アーティファクトの翼Ⅱ
戻ってきた私に林檎は一つお願い事をした。
『記憶をそのままに続きを見届けて欲しい。』
そんなお願いは今までになかったことだった。不思議に思って私は理由を聞いた。
「見れば分かるよ。」なんて意味深なことを言うから、私は気になってしまってそのお願いを聞き入れた。とても耳触りの良い、私の好奇心を煽るものだった。聞き入れさせるための林檎の計算だったのかも知れない。
彼女は私に見せる世界をサンプルと言った。それなのにそんなお願いをした。私が観賞する、させられている世界とは一体何なのか。もし、あの世界が実は存在するとするならば、それは私による干渉になるのではないかと頭の中で言葉遊びをしていたら、私に広がる世界はいつの間にかあの世界へと変わっていた。感傷に浸る時間すらなかった。
背中にはずっしりとした重量感がある。自分の部屋の鏡で背中を写すと翼が完成していることに気付いた。鉄を重ねた翼だ。ここは私の部屋だろう。
「よくやったね。私。」
私は私が誇らしくなり、鏡に写る私を称賛した。鉄の翼に指をなぞらせて滑らかさを確かめる。鉄は冷たいけれど、ハンドメイドの暖かさ、私の努力が伝わってくる。
「指を何度も切ったみたいだね。鉄の加工、熱かったよね。慣れない研磨もやったね。」
愛おしい私の翼だ。
「ところで、林檎はいるの?」
話しかけてみても返事はなかった。一人で見届けろということだろう。
「なんだ、いないのかぁ。」
カレンダーには印がついていた。バツの連続。月末の箇所には花マルと『13:00』と『朝露高原』。それが今日。私の飛び立つ日だということはすぐに分かった。
朝露高原というのは避暑地として有名な文化財にも指定されている高原のこと。私がいたあの世界にも似たような高原があった。山から望む高原はどんなに素晴らしいものだろうかと思いながらも結局、山を登って眺めることはしなかった。
私から分離した林檎の存在は遠くなった気がする。私は彼女と一緒に登りたかったがそれは今は難しそうだ。
ここで私は気付く。この世界での私の立ち位置に。私がかつての林檎、即ち私の中で世界を観測する私であることに。烏滸がましくも私がこの世界では神であることに。
高まる興味と重なる不安。私は私に良い人生を歩んで欲しかった。林檎の気持ちに少し触れた気がした。
机の上に飾ってある写真には赤ちゃんの私と・・・母親だろうか。若い女性がいる。たぶんだけれど年齢は・・・。
正直なところ、この後の結末を察している。迷う。私が望んでいることが手にとるように理解出来る。でも、それをしてしまうと。
私が『私が選択した道』を選ばせてあげると、私の為にはならないのだ。その関係性は私と林檎のそれと全く同じだ。
「はぁ。林檎神様は意外とメンヘラなんだから。誰に似たのかな。はぁ。」
皮肉を言っても、溜息をついても、林檎からは返事がない。
ピンポン。
私のこれからの行動について正直、迷っていた。そんな中で鳴ったインターホンの音には救われた。
玄関のドアを開けると天梨がいた。居留守を使って、出ないことも出来たが、それはしなかった。ちょっとした神への反抗なのかも知れない。外には赤い車が停めてある。どうやらこれに乗るらしい。
「免許持ってたんだ。」
何も持たずにそのまま天梨の車に乗り込む。二人乗りの小さなスポーツカーだ。
「当然でしょ。迎えに来てって言ったのは林檎じゃん。」
天梨が不思議そうに私を見つめる。
「そ、そうだった。桜花は?」
「ねえ、本当に大丈夫?桜花なら先に天界に向かったよ。もう着いているんじゃないの。」
「・・・そうだったね。」
「じゃ、いくよ。お寝坊さん。」
天梨が車のエンジンを吹かす。力強い音に私は驚いた。どうやら行かなければならないらしい。天界とやらに。
天梨の助手席から窓を少しだけ開けて風を感じる。
移りゆく外の建造物や自然はどれも見覚えがあるはずなのに空虚に感じる。まるで何度も遊んだテレビゲームをしているかのようだ。
「・・・だよね。」
「ん?ああごめん。」
天梨の声が風の音で聞き取れなかったので、私はボタンを押して窓を閉じた。
「さっきのとこ駄菓子屋だったよね。林檎、マシュマロ好きだったよね。チョコの入ったやつ。」
「そうだっけ。ああ、あの一個ずつ袋に入ってるやつね。最近は食べてないなぁ。まだ売っているのかな。」
「まだあるよ。私は見つける度に林檎を思い出すよ。そうか、もう食べてなかったのかぁ。」
「あれ、あっちに公園なかったっけ?天梨といつも遊んでた公園。」
「あの公園なんだけどさ。実は私有地だったって知らなかったでしょ。私も後から知ったんだけど。」
「ええっ!・・・そういえば遊具も無かったような。」
猛スピードで通り過ぎて行く景色の中に自分達の思い出を見つけてはその度に懐かしむ。幸い私には記憶があった。
「ほら、あれ。」
道中、窓から観覧車が遠くに見えた。それを指差して天梨は言った。
「覚えてる?あの遊園地。観覧車に乗りたいって言ったのは私なのに、いざ乗ってみたら私は高いところが苦手で。」
「ああ、怖いって震えてたっけ。」
「あのとき林檎が手を握ってくれて、大丈夫って励ましてくれた。でもね、本当は林檎も高いところなんて初めてだったんだよね。もっと震えてたんだよ。それで、ああ、この友達がいれば私は大丈夫なんだって。今じゃ高く飛びたいと思えるようになった。」
「えへへ。本当は私の方が怖がりだもんね。」
「そう。人一倍怖がり。でも勇気もある。そして優しい。・・・ねえ。聞いたことある?天界に行く日に記憶に齟齬が生まれたりする人がいるって。まさか、林檎じゃないでしょうね。まあ、天界を疑う気持ちはちょっとだけ理解できる。こんなこと言うと誰かに怒られそうだけれど。」
「ま、まさか。でも、そこまで分かっていて。それでも飛ぶの?天界が素晴らしいから?・・あっ。」
余計なことを聞いたと思う。この世界での常識を疑って何になる。今から飛ぼうとする人間にそれを聞くなんて失礼な話だ。それでも天梨は優しい口調で私に言った。
「一緒に飛ぼうか。」
「いいの?」
「尋常じゃない顔をしているもの。もしかしたら上手く飛べないかもって考えてるでしょ。それに変に当たり前のことばっかり聞いてくるから、混乱しているのかなって。」
「それは・・・。」
「私ね。思うの。上手く飛べなくてもいい。一秒でも飛んだなら、その事実が私を永遠に飛翔させる。だから飛べないなんてことは絶対に起こり得ない。天界は近いの。」
「天界には幸せがあるんだよね。だから、みんながそこを目指す。当然のことなのに、変だったよね、私。」
「ううん。本当はね。」
「本当は?」
「薄々勘づいているのかも。あえて口には出さないけれど。飛びたいんじゃなくて、それしか考えられないのかもね。目的を持って生まれてくるのは幸せ?不幸?この気持ちが強迫観念ではないことだけは分かる。だからそれに従う。自然なこと。」
「天界を目指すっていうのはそういうものなんだね。」
「そのために生まれてきたからね。もし、他の世界があるとしたら。私は天界を目指す以外にもやりたいことがあったのかもしれないね。」
天梨の顔は穏やかだった。
「飛ぶよ。私も。」
林檎だったら止めていたかも知れない。しかし、私は決意した。私なりの誠意だと信じて飛ぶことにした。別の選択肢では駄目な気がしたのだ。
18歳が最高齢の世界。皆が社会の役割をそれぞれで担っている。学校でいえば先生、生徒という役割。母の写真。写真に写る母は18歳だろうか。
皆が18歳で天界を目指す。
考えるのが嫌になった。
その後のことなんて、天界で考えたらいい。