人妻。それは、何と卑猥な言葉だろう。それだけで心が躍る響きだが、NTRだけはマジ勘弁。腹立たしい事この上なし。
数日後。
文武魔全てにおいて才能を持つ天才王子として、名を馳せ始め第三王子にも王位継承の可能性が?という噂も出始めた私は、城を出て数時間の場所にある、綺麗な湖へと訪れていた。
数時間の移動は、豪華な馬車を使ったもので、母、姉、私、護衛の4人による、ちょっとしたピクニックである。
護衛、兼、御者は、私たちの少し遠くで、周囲を常に警戒している。
眼前に広がる大きな湖は、それはもう透き通る程に綺麗な水で、我が家を縦横無尽に泳ぎ回る魚も確認することが出来る。
プライバシーのへったくれもない。
春のように暖かい、ポカポカ陽気の今日は、そよ風が心地よく感じた。
「ほ〜ら、レーちゃん。花かんむり〜」
一年中暖かいこの土地では、様々な花が咲いており、その中でも白い花、白詰草に似た、しかし、私が知っているものよりも一回り程度は大きいものを使い、母親が花かんむりを作っていた。
母も、姉も、私も。全員が草原の上に、直に座っている。
綺麗なドレスが汚れることなど、全く気にも止めていない。
「ふふっ、よく似合うわね〜」
母は柔らかな笑みを浮かべて、その花かんむりを私の頭上へ乗せた。
「そうですね。私より、似合っているのではないでしょうか」
「ふふっ、そんなことないわよ〜。2人とも、よく似合ってるわ」
姉も、そして、母までもが、私と同じように花かんむりを乗せている。
私と違い、2人はとてもよく、似合ってるように感じる。口にはしないが。
「2人とも、シーちゃんはともかく、レーちゃんまで私に似ちゃったわね〜。目鼻立ちとか、瓜二つだもの」
「そうですね。こうして花かんむりを付けると、とても男の子には見えませんね」
嘘つけ。母はどう見ても糸目だろう。それ、瞼は開いてるか?物は見えているんだろうな?
こちとらパッチリお目目だぞ?
……。
「あ、そうそう。お母さん、サンドウィッチ作ってきたのよ?みんなで一緒に頂きましょう」
母は、今まで本当に忘れていたように、両手を合わせて驚くと、直ぐ後ろに置いてあったバスケットを持ち出した。
そんな母に、シィエルは尊敬の眼差しを送って、こう言った。
「お母様は、お料理が出来るのですか?」
「ふふっ、お料理といっても、サンドウィッチくらいなら、そんなに難しいものではないわ」
母は、それはもう嬉しそうに、いや、幸せそうに笑い、姉との会話を楽しんでいる。
「そう、なのですか?」
姉も、小首を傾げながら疑問を口にしているが、その表情は、とても幸せそうだ。
「ええ、そうよ」
そんな2人は、年の離れた姉妹。と言われても、違和感を感じないだろう。それほどまでに、姉は大人びており、そして、母はいつまでも若々しい。
「それでは、次のお休みにでも、教えて頂けますか?」
「もちろん、いいわよ」
私は1人、この、澄み渡る青空を眺めながら、2人の会話に耳を傾ける。
「本当ですか?ありがとうございます」
「ふふ、これくらい、別に構わないわよ」
腹、減ったな。
私はバスケットの中に敷き詰められた、野菜入りの健康に良さそうなサンドウィッチを手に取り、一齧り。ふわふわのパンとシャキシャキとした野菜を噛みちぎり、咀嚼。
「お母様。このサンドウィッチ、とても美味しいです」
「ふふっ、それはよかったわ」
適当に言った感想だったが、本当に幸せそうな表情で、母は笑った。
◆◇◆◇◆
昼食のサンドウィッチを食べ終えた後、暫くして、太陽には大きく分厚い雲がかかり始めた。
先程までの綺麗な青空も、入道雲によって侵食され始めている。
「あらあら。急に曇ってきたわね〜」
頬に手を当てて、虫歯の痛みを気にする様な母親。
「そうですね。一雨、降りそうな天気になってしまいましたね」
その様子に、姉の表情も曇ってしまう。
「残念だけれど、そろそろ帰りましょうか」
「そうですね」
どちらにしろ、帰宅の移動時間を考えれば頃合いだろう。
私たちは無駄に豪華で、その癖やたらと揺れる馬車に乗り込んで、帰路に就く。
クッションはあるものの、それでもやはり、揺れてしまう。道が悪いせいでもあるのだろうが、しかし、もう少しどうにかならないものか。
そんな中でも、母と姉は楽しげに会話を弾ませる。
「あら?何かしらあれ?」
母が見上げた窓の先、そこには虹が架かっていた。
「うわぁ〜、綺麗ですね。何でしょうかあれは?」
姉は、年相応に目をキラキラと輝かせて、外の景色を眺めている。
私が座る窓からは見えないが、そこまで珍しいものではない。特に見る必要もないだろう。
「ほ〜ら。レーちゃんも一緒に見ましょう」
そう言って微笑む母は、窓際まで詰めると、私の肩を抱いてすぐ側へと引き寄せた。
不意打ちで、力も意外に強かった為、私は母にもたれ掛かる様な形となってしまう。
「どう?綺麗でしょ〜?」
そう問い掛けられた言葉に、私は素直な感想を口にした。
「はい。とても綺麗ですね」
◆◇◆◇◆
無事、何事もなく城へと帰った私達は、そのまま解散。
今日の残りの時間は、部屋でゆっくりする事にした。
《主人様。イルミナ様の名により、参りました。何かご指示を》
タイミングを見計らったように、ベッドへと倒れ込んだ瞬間に思念が飛んできた。
イルミナとは全く違う声質で、トーンは一定。抑揚の無い、無機質なものだ。
参りました。と言っていたが、気配とか、そういった類のものは分からず、彼女がその場にいるのか、私には分からない。
《そうか。ご苦労》
《いえ》
彼女は、私の労いに答えると、間髪入れずに指示を仰いできた。
《ご指示を》
《では、姿を現してみてくれないか?》
《畏まりました》
返事とほぼ同時に、彼女は姿を現した。
その容姿は、イルミナとは別物。この国特有の金髪碧眼で二十代前半くらいの見た目をしていた。
《ご指示を》
《うん。じゃあ、その、ご指示を。って言うの辞めようか》
《畏まりました》
そう言った彼女からの視線は、無機質ながらも指示を懇願するようなものだった。
《取り敢えず、質問》
《はい》
《記憶は、どうなっている?》
《はい。戦闘の知識は一通り。それから、村の復興を少しばかり支援致しました。以上です》
《そうか。少し、触ってみても?》
《ご自由に》
私はベッドから起き上がり彼女に近づくと、頬を少しばかり抓ってみ……ようとしたが届かない。
《しゃがみなさい》
《畏まりました》
ようやく届くようになった顔は、作り物なだけあって、人形のように美しい。
私が頬を抓ると、眉が一瞬、ピクリと釣り上がる。
使い捨て人形には必要ないと、私は思うが、一応は痛覚が備わっているようだ。
《よし。これからは私の命令だけ、聞きなさい》
《畏まりました》
……変なことを言った自覚はある。が、まあいい。
《一先ず……そうだな。名前をつけよう》
《はい》
《何がいい?》
《何でも》
その淡白な答えは、名前などどうでも良いといった様子で、代わり映えのない顔は、いくら美人であっても、あまり面白くはない。
《では、明日までに考えなさい。命令です》
《畏まりました》
今の返答には、少しばかりの動揺が見られたように感じる。
……気のせいかも知れないが。
◆◇◆◇◆
あれから本降りの雨へとシフトした空は、曇天模様。雨音が室内に響き渡る。
部屋は少し暗いが、久し振りにゆっくりとした1日を過ごしている私には、丁度良い明るさだ。雨音も、耳に心地良い。
《主人よ!》
突然、脳内にうるさい奴が現れた。
着拒は出来ないものか……。
《どうだ?我の分身体は到着したか?》
《ああ》
《そうか。ならば良いのだが……急に分身体からの返事が無くなってな。心配しておったのだ》
《そうか》
その分身体は今、その場から微動だにせず自分の名前を考えている。
思考回路は、ショート寸前です。
《まあ、無事到着したのなら良い。では、我は冒険の続きをして来るぞ》
《ああ》
◆◇◆◇◆
【コンコン】
時間の感覚も忘れ、本当にのんびりとしていたところに、今度は部屋の扉がノックされる。
私は、そのノック音に返事をする前に、室内で棒立ちをしているべっぴんさんの横腹を突いた。
「ひゃっ!?」
べっぴんさんからは、可愛らしい声が漏れた。
その声に、私もびっくりした。
(姿を消せ。今すぐに)
(か、畏まりました)
お互いに小声で会話をし、そして、べっぴんさんは透明化。
私が部屋のランプに明かりを灯していたところで、2度目のノック。
「お兄様?」
今度は来訪者の呼び掛け付きだ。声の主は、妹のエレナだろう。
「エレナかい?」
「はい!エレナです!」
「入っていいよ」
「はい!失礼します!」
エレナは元気よく扉を開けて、カーテシーを行い入室。そして、覚えたての言葉を自慢するように挨拶をされた。
「御機嫌よう、お兄様」
少し、使い方が違うのは、ご愛嬌。
私もエレナに合わせ、挨拶を返すことにした。
「御機嫌よう、エレナ」
その返事を聞いたエレナは、嬉しそうにはにかむと、私の側まで近づいた。
「お兄様!今日は、お兄様に勧められた御本を、最後まで読み終わりました!」
「あんなに分厚かったのに、もう読んでしまったのかい?エレナは凄いな」
今回勧めた書物は、物語モノではなく魔法の研究を書き記したもの。
前回は彼女の価値観が爆発したので、物語系は読ませないことにした。質問されても、正しい答は出せないからだ。国語は難しい。
「そ、そうですか?えへへ」
とりあえず、座るか。
「エレナ。立ったまま話すのは疲れるだろう?とりあえず、座ろうか」
「はい!」
私の部屋は、客を招く様には出来ていない。最低限の、眠るためのベッドに、木製の机とイスが配置されているだけ。
イスは一つしか無く、二人が座ることは出来ない。
私はベッドの隣に配置されたイスを少しだけ移動させ、エレナに座らせる。そして、私はベッドに腰掛けた。
少し大きなイスは、エレナには大きく、ぴょん。と、いう効果音と共に、飛び乗っていた。
イスに座った後のエレナは上機嫌で、浮いた足をぶらぶらと上下に揺らし、遊んでいる。
「お兄様!」
「なんだい?エレナ」
「えへへ」
エレナは、心底嬉しそうに笑う。
「あの!お兄様?御本を読んでいて気になったことがあったので質問してもよろしいですか?」
「いいぞ」
エレナに読ませた書物は、魔法の基礎理論。何故魔法が発動するのかを考え、そして、それを証明しようとしたものだった。最後まで解明されることは無かったが、まあ、私は、面白いと思った。
まだ4歳児であるエレナに、どれ程理解出来たのかはわからないが、それを確認する為にも、読ませてみた。
「えーっと、まず、魔法を発動させるには、魔力とイメージ力の二つが必要だと、御本には書いてありました」
「そうだね」
「そして、魔術。魔法と同じような現象を起こす魔術にも、魔力の代わりに魔石を、イメージ力の代わりに魔法陣を代用している。と」
「そうだね」
「そのことから、魔法陣に直接魔力を流すことでも魔法の発動が確認出来たり、魔法陣に書かれている文字を使い、言葉にする事で魔力による魔法の発動を支援すると」
「うん」
「でも、そもそも、その基本が正しいのか、エレナにはわかりません。まずはその証明から行うべきだと、エレナは思います」
「そうだね」
「例えば、魔力は火、水、風、土、etc……と、様々な物へと変わる事が出来るけど、その変化には必ずイメージや、言語による補助が必要であると、エレナは思いません。もし、その変化に、イメージが必要であったなら、雨が降るのにも、風が吹くのにも、石が出来上がるのも、火が燃えるのにも、それぞれの意思が、無ければいけないと思うのです。ですが……」
◆◇◆◇◆
妹の話を聞くだけで、残りの休日は潰れた。