アーティファクトの翼
臨時の呼び出しに騒つく生徒達。私は特別なことがあると期待を寄せていた。
キーン。
マイクのハウリングの音が館内に響く。そして、反響が収まると芽衣先生が私達に向けて声を出した。
「はーい。今から大事な話が校長先生からあります。皆さんが静かになるまでに五分掛かりました。・・・これ一回言ってみたかったんだよね。」
生徒の遠慮がちな笑い声が聞こえ、その後、咳払いが演台にいる校長先生から聞こえてきた。校長が挨拶をする。
「皆さんこんにちわ。急な呼び出しに何事かと思っていることでしょう。内容は皆さんが待ち望んでいることについてです。」
「昔は飛界と呼ばれていたそうですが。そうです。天界です。今はこちらの呼び方が一般的ですね。で、学校が天界への旅立ちの方法を教える最初の日が今日となります。知らなかったでしょ。」
辺りはシンとしている。時が止まったようだった。驚きや歓喜の声はない。しかし、誰もが目を輝かせている。誰もが焦がれる天界の話。ドキドキしてきた。さっきの桜花との話でおおよそ見当は付いているのだけれど、それは関係なかった。
私にあった漠然とした夢が現実味を帯びてきた。我々にとって天界とは人生の終着点であると習った。人は天界を目指すために生まれたのだ。
皆が話の続きは未だか未だかとお坊さんの説法を聞くみたいに待っている。校長先生もそんな生徒の顔を見て笑顔になる。
「焦らすのも可哀想ですね。始めましょう。では、生徒代表の遠藤くん。」
「はい。」
遠藤くんが校長に呼ばれて返事をしてゆっくりと壇上に上がっていく。誇らしさと緊張が混ざった様子が窺える。演台まで行くと、彼が私達の方を向いた。それを確認して校長が口を開いた。
「遠藤君は先に天界に行くことになりました。先ずはスピーチを。」
芽衣先生にマイクを渡された遠藤くんは深呼吸をしてから話し始めた。
「ええ。え、遠藤です。この度は先陣を切って天界へと行く機会に恵まれました。先生、生徒の皆様に感謝致します。僕、僕は。」
彼から涙が流れ出ているのが分かった。校長先生が優しく大丈夫、大丈夫と小声で応援する。遠藤くんは制服の袖で涙を拭うと話を続けた。
「僕はこの時のために勉学に努めてきました。精神も鍛えました。全てこの日のために費やしてきました。先に待っています。半年後会いましょう。本日、このスピーチが終わり次第飛び立ちます。模範になれるよう頑張ります。」
遠藤くんは深々とお辞儀をした。拍手が起こる。
先生達だけではなく、生徒も皆、涙を流した。今抱いているのは彼との別れを惜しむ感情や最初の旅立ちを羨む感情とは少し違う。彼とは天界で会えるのだから。多幸感が伝染したという方が近しい。
「それでは遠藤くん。準備をしよう。皆さんも見て覚えるように。実際に飛び立つときは翼を抜けないように背中にしっかりと刺します。それではいきますよ。」
お願いしますと遠藤くんは小さく答えた。校長は力強く遠藤くんの翼を背中に押し込んだ。ずぶずぶと翼が深く差し込まれていく。
遠藤くんは苦悶の表情を浮かべることなく満面の笑みで受け入れている。生徒は息を呑んで遠藤くんの背中から流れ出る血液が背中を濡らし、ポタポタと滴ってくるのを見守る。床を赤く染めて血溜まりを作るのにそんなに時間は掛からなかった。
「よく耐えました。皆さん。遠藤くんを讃えて下さい。」
割れんばかりの拍手と歓声が館内に響き渡る。どんな痛みも天界に行くためなら耐えられる。自然と笑顔になる。そう教えられてきたのは本当だったようだ。
「皆さん!これが飛び立つ前の準備になります!ちっとも痛くはありません!遠藤くんは今日飛び立ちます。その瞬間を見送ることは叶いませんのでここで激励の言葉を!」
すぅと校長は息を吸って言葉と共に吐き出した。
「頑張れー!!!!」
生徒達も遠藤くんにエールを送る。
「頑張れー!!!!」
まだ衝撃の余韻が残る。その後の授業は通常通り行われたけれど、何も頭に入ってこなかった。その後、遠藤くんは担任の先生に連れられて何処かへ行ってしまったらしい。
ザザ。
ザザザザザザザザ。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ。
「おかえり。」
「やあ、久しぶり。と言っても君にとっては数日?数時間?数分?なんだろうね。あー頭痛い。」
数多の人生を歩んできた私は帰還を重ねて精神を強固なものにしてきた。突然、物語が終了し、ここに来る。そして、記憶を取り戻し真実が明かされる。狼狽もせずに、私は神との再会を喜んだ。リンゴの皮をナイフでくるくると器用に剥きながら、ちょっぴり残念そうな顔をする神様。
「麻痺というべきか、順応というべきか。驚くことにもう君は幾度と繰り返す同じ刺激に慣れつつある。」
「成長って言ってほしいな。でも悲しいね。」
「別れが?それならもういいんじゃないかな。」
「ううん。ここに戻ってきた時に私の感情が薄っぺらくなっていく感覚が。真っ白。でも雪じゃない。雪みたいに風情があったなら良かったのだけれど。私の心の中は、そうだね。石灰みたいな感じ。」
「もう。まるで神様になったみたいじゃん。」
「あっ。そっか。この世界は私そのものなんだ。近づいたんだね。君に。」
リンゴをカットし終えた林檎はその一切れを私の口に押し込んだ。果実を噛むとシャリシャリとした歯触りと甘酸っぱい味が広がる。
「どんな世界だった?」
「人々が天界を目指す世界。」
「それは知っているよ。私が創ったんだからね。君はどう感じた?途中で終わらせるのは無責任だし可哀想だと思ってね。私だと18年が限界なんだ。世界のサンプルの寿命は。維持出来なくて崩壊する。だから、今回は18年で終焉を迎えるようにしてみたんだ。それで。」
無邪気に楽しそうに彼女は話を続ける。
「それで。それで。人間、林檎が悲しみを超越した先には。何が残った?」
・・・。
私はリンゴを飲み込んで、その問いに対する答えを色々考えた。思いついた言葉を拾い上げるけれど、音にする前に捨てていく。一生懸命に考えても適切な言葉が見つからない。考えるのが馬鹿らしくなった。
「何も。」
「・・・ねえ。神さま。」
「どした?」
「 人って空を飛べるの?」
「・・・さあね。」