閉幕のダンス<学園祭三日目・前編>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・並早…英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・臣原 千佳…2年生。矢㮈のクラスメイト。
・松浦 大河…2年生。同上。
・衣川 瑞流…2年生。也梛のクラスメイト。
一.
彩楸学園の学園祭は全三日間の日程だが、笠木矢㮈にとってはもう二日目の文化祭が終了した時点で閉幕している。なんならもう三日目はなくて良いとさえ思っている――決して、三日目を大いに楽しみにしている親友には口が裂けても言えないが。
そう、三日目は体育祭なのである。
「あー、良い天気! よっしゃー頑張るわよー!」
体操服のジャージを着こなした親友はばっちり赤い鉢巻が似合っている。昨日まで小劇で妖艶の魔女を演じていた人と同一人物だとはとても思えない。こちらが本来の彼女である。
「千佳ちゃん張り切ってるなあ」
「あったり前! 学園祭で一番楽しみしてたの体育祭だから!」
臣原千佳はにっかりと男前に笑う。陸上部期待の単距離走者は太陽級に眩しい。
「は、ははは……頑張って」
対して矢㮈は乾いた笑いを零しながら、もたもたとした手で赤い鉢巻を頭に巻いた。
女子たちは鉢巻の巻き方一つとっても色々と可愛く結び方をアレンジしていたが、千佳を見るといつもの二つくくりに鉢巻もシンプルに結んでいた。彼女の場合はそれでも十分引き立っている。
(とりあえず頑張って今日を乗り越えよう)
窓の外には雲一つなく吸い込まれそうな高い空。じわじわと気温は上がり、日差しも厳しいだろうことは想像に難くない。
矢㮈は念入りに日焼け止めを塗り、屋外に持って行く荷物をまとめた。
「おはよ、笠木さん、臣原さん」
昇降口に向かう途中で同じクラスの松浦大河に声をかけられた。
「松浦君おはよう」
「おはよう。調子はどう? 勝てそう?」
矢㮈の挨拶をかき消す勢いで千佳が松浦に訊く。その勢いに松浦は若干身を引いた。
「相変わらず臣原さんはガチ勢だな……」
「貴重な運動部員なんだから、しっかり得点稼いでもらわないと」
「オレはだらけ部員ですけどね」
「今日はそれを取り返しなさいよ」
「そんな無茶な」
呆れた顔をする松浦の背中に気合を入れるがごとく千佳の平手打ちが炸裂して良い音がした。
「臣原さん容赦ない」
「期待してるのよ。頑張って」
彼女から応援をされるなんて大抵の男子が羨むことだろうに、松浦は怯えたように矢㮈の方に身を寄せた。
「怖い笑顔」
「あはは」
今の千佳は勝負のことで頭が一杯なのだ。矢㮈も静かにしておこうと胸の中で誓う。幸い自分は松浦程期待されてはいない。
千佳が同じ陸上部の生徒に声を掛けられてそちらに向かったのを見て、松浦は気を取り直したように話しかけて来た。
「そういえば聞いた? 今年は後夜祭するって話」
「ああ、ちらっとだけ」
いつもは体育祭が終わると同時に閉会式に移って行事は終了するのだが、今年は学園祭実行委員会と三年生が粘ったとか何とかで後夜祭なるものの開催が決まったのだという。だが基本的には自由参加だ。
「松浦君は参加するの?」
「うーん、その時のノリかなあ。笠木さんは?」
「あたしもその時次第かもなあ。体育祭の後って疲労感すごいし」
「確かに」
真剣な表情で大きく頷く松浦は本当に運動部員なのだろうかと不思議な気分になる。ちなみにバスケ部だ。
「高瀬と衣川にも訊いてみようかと思ってるんだけど」
「高瀬は絶対参加しなさそう」
「オレもそう思うけど、万が一ってこともあるかもしれないし。あいつ、何だかんだで頼みこまれたら弱いとこあるだろ」
「……松浦君、だいぶ高瀬のことが分かって来たね」
「あの一匹オオカミとつるみ始めて早一年半。やっとだよ!」
その言葉に少し感動してしまう。確かに彼らと一緒にいたからこそあの高瀬は周りに馴染めたところがあるように思う。
「でも後夜祭って何するんだろうね?」
漫画やドラマで見たキャンプファイヤーを囲んでみんなで踊っているという場面しか思いつかない。
「正直オレもよく分からないけど、まあ打ち上げみたいなものなんじゃない?」
「なるほど」
二人して首を傾げているうちに、離れていた千佳が戻って来た。
「二人とも何間抜けな顔してるのよ?」
「うーん? 後夜祭の話を……」
「後夜祭? ああ、今年はするとか言ってたわね。でもまずは昼の体育祭よ! 祝杯をあげるためにも頑張るわよ」
「――臣原さんは結局そこだよね」
ボソリと呟いた松浦は悟ったように頷いた。
二.
「あ、やばい。何か熱があるような気がする」
二段ベッドの下段、まだ薄い掛け布団の中からルームメイトのくぐもった声が聞こえる。
その布団を容赦なく剥いで回収し、高瀬也梛は眉を寄せて挨拶を返した。
「おはよう、諷杝。さっさと用意しろ」
海中諷杝が子犬のような表情でこちらを窺うが、それをスルーして彼をベッドから追い立てる。
「也梛、せめて体温計で計らせてよ」
唇を尖らせた諷杝の額に自分の手をあてる。全然熱くない。
「大丈夫だ。問題ない」
「也梛では分からない微熱があるかもでしょ」
「俺の手は冷たいから、少しくらいあったら分かる」
「……そういう問題じゃないんだけど」
諷杝は溜め息を吐き、諦めたようにのろのろと準備を始めた。これ以上食い下がらないところを見る限り、やはり仮病だったらしい。昨年も同じようなことを言っていたか。
「いいじゃねえか、今年で最後の体育祭だろ。最後くらい頑張れよ」
「そうだけど、頑張りたくないよ……」
すでに疲れた顔の諷杝に思わず苦笑する。そんなに嫌なのか。
「也梛は何色?」
「青」
「あ、うちと一緒だ。矢㮈ちゃんはどこかな」
「……あいつのとこは赤だったか」
「そっかー」
体操服に身を包んだ諷杝はまだ眠そうに欠伸をしている。
「はいはい。無駄話はその辺にして早く行くぞ」
「はーいー」
諷杝がやる気のなさすぎる子どものように返事した。
この困った先輩を引き摺って登校した也梛は、昇降口で見知った顔を見付けて遠慮なく声をかけた。
「佐々木先輩。おはようございます」
「おお、高瀬。――それに諷杝も。おはよう」
佐々木は三年間諷杝と同じクラスだった頼れる先輩だ。高瀬は躊躇うことなく彼に諷杝を託すことにする。
「こいつ、よろしくお願いします」
「お前本当にすごいよな。ちゃんとこいつを準備させて登校させるとこ。一年の時の体育祭なんて堂々と遅れて来て――」
「佐々木君、そんな過去の話を也梛の前でしなくていいでしょ」
ずっと黙っていた諷杝が途端に口を挟んでくる。佐々木は溜め息と共に口を噤んだが、也梛には何となくどういう状況だったのかが想像できた。つまり諷杝はこの三年間あまり成長していないということだ。
也梛のじとっとした視線を受けた諷杝はすいと横に逃げる。
「佐々木先輩。改めてよろしくお願いします」
手のかかる弟を預ける兄のような気持ちで再度頭を下げると、佐々木があははと笑った。
「ほいほい了解。体育祭、お互い頑張って乗り切ろうな!」
その笑顔に少しだけ安堵して、也梛は自分のクラスの方に足を向けた。
校舎内には学園師弟の体操服を着た生徒と、この学園祭で揃えたクラスTシャツを着ている生徒が入り混じっている。どちらを着ても良いことになっているが、也梛は昨日洗濯物を回しそびれたので体操服の白いTシャツにジャージだった。
「高瀬、おはよ」
「ああ、おはよう」
教室で声をかけてきたのは同じクラスの衣川だ。
「とうとう来ちゃったな、体育祭。暑そうだし早く終わらないかな……」
諷杝と負けず劣らずのぼやきに思わず苦笑が漏れた。こいつは確かサッカー部だったと記憶していたが。
「部活対抗リレーとか出ないのか?」
「出るわけないじゃん。俺より速い先輩たちがいっぱいいるし。俺は応援で十分」
「……なるほど」
そういえば衣川はあまり真面目な部員ではなかった気がする。まだバスケ部の松浦の方が部活動への出席率は高かったはずだ。
「それに多分高瀬の方が速いんじゃない?」
「それはないだろ。俺は帰宅部だぞ」
「いやいや。バイトだなんだで鍛えられてるでしょ。あとは長い脚のリーチ」
「それは文句を言われてもどうにもならんな」
背が高い也梛とは対照的に衣川は小柄なのだ。ちょいちょい背を十センチ程分けてくれと無理な注文を言ってくる。
「松浦はバスケ部チームで出るんじゃないかな、リレー」
「へえ」
「まああっちはクラスに体育祭の鬼がいるからね」
「鬼……?」
「うん、今年も臣原さんの気合がすごそうだよ」
隣のクラスの女子生徒の名前に也梛の眉が寄る。陸上部期待の単距離走者の彼女は昨年も体育祭に燃えていた。
「……同じ色じゃなくて良かった」
「同感」
この時ばかりは衣川に同感だったが、一方で彼女自身の走りは見てみたいと少し思った。
三.
暑い。
午前の部が終了する頃、すでに矢㮈はへたっていた。
出場した競技と言えば徒競走と玉入れと大縄跳びだけだというのに、気候的な暑さと生徒たちの熱気に当てられて疲労感がすごい。
「あーかーぐーみーファイッ!」
「おーっ!」
同じ赤組のテントからは元気な声がこだまする。この声の出し方からして運動部が多そうだなと思っていると期待に漏れずその中に千佳の姿を見つけた。
(千佳ちゃん輝いてるなあ)
太陽の強い日差しをものともせず声を出す彼女の姿を眩しく思いながら、矢㮈はふらふらと水飲み場の方へ向かった。
一列に並ぶ蛇口の一つを捻ると、ザーッと勢いよく水が流れ出た。手をくぐらせると、水は籠った熱を押し流してくれる。
(ああ、これだけで生き返る……)
ついでに火照った顔も冷やし、タオルで拭いながら校舎の日陰に腰を下ろした。
「ふう……」
「お前もサボりか」
「!?」
ハッとしてタオルから顔を上げると、そこには見慣れた顔が二つあった。
矢㮈のように若干へたっている肌の白い男子と、その横で呆れた顔をして腕組みをする背の高い男子だ。二人とも青い鉢巻をしていた。
「諷杝、高瀬」
「暑いねえ。日陰に退散しに来た」
諷杝がどっこいしょと言いながら矢㮈の隣に腰を下ろした。
「お前まだ綱引きしか出てないだろ」
「障害物競走も出たよ?」
即答した諷杝に、高瀬は「……そうか」と曖昧に頷いた。何もそんなに必死に答えなくても、という顔だ。
「矢㮈ちゃんも頑張って走ってたね」
諷杝がこちらを見て言うので、矢㮈は思わず目を見開いた。
「見てたの?」
「うん。結構綺麗なフォームだったよ」
「ええ? いや、それはないでしょ……」
折角冷えた頬がまた火照ってきそうだった。実は今日走る前に、少しだけ千佳にアドバイスをもらっていたのは内緒だ。
「それを言うならあたしも諷杝が走ってるとこ見たよ。……こけなくて良かったね」
何と言うか、彼の走りはどこか見ている者をハラハラさせた。彼が無事にゴールを切るまで、矢㮈は心の中で「こけるなこけるな、躓くな」と繰り返し気が気でなかった。
不思議そうな顔をする諷杝からちらと高瀬に視線をやると、彼も黙って一つ頷いた。どうやら彼も矢㮈と同じ気持ちだったらしいと察することができた。
「也梛は相変わらず可も不可もなくっていう走りだったなあ」
「あ、それ分かる。ちょっと悔しいよね」
「何だそれ」
高瀬はいつも通り愛想のない反応を返す。
「也梛はキーボード弾いてなかったら普通に運動部だったような気がする」
諷杝が何ともなしに言うと、高瀬は微かに眉を寄せた。
「それはどうだかな」
「運動部でキャーキャー言われてたら面白いね」
矢㮈も口を挟むと、じとっとした目で抗議された。その無言の圧力はやめてほしい。
スピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。
「あ、お昼だ」
「やっとかあ~。もう帰りたい~」
「馬鹿言うな」
一度座って重くなった腰を思い切って引っ張り上げる。矢㮈の隣で同じように立ち上がった諷杝は思わずよろけて高瀬に支えられていた。――大丈夫だろうか?
「矢㮈ちゃん、お昼は臣原さんと食べるの?」
「うーん、特に約束はしてないんだけど……」
いつも自然と一緒に食事をする流れになるが、実は特に約束をしているわけではない。千佳が部活の友人たちと一緒の時もあるし、矢㮈が諷杝たちと食べる時もある。
「千佳ちゃん今日は陸上部の子たちと食べるかもしれないね」
まさに今一緒に応援しているだろうメンバーたちと。
「じゃあ僕たちと一緒に食べない?」
「え?」
「也梛も一緒だけど」
「俺が一緒じゃない方が良いなら他所へ行くぞ」
「いやいやそんなこと言ってないでしょ! 三人で食べよう」
軽口を叩き合う二人をポカンと見つめ、矢㮈は小さく笑った。
「うん、一緒に食べよう」
体操服で一緒にご飯を食べるなんて、音楽祭の合宿以来だなと懐かしく思った。
「おや、君たちこんなところで食べてたのかい?」
おにぎりに弁当に菓子パンに……とそれぞれ持ち寄ったものを交換しながら食べていると、馴染みの教諭が通りがかった。並早だ。
矢㮈たちは中庭の奥に植わった一本の朴の樹の下に集っていた。夏に大きな花弁をつけていたそれは今果実へと変わり、熟すごとに枝先が垂れ下がっていくのが想像できた。
「並早先生もご飯ですか?」
「うん。みんな、サンドイッチ食べる?」
矢㮈たちが一斉に頷くと、並早は笑いながら矢㮈と高瀬の間に腰を下ろした。彼は手に持っていた風呂敷を開き、重箱に詰めたサンドイッチを披露する。
「うわ何ですかこれ!?」
「先生が作ったんですか?」
「重箱……」
矢㮈と諷杝と高瀬がそれぞれの声を上げると、並早は首に手をあてて困ったように微笑んだ。
「料理は嫌いじゃないからたまにするんだ。先日近所の人にたまごをたくさんいただいたから、サンドイッチに詰めて来たんだよ」
他にもひき肉が云々……と説明してくれる並早はどこか楽し気で、矢㮈たちは意外な思いで彼の話を聞いていた。ありがたくご馳走になったサンドイッチは驚くほどおいしかった。
「先生、こっち方面に才能あったんだ」
「あはは。まあ楽器よりは得意かなあ」
「ていうか先生、こんな量持って来て一人で食べるつもりだったんですか?」
高瀬が不思議そうに訊くと、並早はふふと優しい笑みを浮かべた。
「折角だから誰かにお裾分けしようとは思ってたんだ。それが君たちだっただけ」
「じゃああたしたちラッキーだったんだ」
「そう思ってくれたなら嬉しいなあ」
四人で話しながらとる昼食の時間は、とても体育祭の最中だとは思えないくらい穏やかだった。
「並早先生は高校生の時何の競技出たんですか?」
並早はここの学園の卒業生である。
「僕? うーん、騎馬戦とか棒引きとか……?」
「うわあ、結構激しいやつだ」
諷杝が途端に苦い表情になる。ちなみに棒引き競技は今日も行われていた。
「あとは借り物競争とか……ああ、そうそう。昔、諷杝君のお父さんがすごいもの引き当ててたなあ」
「父さんが? 何を?」
急に出て来た自分の父親の話題に諷杝が小首を傾げる。
「引き当てたお題が『十連発ギャグをしてくれそうな人』でね……」
「は?」
矢㮈たちは揃って目を見開いた。何だそのお題は。
「旋さんは何を思ったかうちの兄さんを引っ張ってゴールしたんだ」
「樹さんを?」
樹とは並早の兄で諷杝の父親の旋と同級生だった人だ。
「そう。ゴールするなり、審判役の生徒の前で十連発ギャグを披露することになって」
「やったんですか?」
「うん。旋さん以外誰にもウケなかったけど」
「それは審判的にはアウトでは?」
高瀬が冷静な感想を述べると、並早が苦笑する。
「その時の審判がさすがに同情してOK判定してくれたんだよ」
「……甘い」
高瀬の評価は辛い。
「あの頃も賑やかだったなあ」
並早は当時に想いを馳せるように高い空を見つめた。その横顔は懐かしさと少しだけ寂しさが入り混じって見えた。
(あたしもいつかこうして四人で話していたことを思い出して懐かしく感じるのかな)
暑い体育祭の日。こうして中庭の奥にある朴の樹の下で食べたお弁当とサンドイッチを。
矢㮈はふと寂しさを感じて、それを振り払うようにデザートに持って来た父親手作りのゼリーに手を伸ばした。
後編に続きます。(2022.11.24)




