何も知らない
彼の浮気現場を発見した。
若い女とネオン街に消えていく彼を見て、私は茫然とした。
しかし、そのときの私と言えば焦りや哀しみが押し寄せる前にスマホを取り出すと、カメラに彼と若い女の姿を収めた。
ショックだった。
もうそこそこいい年になっていた私は、結婚だって考えていたのに。
あくる日に、私は怒りと悲しみの表情を必死に堪えながら彼の帰りを待った。
「ただいま」
いつものようにくたびれた姿で帰る彼。
私は返事をしないままに椅子に腰かけていた。
「いやぁ、今週末も休日出勤になりそうだ」
休日出勤なんて言いながら、実はこの前の若い女と会うんだろう。
そう思いつつ、私は彼を手招くと、対面に座らせた。
「ねぇ、私に隠し事しているでしょ?」
きっと私は睨みつけるような顔つきをしていたと思う。
もし、シラを切ったならスマホに保存されている証拠をつきつけてやろうと、私は膝の上でスマホを固く握りしめていた。
「……バレちゃった……ってことかな?」
ヘラヘラ笑う。憎らしい。
「私が言うよりも自分の口で言ってくれる?」
さながら私はもう裁判官かこれから腹切りを行う武士の会釈人である。
彼は諦めたように一息つくと、深く頭を下げた。
「ごめん、君にバレているのっていうのは、僕が実は吸血鬼だっていうことだろう?」
―――? はい?
「いつかは言おうと思っていたんだけど、そうなんだ。僕は吸血鬼なんだ」
意味がわからなくて、私の表情はどこか遠くに消えてしまった。
冗談のつもりか、茶化しているのか、それとも。
全く持って意味が分からない。え、私が言いたいのは浮気のことだけれども?
彼の話は続く。
「にんにくが嫌いなのも、十字架を嫌うのも、日が当たるのを嫌うのも、僕が吸血鬼だからなんだ。今まで黙っていてごめん」
深々と下げられる頭に、私はどんな言葉をかけていいのか分からない。
でも、真剣に頭を下げる彼に嘘は感じられない。
いやいやいや、どういうことだ。
とりあえず、私が求めていた答えではないから、私は鼻息をならすと心を落ち着けて口を開いた。
「他にもあるでしょう?」
「……君がそこまで鋭いとは思わなかったよ……それって僕が実はゴーストハンターの副業もしていることだろう?」
うん、そんなことは知らなかったよ。
なに、ゴーストハンター? オバケを狩る人ってこと? え? ん?
もう訳が分からない。でも、私は腕組みをすると、虚勢を盾にして彼に噛みついた。
「続けて」
「僕みたいな吸血鬼が人間の世界で生きていくには、厳しいルールが敷かれているんだ。
もう君は知っているだろうけど、この人間の住む社会には僕みたいな異質な存在がたくさんいる。
そういった者たちが生きていくのには、人間社会のルールだけじゃなくて、僕ら種族の独自のルールもある。
そういった中で、僕は戸籍や住民票をもらう代わりにゴーストハンターとしての役目を受けおったんだ。
今まで隠していてごめん」
もう土下座でもしそうな彼。混乱する私。
へー、吸血鬼とかそういうのがいっぱいいるんだー。知らなかった―。
頭の中は真っ白なお花畑になっていた。わけのわからない私は頭の中で笑顔でスキップしている。
落ち着け、落ち着け、私。
聞きたいのはそこではない。浮気だ。
「まだあるでしょう?」
「え……参ったな、もう本当に全部知られているとは」
「話して」
「今更だけど……僕は女なんだ。本当にごめん。でも、一目君を見たときから本当に心から君に惹かれてしまったんだ! だから、なんとか男っぽく見せたり、魔法で体を改造したりして……ごめん、幻滅したよね。でも、これだけは分かって欲しい。君に対して好きとか愛してるって気持ちに嘘偽りはない。それだけは信じて欲しい」
「ち……」
「え?」
「違うよ! さっきから何言ってるかまるでわからないよ!
吸血鬼!? ゴーストハンター!? 女だった!? 何言ってるかちっともわからないよ!」
「え、違ったのかい!? じゃぁ、もしかして、僕が最近幽霊の猫を飼い始めたのがバレた?」
「それでもないよ! これでもないよ! 何なのさっきから! 浮気だよ、浮気!」
パニックに陥りそうになりながら、私はスマホの写真を見せつけた。
ネオン街に消えていく彼と若い女の写真。紛れもない浮気の写真を突き出した。
「アンタ若い女と浮気してるでしょ! これが証拠よ!」
「あ、これは違うんだ……」
「違うもなにもネオン街に消えてるじゃない! 浮気じゃなければなんだっていうのよ!」
「じゃぁ……それを証明する。ちょっと外に出ないか?」
◆ ◆ ◆
浮気現場となったネオン街に私と彼は足を運んでいた。
ホテルの立ちならぶ路地裏は暗くて、その中にいやらしいネオンがいくつも輝く。
彼は私の先を歩くと、ホテルの受付に顔を出した。
「休憩ですか? 宿泊ですか?」
「隣の家の木村さんちから来ました」
受付にそう告げると、小さな窓口からはコインが一枚だけ渡された。
受け取ったコインを手に、彼と共にホテルの階段を地下へと下る。
階段を下りた先には頭部が二つある女が、セクシーな下着姿で待ち構えていた。
「いらっしゃい」
「今日は依頼じゃなくて、ちょっとリストだけ見に来た」
「あいよ」
頭が二つある女にコインを渡すと、女の後ろにあった扉が勝手に開く。
彼と中に入る。
そこにはとても人間の世界とは思えない世界が広がっていた。
羽の生えた人。二足歩行する大きなトカゲ。頭部が二つある人、腕が蜘蛛のようにたくさん生えた人。
「ここは、なんなの?」
「ゴーストハンターの酒場兼依頼受け付けだよ。あ、いたいた。おーい、野村さん!」
彼がカウンターの奥にいた女性に手を振ると、野村さんと呼ばれた女が笑顔で近づいてくる。
その姿はスマホに映っていた若い女だ。
ただ、その若い女も人ではなかった。
後ろ姿はスマホに映ったまんまであったが、正面を見てみれば目玉が4つも顔に埋め込まれている。
「こちら野村さん。ここの受付でハントリストを作っている方だよ」
「こんばんは。野村です。といっても人間界での名前ですが」
「え、あ、はい、こんばんは」
つい頭を下げて挨拶してしまう。
そんな私の姿を野村さんは4つの目が笑う。
「実はね、彼女がここに来たことを見てしまったみたいでね。浮気だと勘違いされたんだ」
「まぁ! でも、そりゃこんなホテル街にも来れば疑いもするわよね。ごめんなさいね、変なところに立地してしまって。でも、こういったところのほうが色々と都合がいいの」
「そ、そうなんですか」
それからも彼と野村さんの浮気ではないという証拠なんかを聞いた。
何より女だと思っていた野村さんは男だったそうで、人間の姿ではない本来の姿を見せてくれた。
なるほど、と思える姿がそこにあった。
浮気が解消されたがまさかこんな世界が広がっているとは思わなかった。
野村さんの厚意で出してくれた目玉入りのカクテルを飲みながら、彼の話を聞いた。
どれもこれもが信じられないファンタジーのお話だったが、実際にここにいる方々を見れば納得もいく。
「ごめんね。こんな僕で」
「いや、浮気じゃなかったならいいよ……でも、なんだか信じられないな」
目の前に広がる世界を見る。
視界に映る方々は皆人間ではない異形。そのどれもが神秘的で、まるで映画の世界にでも入ってしまったようで、私はいつまでも見惚れてしまっていた。
「こんな僕だけど……ずっと一緒にいて欲しいんだ」
真剣な目をした彼が手を握る。
白く透き通った肌。しなやかな指先。中性的な顔立ち。
こんなに美しい彼が吸血鬼……なんていうのもなんだか納得してしまう。
「うん、いいよ」
「良かった。これからもよろしくね。愛してるよ」
「私も、愛してる」
重なる唇。
煌びやかな異世界で、私は吸血鬼と恋をしていた。