先輩たちの昔話<後編>
※前話「先輩たちの昔話<前編>の続きです」
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同上2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同上3年生。ギターを弾く。
【その他】
・並早…彩楸学園英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・松殿…彩楸学園副理事長。『ZIST』がいた時の軽音部顧問。
【ZIST】…諷杝の父親が高校生の頃に組んでいたバンドグループ。
・海中 旋…諷杝の父親。故人。
・並早 樹…故人。
・小峰 唱奈…矢㮈の母親。小峰は旧姓。
・高瀬 敦葉…也梛の父親。
三.
彩楸学園に着くと、唱奈は自分の自転車を止めた場所に向かった。別の場所に止めている矢㮈とは、校門前で集合することにした。
どうやら唱奈の方が近かったらしく、先に校門で待っていることになった。守衛室はまだ明かりがついていて、心の中で「お疲れ様です」と呟いてしまう。
すでに部活動も終了している時間帯、敷地内はひっそりとしていた。通り過ぎる風が一気に冷たくなって、手袋をした手をさらに擦り合わせた。
「――唱奈」
「!」
静けさの中に、無愛想な声が聞こえてそちらに顔を向ける。
今日、初めて名前を呼ばれたかもしれない。自分は大して気にせず彼のことを名前で呼んでいたが――彼の息子もいたのでややこしかったせいもある――向こうは律義に娘たちのことを気にしていたか、もしくは恥ずかしかったのか、頑なに名前を呼ばなかった。
「あら、私の名前覚えてたのね」
思わず意地悪く返すと、高瀬敦葉は眉間に皺を寄せて不機嫌そうに言う。
「残念ながら記憶力は良い方だ。小峰と呼んだ方が良かったか?」
「どっちでも。――それで、どうしたの?」
まさか向こうから改めて声をかけてくるとは思わず、唱奈は意外な思いで彼の話の続きを待った。自分が覚えている限り、この男は自ら進んで余談に興じる性格ではない。わざわざこうして話しかけて来たということは、何か言いたいことがあるのだ。
「――今日お前が来たことに、俺はどこかでほっとした」
「え?」
思いもよらない言葉に意表を突かれ、唱奈は目を見開いた。
敦葉は唱奈の方を見ずに、校舎の方を見つめていた。その先には、あの朴の樹がある中庭があるはずだ。
「……まだお前はいる。それが分かって、ほっとした」
「……」
唱奈は返す言葉がなくて唇を結んだ。
(――そうか、敦葉も同じだったのか)
本当は、唱奈も今日ここに来るのが少し不安だった。
諷杝からの招待状を受け取り、過去の自分たちにけじめをつけなければ、見届けなければとそんな気持ちで彩楸学園に来たものの、実際は怖かった。
『ZIST』として諷杝たちの前に立ったのが、もし自分だけだったら――?
並早や松殿が傍にいてくれても、その不安は解消されない。同じ、『ZIST』のメンバーでなければならなかった。
唱奈は泣きたくなる気持ちを飲み込んで、やっと口を開いた。
「私、あの二人が一番長生きすると思ってたのよ」
「……ああ、俺もそう思ってた」
でも、現実はそうではなかった。二人とも、事故であっけなくいなくなってしまった。誰を責めることもできないが、それでも悔しくてたまらない。
「もっと早く旋に連絡を取れば良かった。ううん、卒業するまでに、ちゃんとあの楽譜と向き合っていれば良かった」
「――そうだな」
敦葉は静かに相槌を打ち、視線を唱奈に戻した。
「簡単にいなくなってしまうことがあるって、樹のことで知ってたはずなのにな。まさかそれが旋にまで降りかかるなんて思わなかった」
黒いコートの袖の陰で、彼が拳を握っているのが分かった。
「こんなことを言ったらお前は笑うかもしれないが」
「何」
「樹が寂しさに痺れを切らして、旋を連れて行ってしまったのかとも考えたことがある」
「……」
彼らしくない突拍子もない考えだったが、唱奈にはとても笑えなかった。敦葉がそう考えてしまう気持ちが痛いくらい分かったからだ。でも。
「……大丈夫よ。樹はそんなことするようなやつじゃないわ」
唱奈ははっきりと言って無理矢理笑みを浮かべた。
「確かに寂しがり屋だったけどね」
「放っておくとうざいほど絡んできたしな」
「それでも敦葉も何だかんだ相手をしてやってたじゃない」
「ほどほどのところで相手をしないと後がさらに面倒くさいからだ」
当時のことを思い出したのか、彼の口調が普段通りに戻っていた。それに少しだけ安堵する。
「敦葉」
「?」
「私の方こそ、今日あんたがいてくれて良かったわ。ありがとう」
「……そうか」
高校生の時は絶対にこいつに対して「ありがとう」などと言わなかっただろうなと思うと、自分も少しは大人になったのかもしれないと唱奈は感じた。
「母さん、お待たせ」
自転車を押した矢㮈がやって来た。その横には娘に付き添っていてくれた二人の少年がいる。諷杝と也梛だ。
「諷杝君と也梛君もありがとう」
「いえ、自転車置き場の辺りって少し離れてて暗いと怖いから」
「丁度今後の話もあったので」
それぞれに答える二人に唱奈は微笑んだ。本当に良い子たちだ。
也梛が、その場に父親がいることに気付いて訝し気な顔になる。
「まだいたのか?」
「もう帰る所だ」
敦葉は束の間考えるように間を置き、それから也梛に言う。
「――お前の進路について話を聞きたい。冬休みに時間をとるからそのつもりでいろ」
也梛は少し驚いたような表情をしたが、すんなり頷いた。
「……分かった」
敦葉は続いて諷杝の方を見た。
「改めて、今日は世話になった。とんでもない無茶振りは、やはりお前は旋の血を引いているな」
「ふふ。楽しんでいただけたなら何よりです」
「別に楽しんでなどいない」
「僕は楽しかったですよ」
何を言われてもにこにことしている諷杝に毒気を抜かれたのか、敦葉ははあと大きな息を吐き出した。
「そういうところは父親そっくりだな」
「そうですか?」
とぼける諷杝もまた父親の旋にそっくりだと唱奈は思う。
「こちらこそありがとうございました。お二人から貴重なお話が聞けて嬉しかったです」
礼を述べた諷杝に、敦葉は眉間に皺を刻んだまま困ったようにまた溜め息を吐いた。多分、満更でもないと思っていると唱奈には分かる。
敦葉は最後に唱奈の方をちらと見て、踵を返そうとしたが――何を思ったか矢㮈に目を留めた。
「?」
娘の矢㮈はきょとんとしている。
「――君のバイオリンも素晴らしかった。うちの息子がまたピアノを弾き出したのはきっと君の影響だろう。これからも仲良くしてやってくれ」
「!」
矢㮈が目を見開いて固まり、その横にいた也梛が無表情のまま凍り付き、そんな二人を見て諷杝が微笑んでいた。
敦葉が今度こそ踵を返す。その背に、唱奈は声をかけた。
「今度、ご家族でうちの店にいらっしゃい。昔のよしみでサービスするわよ」
敦葉は軽く片手を上げて、何も言わずに駐車場の方へ去って行った。
四.
***
「なあなあ、折角グループ組んだんだから、文化祭のステージ出るだろ?」
ある放課後の部室。日に焼けた小麦色の肌の少年がベースを抱えて言った。
「……お前が出られるレベルになったらな」
長細い黒いケースを背負った黒髪の少年が半眼で返すと、その横で譜面の束が入ったファイルを抱えた焦げ茶の髪の少年がへらっと笑った。
「良いね。目標があった方が樹は上達しそう」
「だよな!? 旋も出たいだろ?」
「楽しそうだなあとは思う」
「絶対楽しいって。てか、お前らの演奏すごいんだからみんなに聴いて欲しいし!」
ベースを振り回す勢いで力説する並早樹は、つい先日、本格的にベースを始めたばかりである。リズム感など筋は悪くないのだが、調子の波が激しい。
「演奏がすごいのは主に敦葉だけどね。でも出るなら樹でも弾けそうな曲を考えるよ」
海中旋がふわりと微笑むと、樹が「やったー」とガッツポーズをする。そんな二人を呆れた目で見ながら、高瀬敦葉は溜め息を吐いた。
「お前ら本気か? しかもオリジナルとなるとちゃんと作り込まないと聴いてる方は初めて耳にするから反応が分かれるぞ」
「じゃあ何か流行の曲も入れようぜ」
「……簡単に言うな。そもそもお前はまず弾けるようになれ」
敦葉と樹の応酬を旋はにこにこと聞いている。
「おい旋、お前も何とか言ってやれ。今のままじゃステージなんて無理だ」
「まあ今のままじゃね。でも樹がやる気を出したら大丈夫だと思うな。オレはステージ出るの賛成だけど」
「なっ……」
「旋~!」
二対一。すでにこの時点で敦葉は劣勢だった。しかしこのままだと明らかに自分が一番苦労するのが目に見えている。
「旋はそのつもりでも、俺は出るつもりはないからな」
「オレが出るならもう敦葉は出ることが決まったようなもんだよ」
「……何でそうなる?」
敦葉が訝し気な視線を向けると、旋はそう訊かれること自体が不思議なようにきょとんとした。
「だってオレの音楽は敦葉のキーボードありきだし。何だかんだ言って敦葉は付き合ってくれるだろ?」
「……その自信は一体どこから来るんだ」
彼のその自信に満ちた勝ち誇ったような顔が理解できない。思えば中学の頃からこんなだったような気がするが、本当に分からない。
そして、結局は彼の言う通り敦葉も付き合ってしまうのだからもっと分からない。
「やった! じゃあ敦葉も参加だな! 松殿先生にお願いしとこっと!」
樹がベースを掻き鳴らすがその音もどこか不完全に聞こえる。本当に大丈夫か。
「樹! お前は死ぬ気で練習しろよ!」
もう覆らないのならいっそ彼が弾けるようになるまで徹底的に練習するのみだ。
「敦葉が監督してくれるなら大丈夫だね」
まるで他人事のように呑気に笑う旋に毒気を抜かれた。
***
一曲を通し終えて、旋がほうっと感心したように息を吐いた。
「へえ、すごいじゃん樹。一応形にはなってる」
「だろ!? 敦葉の嫌味に耐え抜いた甲斐があった! オレを褒めろ!」
樹が頬を紅潮させてにっかと笑う。――恐らく本人も想像以上の出来だったのだろう。
「嫌味を言わせずにはいられない態度だったのはどこのどいつだ」
敦葉が何となくキーボードの鍵を叩きながらぼやく。
「なあ、これなら文化祭出れるよな!?」
「たった一曲で気が早い」
「一曲でも樹にとっては進歩だよ」
敦葉は、にこやかに微笑む旋をじろりと見た。
「実はオレの作ってる曲の方も形になってきてるんだ。敦葉、見てくれる?」
差し出された譜面の塊を敦葉は渋々の体で受け取った。
「……お前本当に作ったのかよ」
「うん、もちろん。だって樹のベースを入れての初めての曲だからね」
「……」
敦葉はしばし譜面をじっと見つめ、それからふうと息を吐いた。
「――分かった」
それから早速中身を確認し始める。こうなったら暫くは彼の世界だ。
それが分かっている旋は樹に声をかけた。
「樹。頑張ってたからご褒美にジュースでも奢ってあげるよ」
「マジで!? 旋、太っ腹!」
樹が明るい笑顔で抱きついてこようとするのを旋はするりと躱し、財布を持って練習していた教室を出た。すぐ後に樹がついて来る。
廊下に出ると、途端に周りから様々な声や音が耳に入って来た。
「あ」
ふいに樹が立ち止まる。
「どうしたの?」
「……ん、ちょっと」
樹はふらふらと廊下を進み、階段を降りて一つ下の階に向かった。
ついて行くと、綺麗にハモった繊細な歌声が聴こえて来た。
樹がそろりと近付いた教室では、合唱部が練習をしていた。
「合唱部がどうかしたのか?」
「……」
樹はガラス窓越しに暫く練習風景を見て、旋の二の腕を突いた。
「なあ、あの前列の右から三番目の女子」
「? 確か樹と同じクラスの――」
「小峰唱奈。旋、あいつの歌声、どう思う?」
旋は小首を傾げながらも合唱に耳を傾け、さらに彼女の方に集中した。
正直な所、大人数の中の一人であるため彼女の歌声だけに集中するのは難しい。だが、それでも耳を澄ましている内に微かに聴き分けられるようになってきた。
伸びのある、だが繊細で感情豊かな声だった。
「……上手いな」
「だろ?」
なぜか樹が得意げな顔をする。
旋は改めて彼女に視線を向けた。セミロングの髪をピンで留め、見た目は優等生といった感じだ。体格は小柄だが、声量はしっかり出ている。
「ひょっとしなくても樹の好きな子?」
「っ……違っ……」
ひっくり返った声が図星だと告げている。旋は小さく笑って、顎に手を遣った。
「なるほどね。で、樹はどうして彼女のことをオレに?」
「――オレらのグループって歌うヤツいないだろ。あいつはどうかなって思って」
「別にボーカルがいなくても良いと思うけど」
「でも、旋は歌詞も書くだろ。オレはそれも込みで演奏だと思ってるから」
旋はきょとんとした。確かに自分は詞も書くが、それはただ趣味と言うか自己満足の類であって、一番は曲ができて演奏できれば良いと考えていたからだ。それに歌いたければ自分で歌う。
「いや、もちろん、旋もあいつに歌ってほしいと思ったらの話だけど」
「もっというとそれ以前にあの子がうちのボーカルになってくれるかっていう話だけどね」
「そ、それはっ……」
「まあ、そこは樹に頑張ってもらおうか」
旋はクスリと笑って、樹の手を引っ張った。
「よし、じゃあジュース飲みながら作戦会議しよう」
「え?」
最後に窓ガラス越しに彼女の方を見ると、パチリと彼女と目があったような気がした。旋は心の中でふっと笑った。
***
渋い顔をした彼女が目の前で腕を組んで立っている。
「ねえ、ちょっとどういうこと? 文化祭のステージだけって話だったわよね?」
「ええーそんな話だったっけ?」
樹は視線を横に逸らしてすっとぼけた。
「そんな話だったわよ! 私は合唱部と掛け持ちで死に物狂いで練習したんだけど!? 特にそこの堅物のせいで!」
小峰唱奈がビシリと指差した先には仏頂面の敦葉がいた。
「当然だ。ステージに出るからには半端は御免だからな」
この彼女の勢いを前にしれっと答える敦葉はさすがだと思う。
先日の文化祭のステージは、大盛り上がりで幕を閉じた。見事ボーカルを努めた彼女は合唱部の姿とは全く別人だったが、それでも歌唱力は樹や旋が期待した以上だった。
ということで、今後もできれば彼女にグループの一員として活動してもらいたいと思っているのだが――冒頭の通りの状況である。
「でも君の歌は本当に良かったよ? 練習時はともかく、本番の後敦葉からも特に文句は出なかったし」
のほほんと言ったのは旋だった。だがその言葉に敦葉の眉間に皺が寄る。
「俺を引き合いに出すな」
「だって敦葉が一番公正な気がするんだもん」
旋が唱奈ににっこりと笑いかけた。
「こいつは音楽のことに関しては妥協しないやつだから。君の歌だって気に入らなければ正直に言うよ」
「……」
唱奈が難しい顔で敦葉を睨むように見る。敦葉も不機嫌そうな顔で彼女を見返していた。
旋は続けた。
「オレと樹は君にもっと歌ってもらいたい。一緒に活動したい。敦葉も別に反対はしてない。どう?」
「どうって……私は……」
「君は楽しくなかった?」
唱奈が迷う瞳を旋に向ける。制服の横でぎゅっと拳を握り締めていた。
「――なあ、唱奈。一緒に歌ってくれないか」
樹はいつになく真剣な顔で彼女に言った。唱奈の眉が寄る。
暫くそのまま睨めっこ状態になっていたが、やがて唱奈が大きな息を吐き出した。
「ああ~もう……。分かったわよ。でも合唱部はやめないからね。優先は合唱部だからね!」
「! やった!」
破顔して唱奈の手を掴みぶんぶん振る樹に、唱奈は正直に嫌そうな顔をした。
そんな二人を見ながら、旋は相変わらず微笑んでいた。
「唱奈は何だかんだで樹に頼まれたら弱いよね」
「それ、お前が言うか?」
敦葉が呆れた声で言う。
「敦葉はオレに頼まれたら弱いの知ってる」
「それは気のせいだ、阿呆」
「――これから楽しくなりそうだ」
旋がすでに楽しいとばかり弾んだ声で言うので、敦葉はげんなりした。
「騒がしくなる、の間違いだろ」
こうして、『ZIST』は四人になった。
昔話その二でした。今まで全然喋らなかった人たちが滅茶苦茶喋ってて作者もびっくりなんですが、喋ってくれないと話は進まないし他に誰も説明してくれないから仕方ないですね…(笑)。
このお話もやっとゴールが見えてきたなというところですが、まだ暫くよろしくお願いいたします。
(2023.07.17)




