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  作者: 葵月詞菜


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受験生の息抜き<前編>

【主な登場人物紹介】

笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬 也梛(たかせ やなぎ)…同高校2年生。キーボードを弾く。

海中 諷杝(わたなか ふうり)…同高校3年生。ギターを弾く。


【その他】

臣原 千佳(おみはら ちか)…2年生。矢㮈のクラスメイト。

衣川 瑞流(ころもがわ みずはる)…2年生。也梛のクラスメイト。

築地 果歩(つきじ かほ)…3年生。元合唱部部長。

***

 年明け恒例の『音響(おとひびき)』でのニューイヤー演奏会は、今年も大盛況の中幕を閉じた。

 音楽好きなマスターが国内外問わず声をかけて集った演奏者たちが、それぞれの歌や演奏を披露した。中には普段目にすることのない楽器などもあり、見ているだけでわくわくした。

(マスターは顔が広いよなあ)

 そして、そのマスターの声に集う者たちが世界中にいるのだ。すごい。


 さらに今年は、年若い三人の演奏にも注目が集まった。

 バイオリンを奏でる少女、キーボードを弾く少年、そしてギターを弾きながら歌う少年。

 その場にいた誰よりも得意気に嬉しそうな顔をしていたのは、ずっと三人を見守ってきた店主のマスターだった。



一.

「あーあ、年が明けたらあっという間だなあ」

 友人の臣原千佳(おみはら ちか)がアンニュイな表情で頬杖をついて窓の外を見ている。机の上には申し訳程度に数学の教科書が開かれていた。

 その机に向かい合う形でノートを睨みながら、笠木矢㮈(かさぎ やな)は無意識に「そうだねえ」と相槌を打った。

「今の三年が卒業したら今度はとうとうあたしたちが三年だよ」

 千佳が珍しく大きな息を吐いたので、矢㮈はやっと顔を上げて彼女を見た。

「部活はもう三年生引退してるよね?」

「うん、この前駅伝も終わったから長距離も引退。やっぱりみんないなくなっちゃうと寂しいよね」

 いたらいたでライバルだらけなんだけど、とぶつぶつ言う千佳。

「でも春にはまた新入生が入ってくるよ」

「そうなのよねえ……すでに短距離にすごい子が来るって噂も聞いてるから気が抜けない」

 はああああと大げさにため息を吐く千佳は、現在陸上部短距離走で一番成績を上げている選手である。

「千佳ちゃんは大学でも陸上続けるんだよね?」

「そのつもり。だから成績残して進学に繋げたいと思ってる」

 進学云々がなくても彼女は結果を残すだろうなと矢㮈は密かに思う。

「そういう笠木だってバイオリンで進学するんでしょ」

「まあ……」

 バイオリンとどう付き合っていくか考えた結果、どうせ今一番力を入れたいのがそれならばその道を突き進んでみようと思った。それ以外にやりたいことも特に思いつかなかったのだ。

(だからあたしだって昨年以上の結果を出さないといけない)

 今年も引き続きコンクールに出場する予定である。

「それはそうと、この季節と言ったらバレンタインね。笠木はどうするの?」

「え?」

 突然振られた話に思わずポカンとする。

 千佳はにっこり笑って矢㮈の間抜け面を見ていた。

「あたしはもちろん高瀬君に渡すつもりだけど――あ、笠木の分もちゃんと用意するから安心してね」

「う、うん……」

 別に心配などしていないが、とりあえず頷いておく。と同時に、昨年、あの学年一仏頂面の高瀬にさらっとチョコレートを押し付けた千佳の手際の良さを思い出した。

(高瀬はどういう反応をするんだろうな)

 今年も彼女が一枚上手を行って押し付けてしまうのか。それとも昨年の学びから高瀬が何か対抗策を講じてくるのか。

(まあ、千佳ちゃんがハッピーになれるならそれで良いけど)

 あくまで矢㮈は千佳の味方である。

海中(わたなか)先輩には渡すんでしょ?」

「!」

 話の流れ的に訊かれることは予想していた。矢㮈はスイと彼女から視線を逸らした。

「まあ……去年も渡したし。今までのお礼も込めようと思ってるっていうか」

 特に深い意味はない――つもりだ。だいたい昨年は高瀬にも渡している。義理で。

(千佳ちゃんには言ってないけど……)

 矢㮈は単に音楽仲間として渡しただけだ。恐らく千佳が高瀬に渡したチョコレートに込めた想いとは違う。

 千佳は暫く興味津々の表情でこちらを伺っていたが、その顔に小さく苦笑を浮かべた。

「先輩がいなくなると寂しくなるね。笠木も、高瀬君も」

「――うん」

 今度は矢㮈も素直に頷いた。

 三年は先週から一足先に学年末テストに入っている。諷杝(ふうり)にはいつものように家庭教師役の高瀬がみっちり付き合っていた。矢㮈としては、三年のテスト範囲も難なく教えている高瀬が信じられない。

(でも、高瀬は思ったより大丈夫そうだったな)

 諷杝は高校を卒業したらアメリカに行くという。これを聞いた時はさすがに矢㮈も驚いてショックを受けたが、諷杝を追いかけて彩楸学園に入学した高瀬はさらに衝撃を受けるだろうと想像していた。

 だが、諷杝から話を聞いた後の高瀬は予想外にも通常運転だった。矢㮈の心配など無用だったようで、逆に拍子抜けしてしまった。

 対して諷杝は、そんな高瀬にほっとしているような、少し寂しいような複雑な顔をしていた。もしかしたら諷杝の方が高瀬ロスに陥るのではなかろうか。

(とりあえず高瀬はまだあと一年彩楸にいるってことだよね。あいつ、進路どうするんだろ?)

 彼もまた卒業をしたら諷杝の後を追って行くのだろうか。どちらにせよ、彼は成績優秀なので進学にしても選択肢は多いだろう。

「あ、そこの計算間違ってるよ」

「え、うそ。どこ?」

 ふいに千佳がノートの一か所を指さして教えてくれる。矢㮈は彼女の説明に耳を傾けた。

 そう、二月下旬には、矢㮈たちもまた学年末テストが待っているのである――。



二.

 二月中旬。一足早く学期末テストを終えた三年は自由登校となり、そのほとんどが学校に来なくなった。全員が来るのは週に一度のホームルームだけだった。

 だが高瀬也梛(たかせ やなぎ)のルームメイトである海中諷杝(わたなか ふうり)は、意外にも登校を続けていた。

「お前のことだから喜んで毎日遅起きするんだと思ってた」

 也梛が真顔で言うと、諷杝が頬を膨らませた。

「失礼だなあ。寮にいても暇だから、それなら学校行こうかなと思って」

「まだ佐々木先輩は受験控えてるんだろ。邪魔するなよ」

「しないよー」

 自由登校になったとはいえ、これから受験を控える生徒たちは少なくない。各教室だけでなく図書館やカフェテリアでも三年の姿をよく見る。

 三年間同じクラスで諷杝の世話を焼いてくれている佐々木という男子生徒もまた受験勉強のために登校していた。

「そういえば世良(よら)先輩はもう決まったのか?」

 元軽音部部長のことも思い出して訊いてみる。

「世良君は結果待ちながら一応勉強続けてるみたい」

 ああ見えて真面目なとこもあるんだよねえ、と諷杝はまた失礼なことを言う。

「って、也梛はそろそろ行かないとだよ」

「分かってる」

 登校するとは言っても諷杝は朝早く行く必要はない。だが二年の也梛は一限から授業がある。

 呑気に手を振って見送るルームメイトに舌打ちしながら、也梛は鞄とキーボードケースを持って部屋を出た。

(あいつ、学年末テストを乗り越えたからって安心しきってんな)

 もちろんそれを全力でサポートしたのは他でもない也梛だったが、何となく面白くないと思ってしまった。


 正門から昇降口へと続く道に出た所で、いつもより生徒の数が多いことに気付いた。中でも女子生徒たちの塊があちこちで賑やかだ。聞くつもりはなくとも端々から聞こえてくる内容に、今日が何の日であるかを悟った。

(あの日か……)

 そういえば周りの男子生徒たちは妙にそわそわしているような。

(まああいつも覚えてなかっただろうな)

 寮でこの話題が一切出なかったことを考えても、諷杝も也梛と同じくバレンタインデーの存在を忘れていたことだろう。

 ふと、頭の中に一人の少女が思い浮かぶ。彼女もチョコを用意して来るのだろうか。

(諷杝は来るって言ってたし)

 彼女がどうするのかは知ったこっちゃない。也梛は特に口を出すつもりはない。

 三年の姿も男女ともに多いなあと思いながら自分のクラスに着くと、早くもあちこちでイベントが発生していた。

「あ、高瀬。おはよ」

衣川(ころもがわ)。今日は早いな」

 いつもは也梛より遅いクラスメイトが今日はすでに席に着いていた。

「お前もバレンタインデーにそわそわするタイプだったか?」

「うーん、そうでもないけど。あ、でも今年も笠木さんのお菓子は欲しいかな」

 衣川は本気か冗談か分からない口調で言う。

「あと、臣原さんがどうやって高瀬にチョコを押し付けるのかも楽しみかな」

「……暇人」

 嫌な傍観者だな、とため息を吐く。

 衣川が話題にあげたのは隣のクラスの女子たちだ。笠木矢㮈の方は音楽仲間だったが、臣原千佳はなぜか也梛のことを気に入っていてことあるごとに接触を図ってくる。昨年もさらりと『友チョコ』と称して也梛に渡してき強者だ。

 也梛は衣川の脇をすり抜けて、窓際の自分の席へと向かった。



三.

 さすがバレンタインデー。

 校内の空気がどこか浮足立っていて、休み時間は大なり小なりあちこちでイベントが発生しているようだった。

 かく言う矢㮈(やな)の周りでも、女子たちによる友チョコの応酬合戦が繰り広げられていた。もちろん矢㮈もクラスメイトたちに配る用のチョコは用意して来ていた。渡した相手はみんな喜んでくれたのでとりあえずホッとした。

(あとは……)

 今年も別に用意しているものがあった。この後会う予定があるので、その時に渡すつもりだった。

「あ、築地(つきじ)先輩」

 最後の授業を終えてカフェテリアに向かった矢㮈は、見知った顔を見つけて声をかけた。

「あら、笠木さん。久しぶりですね」

 元合唱部部長の三年、築地果歩(つきじ かほ)だった。長い艶やかな黒髪を背に垂らした淑やかそうな女子生徒は、テーブルの上に数枚の紙を広げていた。

「先輩は受験勉強ですか?」

 確か彼女は国公立大学を志望しており、二次試験を控えているはずだった。

「いえ、ちょっと休憩がてら別のことを……」

 矢㮈は視界の端に五線譜と音符を捉え、思わず紙を覗き込んでしまった。

「これ、楽譜ですか?」

 テーブルの上にある紙は譜面のようだった。果歩が頷く。

「ええ。合唱部で歌った曲です」

 彼女は目を細めて、どこか懐かしそうに譜面の上を細い指でなぞった。

「合唱部の伝統を覚えていますか?」

 投げかけられた問いに、矢㮈はピンと来た。

「もしかして、これは築地先輩が選んだ楽譜なんですか?」

 合唱部には、卒業生一人一人が一番心に残った譜面を残していくという伝統があるらしい。かつて矢㮈の母親も卒業時に譜面を残していた――それを二十年後に娘たちに暴かれるというオチがあるが。

「はい。ものすごく迷ったのですけど、これを選びました」

 きっと彼女には他にも思い出の詰まった曲がたくさんあるのだろう。その中で一つに絞るのは大変だったに違いない。

(あたしも一曲を選べって言われたら絶対迷うし、選べる自信ない)

 矢㮈は諷杝たちと演奏した中で一曲を選ぶとしたらと考えて、無理だろうなと早々に諦めた。

 もう一度テーブルの上に目を戻して、ふと首を傾げる。

「……これ、一曲分じゃないですよね?」

 一曲の譜面にしては枚数が多いような気がして訊いてみた。果歩は上の二枚分をのけて端に置くと、残りの三枚を手に取ってトントンと角を揃えた。

「こちらは……軽音部にいた頃の譜面です」

「軽音部」

 そういえば果歩は一年次、軽音楽部と合唱部を掛け持ちしていたと聞いていた。

(そういえば軽音部にも伝統みたいなのがあったような)

 記憶を遡って、丁度去年の今頃のことを思い出した。

(そうだ。春日井先輩の手紙の一件……軽音部の『置き土産』)

 確か軽音部にも、卒業生が後輩に諸々の物を残していく慣例があった。よく言えば寄付、しかし人気の先輩の物を巡って争いが勃発することもあると聞いた。

 果歩は矢㮈の考えていることを見透かしたようにふふと微笑んだ。

「軽音部の『置き土産』ではないですよ。こんな楽譜を残したところで、後輩たちには特に意味がないですからね」

 彼女はまたじっと譜面を見つめた。

「これは私の思い出の曲というだけなので」

「見ても良いですか?」

 譜面を受け取ってタイトルを見ると、数年前に流行った曲であることが分かった。矢㮈も中学生の頃、何度か耳にした覚えがあった。

「これ、曲と歌のバランスが良いですよね」

「そうなんです。私が軽音部で一番初めにやった曲だから思い入れも強くて」

「先輩は歌ってたんですよね?」

「歌って、ベースもちょこっと齧ってたんですよ」

「え!? 先輩がベース!?」

 驚いた。合唱部で歌っている姿しか知らないので、軽音部でベースを弾いている姿を想像できなかった。そもそも、歌だって合唱部での歌い方とは異なるだろう。

(まあ、うちの母さんもそうだったんだろうけど)

 矢㮈の母親も昔、合唱部と掛け持ちでバンドのボーカルを担当していたのだ。

 果歩はいたずらがバレた子どものようにどこか照れ臭そうな表情をしていた。

「その時に組んでいたグループはもうとっくに解散してバラバラですけどね。部をやめた子や他の部に行った子もいますし」

 私も合唱部一本にしてしまったんですが、と苦笑する。

「でも、この譜面だけはずっと捨てられなくて……今回合唱部の一曲を選んでいる時に見つけて懐かしくなってしまいました」

 矢㮈は譜面に踊る音符を目で追っていた。頭の中にはすでにメロディが流れている――それもバイオリンの音で。

「築地先輩。この曲、あたしのバイオリンで歌ってくれませんか?」

「え?」

 果歩が虚を突かれたように目を見開いた。

「ちょっと弾いてみたくなったんです。先輩さえよければ少し付き合ってもらえませんか?」

 この提案は半分本音で、半分は矢㮈の勝手な願いだった。

 築地果歩という少女と初めて出会ったのは昨年の春、合唱部のクラスメイトに誘われて合唱部の見学に行った時だった。

 その時、彼女はすでに音楽祭で矢㮈のことを知っており、矢㮈のバイオリンに対して嬉しい感想と激励を贈ってくれた。

 それからも度々応援してくれていた彼女に、何か恩返しはできないかと思っていたのだ。

 矢㮈がじっと答えを待っていると、果歩は口元を綻ばせた。

「――そんなもったいないお誘い、受けるしかないでしょう」

 矢㮈がほっとして頬を緩ませた時、後ろから声が聞こえた。

「何か面白そうな話してる?」

 振り返ると、そこには微笑みを浮かべた少年と、その後ろに長身の仏頂面の少年が立っていた。


<後編>に続きます。

(2024.01.12)

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