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ここには誰もいませんよ。  作者: ALP
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私と私の物語

青空には同じ色をした鳥が溶け込んでいた。


青い鳥。あの鳥には翼があって私にはない。明日、目が覚めたら翼が生えているとして、何処か遠くへと飛び立てるのかというと。人体のメカニズム的に可能かと問われると。それは不可能なんじゃないかと私は考えてしまうのだから私にはその事象は起こり得ないのだろう。


信じられないことは起こらない。私はどこか冷めていた。積み重ねられた日常の大きさを目の当たりにして諦めるようになり、夢や理想や期待といった類のものは皆、廃棄されてしまった。


それでも、何か微細な変化が起きないかと、そんなことばかり考えている。本当は切望しているのだ。叶わないと知りながら切なる願いを望んでいるのだから、やはり私は切望している。または絶望しているのかも知れない。どちらも叶わないのだから変わりはない。


予想可能な未来は必ず実現出来る。みたいな話を耳にしたことがある。その言葉はあまりにも私にとって残酷でこうして仕方なく生きていたくなるのであった。


自然に囲まれた動きのある私という唯一の不自然な存在は今日も普遍に不変に生きている。エデンの園に禁断の果実。私はそれを貪り続けている。なんと辛くて苦くて酸っぱいのだろうと自分に嘘を付くために。


ぶちっと私は林檎の実を木の枝から器用に捥ぎった。


「取れたっ!」


沢山の太陽の光を浴びて染まっただろうそのビビッドな赤色を見ていると私は形ある暖かさに触れたからか心がほっこりした。手に持った果実を嗅ぐと甘くて酸っぱい香りが広がる。林檎は林檎の香り。何かに似た匂いがするというよりは唯一の匂いがする。でも、それは私が他の果実を知らないだけかもしれない。


林檎の実は一つでいい。背負った籠に林檎を放り、自分の家へと戻ることにした。この場所は少し家から距離があるから、毎日は来られない。


それでも私が頻繁に通うのは、林檎の貴重さもあるけれど、山を望めるからというのもある。山頂には雲と少しばかりの雪がある。そちらでは白と白が混じり合っている。


一度、あの山に登って今いるところを見下ろしてみたい。今は行かない。一人よりは誰かと行きたいのだ。そこから見える景色は格別だろう。とっておこう。その日まで。


「ねえねえ。」


口を開くことも減ったが声を忘れてしまいそうだから、私は会話をすることにしている。自分と自分、独り言と独り言の会話を。


「誰か来ないかなあ。それだけでびっくりするなあ。楽しいだろうなあ。地面に絵を描いてクイズをするんだ。」


そう言うと木の枝を拾って私は絵を描いた。完成したのは動物二匹の絵だ。私が問いかける。


「これは兎?」


私が答える。


「はずれ。猫だよ。」


「こっちも猫だね。耳の長い猫もいるんだね。」


「それも兎。さっきの兎と友達なんだ。」


いいなあ。友達がいて。鳥も兎も猫もいる。犬もいる。人間もいるけれど。人間は私一人だけ。私だけが一人だ。


夕陽の朱色が綺麗に染まってきた。私は木の枝を置いて、ゆっくりと再び歩き出した。今日も人間は現れなかった。朝、シナモンをたっぷりかけた焼きリンゴを作るために出かけたはずだったのに、いつの間にかこんな時間になってしまった。


どこかで期待している自分に意地らしさを感じた。それは宝くじで一億円当たるとか隕石に当たるとか、それくらいにあり得ないことだというのは分かっているのに。


また探してしまった。一回くらい当たってもいいのに。宝くじか隕石に。困難にはあたり過ぎたのだから、偶には。私はまた口を開く。


「林檎も一個じゃ寂しいかな。」


「あ。私も林檎だから大丈夫だね。」


私は林檎を取り出して嬉しそうに語りかけた。


「さあ、もうちょっと歩くよ。」


◇◇◇


帰宅して一息つく。やかんにそのまま茶葉を突っ込んで沸かしたお茶を湯呑みに注ぐ。粗雑に作った粗茶(私は粗相茶と名付けた)を飲むことに躊躇いはない。何なら私にとっては、この味が一番落ち着いて美味しい。慣れ親しんだ味、温度。ここは私の好きなもので溢れている。


かつては人間が居た痕跡があり、その居たであろう人の家に私は住まわして貰っている。勝手に。山を降りれば人里があり、スーパーマーケットもある。生鮮食品は並んでおらず、調味料はここから拝借している。特に塩は重宝するから有り難い。


恐ろしいのはここからである。人里には人がいない。人がいた形跡は至るところにあるというのに、それでも頑なに人が居ないのだ。ゾンビすらいない。あの映画に出てきた大きなマシュマロみたいなやつもあればいいのに、それもない。


まあ、それはどうでもいいが、ここで述べておきたいのは、人間が居ないのにも関わらず、ここに暮せる環境が整っているのだからそれはとんでもなく恐ろしいことなのである、ということだ。


湯を沸かすガスはどこから供給されていて、蛇口を捻れば出る水はどこから来ているのだろうか。電気は通っていないから、テレビは映らない。夜になれば蝋燭に火を灯すしかない。ライフラインの供給が止まれば、あっという間に私の生活は破綻するだろうから、いつか来るその時は考えたくもない。建物だって廃墟になる。人が作り出した環境も人がいなければ維持できないのである。


私はズズッと粗相茶を啜る。色々な草の味の濃淡を堪能する。統一的な味はしない複雑な入り組んだジャングルの味がする。


「うん。今日もいいお茶。」


「本当か?私には雑草の煮汁にしか感じないなあ。」


「なら、今日もいい煮汁。ね。昨日の焼きリンゴ。美味しかったねえ。お砂糖を沢山使っちゃったけれど。シナモンだってあと57袋しかないのに。」


「砂糖もあと268袋しかない。全く。反省しろっ!金にも等しい代物だぞ。」


「御免なさいっ!大切に使いますゆえ。昔の貴族の胡椒のように。」


私は指で狐の形を作りながら、頭を下げて外にまで聞こえる声で反省した。外にまで聞こえるは失われつつある表現だけれども。私の声に鼓膜を振るわせる他者は、少なくとも人間はいないのだから。


「うん。謝って偉いぞ。それで美味しかったか?」


「へへへ。美味しかった!」


さて、昨日が焼きリンゴなら、今日は何にしよう。どうせ誰もこない。ここにある変化は砂糖やシナモンの減りぐらい。好きな物を作れる。


「山菜の天ぷら!」


私からの提案。流石、私。同じことを考えていたよ。


「おっ。いいねえ。油と塩は沢山ある。山菜の見分け方は分かるのかい?」


「山に生えてるのは全て山菜だよ。自然の恵みに感謝!」


「これはとんでもないことになりそうだ。」


「とんでもないこと。それなら嬉しいよね。でもね、起こらないんだ。期待したら疲れちゃう。・・・そうだ、鎌を忘れないように。」


「怪我すんなよ。」


「優しいね。ありがとう。でも私も行くんだよ。」


「私もかあ。ま、いいけど。」


窓から外を眺めても辺りは暗闇に包まれている。部屋の中は蝋燭の火と星の煌めきが照らすのみ。時間がゆっくりと流れていく。しばらく星を見ていた。星と星の距離は近いように見えるけど、実際は途方もなく遠いのだろう。お互いの存在を認識するにはどれくらいの時間を費やすのか。


私は喉の渇きに気付き、湯呑みを持ってみると冷たくなっていた。


「寝るとするかね。」


「うん、おやすみ。」


蝋燭の火を消して眠ることにした。世界は暗闇に包まれる。


これは不思議な物語。壮大で矮小な物語のはず。ここには私以外、誰もいません。


今のところ。

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