IV.奉仕活動
人間の慣れとは恐ろしい。
1週間もすればこの自堕落な魔法使いの世話も苦に感じなくなっていた。
背の高い窓を開けると、爽やかな風が陰気な部屋に吹き込む。舞い上がった埃が暖かな陽に当たり、キラキラと輝いた。
ここに来た初日、不快な空気に耐えかねて窓を開けた時のことを思い出す。埃やよく分からない粉が大量に部屋中に舞い散り、ソファを見ると寝転がっていた魔法使いは白く煤けた姿に変身していた。
思い出しただけで笑いが込み上げてくる。
笑いの波が引く頃には、部屋の埃も静かになっていた。
「ごめんね、ズース。でもこんな部屋にいたら病気になっちゃうよ」
ズースとは私をここへ導いたふくろうの名前。彼は雪のように白く美しい羽をバタバタと動かし、埃を避けようと必死になっている。
「ズースのこと、あんまり虐めんなよー」
相変わらず奥のカウチソファで横になっている魔法使いが咎めるように言う。
「大体、こんな部屋にしてるのが悪いのよ」
本棚に入りきらない分厚い本達を集めながら、愚痴をこぼす。元々家事は約束になかったが、こんな部屋で料理なんてしていたら美味しいものも不味くなる気がして、仕方なしにやっていた。
怠け者なご主人様の世話は大変よね、とズースに話し掛けると彼は賛同するかのように黄色の大きな目を閉じて、首を傾げた。
「毎日食べて飽きないの」
「うん、うまいし」
このアプフェルクーヘンを作るのも何度目になるのだろうか。作るからにはきちんとしたものを作りたいと試行錯誤の末、今ではお店が開けるのではないかと思うほどに上手に作れるようになっていた。
美味しそうに食べる魔法使いを見ながら、次はもう少しバターを多めに入れてみようと頭の中にメモをとる。
「なんで笑ってんの」
えっ、と思わず声をあげる。
いつの間にか素早く動いていた彼の手は止まり、鮮やかな緑色の目が訝しげに私の向けられていた。
「まあ、なんでもいいけど」
驚いている私への興味は一瞬で逸れたようで、彼は再び目の前のケーキに夢中になる。
そういえば、最近笑うことが増えた気がする。
増えたというか、常に口角が上がっていることが多くなった。最近はいつでも気分が晴れやかで清々しいのだ。
その理由の一つは、私の顔に居座る赤い悪魔達の数が確実に減っていること。
未だに鼻の頭には禍々しい赤を身に纏った魔王が鎮座しているが。
「そういえば収穫祭、明日だよな」
同じようなシャツやズボンばかりの洗濯物を畳みながら、背後から不意に聞こえた言葉に驚く。信じられないが、こうして彼から言われるまで忘れていた。
一日の大半をこの家で忙しなく過ごしているからなのか、それとも次のアプフェルクーヘンの工夫点について考えているからなのか。収穫祭のことで頭を埋め尽くすことがなかった。
いつもこの時期は収穫祭への様々な不安でいっぱいだったのに。
「いつも通り、朝来いよ。そこで治してやるから」
魔法使いのその言葉からは、どこか寂しさを感じた。
もしかしたら私自身が勝手に寂しさを覚えただけかもしれない。
けれど確かに、見えない棘は私の胸を深く深く刺していた。