妹は、お兄ちゃんラブに限ります。背が低く、貧乳ならばなお良し。出来れば、義妹がよかった。
サリアが廊下の奥へと消え、それ入れ替わるように初老の男性が現れた。
その男は私の前で立ち止まり、一礼。
「改めまして、本日より殿下の剣術指南役として派遣されました、執事のペヴケガン・ギャツィチャビトと申します。若輩者では御座いますが、誠心誠意努めてさせていただきますので、どうぞ宜しくお願い致します」
「よろしくおねがいします」
ペヴケガン・ギャツィチャビト。この城にいる使用人たちの纏め役にして、国王の側近。元騎士であり、その実力は……知らないが。数多の戦で指揮を執り、勝利を収めた。と、聞いたことがある。
一度執務室に侵入した際、彼にはこっ酷く叱られた記憶がある。こちとらちょろちょろっと貴族たちの個人情報を盗み見しただけなのに。
また今度忍び込むとしよう。
「所で、ペヴケガンさんは陛下の側近だったと思うのですが……事務処理や雑用をしなくても?」
「はい。その辺りはしっかり、他の者に一任しております故、何も問題は御座いません。殿下の母君も、自ら率先して協力して下さいました」
「そうですか」
表情一つ変えず、淡々とした冷たい声色のペヴケガン。
私は彼が苦手だ。眉ひとつ動かさない彼が何を考えているのか全くわからない。こんな人間、前世の日本では見たことすらない。全くの未知だ。流石は異世界と言うべきか、それとも、殺人が日常に存在する世界。と言うべきか。古い時代にはこんな人間が日本にも存在していたのだろうか?
「それでは早速、剣術指南を始めさせて頂きます。まずは、剣を握るよりも先に基礎体力をつける所から始めます」
「はい」
「それでは、今日のところはランニングを。まずは中庭を5周走って頂きます」
「はい」
「では、始めてください」
「はい。アメリー、走るぞ」
「畏まりました」
魔法に限らず、剣術にも付き合わせよう。どうせなら一緒に覚えていこうではないか。一人で走るのも寂しいしな。
中庭は、普通の家庭からするとかなり広い。だが、グラウンドのように広いというわけではなく、大人が走るには少々手狭に感じるようなその程度の広さである。
それに対してこちらの体は6歳児。歩幅は小さく、そんなに筋肉の付いていない体ではそれなり広く感じる訳で、走ればそれなりに疲れるものだ。
少し後ろをスカートの裾を摘んで走るメイドは、現在8歳。小学生でいう所の三年生辺り。この年齢の子供の成長は早く、彼女との身長差は10センチ以上。体格や体力面などの違いから、こちらが息切れする程全力で走っていても後ろの彼奴は全く呼吸が乱れていない。可愛いらしい唇からは整った呼吸音が溢れている。
強くなる為には。と意気込み、限界を超える勢いで少しだけスピードを上げてみたが、焼け石に水。
ペース配分なんてものは考えず、子どもがするように常に全力で走り続けた私は、走り終えると同時にその場に倒れ込んだ。
激しい呼吸を繰り返し、徐々に息を整える。明日は筋肉痛確定だ。
「ご主人様、お水はお飲みになりますか?」
私の隣にしゃがみ込み、何処からともなく取り出した白く塗られた革製の水筒を差し出してくるメイド。彼女は呼吸の乱れてはおろか、汗ひとつ掻いていない。
「気持ちだけ、受け取っておこう」
革で作られた水筒は、水が少しずつ外へと浸み出している。だが、その水が蒸発することにより生まれる気化熱で中は意外と冷たいらしい。
それが本当かどうかを試す意味でも飲んでみたい気持ちはある。しかし、今はそんな気分ではない。
「畏まりました。差し出がましい事をしてしまい、申し訳ございません」
両手で差し出していた水筒を胸元へ引っ込めたメイドは、頭を下げて謝罪。
私はなんと返事しようかと悩んだが、何も言わずに立ち上がった。
「ふむ、やる気は十分の様ですね。ですが体力が足りません。更に5周……いいえ、10周走りましょうか」
「はい。アメリーは15《主人よ!》周を自分のペースでな」
「畏まりました」
「それでは始めてください」
「はい」
私が走り出すと、少し遅れてメイドも走り始めた。そのスピードは私よりも早く、直ぐに追い越される。
気品を感じさせる走り方を保ちつつも、素《ん?》早い《聴こえて》動きで《いないのか?》走る姿は、容姿を含めて可愛らしい。真面《可笑しいな……》目な表《何故だ?》情で走る彼女は、仕事に追われているかのようだ。
メイドとの距離が少しずつ離れていく中、負《主人よ!》けじと速度を上げて走る。前に人が走っていると、やる気が出るのは何故だろう。
追いつけ追い《……本》越せ。そん《当に聴こ》意気込みで《えていない》彼女の背《のか?無》中を追い《視など……》かけている。《してはいな》が、そ《いだろう》の距離は《な?》離れるばかり。
既に足は限界のようで、一周も走っていないのにガクガクと震えだしてきた。先程の疲労が出ているのだろう。
《……本当に聴こえていないようだな。何故、届かないのだ?》
先程から、イルミナが煩い。勝手に思考の中で声を掛けて来やがって。常に被っているんだが?
それに、思念の飛ばし方なんぞ私は知らない。
魔法とはイメージすること。らしいが、相手の顔を思い浮かべて思念を送るれば届くのか?しかし、それは一体どういった原理なんだ?電波か?それとも他の何かか?
科学的に考えて思考とは即ち、脳が発する電気信号なわけで、ということは、脳内で発生する電気信号を電波に変えて、何処にいるのかもわからない相手に発信。相手を見つけ受信させると、届けた電波を再び電気信号に変えて思考を流す。と。つまりはそういうことだ。
全く意味がわからない。出来る気がしない。それが出来るドラゴンは頭がおかしいな。いや、相手は私が城にいると仮定して思念を飛ばした……のか?
城も広いけどな。
《……うーむ、全くわから《イルミナ、何の用だ?》》
《む?やはり聞こえていたのではないか》
今は相手の魔法が発動中だった為か、思考を送るように意識すれば普通に通じた。今度やり方教えてもらおうかな。
《それで?用件とは何だ?》
《……あ、ああ。そうだな。実は、少し相談に乗って欲しいことがあるのだが……今は忙しいのか?》
声……思念の様子から、それ程切羽詰まった印象は受けないが、しかし。相談か。イルミナを知るにはいい機会かも知れないな。
《いや、大丈夫だ。相談とは何だ?》
《うむ。実はな、ここ数日で冒険者とやらになってだな、薬草採取やら何やらをこなしてDランクにまで昇格してな》
書物による知識によれば、冒険者とは専門の建物で登録さえ行えば誰でもつける職業だったな。ランク……その職業における格付けは、Fから始まりE、Dと上がっていき、最高ではAランクの先にSランクがあるんだったか。まあ、そのことは別にいいか。
《それは……おめでとう》
《うむ。ありがとう》
ほんの少しだけ、声の……思念のトーンが上がり、嬉しそうな返事が返ってきた。
が、続く言葉は淡々とした、平坦な声色だった。
《それでな?今日は緊急クエスト、とやらを受けてゴブリン退治に向かったのだが……ああ、もちろんゴブリン共は瞬殺したぞ?だがな、その時襲われていた村が、酷い有様でな。駆けつけた時には既に壊滅状態だったのだ》
表情こそわからないが、その語り口調からは、彼女の憂いを感じされる。
《生き残りは、馬車を使い、街の方へと逃げていた女子供と、その護衛役の男数人。村は破壊され、残った人間共は皆、死んでおった》
《そうか》
《まあ、その事に関しては、もう終わった事だ。気にしてはいない。それで、だ。ここからが本題なのだが、その逃げ延びた村人共がな、元の村で生活する為の復興支援、などは出来ないだろうか?》
出会って早々に破壊云々言っていた奴が、人助けをしたい、と。わからんな。
《……取り敢えず、いくつか質問するぞ?》
《ああ、構わないぞ》
《まず、村の場所は何処だ?》
《主人の住む街から北東へ進んだ先、大きな森のすぐ手前にある村だ》
北東の森……妖精の森か。あの辺りまでは王土だったか?その辺り、あまり詳しくないんだが……。
《領主、国からの支援は出ないのか?》
《うむ。支援の代わりに王都での新たな住居を与えられることとなったのだが……村人どもは王都では生活したくない。と言ってな。今は村へと戻る途中なのだ》
あまり価値の無い村だったのか、国は廃村にする判断を下した、と。しかし……
《ゴブリンは森から現れたのか?》
《む?あ、ああ。その様だ》
ならば、森の警戒ようにあっても良いと思うのだが……。まあ、無くても変わらないのか?
《なるほど……ちなみに、村人は何故王都ではなく村に住みたがっているんだ?理由は聞いているか?》
《ああ。断る所は見聞きしていたのでな》
イルミナは、少しだけ落胆した様子?……気配で、思念越しに聞こえる吐息を吐いた。そして、なんでも……と、話を切り出した。
《今まで暮らしてきた生活と違うことをするのは難しい、と。畑を耕す日々とは違い、職を失えばお金は入らずメシは食えない。初めての職では上手くやっていける自信も無いし、もし路頭に迷えば家族が死ぬ。村では周りが助けてくれたし、食料がなければ森の恵みを頂きに出向くことも出来た。それが出来ない生活は考えただけで恐ろしい。とな》
《そうか、なるほどな……》
理由次第では説得することも考えていたが……。
確かに、初めての経験、そして、環境の変化とは恐ろしいものだ。特に今回は、自分と失敗一つで、他人……家族の命まで危うくなってしまうからな。
良くてスラム街生活、下手をすると奴隷落ちまで考えられる世界だ。いざという時に頼れる人間のいないこの世界では無理もないか。
《む、意外と普通の反応をするのだな?我は人間共に呆れたが……いや、主人も人間だったか》
《そうだな……なにせこれは、高校デビュー前の不安、或いは入社前の新社会人。の、感情に近いからな》
《……単語の意味すら、理解出来ないのだが?》
《もしかすると、連休の最終日、或いは日曜日の夜。などの感情にも似ているかもな》
《全くわからん》
《だろうな》
知っていたら、それはそれで興味深かったが。
《それにしても……やはり人間は臆病だな。あれでは何も成し得ないぞ?まだ、盗賊の方がマシだ。勿論理由があれば殺すがな》
急に話が戻ったな。
《何だ?それは、何も行動を起こさないよりは、それがどんな行いであっても、行動を起こした者の方が良い、と。そう言いたいのか?》
《そうだな。我はそう思うぞ?》
……そうは思うが、臆病な人間を助けたい、と。これがドラゴンの感性か?それともイルミナだけか。わからん。
《まあ、この話はいいだろう。考え方は人それぞれだ。みんなちがって、みんないい。と、言うくらいだからな》
《む?それは、初めて聞いたが……うむ。悪くは、ないな》
不意に、軽やかな草を踏み締める音と共に、横をメイドが掛け抜けた。一周半で、一周差。かなり速いペースの為か、流石に息は荒れている。はぁ、はぁ。と、耳に心地良い吐息を吐きながら、私の先を行く。
……汗を、掻く程ではないようだが。
《話を戻そうか》
《頼む》
《一先ず……そうだな。これは、王都からの……王からの支援が受けられないから、その王子である私に頼った。という事でいいのか?》
《まあ、そうだな》
何故、私を頼る?と、初めに質問しておけば、この答えには直ぐに辿り着けた。が、遠回りしたお陰でイルミナの性格が少しだけわかった気がする。
《そうか。だが、私からの支援は無理だな。そんな権利も権限も権力も持っていない》
《……そうか》
《只今、まあ。せめてものアドバ「お兄様!」……》
その、元気な声と共に石造りの廊下から飛び出して来たのは、腹違いの妹、エレナ。
《む?どうした?》
この国では金髪碧眼の人種が多く、私もその1人なのだが、彼女は青に近い銀色の髪をしている。隣国から嫁いできた母親の血を受け継いだ結果だろう。この国の貴族からはあまり好まれていない存在だ。
……ま、その母親よりはマシな扱いだが。
《……いや。何でもない。私は力になれないが、どうしてもその村人たちを助けたいのであれば、イルミナが力を貸してあげるといい。復興には瓦礫の片付けや、死体の処理など力仕事が多いしな》
《うむ。そのつもりだ》
エレナが飛び出して来た勢いをそのままにして、ダイブするように私へ抱き着いた。
《そうか。ならばついでに、ゴブリンの溢れた森も調べてみるといいかも知れないな。また直ぐに襲われては敵わんだろう》
《……そうだな。そうしよう》
「お兄様は今日もお勉強ですか?」
抱き着いた状態はそのままに、埋めていた顔だけを上げて会話を始めるエレナ。私は彼女の肩に手を置き、ゆっくりと引き剥がした。
「うーん、そうだね。お勉強だよ」
「やっぱりそうなんだ!あのね!実はね!エレナも今日からお勉強が始まるんだ!」
屈託のない笑みを浮かべ、誇らしげなエレナ。
「へぇ〜、それは凄いね。エレナは頭がいいからすぐに追い抜かれちゃうかも知れないな」
子どもとは褒めて伸ばすもの。と、昔聞いたことがある。残念ながら子育ての経験は無いが、これで合っていると信じよう。
……ここは、頭を撫でたりした方が良いのだろうか?
「そ、そうかなぁ〜?」
嬉しそうな顔で照れるエレナは、頰が少しだけ赤い。
「えへへ。そうなるように、エレナ、がんばります!」
顔を引き締め、胸の前で両手をグッと構えてそう宣言。
その姿は、歴戦のプロボクサーの守りよりも硬い鉄壁のガードだった。
「そうだね。期待してるぞ」
今の彼女に触れようとすれば、一瞬で躱され、カウンターを食らうことだろう。
頭を撫でるのは、次の機会とする。
「こら!エレナ!こんな所で何してるの!お勉強の始まる時間はとっくに過ぎてるでしょ?」
可愛らしい怒声を上げたのは、エレナの母、シルヴィア。彼女を前に、エレナ付きのメイドを合わせた3人の使用人が、深く頭を下げた。
「ごめんなさいね、レイさん。うちの子がお邪魔してしまったようで」
軽い駆け足で近づいたシルヴィアが、優雅な動きで頭を下げた。
「頭を上げてください、シルヴィアさん。私にとってエレナは、可愛らしい妹ですよ?そんな彼女を、邪魔だなどと思う筈がありません」
その、6歳児の……マセガキが放った言葉を聞いたシルヴィアは、優しく微笑み、ありがとう。と、感謝の言葉を述べる。
「それに、その母親であるシルヴィアさんは、私にとっても母親です」
と、言うのは流石にやり過ぎか。自重しておこう。
「ほらエレナ、早く行くわよ。お勉強するんでしょ?」
「うん!それではお兄様!エレナはこれで失礼します!」
そう言ったエレナは、スカートの裾を両手で摘み、片足を斜め後ろへ、もう片方の足は軽く曲げた。それと同時に背筋を伸ばしたまま腰を折り、一礼。
カーテシーというお辞儀をする彼女は、私の影響でおませさんになっていた。
一礼を終え、完全に頭を上げたエレナは一目散に駆けていく。勿論、スカートの裾を摘んだりはせずに。
そんな我が子を、本当に忙しない子ね……。と、呆れたような表情で見送るシルヴィア。
付き添いのメイドが一礼して立ち去るのを確認すると、こちらへと向き直った。
「本当に、ごめんなさいね?」
申し訳なさと、感謝の気持ちが混じり合ったような謝罪。何処と無くよそよそしく他人行儀な印象を受ける。
父親が同じでも、母親が違うと子どもに対しても壁が出来てしまうのだろう。
「いえいえ、おかげで休憩が出来ましたから」
私は、素直な気持ちを述べる。
「ふふっ、ありがとう。これからもあの子のことよろしくね?」
「はい」
「それじゃあ、私もこの辺で」
シルヴィアは冗談めかした様子で、或いは、大人の余裕を見せつけるように、失礼します。という言葉と共に、洗練された見事なカーテシーを行う。
私はその挨拶に返すよう右足は後ろへ引き、右手は体に添え、左手は横方向へ地面と水平に差し出して、一礼。
男性用のお辞儀、ボウ・アンド・スクレープを行った。
そのお辞儀が終わると、シルヴィアはキョトン。としていた表情で固まっていた。
「ふふふっ」
そして、何かがツボにはまったようで楽しそうに笑い始めた。
これは恐らくだが、大人のしっかりとしたお辞儀に対し、クソ生意気でちんちくりんなガキが大人ぶってお辞儀で返した為、そのあまりの滑稽さに笑いが堪えきれなかったのだろう。
確かに、アニメや漫画のシーンなんかでそれを見た日には、はい、この作品クソ。生意気なガキマジで死ね。fuck!調子乗んな〜。と、私だったら煽り倒していた自信がある。
女の子が大人ぶる様子は、すごく萌えるんだけどな。
……。
というのは冗談で、彼女は自分のお遊びに付き合ってくれたことに驚き、そして笑ったのだろう。
私もシルヴィアの笑いに釣られるように笑い、少しだけ二人で笑いあった。
「お勉強、頑張ってね」
最後にシルヴィアはそう言い残して去って行った。
それを見届けると。
「……最初から10週。いえ、15週走ります」
そう宣言して、私はランニングを再開した。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
ブクマ、ポイント評価、感想など、モチベーションに関わりますので、是非、お願い致します。