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  作者: 葵月詞菜


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進路と願い

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同高校新2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。

【その他】

臣原おみはら 千佳ちか…2年生。矢㮈のクラスメイト。

・佐々ささき…3年。諷杝のクラスメイト。

世良よら…3年。諷杝のクラスメイト。軽音部部長。

並早なみはや…英語教諭。諷杝のクラスの担任。

真生まさき…諷杝の養父。

一.

「うあ~微妙な点数~」

「俺は数学はそこそこだったけど古典がギリギリだ」

 続々と返却されてくる中間試験の結果を突き合わせて、佐々木(ささき)世良(よら)が溜め息を吐いた。

「まあまあ二人とも、僕よりは点数良いんだし大丈夫だよ」

 諷杝(ふうり)が励ますつもりで言うと、二人は神妙な顔で揃ってこちらを見返した。

「いやお前が一番焦れよ」

「本当に。まさか留年するつもりか? 高瀬が泣くぞ」

「うーん、也梛(やなぎ)に泣かれるのは嫌だなあ」

 諷杝の家庭教師役を務めるルームメイトの存在を思い出して、若干申し訳ない気持ちになった。

「テスト期間はどっちかっていうとそっち優先で勉強してたんだけどな~」

「先生も容赦なく難しいのぶっこんできてたから仕方ない」

「あ、やっぱり? この現代訳のとここれでダメとか勘弁してほしい」

 佐々木と世良が今更言っても仕方ない文句をぶつぶつと言い合うのを聞きながら、諷杝はちらと教室の時計に目を遣った。

 いつもなら放課後になるとすぐに教室を出るのだが、今日は用事があって意図的に残っていたのである。たまたま教室でテストを見返していた佐々木たちに付き合いながら。

 諷杝は机の上に置いた鞄を手に取って立ち上がった。

「じゃあ僕はそろそろ行くね」

「お。……そういえばお前が残ってるって珍しいな」

 思い出したように佐々木が首を傾げる。

「今から並早(なみはや)先生たちと面談」

「面談? この前やらなかったのか?」

 基本的に、全員必須の面談は中間テストが終わる前に終わっている。もっと言うと、三者面談は夏休みに終了している。

「やったけど、あんまり中身が決まってなかったから、もう一回やるって念を押されてて」

海中(わたなか)らしい……」

 絶対に褒めていない口調でため息を吐いたのは世良だ。

「で、中身は決まったの?」

「――さあ?」

 とぼけたような諷杝の返事に世良が眉を顰める。

「うわ。またもう一回やりますって言われんぞ」

「……あはは」

 言われかねないなと心のどこかで思いながら、諷杝は二人に見送られて教室を後にした。

 職員室に向かう道中、校舎内からも窓の外からも賑やかな声や音が聞こえて来る。

 掛け声と声援、その間に漂う楽器の音。冷たい風が鋭く空気を震わせる微かな音。――諷杝の耳は勝手にこれらの音を拾ってくる。

「諷杝」

 聴き馴染みのある深く優しい声が飛び込んできてはっとする。

真生(まさき)さん」

 職員室の手前の廊下に、現在お世話になっている養父の真生が立っていた。今日はわざわざ諷杝の三者面談のために来校してくれたのである。

「ありがとうございます。仕事、大丈夫でしたか?」

「大丈夫、気にしなくて良い。それよりお前の進路の方がよっぽど大事だからな」

「いや、そんなことはな――」

「ある。今まで聞いてもはぐらかされると思って黙っていたが、今日はお前が何を考えているかきっちり聞かせてもらうぞ」

 確かに真生と進路の話をした記憶はない。強いて言うなら昨年の正月辺りにそれっぽい会話をしたような気がする。

 諷杝が眉を下げて微笑むと、真生が溜め息を吐いた。

「出た、いつもの誤魔化しの笑顔」

「ええ……ひどい」

 別に誤魔化そうとしているわけではない――多分。

 諷杝たちがそんなことを小声で言い合っていると、職員室の扉が開いて担任の並早が顔を出した。

「あ、やっぱり諷杝君だ」

「すいません、声響いてうるさかったですか?」

「いや、大丈夫。僕が何となく聞こえた気がして見に来ただけだから」

 並早は問題ないというように首を振り、続いて真生の方を見て会釈した。

「お待たせしました。ご足労頂きありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。諷杝がいつもお世話になっています」

「諷杝君、今年は学校の行事も割と頑張ってましたよ」

「割とって何、並早先生。てかそんな話ここでする必要あります?」

 思わず口を挟んだ諷杝に、並早はただ笑みを返してくる。いつもより担任の余裕がある。

「その話、是非聞かせて下さい、先生」

 真生がまた馬鹿正直に申し出るものだから、諷杝は頭を抱えたくなった。

「では面談室へ行きましょう」

 並早を先頭に歩き出したものの、諷杝は複雑な気持ちで大きな溜め息を吐いた。



二.

 恐ろしく疲れた。

 面談は滞りなく終了した。諷杝(ふうり)の考えを聞いて二人は初めこそポカンとした顔をしたが、その後はスイッチが切り替わったように話を進めてくれた。

 そして、話が終わったと思ったら並早による諷杝の学校生活の報告が始まった。またそれに対する真生の食いつき具合が普通でなく、とても傍で聞いていられないと思った諷杝は先に退出することにした。

 どうせこの後、也梛(やなぎ)たちと合流する予定だったのだ。

(也梛は順調に曲を仕上げていってるし……)

 彼のやる気と才能と集中力には恐れ入る。完成時期を結構ギリギリで指定したつもりでいたが、也梛は予想以上に速いペースで仕上げて来ていた。

 毎日の勉強を欠かさず、バイトもしつつ、夜更かしすることもなく、気付いたらキーボードを弾き鳴らしているのに、一体どこで曲作りの時間を捻出しているのか。もうルームメイトとして一年半以上一緒に過ごしているのに分からない。

(さらに僕の面倒まで見てくれてるんだもんなあ。もしかして也梛って影分身でも習得してるんじゃ)

 まさかと自嘲しながらももしやと思う自分もいるから怖い。こんなことを也梛に面と向かって言おうものなら恐ろしく冷たい一瞥を返されそうだ。

「今日は食堂にいるんだっけ」

 さすがにもう屋上に集まるのは寒い。彩楸学園(さいしゅうがくえん)の食堂は放課後も場所としては開けてくれているのでありがたかった。ただし受験勉強に勤しむ生徒が増えているので、あまり音を出したりすることはできないし、逆に人の話し声で完全に集中することは難しい。

 也梛は寮に戻って作業する方が良いらしいが、今日はもう一人の音楽仲間の矢㮈(やな)がいるので食堂にしたようだ。

(演奏するなら『音響』の方が良いかなあ)

 学園の近くにある馴染みの音楽喫茶のことを考えながら歩いていると、角で誰かとぶつかりそうになって寸でのところで踏み止まった。向こうも素早い判断で回避してくれた。

「うおっと……あれ、海中(わたなか)先輩?」

「君は……臣原(おみはら)さん?」

 目の前に立っているのは、陸上部揃いのジャージに二つくくりをしたスラっとしたスタイルの女子生徒だった。彼女は諷杝の音楽仲間たちの同級生で臣原千佳(ちか)という。親友(しんゆう)の矢㮈の話によると、彼女は也梛を大層気に入っているそうだ。

「ごめんね。またぼやっと歩いてたから……」

「いえいえこちらこそギリギリまで気付かずすいません」

 多分、普段の行動からしてもこちらがぼんやりしていたせいだと思うのだが、千佳は気を遣って自らにも非があるように頭を下げた。

「臣原さんは部活だよね?」

「そうです。ちょっと予備のタオルが必要になったんで追加で取りに来て」

 自分の荷物ロッカーまで取りに行くところだったという。

「そっか。邪魔しちゃって本当にごめん。部活頑張ってね」

 諷杝は改めて頭を下げ、彼女に道を譲ろうと横に退いた。

 千佳も再度会釈をして一歩を踏み出しかけたが――ふいにピタリとその歩を止めた。

「?」

「一つ、訊いても良いですか?」

 彼女の長い睫毛に縁どられた大きな瞳が真っ直ぐに諷杝を見る。

 諷杝は馬鹿みたいにそれをまじまじと見返してしまった。普通の男子生徒ならドキリとするのだろうが、諷杝はただその瞳の大きさに驚いていた。確かに矢㮈が言っていた、学年で上位を争うかわいさというのも納得できる。

「先輩の願いは叶ったんですか?」

「……それは」

 彼女が何のことを言っているのか、諷杝は一度瞬きをする間に思い出した。

 学園祭二日目に、諷杝が魔女に扮した千佳に訊ねたことだろう。


「――I have a question for you witches.Can you make all your wishes come true?」

『魔女さん、あなたは全ての願いを叶えることができますか?』


「あたしはその時に思い付いたままを答えてしまったけど、先輩は何か納得したような顔をしていたから、ちょっと気になってたんです」

 千佳はそこまで言って、「いや違うわね」と小さく独り言ちた。

「本当に気にしているのはあたしではなく高瀬君と笠木(かさぎ)だと思いますけど」

 それを聞いた諷杝はふっと笑いを溢した。

「臣原さんはさすがあの二人の友達だなあ」

「大事な友達ですから」

 さらっと言う彼女が眩しい。諷杝は自分のことのように嬉しく感じてしまった。

 諷杝は暫く微笑んだまま彼女を見ていたが、やがて小さく息を吐き出した。何となく、窓の外の向こう、揺れる木の葉を見つめた。

「君の答えにちょっとほっとしたんだよね」


「You can't have your cake and eat it too.」

『二つを同時に手に入れることはできないわ』


「『二兎追う者は一兎も得ず』。魔女様もそうなんだなあって」

「本物の魔女様は知らないですけどね。あくまであたしが魔女ならそうですっていう答えで」

 そもそもあたし、魔法も何も使えないただの人間ですからね?と彼女は当たり前のことを念押しした。それはもちろん承知している。

「失礼なこと言いますけど、先輩ってあんまりこうしたいとかああしたいとか強い望みがあるようには見えないんですよね」

「うん、周りからもよく言われる」

 諷杝の頷きに千佳が微かに眉を下げた。少し呆れられただろうか。

「でも、あの時の質問からすると、本当はそういう望みがあるのかなって」

 千佳は少し考えるように言葉を切り、探るように続けた。

「しかもあたしの回答、直球の返事じゃなかったでしょう?」

「――確かにね」

 諷杝は魔女に「全ての願いを叶えることができるか」と訊いた。

 通常答えとしては、「できる」もしくは「できない」が一番シンプルだ。

 対して彼女は「二つを同時に手に入れることはできない」と答えた。初めから、諷杝の中に叶えたい願いが複数あるのが分かっていたような答えだった。

「正直にぶっちゃけますけど、あれはただの勘と言うかノリというか反射でそれっぽく英語で答えた、というのが正しいです」

 諷杝はその言葉に思わず安堵を覚えた。

「……良かった。魔女様には全てお見通しなのかと少しぎょっとしたんだ。臣原さんは鋭いね」

「お見通しだったんですか?」

「まあ、当たらずといえども遠からず、といったところ?」

「そうですか」

 千佳は一つ頷き、それ以上は追求して来なかった。特に興味がないのか、気を遣ってくれたのか。

「と、長々と引き留めてしまってごめんね」

 諷杝が話を切り上げようとすると、千佳もあっさりそれに従った。

「いえ、こちらこそ余談でした」

 今度こそ千佳が踵を返す。

 諷杝は少し迷いつつ、その背に声をかけた。

「僕の願いは、一つ一つ叶えて行くよ」

 彼女は振り返らなかった。どんな表情をしているのかも分からなかった。



三.

 春先から夏休み明けくらいまではほぼガラガラだった放課後の食堂は、今日も席が七、八割がた埋まっている。

 はっきりとした内容は聞き取れないが、あちこちから聞こえて来る小声が騒めきとなって諷杝の耳に流れ込んでくる。

 諷杝(ふうり)は一つ深呼吸をすると、意を決してテーブルの間を縫って進み、彼らの姿を探した。

「ちょっと待って、ここはこっちの方が流れがスムーズだと思う」

「なるほどな。じゃあこっちは? 繰り返しのフレーズだから同じ方が自然だと思うが」

「そこはそのままで良いよ。だけどこの後が――」

 彼らはちゃっかり窓側の席を陣取っていた。窓の向こうに見えるテラス席にはさすがに人はいない。この窓際の席も少し冷えるからか周りに座る生徒の姿はなく落ち着いている。

「おう、お疲れ」

「諷杝、お疲れ様」

 也梛(やなぎ)矢㮈(やな)が諷杝に気付いて顔を上げる。

「君たちもお疲れ」

 諷杝はほっとした気持ちで丸テーブルを囲む椅子の一つに腰を下ろした。

「面談どうだった?」

 矢㮈が無邪気に訊いて来る。

「……疲れた。まだ真生(まさき)さんと並早(なみはや)先生の話が続きそうだったから先に抜けて来た」

「お前の成績と生活態度について報告されることがそんなにあったのか?」

 也梛が嫌な推測をするので、諷杝は肩を竦めた。

「そっちの方がまだ良いかも。とりあえず僕が小っ恥ずかしくなるような微笑ましいお話を並早先生が逐一報告してくれて……音楽祭とか、学園祭とか」

「へえ?」

 也梛が無表情で相槌を打つ。

「それで真生さんもまた是非聞かせてくれみたいな態度だから余計に――」

「そりゃ諷杝は離れて暮らしてるんだから、聞きたいよね、家族として」

 矢㮈がフォローするように言うので、諷杝も小さく頷いた。

「まあ、気持ちは分からないでもないんだけど。そもそも僕が全然そういう話をしなかったってのもあるから」

「じゃあ諦めるしかねえな」

 あっさり言い放つ也梛が少し恨めしい。絶対こいつも同じ立場だったら恥ずかしくて不機嫌になるだろうに。

 諷杝は内心でため息を吐くと気持ちを切り替えた。

「それで、そっちはどんな感じ? 也梛、矢㮈ちゃんとの擦り合わせはどう?」

「まあまあな感じ。再検討のところもいくつか出て来てる。やっぱり本人に訊かなきゃ分かんねえことも多い」

 矢㮈は最終的にバイオリンを弾くので、也梛が作成した譜面を元にその辺りの調整をしていく必要があった。全体のまとまりは意識して然るべきだが、基本的にバイオリンのパートに関しては彼女の意見を重視するスタイルだ。

「てか諷杝、こいつ本当にどうなってるの? ついこの間、作曲進めて行きましょうねって話をしたとこなのに、もう全体まとまりかけてるじゃん」

 矢㮈が信じられないという顔で訴えかけて来るので諷杝は苦笑するしかなかった。

「だよね。僕もちょっと意味が分からないんだ。もしかしたら也梛は影分身ができるんじゃないかなとか考えてた」

 先程ちらりと思ったことを言って見ると、想像通り也梛の冷たい一瞥が返って来た。

「アホなこと言ってんじゃねえ。俺は普通の人間だ」

「普通の、ねえ?」

「ねえ?」

 諷杝と矢㮈が顔を見合わせて首を傾げ合うと、也梛は小さく舌打ちした。

「元々ベースはできてる曲だからここまではそんなに時間がかからないんだよ。むしろ演奏し始めてからの細かい調整の方が時間食うかもしれないと思ってるところだ」

「そうなの?」

「お前の父さんはまさかギターとキーボードとバイオリンで演奏されるなんて考えてなかっただろ?」

 それは確かに。かつて父親が組んでいたバンドにバイオリン奏者はいなかった。逆にボーカルはいたが。

「そういう意味では俺たちの演奏に合わせるのにまだまだ調整が必要ってこと」

 今はまだ下拵えの段階だぞ、と也梛はまた譜面に視線を落とした。手元にある譜には書き込みがいっぱいで、音符が埋もれて見辛くなっている。だが也梛は全てが頭に入っているのか何も問題なさそうだった。

 也梛が書き込みの方に集中している間、少し手持無沙汰になったのか飲み物に手をつけた矢㮈に諷杝は視線を向けた。

「矢㮈ちゃんの方は順調?」

「ん?」

「コンクール」

「ああ……うーん、微妙?」

 彼女は唸りつつ、眉を八の字にして小首を傾げた。つられて諷杝の頭も傾く。

「微妙?」

「練習はしてるんだけど、何て言うか……相変わらず自分の理想と現実が合致しなくてムキーってなって、全然上達を感じられないの」

 矢㮈は一口喉を潤し、

「おばあちゃんはちゃんと毎日良くなった点とか教えてくれるんだけどね。でもそれが自分では実感ないっていうか、分かんなくて」

 別におばあちゃんを信じてないわけじゃないんだけど、とぼやきながら、またうーんと唸る。

「何て言うんだろうなあ……やっぱりなかなか自信を持てないよね」

 困ったように笑う彼女が少し泣きそうに見えて、思わず諷杝の胸も締め付けられた。

 きっと彼女は毎日努力している。今までも努力して来たのを知っている。

 だけど彼女自身はまだ自信を持てないという。

「矢㮈ちゃん――」

「自信なんて()()()が来なきゃ分かんないもんだろ」

 譜面に集中していた也梛がふいに口を挟んだ。聞いていたらしい。

「その時って?」

 矢㮈が訊ね返すと、

「その時はその時だ。気付いたら、ああこれは大丈夫って思えるその瞬間」

 也梛の答えは何とも曖昧だったが、言わんとしていることは何となく諷杝も分かるような気がした。

 矢㮈は難しい表情で也梛を見つめた。

「……分かんない」

「ならまだその時じゃないんだろ」

「じゃあやっぱり今のあたしには自信がないってこと?」

「もしくはお前が気付いてないだけかもな」

 也梛が一度だけ顔を上げ、無表情で矢㮈を見返す。彼女は小さく「気付いてないだけ」と呟いた。まだ難しい表情をしていたが、その言葉を噛みしめるように黙り込んだ横顔が少しだけ和らいだような気がしないでもない。

(也梛は小難しいこと言うけど、何だかんだで矢㮈ちゃんを励ましてるよね)

 彼が口に出すことはいつも容赦がなく、さすがに諷杝も言い方がどうかと思うこともある。だがいつだって、相手のために言ってくれている言葉なのだと分かる。

(まあもちろん、ただの八つ当たりも多いけど)

 そういう時はオーラにも不機嫌さが表れるので下手に返答しないのが得策だ。

「はあ、高瀬は自信の塊だよね」

 矢㮈が脱力したように椅子の背に凭れ掛かりながら何げなく言う。

 諷杝も苦笑しながら頷いた。

「確かにそうかも」

 考えてみれば、也梛はいつも何をやるにしても自信があるように見受けられた。今回の作曲についてもだ。

「……俺は基本的にできると思った事しかしないからな」

 またちゃんと聞いていたらしい也梛がボソリと呟く。

 彼は恐らく、自分の能力と対応できるキャパをきちんと理解し、その上で何をやるのか決めたり仕事を引き受けている。その理解には、言うまでもなく彼の途方もない努力があり、試行錯誤があり、それは今も継続して行われているに違いない。

(僕はどうかなあ)

 諷杝もまた、自分に自信があることなど全然思いつかないのが現実だった。日々、とりあえずどうにかなるやと思って生きている。

(ああ、そうか)

「僕の自信は、君たちから来てるのかも」

「え?」

「は?」

 矢㮈と也梛が同時にそれぞれ疑問の眼差しを送って来る。

 諷杝は微笑んで自信満々に言った。

「僕自身には自信がなくても、二人なら何とかしてくれるだろうっていう自信ならあるなあと思って」

「……」

 矢㮈と也梛が同時に溜め息を吐いた。

「諷杝、それは自信って言う?」

「他力本願の間違いじゃないのか?」

 二人の呆れたような声に、諷杝は声を上げて笑ってしまった。



四.

 バイオリンの練習があるという矢㮈を諷杝たちは食堂から見送った。自分たちは折角食堂にいるのだからと、ついでに晩ご飯を食べて帰ることにした。

 食堂は夕方六時に一般生徒の利用を終了し、それ以降は寮生たちが食事場所として利用する。全校生徒を対象とする昼間に比べるとだいぶメニューは限られるが、運動部員の利用も多いので量は十分だ。――むしろ諷杝には多すぎていつもおばちゃんに少量を希望して対応してもらう。

「あー、お腹いっぱい」

「だな」

 ご飯と全てのおかずを少量にしてもらったのにこの満腹感はどうなっているのだろう。特に間食もしていなかったというのに。

 也梛は特に少量にしていなかったが、こちらも満腹なのには違いないらしい。ただ別腹だとばかりにちゃっかりコンビニでデザートを買っていた。今夜の楽しみだそうだ。

「そういえば」

 何ともなしに也梛が口を開いた。

「お前、進路どうするか決まったのか?」

 諷杝は立ち止まりそうになった足を無理やり前に運んで誤魔化した。

「……まあ、何となく」

「そうか」

 也梛はそれ以上訊いてこない。逆に諷杝の方が訊ねてしまった。

「僕がどうするか訊かないの?」

「今はな」

 也梛は端的にそれだけ言う。

「本音を言えば気になるけど、でも何にしろお前の進路の話だ。お前が決めたことに俺がどうこう言うつもりはないし、言う資格もない」

「そっか……そうだね」

 訊かれないことにほっとする自分と、少しだけ寂しく感じる自分がいる。諷杝は自分の身勝手さに内心で苦笑した。

 也梛は相変わらずの無表情で念のためとばかりに確認してきた。

「でもとりあえず卒業はするんだな?」

 超基本的な確認事項に、諷杝は一瞬唖然としてしまった。失礼な、と怒りたい気持ちよりも少し心配な自分が顔を出す。

「う、うん……! 多分!」

「何なんだその頼りない返事」

 也梛が額に手をあてて横を向いた。最後までこのルームメイトには世話と心配をかけることになりそうだ。

 諷杝は心の中で少しだけ反省して、気を取り直すように也梛の顔を覗き込むように見た。

「ねえ、也梛。一つだけお願いがあるんだけど」

「何だ」

 也梛は面倒くさそうに返事する。

(僕が叶えたい望みの一つ)

 なかなか口を開かない諷杝を不思議に思ったのか、眉間に皺を寄せて黒髪男子がこちらを見る。

 諷杝はそんな彼を見上げたまま、いつものように微笑んだ。

「僕がどこに行ったとしても、也梛は僕の音楽仲間だからね。一緒に音楽してね」

 也梛が虚を突かれたように目を見開く。

「お前、急に何言って――」

「それから、もしも也梛がどこかに行ったとしても、僕は君の音楽仲間をやめないから。絶対にどこかでまた一緒に演奏するからね」

(これは一番に譲れない条件)

 也梛がどう思っているのかなど知らないが。もしかしたらいつか諷杝に愛想をつかせてしまうこともあるかもしれないが。

 諷杝たちはきっとこれからそれぞれ違う道に歩んでいくことになるだろう。だが、それでもどこかでその道が交わる場所があると良い――いや、作る。

 気付くと隣に並んでいたはずの也梛が消えていた。振り返ると、数メートル後ろに立ち止まっている。

 諷杝は少し困った風に笑い、彼の元に引き返した。

 也梛はじっと諷杝を見つめていた。何も言わない。

「也梛? 聞いてる?」

 諷杝が彼の顔の前で手を振って暫く、漸く也梛が溜め息と共にその手を煩わしそうに払いのけた。

「お前は相変わらず突拍子もないことをいきなり言う」

 彼の声はどこか不機嫌さが漂っていた。諷杝は何も言い返さないでいた。

「さっきも言っただろ。お前がどんな進路に進むにしろ、俺は口を出さない。それから」

 ふいに頭に重量を感じた。追って、髪の毛を乱暴に掻き回される感覚がする。

「ちょ、也梛――」

「これからもお前と一緒に音楽をするのはもう決定事項だ。そんなこと今更願わなくてもいい。じいさんになっても付き合ってやるよ」

「!」

 也梛の細くて長い指の下で、諷杝はふいに泣きそうになっている自分に気付いた。

(僕、父さんたちが死んだ時もほとんど泣かなかったんだけどなあ)

 友人にこんなことを言われただけで涙腺が動くなんて驚きだ。逆にびっくりしすぎて涙は引っ込んだから良かったかもしれない。

 諷杝が顔を上げた時、きっと涙は浮いていなかったはずだ。少し目は赤くなっていたかもしれないけど、泣いていないで突き通すつもりだったし、也梛もスルーしてくれることを祈っていた。

 だが、現実は小説より奇なり、だった。

「……え、也梛、どうしたの」

 顔を上げた諷杝の目に飛び込んできたのは、眼鏡を外して上を向く彼の横顔だった。

 先程まで諷杝の頭の上にあっただろう大きな手は彼の目元にあった。

「――何でもない。目にゴミが入っただけだ」

 これが下手くそな言い訳であることは考えるまでもない。あんなに本を読んで国語の成績が良いのに、何でこの言い訳を選んだのだろうと不思議になる。

 諷杝はそんなことを感じながらもスルーすることにした。

「そっか。今日はゴミが多いのかな。僕も目が痛い」

「何だそれ」

 寮に帰るまで、二人は目を合わせなかった。

 そして部屋に飛び込んだ瞬間、我先にと洗面所に駆け込んだ。

 もちろん、瞬発力の差で諷杝が負けたのだった。

ここまで読んで下さってありがとうございます。

あれ、最後男子二人大丈夫…!?って感じですけどスルーしてあげてください。諷杝がどんな進路を選んだのか、分かるのはもう少し先ですが、見守っていただけますと幸いです。

(2023.02.19)

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