Ⅱ.魔法使い
止まった足はもう動かない。
これ以上森の奥に進んだら、二度と村には帰れないかもしれない。
どうしようもなくなった私はその場にしゃがみこんだ。
「足、痛い……」
風に揺れ、葉がザワザワと音を立てる。
ふとその音に紛れて、なにか別の音が聞こえてきた。
「ふくろうの鳴き声……?」
見上げると木の枝に真っ白なふくろうがいた。
じっ、と黄色の瞳が射抜くように私に向けられている。
ふくろうは私と目が合うと、天使を思わせる純白の羽を広げ、木々の合間を縫うように飛び去る。
「待って!!」
先程までの足の痛みは感じない。
私は勢いよく立ち上がると、ふくろうの後を追った。
ふくろうに導かれた先には、美しい風景が広がっていた。
少し開けた場所にぽつりと建った、レンガ造りの家。
まるで木々が家のために場所を開けているかのようで、キラキラとした陽の光は、静かな森に佇む家を明るく照らしている。
屋根の真ん中から真っ直ぐに伸びた煙突は煙を吐いておらず、家もその周囲にも人の気配が感じられなかった。
ドアの前まで来た私は、意を決してノックをする。
「こんにちは」
反応はない。ドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。重いドアを押すと、ぎいと音を立てる。
「………誰かいますか?」
真っ暗な部屋からは、相変わらず反応はない。埃っぽくて、本やインクの匂いで満たされている。
いくら目を凝らしても、部屋の中の様子は見えない。
まるで闇を湛えてるかのようだった。
突如、ぼっという音と共に目の前が明るく輝く。
思わず目を瞑った私が再び目を開くと、部屋の中に明かりが灯されていた。壁一面の本棚の隙間に掛けられたいくつもの燭台に置かれた蝋燭や、お湯を沸かせそうなほど大きな蝋燭に、ぼうっと炎が揺れている。
「どちら様?」
気だるそうな、けれど美しい男の声。
声の主は、部屋の奥に置かれたカウチソファに居た。
片足がソファから落ちている姿勢で寝転がる男は、肘をつきながらじっと私を見ている。
しわしわなシャツの胸元はだらしなくはだけ、鎖骨が見えている。ソファの背もたれには先程のふくろうが止まっていた。
「なに、なんも言えないの?言葉わかんないのかな」
「はぁ!?」
ムカッとした私は、力強く言い返す。
「なーんだ。喋れんじゃん」
つまらなそうにそう言うとソファの上でもぞもぞと動き、姿勢を整えている。しかし、いいポジションが見つからないらしい。うんうん唸りながらもぞもぞしている姿はまるで芋虫だ。
やっと動きを止めた男は、私を見ずに言った。
「で?」
「あ、あなた、魔法使い……なの?」
「さっきの見てわかんなかった?普通の人間がどうやって一気に家中の蝋燭に火をつけるんだろうな」
いちいち癪に障る言い方をする奴だな。
しかし私は、目的の人物を無事見つけることが出来たようだ。
「お願いがあるんだけど」
「やだ」
「即答!?」
「どーせ、ろくでもない願いだ。退屈でつまらないもんだろ」
確かに一般的に言えばろくでもなくて、退屈でつまらない願いかもしれない。けれど私からしたら一大事なのだ。ここで引く訳には行かない。
「お願い、肌をちょちょっと綺麗にしてくれればいいの」
「お願いするにも態度ってもんがあるだろ、あと対価もな」
その言葉を聞いた途端、自身の体が硬直するのがわかった。
対価。
私はこの赤い悪魔達を祓ってもらうために、何を渡さなければならないんだろうか。
「……なにを渡せばいいですか」
不安が声に表れないように出来る限り大きく口を開けて、お腹に力を入れる。しかし口から出た言葉には、自分でもわかるほどの不安感が表れていた。
彼は少し考えたあと、ニヤリと笑う。
「手ぇ出して」
恐る恐る手を前に出す。
すると突如目の前に真っ赤な物が現れた。
驚いた私の手の上に落ちてきたものを見ると、それは真っ赤な林檎だった。
「これでなんか作ってよ」
「なんで林檎なんか」
「お前の真っ赤な鼻見て思い出したんだよ、くくっ」
ソファの上で腹を抱えて笑う男。
相変わらずムカつく奴だ。