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荊の冠  作者: 宮城奈々
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冬馬

 飾ってある絵よりも、その女性の横顔に視線が吸い寄せられてしまった。

 ドラマの撮影の空き時間に、なんとなく入った美術館だった。常設展無料と書かれていたからだが、入ってみたら意味のわからない形にされた石やら、かき集めて固めた金属やら、何がいいたいのかわかないような物体ばかりが並べられていた。

 だから無料なんかな?と自分の中で勝手に決着をつけて、今度はお金を払って、どこかヨーロッパの美術館から借りてきたという絵画展に入ってみた。

 吹き抜けのあるホールの階段を上がって二階がその展覧会。

まず思ったのが、これなら見てわかる、だった。風景が風景で、花が花で、人がちゃんと人の形をしていたから。

 宗教画、風景画、人物画、果物や狩りの獲物を描いた絵は静物画というのだっただろうか。濃淡をつけているだけなのに、描かれたぶどうが摘めそうに見えるくらいリアルだ。

 どこかで観たことのある絵もあった。そういう絵の前は人の数も多い。きっと有名なのだろう。もっとちゃんと観てみたいが、さすがに人の詰まっているところに入っていくのは躊躇われた。

みんな絵の方ばかり見ているし、オレも伊達メガネにマスクという防備はしているが…どうしようかと視線を少し逸らしたところで、オレは捕まってしまったのだ。その女性に。

 形のいい横顔だと思った。

 頬にかかって流れ落ちる髪が綺麗で、次の絵に移動しようと彼女が少しこちらに背中を向けた時、揺れた髪や長いスカートの動きにそのまま視線がついて行ってしまった。

正面からの顔が見てみたいと思った。横顔と正面からでは印象が全然違う。後ろ姿と顔はさらに違う。

 佇まいで視線を持っていかれるほどの出会いはめったにない。そのめったにない出会いでも、顔を合わせてみると、描きかけたイメージとは違いすぎていて、自分の想像力のなさに、いや想像力のたくましさに、いい加減学習しろよ、とその度苦笑いをすることになる。知り合ってそのひととなりがわかってくれば、そんな最初の印象や想像なんて良くも悪くも描きかえられてしまうのだけれど、それでもやっぱり顔を見てみたかった。横顔は、後姿ほどは裏切らないが、顔っていうのは配置のバランスが意外に物をいう。期待はするな、という心の声に、期待って勝手にしちゃうもんだろ? と切り返す。

 オレは彼女を追った。一つ前の絵に先回りすればいいだけのことなのだ。

 そうして歩きかけた時、ポケットの中で仕事用の携帯が震えだす。心の中で舌打ちをしながらも、オレは少しだけ人のかたまりから離れ、携帯を取り出し、受けた。

声をひそめて「すぐ戻ります」とだけ言って切る。

 表示は見なくても相手がマネージャーなのはわかっていた。撮影に戻れというお呼び出しなのもわかっていた。

 なんてタイミングだ。オレは焦った。

 すぐに戻らなければならなかった。だからよけいに、彼女の顔が見てみたくなった。

 もしこのまま美術館を出てしまったら、二度と会えないことをいいことに、どれだけ美化した肖像画を妄想力で描いてしまうことか…。

 オレは早足で彼女を追い越した。そして、振り返る。

突然割り込まれたことに驚いたのか、彼女がオレを見た。


 目が合ってしまった。


 そう、あるんだ、こんなことも。


 やばい。一目ぼれ。

「あの、えっと…」

 どうする。今を逃したらもう会えない、確実に。

 オレは持っていた携帯を両手で彼女の前に捧げ、頭を下げた。

「後で電話します。これ、持っててもらえませんか」

 …異常だ、かなり。その自覚はある。こんなことしたって、ただでさえ目の前にマスク姿の見知らぬ男が現れ、わけのわからないことを言っているのだから。普通は恐ろしくて逃げる。自分でもそれがわかっていながら、でもお願いします、とオレは祈っていた。本気で祈っていた。どうか受けとって下さい。

 それほど間はなかったと思う。けれどものすごく長い時間そうやって携帯を差しだしていたように感じていた。

 すっと手が軽くなり、携帯の重さがオレの手から消えた。

 オレは恐る恐る顔を上げた。彼女は当惑気味に携帯を見つめている。そうやって伏目がちにしていると、長いまつげがよけいに彼女の表情に影をつくって、見ているこっちがせつなくなる。

「…あの」

 彼女がふっとオレを見上げて何かをいいかけ、周囲を気にするようにまた視線を外す。困らせているのがわかって、ただでさえ上がっていた心拍数がさらに加速する。

「突然こんなことしてほんとにすいません。でもお願いします」

 オレはもう一度頭を下げてから、走り出した。

逃げたわけじゃない。本当に行かなければならなかったのだ。もし行かなくてよかったのなら、こんなに苦し紛れな手じゃなく、ただの危ない奴でもなく、もうちょっと知性というか心に響く声のかけ方というのも使えたかもしれない。でもしかたがなかった。馬鹿でも異常でも何かつながるものが欲しかった。でなければ一生後悔すると本気で思ってしまったのだ。

 オレは走って美術館を出た。そのままロケ現場まで走る。走り出す前から全力疾走していた心臓に足が走らされているような感覚だった。



 ロケが順調だったのは奇跡だ。

 絶対につなげたい縁だった。でも、強引というか、あの女性にとっては唐突で、意味不明の行動をする男なんて、印象が悪い方で覚えられただろうな、と不安だった。1カット1カット、異常な集中力で取り組めたのは、その不安に思考が向かないための防衛本能的なものだったのかもしれない。でも、ノッていての集中力ではないからか、ちょっとしたはずみで切れてしまい、頭は携帯を渡した時の場面に引き戻されてしまう。

 あの携帯自体が捨てられたりしていないだろうか。そうなればもう、連絡のつけようはない。美術館で張るなんてことは現実に不可能だし、あの女性だって一度見た美術展にまた来るなんてこと、たぶんないだろう。

 どうすりゃいいんだろうな、こういう時は。

 そうしてロケが終わってマネージャーの沢井さんのところへ戻ると、

「おまえ、携帯落としただろう」

と言われ、あの携帯がオレの目の前に差し出されたのだった。

「…これ、どうしたんですか?」

 オレは携帯を受取り、しげしげと見る。

「なんだ、落としたことにも気がついてなかったのか」

「いや…うん、まあ」

「わざわざ届けてくれたんだ、とても綺麗な女性が」

「え? どうして」

「美術館で拾ってどうしようかと思って外にでたら、携帯落としたおまえがロケやってたって」

 オレが黙っていると沢井さんは重ねて、

「ほんとに綺麗だったなぁ」

 と言う。なんかむっとした。そんなことは言われなくてもわかってる。よくわかっている。オレが先に見つけたんだから。

 …気づかれていたのだ。オレが三条冬馬だって。もしかしたら最初から。だから携帯を受け取ってくれたのかもしれない。そうだよな、相手が変質者だったら受け取らない。ああ、でも何されるかわからないから怖くて取りあえず受け取っておいて、警察行くとかするか。だからやっぱりオレだと彼女はわかってた。わかってて、返してきたのだ。さっさと返して消えるってことは、相手が芸能人だからと言って、知り合えてラッキーとさえも思ってもらえなかったということ…。普段ならほっとするような反応なのに、がっかりする。でも、そういう女性でよかったって気持ちもある。

 ぐるぐるぐるぐる。そんなことばかり頭には浮かんでくる。考えたって状況は何も変わらないのに。

 車に乗って一旦事務所に戻る。この後は…なんだっただろう。

 すっかり呆けていた。携帯と気持ちを渡して、携帯だけが戻ってきて。



 ため息の連続でその後のスケジュールをこなし、自分の部屋に戻ると、オレはその日最大級のため息をついた。

 やばい。まずい。立ち直れない。

 あんなドン引きな行動とってしまったことも、それをさらりとかわされたことも、ころげまわりたくなる恥ずかしさだ。もう会えないのだろうから、恥ずかしいもなにも自分だけのことだが、会えないからこそ、こんな「変な男」で彼女の記憶に残ってしまうのかと思うとやるせない。どうせならかっこよく残りたかった。

 たったひと目だったのに、それ以上がないとわかった途端にこんなにもダメージを受けるとは驚きだった。

 荷物を部屋に放り込んで、シャワーを浴びた。

 明日も早いのでさっさと寝るに限るのだろうが、眠れそうにない。部屋に戻ってテレビをつける。鞄から台本を出して、でも結局それはテーブルの上においたまま携帯を手にした。個人用の携帯のメールやメッセージアプリをチェックする。友達やメンバーからの連絡ががたまっていたが、とても返事を出す気分ではなかった。仕事用の携帯もチェックしてみる。一時はあの女性の手の中にあったのだ。うらやましい。いやそうじゃなくて。

「手がかり、なんてあるわけねえよな。携帯自体が戻ってんだから」

 だいたい、ロックがかかっていたのだ。何か残せるわけがない。

「あ」

 ふと思いついて、アルバム画面を開く。写真は、ロックがかかっていても使える機能のひとつだ。

「…あった」

メールアドレスが打ちこまれた、携帯のテキスト画面の写真が残っていた。オレが写したものじゃない。アドレス以外に何の情報もないが、あの女性のアドレスとしか考えられなかった。

 オレは個人用の携帯メールの新規作成画面を開き、そのアドレスを一文字一文字確認しながら入力する。早くメールが打ちたいのに、自分でアドレスを入力するなんて初めてのことに手間取り、

「なんでアルファベットなんだよ」

 痛いほど高鳴る心臓に揺らされて手元もおぼつかず、毒づいて焦りをごまかす。誰もいないのに。

題名には、「こんばんは」

そして本文に入る。


”お元気ですか?”


 ……って何だよ、それ。

 文字をクリアにしてから考えた。携帯届けてくれてありがとうございました。か? でも、落としたわけじゃない。手渡ししておいて、それも何か違う。


“こんばんは。今度会ってもらえませんか?”


「って、ぜってえ返事来ねえよ」

 文字を入力しては、消した。手紙を書いては丸めて捨てる、そんな絵が浮かんだ。昔ならきっとそうしていたんだろう。考えただけでも面倒だし、今じゃ環境問題だ。

 ずっと簡単なんだ、昔に比べたら。そう、諦めるにはまだまだ早い。

 細く細くつながる糸を少しでも強くできるように、まともな文章を書かなければと思った。行動にインパクトはあっても、印象は変な奴だったに違いない自分を挽回するためにも。


”こんばんは。今日横浜の美術館で会った三条冬馬と申します。今日は携帯”


 いや、そもそも糸の先があの女性につながっているのかどうかさえあやうい。このアドレスは彼女が適当に入れたものかもしれないのだ。別の人に届いてしまう可能性だってある。名前を入れないと失礼になるかと思ったのだが、立場上気をつけなければいけないのもわかっていた。

”こんばんは”だけを残し、文字を消した。

 気が付けばすでに時間は一時近くになっていて、気持ちばかりが焦ってくる。テレビから聞こえてくる笑い声が耳についてきてうざったらしい。テレビを消し、そのまま窓を開けに行き、つっとベランダに出た。

 空気が涼しい。部屋の中はずいぶん空気がこもっていたのだとわかった。熱くなっていた頭も冷えてくる。

 オレはしばらくそうして緩い風にあたっていた。

 もう寝てるかな。

 手から離せないでいる携帯を目の高さまであげた。


”昼間は失礼しました。残されていたメアドがあなたのだと信じて返信します。

夜分にすいませんでした。このメールで目が覚めないことを願ってます。”


 メールを送信して、部屋の中へ戻った。

 空飛ぶんだな、文章が。名前も住所もわからない女性のところに。

 すげえな、こいつ。

 ちょっと、携帯を尊敬したくなった。



 翌朝。

返信はきていなかった。

 けれど少しは眠ったせいか、それとも夜が明けたせいか、昨夜のような焦りは消えていた。

 起きて十分後には沢井さんの車に乗って仕事に向かっていた。車の中で、自分では流動食と呼んでいる栄養入りゼリーを飲む。便利だけど、中味を全部吸いきれたためしがなくて、それはそれで損した気分にもなるしろものだ。

 窓の外の景色が、昇りたての太陽の色で黄色ともオレンジともつかない色に染まって綺麗だった。走る車もまだほとんどない。広い道路が空いているのは気持ちがいい。

 今日も一日仕事。でも仕事自体は好きだった。毎日どうしようもなく忙しくても、自分を試すっていうのはやりがいがある。

 同じことを繰り返す仕事をルーティーンワークというのならば、オレの仕事は演技をするのも歌を歌うのも踊るのも、同じであって決して同じことはない、螺旋階段を登るようなものだと思う。ぐるぐると回りながら登っていると目が回って、時々自分がどっちを向いているのかわからなくなるけれど、ふと立ち止まって下を見ると地上が少しは遠くなっていたりする。そう実感できた時が最高におもしろい。だまし絵みたいに、登っているつもりで、気が付くと降りていることもあるかもしれないけれど、その時はその時。何にしても今は、何がやりたいか、何ができるかなんて考えるよりも、何でもやることだ。行き着く先なんてなくていい。

 今日のドラマ撮影はスタジオだ。ロケみたいに時間に制限がない分、はまるとエンドレス。途中で抜けて歌番組の収録もあるので、切り替えをうまくつけないと今日という日は二十四時間では終わらないこと確実だ。

 空き時間に携帯をチェックした。画面に新着メールがあることを示すアイコンが出ていた。


”おはようございます。今日の調子はどうですか?

ドラマのお仕事がんばって下さい”


「…」

 オレは目を見開いて、画面に表示されている文字をじっと見た。ドットが数えられるんじゃないかというくらいしっかりと見た。

 署名も何もなかった。今後に期待できるような言葉でもない。

 それでも心の底から嬉しかった。つながった。糸はこれで一往復。

 すぐに返信の画面を呼び出す。が、昨日の自分で思いしらされたように、即座に返事が思いつくような才能はオレにはなかった。悩んでいるうちに待ち時間だってなくなってくる。


”おはようございます。返事ありがとうございました。オレは元気です。よかったらまた返事下さい。待ってます。”


 タイムリミットぎりぎり、オレは思いつくまま打ち込んで送信した。

 しっかし、文才ねぇな。

 名前も入れ忘れていた。その上、ただ返事下さいでは向こうだって困るだろう。話題ぐらいふるべきだったと後悔した。

 それでも彼女は返事をくれた。”今日も撮影ですよね?”と。だから次は少し長めのメールを返した。

 ドラマの題名や役のこと、昨日のロケがいつオンエアされるのか、そんなことを。

 オレが芸能人だからメールをくれたのかもしれない。オレ自身じゃなく、作られたイメージに惹かれておもしろがっているのかもしれない。そんな風にも思っていたけれど、今はそれでもいいと思った。姑息な手段といってしまえばそれまでだけれど、どうしたって別の誰かになることなんてできはしないのだから。


”そのドラマ、毎週見てます。放送楽しみにしてますね”


 ニ往復。

 オレはニ往復半目のメールを書き始めた。



 八往復目のメールでやっと彼女の名前を知った。彼女の名前は里中秋葉といった。


”冬馬くんの名前は本名なんですか?”

”三条冬馬は本名です。たいそうな名前ですけど、親が馬好きで、冬に生まれたってそれだけです。”


 そんな短いやりとりのあとだった。


”私は里中秋葉といいます。三人兄弟の末っ子で、上がしゅんや、あやか、それぞれ春哉、彩夏、って書きます。もうひとり、冬の名前の兄弟がいたら四季が揃ったのにね、って姉と話したこともあったので、冬馬くんの名前を知った時はちょっと親近感持ちました。”


 里中秋葉。綺麗な名前だ。瞬時に頭が、一面紅葉した山里にたたずむ秋葉さんの映像を作り出す。

 例えばある人の、顔より名前を先に知っていたら、名前からその人の顔をイメージしてしまうものだけれど、会ってみたら想像していたのとは全然違うということはよくある。いや、イメージ通りなんてことはまずない。まあ当然かもしれないが。親は期待をこめて、優しかったり綺麗だったりする文字を選ぶのだから。

 でもオレは秋葉さんを知っていて、顔を含めて全体の雰囲気とかそういうのに一目で惹かれてから、この名前を知った。里中秋葉という氏名から、その一字一時から受ける印象が、あまりに本人にはまりすぎている。

 それに、名前に季節が入っている共通点があったことが嬉しかった。オレを冬に産んでくれた母上に感謝だ。

 が、しかし。やっぱりきたか、弟攻撃、と少し気持ちが下がる。

 年下と付き合う女の人は増えているし、年上好きの男もけっこういる。なのに、最初から年下の男を恋愛対象としてみてくれる女の人は少ない。かわいいといっていくらでもかまってはくれるくせに、ドアは開けてくれない。少しは好きだって思ってくれているはずなのに、踏み出してもらえない。こっちがガキで頼りがないってこともあるし、男はみんな若い女が好きっていう思い込みがあったりするから、とさる“お姉さん”から聞いたことがある。

「今はよくても歳をとったら若い女の子の方にいってしまうとか心配だしねー」

なんて言ってもいた。

 でも育つチャンスをくれって言いたい。最初から予防線張らないで欲しい。

 

”非通知でいいから電話下さい。”


 メールの往復回数が二桁をいくつも超えた後、悩みに悩んでメールの最後の一行にオレの携帯の番号を書き、送信した。

 番号を教えて、何かに利用されるとかそういうことも考えてみたけれど、そんな女性じゃないということはほとんど確信していた。秋葉さんと話がしたい、声を聞いてみたい、その欲求は体内を食われてしまうほどに広がっていた。


”何時に電話すれば大丈夫ですか?”


 ドラマはクランクアップに向けて、連日日付が変わるまで撮影が入っているし、合間をぬって夏のコンサートツアーのリハーサルやら歌番組への出演予定もあるし、新しく7月から始まる連続ドラマの出演も決まっている。2クール連続でドラマなんてよく事務所が決めたな、って思ったが、オレはやりたかった。しばらくは休みゼロでいい、と思っていたのに、そんな時に限って、だ。普通の時間帯でゆっくり電話をするような時間もないことに今更ながら気がついて焦った。電話をくれるって言ってくれているのに、こっちから頼んだのにオレの方に余裕がないなんて。

 清く正しい文通だけの関係から、感情の入る会話ができるように早くなりたくて、オレが焦りすぎたってことか。

 何やってんだよ、オレ…。

「なあ、英輔」

 オレはたまたま控え室で二人だけなってしまった同じグループのメンバー、楠本英輔に声をかけた。

「おまえ、彼女とうまくいってんの?」

「どういう質問だよ、それ」

 英輔は苦笑しながらやってきて、オレが座っているソファーの前のテーブルに座った。

 英輔の彼女は一般人だ。中学の頃から付き合っているという、安定しているといえば安定した付き合いをしている、らしい。月単位で彼女が変わるやつとか、複数抱えているやつに比べたら、一番まともな答えも聞けそうだ。

「この笑顔を見ろよ」

 そう言って、満面の笑みをオレの顔の前に突き出した。

「で、冬馬は何が訊きたいんだよ?」

「いや、どうやって連絡とってんのかなーって思ってさ」

「連絡? ラインと電話」

 その他にあるのか、連絡方法が、と突っ込んでやりたいほど当たり前の答えだった。

「…じゃなくてさ、いつ電話するとかそういうの」

「そんなの、仕事終わったらとか、あとは放課後の時間帯とか、いくらでもあるよ」

 そうか、英輔の彼女は大学生だっけ。それなら確かに時間はある。

「何だよ、おまえにもとうとう彼女できたのか?」

「そんなんじゃねえよ」

「ってことは片思いか」

「おまえね」

「冬馬から電話すりゃあいいじゃん」

「番号知らない」

「ありえんの? そんなこと」

 むかつく。どうせ幸せなこいつにオレのこのせつない状況なんか理解できるわけはないのだ。

「向こうからくれることになってんだよ。で、いつなら大丈夫かってメール来てんだけど、オレの空き時間なんて神様だって知らないだろ?」

「今してもらえば?」

「え?」

「出待ちの今が潮時? これって使い方合ってる?」

「合ってない。でもおまえの言うことはわかる」

 オレは携帯を持って控え室を飛び出し、気がついて英輔に声をかける。

「サンキュ!」

 英輔はにやにやしながら片手を上げた。

 オレは一人になれて電話のできる場所を探してテレビ局の中を走る。走りながら秋葉さんにメールを送信した。

“今、暇ですか? 僕は暇です!”

 携帯の画面には十九時二十六分の表示。もし秋葉さんに今時間があれば…。

 ニ分後、電話はかかってきた。

「はい! もしもし」

『……あの、里中と申しますが……』

 控えめなのは、オレの威勢のよさに驚いてしまったからだろうか。それでも柔らかくて落ちついた声だった。オレは携帯を耳にめいっぱい押し当てて、秋葉さんの声をきく体勢を整えた。

「冬馬です。電話、ありがとうございます。こんなに突然ですいません」

『いいえ。今は大丈夫なの?』

「はい、リハーサル終わって、今は出待ちなんでちょっと空いたんです。ほんとすいません、なんかオレのスケジュールってずれこむこと多くって、時間指定しても出られなかったら悪いし、返事出すに出せなくて」

『それ、私もメールを出してから気が付いて。今夜出し直そうって思ってたの。冬馬くんの方の空いている時間にかけて下さいって』

「……え」

『携帯の番号、表示にしてあるから』

 オレは慌てて携帯液晶画面を確認した。080で始まる、電話番号が表示されていた。

「秋葉さんは」

 勢いよく名前を呼んでしまい、少し離れたところを歩いていた局のスタッフたちがオレの方を振り返った。

「すいません、でかい声出して。あの、何時なら空いてますか?」

『だいたい大丈夫。今は仕事入ってないから。寝るのは…一時ごろかな』

「わかりました。えっと明日…今夜電話しても平気ですか?」

 今夜? と秋葉さんは困惑したように訊き返してきた。…しまった、オレは浮かれ過ぎてる。

『そうね、明日より今夜の方が私も都合がいいかもしれないわ』

「じゃあ、今夜電話します、よろしくお願いします!」

 オレは携帯を耳にあてたまま、体を半分に折るようにして頭を下げた。なんで相手に見えないのに、電話で頭を下げてしまうのだろう。ホントにもう、気持ちが入りすぎていた。

一度会ったきりで、いや、見かけたに近いくらいの出会いで、こんなに熱くなれるものなんだろうか。

『無理しないでね。かけられなかったらそれでもいいから』

 秋葉さんは最後にそう言ってくれたが、何があってもかけるぞ、とオレが心に決めたことは言うまでもない。足取りも軽く控え室に戻ると、英輔以外のメンバーも戻って来ていて、「早く着替えろよ」という声が飛んで来る。

 気合気力とも充分。秋葉さんがここまでオレの気持ちを引っ張り上げてくれたから沸いてくるエネルギー。オレはもっとがんばれる。                              



 メールでやりとりするより何倍もの早さで、オレたちはお互いのことを知っていった。今日のこと、過去のこと、これから始まること、思ってること、感じたこと、とりとめもなくお互いの世界を交換し合う。

それでオレは秋葉さんが記録の仕事をしていて、近いところにいたことを知った。なんでこれまで会えてなかったんだ? そんで仕事外の場所で出会うんだから、世間は広いんだか狭いんだか。

 耳元で聞こえる秋葉さんの声は、ぐちゃぐちゃに忙しかったその日を解きほぐしてくれる。まるで頭のマッサージをしてもらっているみたいに心地よかった。

 低くもなく高くもなく、落ちついた話し方。明るく話していたかと思ったら、オレの話に相槌をうつ時は少し深いところから出てくるような色っぽい声になる。話すのは大抵夜だということもあって、そうなるとこっちはたまらない。何を話していたんだか忘れてしまうことさえあった。そうすると秋葉さんは『疲れた?』と訊いてくる。どうしてこの女性はこんなに鈍いんだ、ともどかしくなる。

 週に二度は電話して、それ以外の日もメールは出していた。ここまでしてもオレの「好き」は全く伝わらないのだ。だいたいオレがあの日美術館で携帯を渡した時点で、ナンパだってわかりそうなものなのに、秋葉さんは、

『携帯って、どこでもつかまっちゃうでしょう? この人はちょっと逃げたくなっちゃったんだな、って思ったの。でも外にでてみたら、冬馬くんちゃんと仕事してて。がんばってるなあ、って感心しちゃった』

 と、独自の視点で解釈していたのだ。どこをどうしたらそういうストーリーが作れるんだか、呆れすぎて言葉も出なかった。そしてそれは同時に、オレの完全なる片思いだということでもあった。恋愛対象じゃない、だから秋葉さんはこんな風にある意味無防備で、オレの言動とか行動の意味を考えようとしないのだ。

 ちゃんと言わないと伝わらない。わかってる。でも片思いだってわかってて、自爆するのも馬鹿らしいし、どうしても訊けないことがあって、ブレーキがかかるのだ。それは、付き合っている人がいるのかどうかということ。最初に訊くべきことなのに、訊けなかったのは恐かったからだが、こうやってどんどん惹かれて後戻りなんてできなくなると、オレはさらに怖がりになる。

 こんだけ夜に電話しててだいたいつかまるのだから、特定の相手はいないのだとは思う。でも、この日は仕事だから、と最初から電話に出られない日は告げられているから、電話がつながるのだ。仕事だと嘘ををつかれているとは思わないし、つく理由もない。それがわかってても不安になる。



「よろしくお願いします」

 模範的とも言うべき角度で身体を曲げ、きっちりとした挨拶をする妹役に、オレもいつもより丁寧に挨拶を返した。

 この娘が、篠田明日羽。

 七月から始まる新ドラマ「みんな元気だった?」の顔合わせの日、今回オレが演じる倉本等の妹、可奈役の明日羽と初めて会った。

『次のドラマで明日羽ちゃんと共演するんですってね』

 数日前の電話で秋葉さんがそう言ってきた。

「何で知ってるの?」

『明日羽ちゃんをちょっと知ってるの』

「へえ、そうなんだ」

『すごくいい娘だから、よろしくね』

 どういう知り合いなのかは訊かなかった。たぶん、仕事つながりだろう。女優としての彼女はオレも気になりだしていたところだったが、正直、本人に興味はなかったから。

歳はまだ十六で、一、二年くらい前にCMでデビューしたと聞いている。その後、映画の端役やCM、ミュージックビデオなんかに出て、今年になって公開されたミステリー映画で、生き別れた双子の二役を演じ、注目を浴びた。事務所の先輩が出ていたから、オレもその映画は見ていた。物語のキーパーソンではあったが、出番はあまりない。それでも、その短い出演時間の中でちゃんとそれぞれの人格になっていた。

 明日羽の演技は説得力があったと思う。だが、こう言っては何だが、彼女が演じた、世の中をなめた女子中学生とおとなしくて目立たない姉妹なんて、極端すぎるから演じ分けやすいとも思う。確かに顔はかわいい、というか美人とっていい部類だ。だからこそ怒る役だったり影があったりするのも映えるともいえる。

 スタッフ、出演者の挨拶が終わると、物語の説明がなされ、第一話の読み合わせ。

 明日羽とのシーンは、オレが学校から帰ってきて、家の玄関を開けるところから始まる。


 等  「ただいまー」

 家の奥から可奈が飛び出してくる。

 可奈 「おかえりっ、お兄ちゃん」

 等、靴を脱いで家に上がる。逆に可奈は靴をはき出す。

 可奈 「もー待ちくたびれちゃったよー。私、塾に行ってくるから、お留守番お願いね」

 等、振り返って可奈を見る。可奈も振りかえり、等と向かい合う。

 可奈 「宅急便が届くんだって、受け取っといてね」

 等  「それで待ってたのか? 急いでたんなら、携帯に電話してこいよ」

 可奈 「あ、その手があった」

 等  「おまえ、そんなに抜けてて大丈夫なのか受験」

 可奈 「大丈夫、そういう問題は試験に出ないから」

 等  「そういう問題じゃなくってさ…」

 等のセリフに可奈の「いってきまーす」という声が重なる。



 経験したことのあることでも改めて考えるとわからなくなるような、すごく“日常”なシーンだ。簡単で難しい。オレが演技を始めたばかりの頃は、どういう力加減で言葉を出すかで悩むような場面だったが、するりと済んでしまい、あとから、あれ? と思った。何も引っ掛からなかったな、と。

 その違和感のなさは、撮影が始まってからも同じだった。

「はい、カット」

 その後テイク2を撮り、モニターチェック。等と可奈のセリフに合わせたカットバックは忙しくてうるさいかと思っていたのだが、実際見てみるとテンポがよくて気に入った。

 やっぱり演じやすい。

 リハーサルの時から感じていたことを、モニターを見て確認する。

 セリフというのはやはり会話なのだ。相手の言葉の調子に合わせてこちらも変わってくる。最初から演出が入ることもあるし、日常の一コマのようなシーンなら、オレたち役者に任せられることもある。今のシーンに関しては後者だが、読み合わせの段階から大した打合せもしていなかったのだ。まだ兄と妹の互いの関係もできあがっていない。なのにすんなりと入ることができた。こんな何でもないことでモチベーションもあがる。

 明日羽が出演するシーンはあまりない。第一回目放送分の撮影も今日一日で撮り終わる。もったいないな、と正直なところ思った。もっと出番あってもいいんじゃないかって。

 今日で撮り終わる明日羽とは、次の放送分の撮りまで会えないということになる。本読みの時は時間がなくて全然話ができなかった。でも今日なら。オレは打合せの合間を見計らって訊いてみた。

「里中秋葉さんの知り合いなんだって?」

 それまで新人らしく、神妙な表情をしていた明日羽がいきなり「え?」とオレを見返した。その表情を見て、オレはやっと明日羽本人に会った気がした。

「秋葉さんを知っているんですか?」

 それでも言葉遣いは丁寧だった。

「ちょっと。秋葉さんから聞いてなかった? オレのこと」

 明日羽は首を横に振った。

 オレはへこんだ。かなり。それってつまり、オレとの関係は自慢でも、秘密を打ち明ける小さな幸せでもないってことだ。

「…オレは、秋葉さんから篠田さんのこと聞いたんだけど。ちょっと知り合いだって」

「ちょっと知り合い…うーん、ちょっとではないんですけど。最近は会ってなかったから、三条さんのことは聞く機会がなかっただけだと思います」

 それはめちゃくちゃ気になる発言だった。ちょっとじゃない知り合い?

 つまり、秋葉さんの情報を持っているってことか?

 そのあとすぐに撮影が再開され、それ以上の情報を得ることはできなかった。

 よけい気になるじゃないか。

 オレは明日羽の様子をちらちら伺いながら、その日一日心の中でため息をついていた。



「今日の撮影、篠田明日羽さんと一緒だったよ」

 その夜、秋葉さんに電話をかけた。

「でも向こうは秋葉さんからオレのこと聞いてなかったって、びっくりしてた」

『話す機会がなかったの。あの娘も忙しくて』

 と、秋葉さんも明日羽と同じことを言う。そういや名前の響きがそっくりだということに、今更ながら気がついた。

『冬馬くんに私のこと訊かれたのはさっき聞いたわ、明日羽ちゃんから』

「え…?」

『あ、ちょっと待っててね』

 明日羽ちゃん、と呼ぶ声。そうして数十秒後、だったと思う。

『もしもし』

 聞こえて来たのは秋葉さんの声ではなかった。

「…」

『三条さんですか? こんばんは。篠田明日羽です。今日はありがとうございました』



「複雑な家庭事情というか…今私は篠田さんという遠縁の方のお家でお世話になっていて。あ、私、本名は西嶺明日羽というんです。それで、元々私が暮していたマンションは、秋葉さんに借りてもらっているんです」

 次の週の現場で、明日羽は自分からオレのところに話に来てくれた。

 それより前にオレは秋葉さんから、明日羽とのつながりだけは聞いた。

『えっと、私の姉の旦那さんのまたまたいとこ? いとこのいとこ? なのよ』

 …さっぱりわからなかった。

 その時秋葉さんからは、明日羽ちゃんのことは明日羽ちゃん本人から聞いた方がいいわ、と言われた。私が話すことではない、と。

「秋葉さんからは、またまたいとことかって聞いたけど」

「…それって日本語としてありなんですか?」

「さあ?」

 明日羽はちょっと笑顔を見せて、とにかく血縁としては遠いんです、と言った。

「私の母と、篠田のおばさまがはとこ同士、秋葉さんのお姉さんの旦那さんが圭一さんといって、その篠田のおばさまの息子です。だから私と圭一さんはまたまたいとこってことになるんです」

「なんかわかったようなわかってないような」

「一応関係を説明しただけですから気にしないで下さい」

 どうやらわからなくても問題はないらしい。

「仲良さそうだな」

「いいですよ。一時期一緒に暮らしてもらったし」

 なんと。

「うらやましいですか?」

「すげえうらやましい」

「本気で言いましたね」

 本気、と言いながら、明日羽の表情にはからかいがあった。彼女は、秋葉さんからどこまで聞いているんだろう?

「うん、本気」

 オレは真面目に答えた。答えてから明日羽を見ると、明日羽も真面目な顔でオレを見ていた。秋葉さんには全く伝わらないことが、彼女にはあっさり伝わった。

「どうして」

 明日羽はぽつっとまずそれだけを声にして発した。そして少しして、言い足した。

「会ったのは一度だけって聞きました」

 たった一度会っただけで、どうして本気になれるのか、そう訊きたいんだろう。

 どうして?

 どうしてなんだろうな、その人を限定で好きになっちゃう理由って。

「会ったのは一度だけだけど、会話はしてるよ」

「みたいですね」

「なんかさ、秋葉さんはマイナスがねえの」

「…マイナス」

「うん。友達でも仕事仲間でも同じことだけど、付き合っていくうちにさ、相手の情報増えて、そこからこんな人だったんだってわかっていって、印象なんて後でずいぶん変わるもんだろ。秋葉さんに最初に見かけた時、すげえ綺麗って目惹かれて、ホント惹かれて、それで終っちゃうの嫌で、それで声かけたんだけど、その時点では完璧な理想の女性だったんだよな。どんな女性かわからないから、いくらでも理想化できて。そんな100%から始まってるから、普通ならなんか違うって下がるとこありそうなもんなのに、全然下がんねえの。…積もってくんだ、プラスだけ」

 ほとんど独り言だった。自分でも確かめてたのかもしれない。それでも全然、どうして好きかって答えにはなってなかったけど。

 撮影現場は誰もが忙しい。立ち話をしているようでも、それは立派な打合せだ。こんな風にオレと明日羽だけが、撮影所の隅で何もしないで、何も話さないでぼんやりスタッフの仕事を見てる。

「会いたいですか?」

 しばらくして、明日羽が訊いてきた。

 うん、とオレが頷くと、明日羽は笑いを含んだ声で「当たり前ですよね」と小さく言った。

「みんなでごはんでも食べられたら楽しいわね」

「え?」

「って、言ってました。秋葉さん」

 オレはまじまじと明日羽を見た。嘘じゃねえよな? からかってねえよな?

「みんなで、ってことは私もいるってことですよ。三条さんと秋葉さんの二人っきりってわけじゃないですから」

 それでも!

 オレは明日羽の方に身を乗り出し、何度も頷いた。明日羽が呆れ顔でも、オレには彼女が天使に見えた。



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