メイドは、事務的にテキパキと仕事をこなす姿が魅力的だ。感情は表に出さず、言われた通りに従う。だが、そこに忠義があり、一生懸命だからこそ惹かれるものがあるのだろう。
只々走るだけの剣術指南も終わり、私は再び薄暗い書庫へ。
読み終わった書物をいくつか漁り、メイドへ手渡した。
「読め」
「畏まりました」
渡した書物は全部で四つ。
一つ目は魔物図鑑。この世界に住まう魔物を出来る限り鮮明に模写し、特徴や性格、弱点やら生息地なんかを事細かに記したものだ。
二つ目は魔力研究。この書物の著者は魔力の絶対量を増やす為の実験を行い、その研究成果を記していた。
三つ目は旧約聖書。この聖書にはこの国の歴史と共に神の存在を主張する内容が物語形式で数多く語られていた。
四つ目は冒険譚。これはとある冒険者が様々な国を
旅して、その時出会った人物や泊まった宿、そこで何ともを食べて何をしたか、そして魔物やダンジョンを仲間とどうやって攻略したかなどを事細かに綴った、成長日記。
どれも辞書並みに分厚く、全て読むにはかなりの時間が掛かるだろ。だが、まあ、今までの入り口で微動だにせず立ち続けるよりは有意義な時間を過ごせるはずだ。今まで読んだ中で面白かった物を選別したしな。
つまらなくても読め。
メイドは受け取った書物を背文字が見えるように持ち替え、それぞれのタイトルを確認。渡した時とは順番を変え、魔力研究、旧約聖書、魔物図鑑、冒険譚にして魔力研究から読み始めた。
全ての書物を持ったまま、棒立ちで。
姿勢は正した状態で、読まない書物は左腕で抱きかかえている。左手には読む書物が握られ、右手で頁を捲り始める。
優雅ささえ感じさせるその立ち姿で、視線だけが動き高速で文字の上を走っている。
気が抜けて、書物を地面に叩きつけられる瞬間を楽しみにして、私も読書を開始した。
◆◇◆◇◆
書庫に入り浸ること1時間。
静寂と、埃に包まれた書庫内で、書物の頁を捲る音だけが、息をする。
《主人よ!》
そんな空間を楽しんでいた私の脳内に、直接話し掛けてくる奴が現れた。
《なんだ》
少しだけ、ビックリしたんだが?急に話しかけんな。そんな感情が、思念には乗っていたかも知れない。
《いや、なに。森の探索結果の報告を、と思ってな》
《そうか》
態々報告ですか。
《うむ。それでだな、森中を隈なく探索したのだが……特に問題は無かったな》
《それは、よかったな》
《う、うむ……しかし……あれだな?問題は無かったのだが、問題が起こってな》
歯切れの悪いドラゴンは、言葉を選ぶように少しだけ時間を掛けて会話を行う。
《なんだ?》
メイドの、頁を捲る音が木霊した。
一瞬だけ、視線を送ると、相変わらずの姿勢で、優雅に佇んでいる。
《それが……森には半神の妖精種、まあ、あれだ。ニンゲンが言うところエルフが住んでおってな。彼奴らに絡まれたのだ》
まあ、だからこその妖精の森。という名称らしいからな。実際に存在するのかを確かめる為、探索させたところはある。
私も、見に行きたいものだ。
《それで?イルミナは如何対処したんだ?》
《うむ。彼奴ら、我を化け物扱いしたのでな。草食で魔力も高く、そして神に近しい存在がどれだけ旨いかを事細かに、部位毎に説明してやった。のだが……隣国?としてマズかっただろうか?村の危険を含めてだが……》
美味いのか。
《まあ、その事だけで、争いが起こることは無いと思うぞ》
《そうか。ならば良いのだが》
この国では稀に、エルフの奴隷が出回るらしい。勿論、原産地は妖精の森。そのエルフは裏で売買され、何処ぞの貴族に飼われていたという記述が残っていた。
これは、今でも行われているに違いない。
これは書物による知識だが、エルフとは美しい容姿に白い肌、白い髪に紅い目をした、葉っぱの様な形の耳を持つ、特殊な種族らしい。
珍しいものは集め、閉じ込め、鑑賞する。それが人間だ。私腹を肥やした貴族どもが欲しがるに決まっている。
そのうち争いが起こる事は、あるかも知れないな。
《しかし、あれだな。今は村の復興を手伝っているのだが……いかんせん人手が足りんな》
《それは、男は大半が死んだってことだからな》
《うむ》
視界の端で、メイドが再び頁を捲った。その動作はゆったりとしたもので、優雅さを感じさせるものであったが、読み進めるスピードは早く、視線だけは、忙しない。
ずっとあのペースだが、疲れないのだろうか。
《まあ、でも。冒険者ギルドに依頼して引退者を村に住まわせる様に手配しているらしいのでな。それも今だけのこと、と言っておったが》
《そうなのか》
《移住者募集の依頼で、報酬は住居と若い娘一人だといっておったぞ》
《そうか》
《なんでも、冒険者稼業で度々村に訪れていた人間、或いは村を飛び出して冒険者になった人間が移住して来るらしいぞ?》
《ふーん》
どうでも良い話になってきたな。読書に戻るか。
《そういえば、主人は何故我を呼んだのだ?》
《……ん?》
《いや、なに。ここ数日全く連絡が無かったのでな?その理由も聞きそびれておったし、今聞いておこうと思ってな》
《……》
急に話が変わったな。それに、ドラゴンを呼んだ理由なんて特にはないぞ?いや、情報収集用に使い魔が欲しくはあったのだが……。
《村の復興に比べれば大した事ではない。今はそっちに専念すると良い》
《む、そうな「お兄様!」のか?しかし、後のことは分身体に任せるから問題ないぞ?》
バン!と、勢いよく開かれた扉から、妹のエレナが元気よく飛び出した。が、今は無視だ。
《……分身体、「お兄様?」とは何だ?》
直接床に座り込み、読書に勤しむ私の顔を覗き込んできたエレナ。その距離は、目と鼻の先程度である。
「あれ、お勉強は《お?分身体か?》もう終わった《分身体に》のかい?《興味があるのか?》エレナ」《ふふん!これはまあ、我の得意分野の一つなのだがな?我の鱗一枚を触媒に何でも言うことを聞く人形を作る魔法なのだが……》
自身について聞かれたのが嬉しかったのか、もの凄く上機嫌になったイルミナ。その口調は軽やかだ。
「はい!今日はtable mannersと、文字の読み書きをお勉強しました!」
無駄に発音の良いテーブルマナーだな。
《触媒を増やす事で我と同一の個体を生み出す事も出来るのだぞ?凄くないか?》
「《それは、凄いな》文字は覚えられたかい?」
……どちらかの会話を早めに切り上げたい所だな。
《まあ、「はい!」しかしな。「文字はひと通り」あまり自身に「書けるように」近づけては「なりました!」創らない方が良い。あれはあれで楽しかったが、世界が滅ぶような戦いがな……彼奴は何処か気に食わんかった》
「この短時間で覚えたのかい?それは凄いね!流石はエレナだ」《そうか》
感慨深く、しかし、何処か自慢気な様子で語るイルミナと、無邪気なエレナ。
エレナは適当に褒めておき、イルミナには相槌で答え、続けて質問を投げかけた。
《ところで、その鱗一枚を使った分身体とやらは、どの程度の性能なんだ?》
「お兄様は今日も読書ですか?」
《む?性能か?うーむ、そうだな……まあ、あまり強くは無いな。精々、人並み程度だ》
「そうだね」《そうか。魔法も使えるのか?》
聖徳太子、の様には出来ず、頭が痛くなってきた。今回の会話ではエレナには適当な相槌を行い続け、話半分で問題ないだろう。いや、話をとっとと切り上げてしまおう。
《無論だな》
「文字を覚えたのなら、読んでみるかい?」《人格は?人並みに感情があったりするのか?》
《それは……「いいの!」どうだろうな。我は分身体ではないからな。創られた存在のことなどわからん》
「まあ、私の物ではないからね。自由に読んでみると良いよ」《そうか。因みに、その分身体は用事が済むとどうするんだ?》
《用事が済めば、処分するだけだが?》
「うん!おすすめは?お兄様!おすすめはありますか?」
《ならば後でこちらに寄越せ。勿論姿は隠した状態でな》「そうだな……では、この、勇者の冒険譚を書いたものを読んでみるといい」
《む?用事か?「うん!読んでみる!」それならば我が請け負うが……」
私が横に積んでいた本を手渡すと、エレナは笑顔で受け取り読書を始めた。
《いや。分身体とやらに興味があるだけだ。どんなものなのか、とな》
《そ、そうか。では、村の復興がひと段落した頃に向かうよう言っておこう》
《ああ。ありがとう》
《う、うむ。どういたしまして》
どちらの会話も終わったか。疲れるな。
一旦落ち着いた所で、私は辺りに視線を送る。
エレナによって開け放たれた扉は、既にエレナ付きのメイドによって綺麗に閉じられていた。
そのメイドは、読書に勤しむアメリーの隣に並び、瞼を閉じて、眠るように静かに佇んでいる。
隣にいるエレナは、入り浸る様になった翌日には綺麗に掃除された図書室の床で、割座で腰を下ろしながら膝の上に大きな書物を置いている。そして、前屈みになりながらも文字を指でなぞり、ゆっくりとスローペースで音読していた。
その、一言ずつ、区切る様にしてゆっくりと読んでいる様子は、誰に聞かせるものではなく、文字を読み解こうと必死に頑張った結果、漏れ出たものの様に感じる。
私は兎も角、お姫様が床に腰掛けるのは如何なものかと。折角の綺麗なドレスが汚れてしまうだろうに。
一応、日の差し込む位置に、シンプルな木製のイスが設置されているのだからな。
◆◇◆◇◆
「お兄様!」
私が目読を再開し、数冊の書物を読み終わった頃、エレナが元気な声で話しかけてきた。
「んー?」
私は生返事を返しながら、文章の切りが良いところで顔を上げる。
するとそこには、書物を綺麗に閉じ、自身の隣にきちんと整えて置いた状態で、前屈みに詰め寄ってきたエレナの顔が目の前にあった。
「この昔話に登場する勇者様は、魔王様を倒して、何がしたいのですか?」
「……ん?」
「ですから!この、勇者様は、どうして魔王様を倒すのですか?」
凄くいい笑顔で問われているが……。
「えーっと。つまり……?エレナは勇者の行動に疑問を持った。と?」
「はい!」
近い顔を余計に近づけ、元気な声を上げるエレナの吐息が、鼻孔をくすぐる。
「何故、エレナが疑問に思ったのか、私に教えてくれないかい?」
そう言いながら、エレナの両肩を抑えて落ち着かせる。
腰を下ろしたエレナは、特に何かを変える事もなく話を続けた。
「うん!だって、このお話の、村を襲って、家族を殺したのは、その場にいた魔物たちでしょ?なのに、勇者様は魔王様が悪い。みたいに言ってるから、おかしいなぁ?って」
「……確かに、そうかも知れないね」
責任は、命令した上司に行く。とか、子どもに言うのは野暮かな。否定から入るのも良くないと聞く。
ただし、村を襲った魔物たちが魔王とは無関係だった場合を除く。
「ですよね?お兄様も、そう思いますよね!」
「うん、まあ。そうだね」
私は、笑顔を張り付かせて同意した。
「それから、その後にも疑問があって!勇者様はどうして、ゴブリンさんが住む洞穴……村に踏み込んで、突然ゴブリンさんの家族を皆殺しにしてしまったんですか?これでは、勇者様は勇者様の村を襲った魔物と変わりません!」
「……確かに、あれは村を襲ったとは書かれていなかったし、洞穴に住み着いたゴブリンがいるから討伐してくれ。と言う内容でしかなかったね」
まあ、それでも、十中八九その後ゴブリンどもは村を襲っていただろう。
例えば、だ。例えば人里にゴブリンが現れるとする。するとどうだ?人はゴブリンを殺すだろう。では、ゴブリンの住処に人間が現れたとする。勿論殺すに決まっている。
では、ゴブリンどもが人里を襲ってきたら?或いは、人間どもがゴブリンの住処を荒らしにきたら?勿論殺すとも。どちらも同じだ。人間同士でもやっている事だ。増えて力をつければ戦争をし、戦争に勝てば奴隷を好き勝手に使うだろう?何も変わらん。
人間がゴブリンを受け入れないように、ゴブリンも人間を受け入れることはない。
それはそれとして、今回のエレナの言い分はきっと、そこではないのだ。
「はい!まだ、悪い事をした訳でもないのに、殺すのはおかしいです」
「そうだね」
その感性は間違っていないと、そう私は思ったので、肯定しておく。
しかし、仮にエレナの考える友好的なゴブリンがいたとしても、そいつはもう殺されているし、頭の良いゴブリンならば、人間が来ないような場所まで逃げているに違いない。
「はい!それから、この昔話。初めから魔王様が悪いように書かれていますが、魔王様にも、村や町を攻め込むだけの理由があったはずです!」
「うん」
……エレナのお話は、しばらく続いた。
読んで頂き、ありがとうございます。
ブクマやポイント評価もありがとうございます。励みになります。