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  作者: 葵月詞菜


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先輩たちの昔話<前編>

【主な登場人物紹介】

笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬 也梛(たかせ やなぎ)…同上2年生。キーボードを弾く。

海中 諷杝(わたなか ふうり)…同上3年生。ギターを弾く。


【その他】

並早(なみはや)…彩楸学園英語教諭。諷杝のクラスの担任。

松殿(まつどの)…彩楸学園副理事長。『ZIST』がいた時の軽音部顧問。


【ZIST】…諷杝の父親が高校生の頃に組んでいたバンドグループ。

海中 旋(わたなか ぜん)…諷杝の父親。故人。

並早 樹(なみはや いつき)…故人。

小峰 唱奈(こみね しょうな)…矢㮈の母親。小峰は旧姓。

高瀬 敦葉(たかせ つるは)…也梛の父親。

***


 それは懐かしい光景だった。


 彼がキーボードを弾いていた。ポーカーフェイスからは想像もできない豊かな音が流れている。

 ――ああ、まだ弾けるじゃないか。あの余裕の顔、らしいなあ。


 彼女が歌っていた。その表情は初めの方少しだけ恥ずかしそうだったけれど、すぐにあの頃のように笑みが浮かんで、綺麗なメロディが空間に広がって行く。

 ――そうだ、君の声が、君が歌っている姿が大好きだったんだ。


 のびのびとしたギターには聴き慣れた弾き癖があって、弾いているのは彼じゃないのに懐かしい。

――本当、親父そっくりの弾き方だな。気まぐれで、楽しそうで……なあ、お前もそう思うだろう?

 

 冬空の下、木漏れ日が煌めく中での演奏会。

 まるで音楽の中を泳ぐように、気持ち良さそうに一羽の白い鳩が舞っていた。




一.

 彩楸学園(さいしゅうがくえん)の近くに、音楽好きのマスターがいる音楽喫茶『音響(おとひびき)』という店がある。

 本日は特別貸し切りとなっているため、扉には『CLOSED』の札が掛かっていた。

 だがその札を気にせず、先頭の少年は扉の取手に手を掛けた。鍵のかかっていない扉はすんなりと開き、軽やかなベルが鳴る。

「――ただいま、マスター」

 海中諷杝(わたなか ふうり)がにっこりと店内に足を踏み入れ、その後にぞろぞろと一行が続く。カウンターの内側にいたマスターは目を見開いた。

「お帰り――と、おやおや……随分と懐かしい顔ぶれがいるね」

 彼は高校生たちの後ろにいた大人たちを見ていた。

唱奈(しょうな)ちゃんがここに来るのも随分久しぶりだ」

 矢㮈(やな)の母親・唱奈が苦笑を浮かべながら丁寧に頭を下げた。

「お久しぶりです、マスター。いつも矢㮈がバイオリンともどもお世話になっています」

 ここのマスターは弦楽器の調律師でもあり、ずっとバイオリンのメンテナンスを頼んでいるのだ。

「いやいや、君のお父さんがいた頃からの付き合いだから。それに私も矢㮈ちゃんのバイオリンのファンなんだ」

「本当にありがとうございます」

「ありがとう、マスター」

 矢㮈も思わず横から礼を伝えると、マスターは口元を綻ばして頷いた。

 マスターがさらに後ろにいる背の高い男に目を向けた。

「――君に会うのももう二十年振りか。元気にしていたかい?」

「……おかげさまで」

 高瀬敦葉(たかせ つるは)が会釈を返すと、マスターはちらと息子の高瀬也梛(やなぎ)の方を見て苦笑した。

「うん、やっぱり似ているね」

「……マスター」

 高瀬がぶすっとした声で抗議の声を上げると、マスターはさらに笑った。

松殿(まつどの)先生もお久しぶりです。いらっしゃいませ」

「私までお邪魔してしまって申し訳ない。わざわざ貸し切りにまでしてもらって」

「いえいえ、諷杝君たちはお得意様ですので」

「さすがだね、諷杝君」

 一番最後に入って来た並早(なみはや)が扉を閉めながら苦笑する。

 一行はマスターに促されるまま適当にテーブルに着いた。

 彩楸学園での演奏会が終わった後、さすがに屋外は冷えるからと場所を移動したのである。貸し切りにしていていたことからも分かるように、これも元々予定していたことだった。

 高瀬敦葉は彩楸学園でおさらばするつもりだったようだが、並早と唱奈によって阻止された。

「敦葉先輩、ここまで来たらもう少し付き合ってくださいよ」

「ここで逃げるとか冗談でしょ? 私にだけ昔話をさせるつもり? 良いわよ、そうなったらあることないこと言ってあげるから」

「……」

 すこぶる嫌そうな顔をしながら、渋々付き合ってここまで来た感じだ。

 矢㮈は諷杝と高瀬と同じテーブルに着き、何を頼もうか考えてホットカフェオレを注文した。

 マスターが一通り注文を聞いてカウンターに戻って行くのを見送ると、お冷に口をつけながらそろりと大人たちの方を窺った。

 松殿を中心に他愛無い話をしている四人は、知っている人たちのはずなのに、どこか知らない人のようにも見えた。

 特に、母親の印象が普段と違っていることに驚いていた。

(……母さんって、あんなだったっけ?)

 自分の知る母親は、もっとおっとりとした雰囲気で、滅多に怒る姿を見せないような人だった。それが今は、恩師と同窓生を前に、おっとりさなど微塵も感じさせない会話をしている。むしろちゃきちゃきとした祖母を思わせた。

「……何かまだ信じられないなあ」

 ポツリと横から呟く声が聞こえて、矢㮈はそちらを向いた。諷杝が頬杖をついて、先程の矢㮈のように大人たちを見遣っていた。

「父さんもここに混じりたかっただろうな」

「……」

 本当は、今日一番ここにいるべき人は、諷杝の父親だった。誰より彼がこの状況を待ち望んでいたに違いない。

「そういえば、『ZIST』ってどういう経緯でできたんですか?」

 大人たちの話が途切れたのを見計らって、諷杝が問いかけた。

 並早が敦葉と唱奈を窺うと、二人は束の間考えるように視線を宙に彷徨わせた。

「……そもそも、(ぜん)と敦葉は同じ中学で一緒に音楽をやってたのよね」

「無理矢理付き合わされてな」

 敦葉がボソリと補足したのをスルーして唱奈は続ける。

「私は(いつき)と同じ中学だったけど、別に特に一緒に活動してたわけじゃなかった。私は合唱部、あいつは……確かハンドボール部だったかしら?」

「そうです、唱奈さんよく覚えてましたね」

 樹を兄にもつ並早が感心したように言った。

「運動場の端のゴールで、樹がずっとシュート練習してた姿を思い出したのよ」

 唱奈は少し懐かしそうに苦笑した。

「確かに樹君は運動神経が良かった覚えがありますね」

 松殿も思い出したように言う。

「夏は真っ黒に日焼けしていましたね。敦葉君と並ぶと対照的で」

「あいつはお外大好き人間でしたからね。屋内にいたい俺と旋を無理やり引っ張って、色んな所に連れ回された気が……」

 眉間に皺を寄せて敦葉が大きなため息を吐く。

「何がきっかけで樹さんはバンドグループへ?」

 諷杝がますます不思議そうに訊くと、敦葉がまた大きなため息を吐いた。

「――一年の音楽の合同授業だ」

「音楽の授業?」

 諷杝がきょとんとする中、その向かいに座った高瀬はピンとくるものがあったらしい。

「ミニ発表会か」

 息子の言葉に敦葉は微かに頷き、

「旋と樹が同じグループで発表することになったのが運の尽きだった。――あいつら似た者同士が意気投合したらどうなるか考えるまでもないだろう?」

「……」

 さすがに諷杝も自分の父親の性格に思い当たるものがあったらしく黙った。

「あれよあれよと気付いたら軽音部でバンドグループを組むことになっていた」

 頭が痛いとでも言うように蟀谷に手をあてる敦葉の表情は複雑だった。

「さすがのあんたもあの二人が相手じゃどうにもならなかったのね」

 唱奈が同情するような目を向けると、「結局はお前も巻き込まれただろう」と苦々しい声が返って来た。

「歌うやつがいないってなって、樹が適任を知ってるっていうから……」

 敦葉が唱奈をちらと見る。唱奈が呆れたように肩を竦めた。

「――そう、私に話が回って来たのよ。一回だけって約束が踏み倒されたのもお約束ね」

「……」

 矢㮈たちは何も言えず、ただ曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

「まあでも敦葉先輩と唱奈先輩がいなかったら、あの二人はもっと暴走してたような気がしますけど」

 並早がどこか遠い目をして言うのが恐ろしい。

 松殿がふっと微笑んだ。

「旋君は敦葉君が、樹君は唱奈さんが手綱を握ってくれていたんですよね」

 敦葉と唱奈が揃ってため息を吐いた。

「あんた、私が入ったことに感謝しなさいよ」

「……癪に障るがまあそうだな」

 そこへ、クスクスと笑いながらマスターがお盆を持ってやって来た。

「随分と懐かしい話をしているなあ。――はい、お待たせしました」

 珈琲の香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。

「……ああ、この香り久しぶり」

 カップを手にした唱奈がしみじみと呟く。

「深みがあるけど飲みやすくて、美味しいですねえ」

 松殿も芳醇な味わいに目を細めているようだった。

 矢㮈たちの方にもカップを並べると、マスターは一度カウンターの中へと引き返し、すぐに戻って来た。

 今度はお盆の上に、プチカップケーキが盛られた大皿を二つ載せていた。一つを大人たちのテーブルに、もう一つを矢㮈たちのテーブルに置く。

「必要ならこちらもどうぞ」

 マスターはジャムとクリームも添えてくれる。その抜かりのなさに唱奈は肩を竦めた。

「マスターは順調にお菓子作りの腕を上げてるわね」

「ははは。君の旦那さんに比べればただの趣味だよ」

 つまりは矢㮈の父親のことで、現役パティシエである。

「唱奈先輩のとこのお店のお菓子おいしいですよね。音楽祭の時に差し入れしてもらったのも好評でした」

 並早が思い出したように言い、諷杝も同調するように頷いた。

「甘すぎないのもあって僕も好きです」

「あらあら嬉しいこと言ってくれるわね」

 母親が自分のことのように嬉しそうに笑うのをみて、矢㮈も何だか嬉しくなってしまった。

「そういえばこの前招待状を届けに来てくれた時も、也梛君用にケーキ買って行ってくれたっけ」

「帰ってその日に也梛が二つとも完食しました」

 諷杝の即答に唱奈は思わずというように苦笑した。

「二つ……?」

 矢㮈が斜め前にいる高瀬に目を遣ると、彼は視線を横に向けたまましれっと言い放った。

「あれくらい余裕だ。美味かった」

「……あんたねえ」

 相変わらずの甘党ぶりだ。

「敦葉さん、也梛は昔からこうなんですか?」

 諷杝が訊くと、高瀬の父親はちらと息子を見遣った。

「――少なくとも小学生の頃からそうだな」

「そうなの? 也梛」

「さあ? 覚えてねえ。でもちゃんと歯は磨いてたんだから文句はねえだろ」

 そのセリフから、小さい高瀬は親から歯磨きについて言われてたんだろうなと想像ができて少し微笑ましい。

高瀬はカップケーキを手に取り、そこにクリームとジャムの両方を盛って口に放り込んだ。

 諷杝が珍しく困った弟を見る兄のような複雑な表情になっていた。

「敦葉先輩は甘党のイメージないですね」

 並早の言葉に敦葉は「どちらかというと苦手だ」と呟く。

「……まあ、あいつの母親がよく菓子作りをしてたから子どもたちはみんな好きだったな。――也梛(あれ)は別格だが」

 敦葉がカップケーキを頬張る息子に溜め息を吐いた。

「あ、あたしも高瀬のお母さんのお菓子いただいたことある。フルーツ寒天美味しかった」

 矢㮈が思い出して言うと、高瀬が訝し気な視線を向けた。無言だが「いつの間に……?」と顔に書いてある。

 前に高瀬に紹介された渥美との演奏会の折、彼の姉の(あおい)に誘われてお邪魔した時にご馳走になったのだ。

「矢㮈ちゃん、僕たちも早くもらわないとすぐになくなるよ」

 順調にカップケーキの数を減らしていく大皿を見て諷杝が言う。

「ホントだ。ちょっと、高瀬は一回休憩。はい、珈琲味わってて」

「何でお前に指示されなきゃなんないんだよ」

 言いつつも高瀬は一度珈琲に口をつけた。もしかしたらカップケーキを食べ続けて口の中が渇いていたのかもしれない。

 

 あれこれ言い合いながらカップケーキを食べる高校生たちを、大人たちが穏やかに見守っていた。




二.

 それからも先輩たちのエピソードを聞きながら過ごすうちに、そろそろ良い時間になってきた。

「さて、名残惜しいですがそろそろお開きにしましょうか」

 松殿が壁時計に目を遣るのを追うと、もう時刻は六時になろうとしていた。

「もうこんな時間ですか。あっという間だったなあ」

 並早が苦笑し、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

「本当に盛りだくさんの日だったわ。何より、まさかあの黒歴史と呼べる校歌の替え歌を持ち出されるとは思わなかった」

 唱奈が大きなため息を吐くと、並早は小首を傾げた。

「でも唱奈先輩の歌はさすがでしたよ。綺麗でした」

「……ありがとう。でも恥ずかしかったのよ、あれは」

 恥ずかしさを思い出したのか、手で顔を覆う母親が少女のようだ。

「あ、もちろん敦葉先輩のキーボードもさすがでした。久しぶりに聴けて嬉しかったです」

 並早が続けて敦葉に言うと、彼は眉間に皺を寄せてこちらも大きなため息を吐いた。

「……覚えていたのが奇跡だった。もう二度と弾かん」

「またそんなこと言って……!」

「あのキーボードはもう俺のものではないしな」

 敦葉の視線の先には、息子が背負う黒いケースがあった。

「では一度学園に戻りましょうか。それぞれ自転車と車を止めているでしょう」

 松殿たちが席を立ち、マスターのところにお礼に行く。

 矢㮈たちも荷物をまとめながら、何となく大人たちを見ていた。

「……なんか本当に不思議な時間だったなあ」

「同感だ。あの父さんがあんなに喋ってるとこ初めて見た」

 高瀬が信じられないようなものを見たかのような複雑な表情をしていた。

「でも、也梛はお父さんの話聞きたかったんでしょ? 良かったじゃん」

 諷杝がにやっと笑って高瀬の顔を覗き込むと、彼は眉間に皺を寄せて唸った。認めたくないとその顔が語っている。

「――だけど、このキーボードをまた弾いてくれるとは思わなかった」

 ポツリと零れた言葉に諷杝が微笑む。

「――敦葉さんの音、綺麗だったね。一緒に演奏してる僕も楽しかった」

「うちの母さんも楽しそうだった」

「うん、唱奈さんの歌も良かった」

 矢㮈の言葉に諷杝が頷く。本当に、見てるこっちが楽しくなってしまう歌と演奏だったのだ。

 高瀬はまだ暫く黒いキーボードケースを見つめていた。

「おーい諷杝君たち、行くよー?」

 並早の声が聞こえて三人ははっとした。

 扉の前で見送ってくれているマスターに礼を言うと、「今度またここで演奏しておくれ」とお茶目なウインクを返された。それくらい、お安い御用である。

 もうすっかり日が暮れた店の外では、松殿と母親たちが待ってくれていた。

「諷杝君と也梛君は寮でしたね」

 松殿の言葉に諷杝たちが頷く。寮は一応学園の敷地内にあるので、全員方向は同じだ。

 矢㮈は歩きながら、松殿たちと前を行く母親を見ていた。

 やはり、今日の彼女は自分がよく知るいつもの感じと違っていた。

「笠木さん、どうしたんだい? 今日はずっと不思議そうな顔でお母さんのこと見てなかった?」

「!」

 いつの間にか隣にいた並早に指摘されてドキリとした。

「え、えっと」

 何と言ったものかと前を歩く母親を見つめ続けていると、視線を感じたのか当人が振り返って首を傾げた。

「? 矢㮈、どうかしたの?」

「え、いや、えっと、ちがっ……」

 もう何を言いたいのか分からない。矢㮈は口をパクパクさせてから一度閉じた。呼吸を整える。落ち着け。

「矢㮈?」

 もう一度尋ねられ、矢㮈は口を開いた。

「え、えっと……母さんが何かいつもと違うからびっくりして」

 結局しどろもどろにそのまま言ってしまった。通じるだろうか。

 唱奈は一瞬虚を突かれたように目を見開き、それから「あー」と視線を宙に彷徨わせた。その反応を見るに、多分彼女の方も思い当たるものがあったのだろう。

「――唱奈さんは学生時代、本当にしっかりした真面目な生徒さんでした。大人になった今はずいぶんと柔らかい雰囲気になられ、余裕があるように見えますね」

 苦笑しながらそう言ったのは松殿だった。唱奈が僅かに頬を染めて「恐れ入ります」と頭を下げた。

「しっかりした、生徒……」

 矢㮈が松殿の言葉を繰り返すと、並早も笑って続けた。

「さっきの話でも出たけど、あの樹兄さんと旋さんと一緒に活動してたからね。しっかりしてないとやっていけなかったと思うよ」

「並早先生、辛口」

 諷杝がなぜか楽しそうに呟き、高瀬が横で半眼になっている。

「……なんか不思議。あたしの知ってる母さんはいつもおっとりしてて、滅多に怒らなくて……」

 矢㮈がまだポカンとしたまま唱奈を見ていると、

「お前は娘に猫を被っていたのか?」

 前を歩いていた敦葉が振り返った。その表情は相変わらず読めないが眉間に皺が寄っている。

「……何ですって?」

 唱奈の眉がピクリを動く。

「俺たちにすればおっとりしているお前を想像する方が信じられないと言いたいだけだ」

「あら、それは残念な頭ね。あんたみたいに万年仏頂面不機嫌顔でいるよりよっぽどマシだと思うけど?」

 反射で言い返した唱奈に、敦葉は溜め息を吐いて指摘した。

「……娘の前でそれは良いのか?」

 唱奈はハッとして矢㮈を振り返った。また母親の知らない一面を見てしまった矢㮈は目をぱちくりさせるしかない。

「――はいはい、敦葉先輩も唱奈先輩も大人気ないですよ。笠木さん、大丈夫、君のお母さんはちょっと昔に戻ってるだけだから」

 収拾がつかないと見たのか、並早が呆れたように間に割って入って矢㮈に微笑んだ。

「誰にだって同じように接する人もいるけど、ほとんどの人は相手がいつどの時の知り合いで、どの程度の間柄だったか、で接し方や話し方が変わるものだと思うよ。だから敦葉さんや私たちといる時は、唱奈さんも当時のそれに戻っているだけなんだ」

 並早の言うことは何となく分かる。矢㮈だって、家にいる時に家族に見せる顔、学校の友人たちの前で見せる顔、バイオリンの演奏の時に見せる顔、と無意識に使い分けているはずだ。

「ちょっと新鮮」

 矢㮈がふふっと笑って母親を見ると、彼女は眉を八の字にした。

「……弓響(ゆき)やお父さんには黙っててもらえると嬉しいわ。恥ずかしいから」

「確かにびっくりしちゃうかもね。オッケー」

 親指を突き立て了解の意を示すと、母親は穏やかな微笑みを返した。――この笑みは、矢㮈もよく知っている。

(何十年と経っても、当時の友達と会ったらその時に戻っちゃう……あたしも、そんな風でありたいな)

 学校を卒業して何十年経っても、諷杝や高瀬と顔を合わせたら今みたいに話せる関係でいたい。

 ふと諷杝を見ると、まるで矢㮈の心の中を読んだかのようにクスリと笑った。

「矢㮈ちゃんと也梛も何十年経っても楽しい口喧嘩してそうだよね」

「え!? それ楽しいかな!?」

「全然楽しくないな」

 矢㮈と高瀬が即ツッコむのに、諷杝はさらに愉快そうに笑った。

「諷杝はずっとそんな感じでほわほわしてんだろうなあとは思うけど」

「ええ? さすがに僕も大人になったら少しはほわほわ感消えてるよ」

「ほわほわしてる自覚はあるのか。少しは成長したな」

「也梛までひどい」

 唇を尖らせる諷杝はまさに小さな子どものようで、それを見た高瀬に「やっぱり成長してない」と言われている。

(――ああ、こんな時間はいつまで続くんだろう)

 今日、とうとう諷杝の望み――『ZIST』の前であの曲を演奏すること――も叶ってしまった。

 あっという間に冬休みに入って、年が明けたらもう卒業式まであっという間だ。

 矢㮈は目の前で軽口を叩き合う諷杝と高瀬を見ながら、ぼんやりと寂しさを感じていた。




昔話その一でした。まだ少し続く昔話、よろしければ<後編>もお付き合いくださいませ。

いつも読んでくださりありがとうございます。

(2023.07.17)

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