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空を行く雲、流れる水のごとく  作者: 原 徹生
第1章 日本編 Ⅰ948-1978
4/24

流雲は本郷村で暮らす。本郷村の自然を知り、自然と暮らす術を身に付けて行く……

1-4 本郷村に暮らす

 

 2ヶ月が経過した。流雲は学校に通うことになった。

 本郷村の学校は小中併設校で、全校2クラスしかない。人口の少ない村人の生活原点に共同生活の意識があり、村人全員が家族のような暮らしをしている。学校の子供社会も助け合い精神が基本にある。小さなコミュニティは仲間意識が強く、イジメが芽ばえるような陰湿な雰囲気は無かった。流雲の精神的なリハビリに最適な環境が整えれていた。


 毎朝、近所の子供達と一緒に学校に登校する。流雲のグループは、年長の女子中学生のリーダー薫ちゃんと年少の小学生4名が雲龍院の山門前に集合し、25分ほど山道を登校する。


 流雲は登校し転校手続きを済ませた後、転校挨拶に校長室に案内された。

 正面の大きな机の向こうに、祖父月堂龍禅が座っていた。  

「お爺さん。そこで何しているの?」

「流雲。驚いたか。実は、この村の村長と校長を務めている」

「何で言ってくれなかったの?」

「特別な理由はない。今日から学校の勉強を頑張るように、こちらが、担任の小林先生だ」

「流雲君、私が担任の小林です。私と一緒に教室に行きましょう」

 こうして本郷小中学校4年生に転入がきまり新しい生活が始まった。


 流雲の学校は、小学1年生から6年生までの15名と中学生9名の生徒で構成され、全員一緒に授業する。

 クラスは2つのグループに分けられ、小学1年生から4年生グループと小学5年生から中学3年生グループに分かれ授業は行われている。午後の授業は自習学習が基本になり、小学生の質問に中学生が指導する授業が行われていた。本郷小中学校には先生が少なく、こうした協同学習形式が行われていた。 


 当初、流雲は協同学習スタイルに戸惑いを覚えた。しかし協同学習に慣れると楽しむようになった。協同学習は学習者である生徒同士が相互に関わる学習スタイルで、年長者が年少者を指導する。

協同学習は、過疎地の教師不足が生んだ必然的な帰結だが。相互に助け合う授業は、間違いを恐れずまた間違えても笑わない環境を培養した。

 

 この相互助け合い精神は禅寺雲龍院を尊重し、村人達が作り上げてきた本郷村のアイデンティであり、この精神は学校授業にも継承されている。

 基本的に下校時も登校グループは団体で行動する。年長者は年少の子供達を家まで送り届ける。この習慣が暗黙の決まり事になっていた。


 流雲の学校生活は、自然と暮らす永続的な適応性を学ぶことから始まった。本郷村は大山の麓にあり、自然の中に暮らすイメージは雲龍院の生活から感じ取ってきた。毎朝、修行僧が雲龍院の庭園や遊歩道を数時間掛け美しく保つ作業は、清掃する行為と言うよりは修行の厳しさに支えられている。

 ところが雲龍院から一歩外に出ると、本郷村の自然は流雲の想像を超えていた。

 雲龍院の境内の砂利道や庭の小道を歩くことは慣れていた。しかし本郷村の道はデコボコ道だらけで、整地された道は無く。踏み固められた砂利道に大きな石が飛び出ている。

 水たまりやぬかるむ道を避けながら、歩かなければならない。畔道は車の轍が作った踏み分け道。二本の轍の間に緑の草がたっぷりと茂っている。


 こんな田舎道を25分も歩いて学校に行く。村の子供達はスイスイと歩いていく。流雲が田舎道をスイスイ歩けるようになるまで数か月掛かった。

流雲は身体を自然に適応させるのに苦労していた。鬱蒼と茂る森の香りや雨にしっとりと濡れた足元から漂ってくる湿った土の匂い。清流のせせらぎや小川に泳ぐ魚。畔道のカマキリやてんとう虫やチョウチョやトンボやカブト虫や色とりどりの草花の咲き誇る野山から、流雲は自然と暮らす術を掴んでいった。

 学校が始まっても、学僧の勉強は継続された。学僧の授業から流雲は自然と暮らす術を学び、自然を生活の基礎に置くようになった。


 本郷村の村人は、大山神社の森との深い精神的な結びつきを信じている。

 子供達も山の神、大山津見命オオヤマツミノカミは本郷村の鎮守であり、守護神と信じている。村人も子供達も、森の奥に潜む何かの存在を常に身近に感じている。

 スサノオノミコトの神話を信じていた。髭から杉の木、胸毛から檜を産みだした伊勢原神社の杉の木をご神体と崇め、森に住む神々を敬って森を大事にし樹木を大事にしている。

 流雲は、森林浴に清々しさと身体の浄化を感じていた。何時しか森に入ると、樹木が発散する香りや森の精気や霊気の「気」を肌で感じるようになった。


 ブナ、ミズナラ、 トチなどの落葉樹の森が広がる大山は、春になると山の神が里に降りて田の神となり、秋の収穫を終えると山に帰る「田の信仰」を信じていた。

「冬の期間、山に住んでいた山の神は、春になると里に降り桜の木に宿り、稲の種蒔きの合図に桜の花を咲かす。田植の時期に田に降りて来て守護神になる。田植え終了の祝宴『さなぼり』を開いて、山に昇る神を見送る」

 村人共同で、桜の樹々を管理する風習が今でも続いている。村人は自然との情緒的な絆が強く、自然の中に神を感じ自然崇拝の念が強いことを学んだ。


 本郷村の暮らし3年が過ぎ中学生になった。この頃から流雲は、大山の自然の写生にのめり込むようになった。

 流雲は大山の自然を写生を通じ、四季の移ろう色彩と光り、奏でる音を五感で感じる術を学んだ。

 流雲は、雲龍院の庭園に四季の移ろう姿を見た。春雨に煙る緑一色の新緑の風景や楓の雅やかな紅いに染まる絵巻のような秋景色と共に移ろう季節を愛でる術を学んだ。

 雪山先生は、自然を愛でる気持ちの大切さと草花の観察する術を教えられた。

 花は厳しい寒さ暑さに耐え抜き蕾を育み美しい花を咲かせる。禅僧は花の生きる姿に、厳しい修行に耐え悟りを開く仏教の教えを重ねている。


 流雲は植物画の歴史を学ぶと共に自然を「絵画」に記録する喜びを覚えた。

流雲は禅の自然を敬う暮らしと植物画を描く姿勢から生きる術を学んだ。


 植物画の歴史は、薬草と雑草を見分ける「図譜作り」として、古代エジプトや中国で始まったとされている。

 日本の植物画は、奈良時代に中国から伝えられたのが始まりである。江戸時代に舶来の植物や学問が伝承され、独自の植物文化が開花した。

 近代科学の発達前「薬」は植物であり、薬物研究の学問を本草学と呼んでいた。本草学では、薬と植物を見分ける詳細を記録に残す必要性が生まれた。この為、より細密で正確な植物図を描く切っ掛けとなり、本格的な植物画が描かれるようになった。 

 江戸時代になると欧州の近代植物学が導入された。同時に遠近法や陰影法などの欧州の絵画手法が伝達され植物画も写実的な絵画に変化した。


 日本に近代西洋医学を伝え、日本の近代化に貢献したシーボルトが来日した。彼の任務の一つに日本植物の輸入があった。シーボルトは、長崎の絵師川原慶賀かわはらけいがを雇用し、植物の素描画を千点近く描かせた。

 これが「フローラルヤポニカ」であり、日本の植物画の始まりとされている。明治時代に入ると、本草学から植物学に名が変わり植物画が普及した。


 植物画の模写と本郷村の相互依存の暮らし方が流雲の病んでいた精神を立ち直らせた。

 流雲の伊勢原本郷村の暮らしが5年目を迎えた。

 中学二年生になる直前に、祖父月堂龍禅が流雲に尋ねてきた。

「流雲。どうだ、そろそろ東京に戻るか?ここの暮らしは楽かもしれないが、何時かは東京に戻らなければならない。今の流雲ならば、東京で充分暮らせるだろう。どうするか?」

 流雲自身も落ち着きを取り戻した自覚があり「はい。東京に戻りたいと思います」と、答えた。

 すると祖父は「ここで暮らした5年間で流雲は生まれ変わったと思う。ただ、都会の暮らしに戻るということは、他人の好奇の目に晒されることになる。昔の自分を捨てる覚悟があるなら、東京に戻ったら『本郷』姓を名乗りなさい。態々、隣り近所の好奇の対象になる必要はない。お父さん、お母さんにも話してある。よく相談して決めなさい」


 自然と寄り添う暮らしが、流雲を強く成長させた。今では、他人の目を意識することも自分を見失うこともない。他人と協調する術を身に付けた自負がある。

 こうして、中学二年生から東京に転校することが決まった。学僧の授業は東京に転校するまで続けられた。


 祖父、月堂龍禅の禅的な心のありようを学んだ5年間であった。

「何事にも捕らわれずに、自由に生きること」の難しさを実感した。

「空を行く雲、川を流れる水のように」どのようにすれば、生きることができるのか。流雲は未だ分からない。だが、伊勢原本郷村で暮らした5年間で、流雲は生まれ変わった気がした。




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