婚約破棄には賛成だけどぉ王太子妃にはなりませーん!
「フロレンシア・モンドラゴン!私はお前との婚約を破棄する!!」
煌びやかな舞踏会の会場、そのど真ん中でこの国の第一王子、王太子でもあるイサーク・バルディビアは声高らかに宣言した。……その腕にゆるふわなピンクブロンドの髪の可愛らしい令嬢をぶら下げて。
「イサーク殿下、理由をお聞かせ願えますか」
王子に心無い言葉を投げつけられたのはストレートの黒髪の凛としたたたずまいの令嬢。
少々冷たそうにも見えるが気品の溢れた美貌の令嬢は見た目通り学生時代も常に成績トップの才女で立ち居振る舞いも完璧なモンドラゴン侯爵家令嬢フロレンシアだった。
舞踏会に参加していた貴族たちは突然始まった王太子の婚約破棄宣言に最初は吃驚し、今は興味津々に成り行きを見守っている。
宴もたけなわの会場は国王、王妃、第二王子共に既に退出しており止める者はいなかった。
「私は真に愛する女性と出会った。よってお前との婚約を破棄しこのエステラ・サルディバル子爵令嬢と結婚する!」
イサーク王太子は腕にぶら下げた愛らしい少女エステラと顔を見合わせ微笑みあった。さも幸福そうに。
エステラ・サルディバル子爵令嬢とはつい最近まで市井に育ち母親の再婚によって子爵令嬢となった少女である。
マナーも礼儀も知らず誰彼となく話しかけスキンシップをとる。怒ったり悲しんだり声を上げて笑ったり感情表現も豊かだ。
令嬢たちはそろって眉を顰めたが、これが令息たちには受けて彼女は一躍人気者となった。
それになんていったって可愛い。可愛いは正義だ。
「お待ちください。わたくしと殿下の婚約は王家と侯爵家の決め事、わたくしの一存ではお答えできかねます」
「はっ!また説教か!私はもううんざりだ。お前はいつも正論で私を責める。お前には思いやりというものが無いのか」
「いえ……責めたりなどど……」
「大体昔からお前には思いやりがなかった。学生時代は私よりいい成績を取って私を見下していただろう」
なんか昔のことを持ち出してきたぞ?と観衆は思った。
「見下してなどおりませんわ。私は勉強して将来少しでも政務の助けになればと」
「つまりお前は私が頼りないといいたいんだろ。お前が相談を持ち掛けるのは宰相の息子か弟のエミディオばかりではないか!」
え?今度は拗ねてるの?嫉妬してるの?
「そ、それは……殿下が政務やわたくしとのお茶会をすっぽかしてそちらのご令嬢とお出かけしてしまうのでどうしていいかわからず……」
それは全面的に王太子が悪い!と観衆は呆れた顔をしてイサークを眺めた。
「うるさい!私だって小言や冷めた目で見るお前とのお茶会より可愛いエステラの顔を眺めていた方がよっぽど癒されるんだ。大体お前は私のことを愛してないだろう」
「そ……れは……」
そりゃ当たり前だよな、と観衆はうんうんと頷く。
イサーク王太子はブロンドのしなやかな髪に青い瞳の見てくれだけは完璧王子。
しかし中身はというとお世辞にも優秀とは言えなかった。そこで全てにおいて優秀なフロレンシアが婚約者に選ばれたのであった。
「とにかく!私はお前との婚約を破棄する!そしてこの愛するエステラと結婚し新たな王太子妃とすることをここに宣言——」
「それは困ります~!!」
激しい抗議の声が上がった。
「え!?エステラ?」
「イサーク様~そんなこと言われたら私困っちゃいます~」
抗議の声を上げたのはイサークの腕にぶら下がっていた少女だった。
「エステラは私のことが好きなんだよね?」
イサークが震え声で聞く。
「はい!私はイサーク様が大好きです!」
「じゃあ私と結婚して王太子妃に……」
「あ、それ無理です!」
「どうして……君がフロレンシアと婚約破棄したらいいっていうから……」
イサークはがっくり膝をついた。
「イサーク様、どうしたの?」
エステラは不思議そうだ。
「君は私と結婚してくれないのか?」
「え?しますよ~結婚。私イサーク様大好きですもん」
イサークはシャキ――ンと立った。
「あ、そうか!」
エステラはポンと手を打って言った。
「私が無理なのは~結婚じゃなくって王太子妃ですぅ」
「???」
イサークは王太子だ。結婚すれば当然王太子妃になるのは当たり前だ。
「みなさーん、私に王太子妃が出来ると思いますかー?」
エステラは周りを見回して大きな声で呼びかけた。
エステラの呼びかけに対し観衆はぶんぶんと首を振って答えた。
「でしょ~。やっぱり王太子妃はフロレンシア様みたいな頭も良くてお上品な人がならなくちゃ」
いきなり褒められたフロレンシアはわずかに頬を染めた。
「え?え?どういうことだ?」
イサークは訳が分からない。
「ねえイサーク様~私には王太子妃は無理ですけど~イサーク様も王太子、無理だと思うんです」
「え?は?」
「だってこんなところで婚約破棄して王様もフロレンシア様のお父様もとってもとっても怒ると思うんです~」
そこへ知らせを受けて急いで駆け付けた王様、王妃様、第二王子がどやどやと入ってきた。
「あ!王様~」
エステラがぶんぶんと手を振ると王様は反射的に手を振りかけ「ん!ゴホン!」と咳払いをして胡麻化した。
「あなた、あの子とお知り合い?」
王妃の冷ややかな目に「初対面じゃ」と渋い顔で返事をする。
「王様~、イサーク様が婚約破棄しちゃいました。怒ってます~?」
「当たり前じゃ!!」
エステラののほほんとした問いかけに王様の語気は荒くなった。
「ほら~イサーク様、王様怒ってますよ。王太子続けるの無理だと思います~」
「エステラ……」イサークの声は弱々しい。輝く美貌も萎れて見える。
それを意に介さずエステラは続けた。
「元から私イサーク様に王太子は無理じゃないかな~って思ってたんですよ~」
「エステラ様?」訝し気なフロレンシアの視線を受け止めてエステラは尚も続ける。
「だって、イサーク様仕事をフロレンシア様に押し付けて私と遊んでばかりいるし~、お勉強嫌いだし~、怒られると拗ねるし~、ヘタレだし~」
「ちょ、ちょっと!その辺にしてあげて」
たまらずフロレンシアが止めに入った。
「えーゴホン。エステラ・サルディバル子爵令嬢、そなたはイサークと恋仲と聞いたが……?」
「そうです!王様!私たちラブラブです!」
エステラが胸を張って言った。
「イサークに恋してるようには見えないが……」
「ひどいです王様!私イサーク様のお顔大好きです!!」
顔だけかい!と王様含め観衆が思ったときにエステラが言った。
「もちろんイサーク様のお勉強嫌いなところも私と同じで親近感が持てるし~私に会いに来てくれるのは愛されてるな~って実感できて嬉しいし~拗ねるのも可愛いし~」
「その辺にしてくれ……」
全力で惚気だすエステラを王様が止めた。
「でも王様~こんなイサーク様が王様になったら国が滅んじゃうと思いません?そのうえ私が王妃様になったら絶対ですよ~」
(ほお……)王様はエステラを見直した。知性も品性も感じさせないが物事をまっすぐ見る目を持っている。身の丈を知って過剰な欲を抱かない。案外賢い娘かもしれん。
「というわけで~私とイサーク様は婚約破棄の責任を取って平民になりまーす!」
エステラの高らかな宣言にイサークは焦った。彼は王太子を辞める気など毛頭なかったのだから。
「待って!エステラ——」
「イサーク様~平民になって結婚しましょう~。幸せになろ~ね~」
可愛いエステラに手を握られてイサークは泣き笑いの表情を浮かべた。
じっと考え事をしていた国王はおもむろに言った。
「よろしい。今回の騒動の責任を取ってイサークは廃嫡。平民とする。エステラ・サルディバル子爵令嬢も同罪じゃ。新たに第二王子エミディオを王太子としフロレンシア・モンドラゴン侯爵令嬢と婚約を結ぶものとする。——異議のある者はいるか?」
王様の言葉にエミディオは一瞬顔に喜色を浮かべ、すぐ顔を引き締め神妙なふりをしたがまたすぐに口元が緩んでくるのを押さえられなかった。兄の婚約者への思いが断ち切れず自身の婚約を決められなかったエミディオだった。
そうして王様の宣言は満場一致の拍手で迎えられた。
舞踏会お開き後、とぼとぼと会場を後にするイサークに「平民になっても頑張れよー」とか「お幸せに~」と多くの声が掛けられ、エステラが満面の笑みで答えていたとか。
一年後——
「イサーク~、こっちのパン焼き上がったよ~」
「了解!エステラ、僕が並べるよ」
「すみませ~ん、こっちのパン下さい」
「はいはい、ちょっと待ってね~」
「きゃあ!王子様と喋っちゃった!」
「はーいお待たせ。また買いに来てね。おまけに王子スマイルサービスするよ(にっこり)」
可愛い女の子が焼く美味しいパンと看板(元)王子のスマイルが話題の王都で評判のパン屋プリンスベーカリー。
閉店後、二人で後片付けを済ました後エステラが聞いた。
「イサーク、今幸せ?」
「ああ。幸せだよ」
平民の生活は思ったよりイサークの性に合った。平民になって初めて自分は王太子という重圧に耐えられなかったんだな、とわかった。
「エステラは?」
「もちろん幸せ~!大好きなイサークと結婚できたし王様が内緒でパン屋さんの開店資金出してくれたしね~」
エステラは少し膨らんできたお腹を撫でながら満足そうに笑った。
———(おしまい)———
——フロレンシアその後——
「フロレンシア嬢、その……君は私と婚約して良かったのか?」
舞踏会後、エミディオが問いかけた。
「はい。これは王家と侯爵家の決め事。父が了承すれば私に不満はありません」
「そういうことではなくて……いや、違う。私が頑張ればいいんだ。一年後、君に結婚するのが私でよかったと言わせてみせる!」
エミディオは決意しそれから毎日バラの花束と共にフロレンシアに愛を囁いた。
一年後——
結婚式の会場入りの前にエミディオはフロレンシアに問いかけた。
「フロレンシア、君は私と結婚してもいいのか?」
フロレンシアはポッと顔を赤らめて答えた。
「もう!エミディオ様、わかってるくせに……」
そうして小さく「好きです」と呟いた。