってみる!」


 カイト様は躊躇なく泥の中に両手を突っ込むと、次々に収穫していった。


「あははははっ、泥がぬるぬるするね! 足の指の間に入って、にゅるっとなるよ! にゅるっと! 変な感触! 面白いね! ちょっと油断したら転びそうだよ!」


「お気を付け下さい」


 ゲルマは慌てたが「あはは、あはは!」というカイト様の笑い声が辺りに響いた。

 あまりに楽しそうにはしゃぐカイト様に、ケビン様も苦笑している。しようがないな……と言っているようだ。


 ある程度収穫して満足したらしく、カイト様は泥畑から上がった。

 カイト様の脱いだ衣類を持ったケビン様が近寄ると、カイト様は自らに魔法をかけた。

 一瞬で泥塗れだった衣類が奇麗になる。ゲルマも農夫達も唖然となった。


「ゲルマさんも上がるなら洗浄魔法をかけるよ? どうする?」


 ゲルマは急いで首を横に振った。


「いいえ、まだ収穫するので」


「そっか。今日はありがとうね。いい体験をさせて貰ったよ」


「こちらこそありがとうございました」


 にこやかな笑顔のまま、カイト様とケビン様と世話役は帰って行った。


 ゲルマが頬を紅潮させながらその背中をずっと見詰めていると、ゴホンという咳払いが聞こえた。


「その……悪かった」


 農夫の一人が謝ってきた。

 ゲルマも軽く会釈を返す。


「前の土地の感覚でいたから、こんなに簡単に水路を作って貰えるなんて思わなかったんだ。すまんな」


「いや、こっちもつい熱くなってしまった」


「しかし本当に……カイト様は凄いな。ここに越して来てよかったよ」


「ああ。凄い方だ」


 農夫がそれぞれの畑に散って行くのを見送って、ゲルマも畑作業に戻る。

 今日は驚く事ばかりだったが、あのカイト様が自ら畑に入って収穫作業をしてくれた。なんと光栄なことだろう。

 いつもよりも身体が動いたゲルマは、その日、楽しく働いた。





 それから数日後。

 ゲルマは思いがけない訪問を受けた。


「私は町の中心部で高級食堂を営んでいるカリアンと申します。コンコの生産者はあなたですか? 世話役に聞いて伺いました」


「はい。俺ですけど……」


 ゲルマが粗末な家から顔を出すと、その男は丁寧な仕草で会釈をした。

 見るからに上等な衣服に身を包んだ男は貴族ではなく、裕福な商人のようだ。ゲルマ相手でも横柄な素振りを見せず、にこやかな営業スマイルを浮かべている。


 ゲルマは首を捻った。


「俺に何の用ですか?」


「カイト様にコンコの新しい料理法を聞いて試したところ、とても美味しかったので新しいメニューとして売り出す事にしたのです」


 コンコとはカイト様が『れんこん』と呼んだ野菜だ。


「それに伴い、これから定期的に仕入れたいと思いまして、市場を通さない直接取引をお願いに来ました」


「直接取引? 新しいメニュー?」


 ゲルマの目は点になる。


「カイト様の好物なのだとか。突然、私の店にお越しになって提案されたのです。私も驚いたのですが、カイト様の仰る通りに料理すると、とても食感の良い、また食べたくなる癖になりそうな料理に仕上がりまして。是非、定期的に仕入れたいと思い、伺ったのです」


「はあ……」


 ゲルマは生返事を返した。突然すぎてピンとこない。


 商人はゲルマの反応を見て対応を変えた。


「ゲルマさん、少しお時間よろしいですか? 私の店に来て、実際に食べ貰いたい」


「はあ。分かりました」


 特に予定もなかったので、ゲルマは案内されるままその男について行った。

 男の店は町の中心部、目抜き通りの一等地にあった。シンプルな外観ながらセンス良く、いかにも客を選びそうな店だった。


 ゲルマは商人について裏口から入った。

 商人が厨房にいた料理人に指示すると、壮年の料理人はコンコを使って料理を始めた。


 ゲルマは驚く。


「油をこんなに大量に……」


 油は庶民にとっても生活必需品で、主に火を熾すのに使う。暖を取るのにも必要なので無駄遣い出来ない。

 少し前まで植物性油が主流だったが、最近は魔獣の脂が出回るようになった。値がかなり下がり、買いやすくなった。これも新しい領主様が魔獣を狩ってくれるお陰だ。


 それでもこんなに大量の油を使って料理するなんて考えられない。ゲルマのように庶民の感覚では、勿体ないと思ってしまう。

 高級食堂だから惜しげもなく使えるのか。ゲルマは黙って説明を聞いた。


「食材に下味をつけた後に小麦粉をまぶして卵をくぐらせ、パン粉をまとわせる。パン粉とは固くなったパンを砕いて細かくした物です。それを油で揚げるのです。

 カイト様曰く、この料理は『カツ』と呼ぶそうです。肉でも美味しいのですよ。他の野菜だと柔らかすぎて歯応えがなく、いまいちなのです。適度な固さを保つコンコだから食感も楽しめるのです」


 少し厚めにスライスしたコンコを揚げる行程を、黙って見守る。

 初めて見る料理法に目を丸くしているゲルマは椅子を勧められ、言われるまま腰を下ろした。

 その前に、コトリと皿が置かれた。


「とても熱いので気を付けて」


 男に注意されながらフォークを突き刺し、フーフーしながら一口噛んだ。

 サクッとした食感とアツアツのコンコを味わう。何度も咀嚼すると、ほくほくして美味しい。


「これは美味い。新しい……」


「そうでしょう? これから『カツ』を大々的に売り出す予定なので、コンコも必要なのです。定期的に納めて貰えますか? もちろん今までの市場価格よりも高値で買い取りますよ」


「それは願ってもない話です」


 ゲルマの目に喜色が浮かぶ。

 商人は笑顔で説明した。


「カイト様の好物を作る生産者に悪い事はしません。これから契約を交わしたいと思いますが、決して損はさせませんよ。カイト様にも重々言われてますから」


「カイト様に?」


「ええ」


 もしかしたらカイト様は、コンコが他の野菜よりも安値で取引されているのを知ったのだろうか。それで気を遣ってくれたのだろうか?


 ジーンと胸が熱くなる。

 ゲルマは契約を交わしながら、カイト様に改めて感謝した。





 それからコンコの市場価格が上がるまで、そう時間はかからなかった。

 あの高級食堂の店主はやり手のようで、『カツ』という料理を店だけでなく、屋台でも売り出したのだ。


 町の中のちょっとした広場や公園には、屋台がよく並ぶ。

 他の屋台ほどの頻度ではないが『カツ』の宣伝も兼ねて、その場で揚げる屋台を出したらしい。

 食材は串に刺してあるので食べやすい。肉串の屋台は前からあったが、油を大量消費する『カツ』は初めてだ。


 物珍しさもあって、一気に話題になった。

 油を大量に用意できない家庭では作れないのもあった。他の業者が真似したくても、同じ理由で躊躇するらしい。


 食堂への客足が遠のくのは駄目なので、屋台を出す頻度を調節しているようだ。だから『カツ』の屋台を見掛けた庶民は殺到する。

 すぐに品切れになるので早い者勝ちだ。人々は争うように『カツ』の屋台の前に行列を作る。


 今ではコンコの市場価格は他の野菜と比べても、高めになっている。少し前までは考えられない事だ。


 ゲルマ一家の暮らしは一気に楽になった。働く時間ややり方は以前と全く同じなのに、入ってくる収入は倍以上に膨れ上がった。


 競争相手がいないのも大きい。

 コンコの評判を聞きつけた農夫が真似したくても、泥畑が用意できないから無理なのだ。コンコはゲルマ一家の独占野菜でもある。


 ゲルマだけでなく、両親も妻もカイト様に深く感謝した。子供たちを育てること、家族を養うことに不安がなくなり、気持ちに余裕が出来た。


 領主様二人組は冒険者も兼ねているので、よく町でみかける。

 その時に思わずゲルマが手を振ってしまうのは、しょうがないだろう。町の者がそうしてしまうのは、ゲルマ一家と同じように救われた者が多いからだ。


 だからゲルマは今日も熱狂的に手を振る。大好きな領主様とたまたま町中で遭遇したからだ。

 カイト様も元気に手を振り返してくれる。


 今日はいい日だと、ゲルマは笑顔を浮かべたのだった。

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書籍を読んでもっとこの物語を読みたくなってきました。 蓮根が食べたくなってきました!
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