儀式
儀式。特別な行為。しきたり。
「よいしょ。よいしょ。」
植物の蔓を結んで組み合わせる。出来たそれらを編み込んで縄のようにして連結する。この工程をひたすらに続ける。たまに休憩して、すぐに再開し、また蔓の束を成形する。再びそれらを結びつけて一つの縄にする。
「よいしょ。よいしょ。」
あまりに私が熱心にそれをするから、林檎は私に声をかけなかった。いつになく真剣な眼差しをしていることだろう。
繰り返していく内に、手はすっかり草の匂いになった。蔓が絡まり合うことでワサワサとキュッという音だけがする。心地良い音が静かに部屋に響く。反復に次ぐ反復に次いで、ようやく身体を動かすことにした。
「だはー!疲れたー!!」
さすがに疲れたので立ち上がってベッドに向かい、大の字で倒れこんだ。流石に集中が途切れた。あとの作業は後の私に押し付けよう。二時間後の私、四時間後の私。あと六時間後の私。怒られるだろうか。八時間後の私が充血した目で襲い掛かってくるかもしれない。
出来た束を横目に林檎が言う。
「それはなに。熱心にやっているけれど。そんなに集中力あったっけ?私に。」
「いや、うん。集中力は無い方だと思ってた。でもこの作業は別みたい。何というか使命感というかね。で、これは蔓だね。ひたすら結んで最後は輪っかにするの。でね、外に出て地面に置くの。」
「へえ。それで相撲でもするの?あっ。一人相撲ってやつ?」
「うーん、意味的には間違っていないかも。でも相撲はやらないなあ。輪っかを置いたら綺麗な花を輪っかの中に敷き詰めるらしい。」
「らしいって。」
「ここに村があったときには毎年やっていたみたい。」
「恒例行事なんだ。えっと。それで林檎がやっている理由は?」
視線を天井のままに手探りで床に置いていた水の入ったコップを取ると、私は頭を少し上げて一気に飲み干した。
「ぷはっ。いやあ。なんていうか。続ける人がいないと廃れちゃうからねえ。私にはこの行為の意味は分からないけれど、それってなんだか悲しいことなんじゃないかなって。どうせ私には時間はたっぷりありますので。」
「宗教的な意味合いがあるんだろうね。豊穣か無病息災系かな。」
「そう。私も思った。林檎もなんだね。その人達にとっての神さまとの繋がりが無くなっちゃうから。ちゃんとここにいますよって教えてあげないといけないって思うのです。」
「願い事を叶えてくれるかも。考えてみて。」
「そうかなあ。」
私は願い事を考えて黙り込んだ。私が望むことか。それは勿論・・・。
「いや。やっぱりやめとく。願いを入れる箱に願いが一個しか入らないとしたら、願い事の枠を奪っちゃうかもしれないしね。」
「目安箱方式で沢山入るかもよ。いいじゃん。・・・作った人が報われないなんて嫌だからね。」
何か経験があるのだろうか。私の中の記憶を辿ってみても考えつかないが、やたらと意味深めいた言葉だった。
「んー。それだったら。こっそり入れとくね。」
作った人が報われない。よくある事だ。作成者は抗議するだろうか。腹を立てても仕方がないと諦める方が多いと思う。それは悲しいことかも知れない。林檎からは学ぶことが多いと感心したのを覚えている。
パンを齧っただけの昼食の後、皿も片付けずに私は椅子から立ち上がった。
「またやるの?」
呆れたように林檎が私に言う。
「まあね。ここまできたら根比べみたいなもん。」
「林檎と誰の?」
「私と、ええと。知らない。」
休憩を終えて、その後も作業を続ける。結んで繋いで、繋いだら結んでを繰り返す。疲労は蓄積されていくけれど、没頭して今を忘れられるというのはいいかもしれない。だから続く。私にはこの作業はとても合っているようだと再認識した。
もし、何か辛いことがあったらまたやろうか。蔓の輪の儀式。毎年やっていた行事と私は言った。どの時期にやるかなんて私は知りもしない。つまり、今日は忘れたいことがあって、あったようだ。
言葉を隠したって、私には伝わっている。私の気持ちは私には筒抜けだった。もう傷口はこれ以上広げられないというのに、私は。傷付けられるのを恐れている。
何もないという刃物に傷付けられるのを。
「よいしょ。よいしょ。」
真剣な眼差しと滴る汗。その頑張りに遠慮しているのか、林檎は声をかけて来ない。自分に向き合う時間。せっせと蔓を連結させていく。
作業をしながら考える。ずっと疑問がある。でも、沢山の疑問が解決されたことはないから、溜め込むだけ。
私はこの空間に慣れ過ぎている。それは悪いことではない。ただ、正しいことなのか。何故この村の行事だと知っているのか。私以外は何処にいるのだろうか。誰も教えてはくれない。
私が問いかける私と答える私という存在が本当にいたらよかったのに。
「まさか、モニター越しに私の動向を、一挙手一投足を見ているなんてことは。」
「ないと思う。」
「うわっ!びっくりした!」
私が手に持って纏まっていた一束が宙を舞って蔓が解けた。
「・・・そんなことある?私だよ。まあ、また休んだ方がいいよ。これ、多分みんなでやる作業だったんじゃないかな。一人には多すぎ。」
「うん。ごめんね。心配させて。少し横になるよ。」
「そうした方がいい。どうしても今日やらなければいけないことじゃないなら、どうして今日やらなければならないのか。って私は思うよ。私が言ってるから私はそう思ってる。だから、ね。」
「うん。ありがとう。」
儀式は蔓を一日で完成させた上で翌日に執り行わなければならない。それは林檎も知っているはずだけれど、休息をとるようにと言われてその通りにすることにした。
変なの。私のことなのに。自分が自分に気遣っているようだ。
私はこの儀式を知らない。何か起こるとか何のためにとかも知らない。何故、私はこれをするのか。何故、違和感を抱かずに続けられるのか。自然と手が動くのか。
私を突き動かすこの儀式は一体。
◇◇◇
太陽が登る前。
いつもより早めの起床。ごしごしと瞼を擦るとぼやけていた視界が鮮明になる。そしてベッドから飛び起きる。思い出したのだ。仕掛り中の作業が残っていることを。いつもより起きるのが早くても、今日に限ってはもっと早く起きなければいけなかった。
「ああっ!しまった!寝ちゃった!終わらな・・・い。今日も最初からやら・・・な、ん?んん?」
束のあった場所を見てみると、いつの間にか蔓で出来た縄は完成しており、一つの輪になっていた。これを完成させたというような記憶は私にはない。小人さんだろうか。不思議に思って林檎に聞いてみる。
「林檎がやってくれたの。」
「私は林檎。林檎が知らないなら、林檎は知らない。ふあ。」
ぐーっと背中を伸ばしながら林檎が答える。
「そりゃそうだね。へへへ。」
「ねえ。」
「なに。」
「もしもの話だよ。願いを込めてこの輪っかを神様に捧げていた人達。その人達の願いが既に叶えられていたら。この儀式は私達の儀式としてはどういう意味があることにする?」
「うーん。考えとく。」
蔓の輪っかはその日中に完成したと仮定して翌日の今日に執り行うことにした。それは、日を跨いでいたとしても、誰かが完成させてくれたという優しい事実があり、感謝を込めての仮定。過ぎていたとしても。神様も許してくれるはずだね。
「うん、許すよ。」
「ありがと。では、先ず庭にこれを持っていきます。」
「おっと。」
蔓の輪を持って、部屋から出ようと鏡を横切ろうとして自分の姿が写り込んで気がつく。
「その格好で儀式を執り行うのかい。林檎ちゃんは。」
「近代的だね。いや、前衛的?・・・って、そうはいかないね。ちょっと待っててね。」
水で顔と眠気を洗い落とす。タオルで拭うと、花を煎じてから冷ました自家製のフラワーウォーターでまた顔をパシャパシャと濡らす。花の種類?綺麗なやつ。
「大量の花を輪っかに花を撒いて、置いて、敷き詰めて。覆い尽くす。」
儀式の手順を自分に言い聞かせながら、ないはずの記憶を辿る。
白いシャツと黒いミモレ丈のフレアスカートに着替える。精一杯の自分なりの正装を装った。
そして、私は急いで髪を梳かして、革靴を履く。
「よしっ。」
「うん。今日も私は完璧だね。」
「へへへ。」
自分に褒められて私は気をよくした。
「じゃ、行こっか。」
準備を何とか終えて蔓を持って庭へ向かう。
庭と呼んでいるのは玄関を出た景色全部。区間などないからここからあっちまで全部庭です。
生い茂る草木。葉から雨粒が滴る。昨日の小雨が趣を演出する。擬似的な朝露が美しい。まだ薄暗いけれど太陽がもう少しで登る予兆がある。
陽光で水滴が光る手前の時間。僅かなこの貴重な時間は神秘さと厳かさが重なり合う。
「神が降りてきても不思議ではないね。」
「それはそれで。」
「怖い。」
「言わないでよ。」
籠に詰めた大量の花。それを輪っかの中に撒く。地面の見える穴を花で埋めていく。
切り取った花。引っこ抜いた蔓。人の恣意によってそれらが朽ちるのは早くなる。命の刻を奪う。罪を認識して神様に祈る。この利己的な行いはなんと人間的なんだろう。花の死体を飾る。
花の円を作った後、靴と靴下を脱ぎ、中心へと立つ。儀式は昨日から始まっている。ようやく始まったのではなく、天に向けて願えば終わり。
なんとも呆気ない。神が降臨するわけでもないし、魔法陣が光ったりもしない。
「で、願いは。」
林檎が聞く。
「ありきたりな豊穣でいいよ。」
「子孫繁栄!」
「無理だよ。私で終わり。」
「交通安全祈願!」
「意味ない。うーん。そうだ!」
「思いついた?」
「内緒!」
「ん?本当に内緒だ。心の奥にある。変なの。軽々しく思い出せない。」
「ふふ。」
朝日が登ってきて儀式は終わり。今日の朝日はいつもより綺麗に見えた。
特別な日。かつては大勢で厳かに盛大に行われていただろうこの儀式は、今では私一人によって寂しく継続されている。なんとも寂しい。
「じゃあ戻って一眠りしますか。頭がふわふわしている。」
「ふあ。・・・そうだね。」
抑圧から解放されて気が緩んだのか欠伸が出る。靴を履いてゆっくりと考え事をしながら家に戻る。
蔓の輪は誰が手伝ってくれたのか。儀式に関する数多の謎と相まって謎は謎と絡み合い束となる。
しかし、誰が手伝ったのかという問いに限っては、心当たりがある。何故ならそれは私の願うことと一致するからである。
儀式は意味があったと仮定するしかない。私は知っている。謎は謎のままにしておこう。謎が解けてしまうから。
私以外、ここにはいないのだから。