第六話 邪教の残滓
クォール神殿がこの地に築かれたのは、およそ四百年前の事である。
その祭壇には古代から原住民達が信仰し続けてきた、地母神クォールが祀られていた。
その後、三百年前に起きた世界規模の聖魔大戦に巻き込まれ、魔族側に付いたクォール教は長き戦いの末に敗北し、信者諸共歴史上から消え去ったかに思われていた。
この時に派遣された大規模な討伐軍が後にサイハテールの町を作り、他国文化との交流が活発になるにつれ、多くの冒険者達が訪れるようになると、地元住民の生活や文化・信仰などに影響を及ぼし、人々の記憶からクォール教は忘れ去られ、遺跡のみが過去の繁栄を物語るだけとなっていた。
神殿内には今も戦いで命を落とした信者たちの怨恨が根強く残り、姿形を変えて魔物を呼び寄せているものだとされていた。
食欲を刺激する、香しい匂いにルシアの胃袋が素直に反応し、盛大な音を立てた。
それが余りに大きかったため、彼女は自分のお腹の音で目を覚ました。
「何だろ?いい匂いがする……すごく甘ーいお菓子のような」
起き上がろうとしたルシアは、自分の身に起きている異変に気付いた。
いつの間にか体が台座の上に横たわり、両手両足首には枷がはめられ、自由を奪われていた。
「何これ?え、ちょっと!?」
「あら、お目覚めかしら?」
困惑するルシアの足元には、見知らぬ男が立っていた。
「おはよう、そして我が神聖なるクォール神殿にようこそ」
野太く低い声の持ち主は、着ている僧服の上からも分かるほどの鍛えられた肉体を有した大男だった。
「初めまして、私はアシュレイ。この地下神殿の司祭長よ」
丁寧に撫でつけられた黒髪に、髭を剃ったばかりのような青い顎がやたらと目立った。
「どうも初めまして、ルシアと申します。こんな格好で失礼します……ってお前か!私をこんな風にしたのは!」
「あらあら神に仕える貴女が、そんな言葉づかいをするなんて、まあはしたない」
「あ、すみません、ついかっとなって……」
「いいのよ別に、誰だってそんな風にされちゃ怒って当たり前よね」
「これを外してもらえませんか?」
ガチャガチャと音を立てながら、もがくルシアの体を舐めまわすような視線でアシュレイは見ていた。
「残念だけどそれは無理な相談だわ、何しろ貴女は大事な大事なイ・ケ・ニ・エ、なんだもの」
ルシアの顔からさっと血の気が引いた。
「辞退してもいいですか?」
「だ~め。だって貴女のような特級品なんて滅多にお目にかからないんだもの。若くてとってもナイスバディだし、しかもイケニエとしては価値の高い神の使徒……それに餌として神殿のあちこちに撒いた私のお菓子に釣られるなんて人、初めてだったのよね」
ルシアが神殿で迷う原因となったのは、自らの方向音痴と通路に落ちていた菓子のせいだった。
拾うことに夢中になり、仲間とはぐれてしまっていた。
すぐに助けを呼べばよかったのだが、遅れた理由を問い詰められたくなかったので、自力で仲間を探そうとしたが結果がこれである。
「あれを作ったのは司祭様だったんですか!」
「そうよ、言っておくけど拾い食いはいけないわよ、特にお仕事中はね」
「ちゃんと紙に包んであったから、大丈夫なのかと」
「慎ましやかな生活を送っているのは分かるわ、私だってそうだし同情しちゃう。でもそのおかげで貴女に会えたわ、まさに神のお導きってやつね、うふ」
会話引き延ばすことで、ルシアは脱出の糸口を探る時間を作ろうと懸命だった。
「お世辞抜きでものすご~く美味しかったですよ!お上手なんですねお菓子作り」
「あらやだ、褒めても逃がさないわよ」
「特に甘さがくどく無くて食べやすいから、何個でもいけそうでした」
「それはそうよ、この土地は昔から甘藷の栽培で有名で、私達の先祖は遥か遠い西方の国々との貿易をしていたの、高額で取引されていたらしくてね、クォール教が発展する資金源になったの。貴女も見たでしょう?宝部屋」
「ものすごかったです、でも戦争とかで財宝は盗まれなかったんですか?」
「戦争が始まる前に、別の場所に隠しておいたのよ。長い年月が過ぎた今、クォール教再興の目処がついたから元通りにしたのよ」
「そういうことでしたか」
思いのほかアシュレイは話好きだった。だが、いくら会話を引き延ばそうとしたところで、やがて話題は尽きてしまう。
「そうだ……せっかくだから私の新作、食べてみる?」
「やっぱりこの匂いはそうだったんですね!」
「今回は自信作よ、是非食べてもらいたいわ。だって私の部下ったら、揃いも揃って甘いものが苦手なのよね、先祖様に顔向けが出来ないったらありゃしない。ちょうどいま粗熱をとってたところ、もうそろそろいい頃合いかしら?」
ルシアが囚われている台座の周りは、天井から吊り下げられた紅いカーテンで覆われていた。
その向こうに何があるのかが分からなかったが、状況から察するとあまり好ましいものではないだろう。
アシュレイは上機嫌らしく鼻歌交じりで、カーテンの向こう側へと消えていった。
その間にルシアは枷を台座に叩きつけてみたが、思った以上にそれは頑丈に出来ていた。
空腹のせいもあって、尚更力が入らない。
「お・ま・た・せ」
トレイの上に数品の菓子を載せ、思いのほか早くアシュレイが戻ってきた。
もがくルシアの様子を音で知っていたのであろう、目だけで枷の状態を確認していた。
「言い忘れたけど枷はミスリル製よ、並大抵の人の力じゃ壊すことは不可能ね。それにあんまり動くと手首とかに傷がついちゃうじゃない。さあそれよりも、まずはこれから感想を聞かせて欲しいわ。食べさせて上げるわね、はい、あ~ん」
されるがままに、ルシアは差し出されたケーキを口にした。
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その頃セクタは、神殿内に落ちていた紙包みを拾っていた。
「またクッキーが入ってたよ。何なんだろね?これ」
「拾い食いはダメよ、セクタ」
「わかってるって、野良犬じゃあるまいし」
マグナも同じように拾い上げ、紙包みの中身を確かめた。
「何かのおとぎ話みたいですね」
「それは違います、帰るための目印に主人公達はお菓子を撒いたのであって、拾ってはいませんよ。正確にはお菓子ではなくパンですが」
マグナの間違いをロゼは不機嫌そうに指摘した。
ロゼが機嫌を損ねている原因は、仮面や自分の読書歴について、セクタが軽々しくマグナにバラしたばかりか、気絶している間に仮面を未使用のスペアに交換されたからである。
「お宝があったって本当だよね?ロゼ?」
「間違いありません、見たら驚きますよ」
「それは楽しみですね」
心を躍らせながら、目的の場所に向かう三人の後ろには、武装スケルトン兵やゴースト、不死者となった元兵隊達が整然と隊列を組み、彼等の後に続いていた。