魔女への質問<学園祭二日目>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・並早…英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・臣原 千佳…2年生。矢㮈のクラスメイト。
・松浦 大河…2年生。同上。
・世良…3年生。諷杝のクラスメイト。軽音部部長。
一.
「お前、今日は携帯忘れるなよ」
「うん、大丈夫。ほら、入れてる」
ルームメイトの海中諷杝が制服のズボンのポケットに携帯を入れるのを確認して也梛は息を吐いた。ちゃんと充電をしていたのも知っているので、後は本人がしっかり確認するかどうかの問題だ。
「そういう也梛も忘れないようにね」
「当たり前だ」
昨日は諷杝が携帯を忘れたせいで也梛が迷惑したのである。
「今日はいよいようちの演劇かあ」
諷杝は自分のクラスの発表にも関わらずどこか他人事のように言った。昨年と違って出演しなくて良いからか余裕を感じる。
本日は学園祭二日目、文化祭は最終日だ。
「午後からは矢㮈ちゃんとこの小劇で、その後は軽音部のステージ……忙しいな」
そう呟く諷杝は言葉とは裏腹にあまり忙しいと思っているように見えない。いつ通りマイペースだ。
「也梛はまた今日もお化け屋敷あるんだよね?」
「ああ。お前んとこの劇見た後にな。午後からはフリーだから一緒に回れる」
「了解。じゃあお昼に合流しよう」
也梛の担当が早く終われば一緒に昼ご飯も食べることができそうだ。
昨夜洗濯して吊るしてあったクラスTシャツを頭から被りながら、諷杝がそういえばと話を振って来る。
「昨日はあれから動けなくなる子はいなかった?」
マグカップに伸ばした也梛の手が止まる。何の話をしているのかはすぐに分かってしまった。
「……いるわけないだろ。あいつが特別だったんだ」
也梛のクラスのお化け屋敷の話だ。高校生が作ったお化け屋敷にしてはなかなかの評判で、小学生から大人まで楽しめる内容になっていた。
そのお化け屋敷で、昨日一人の女子生徒は腰が抜けて動けなくなったのである。――それが也梛たちの音楽仲間の笠木矢㮈だった。
おかげで也梛は彼女を抱えて出口まで運ばなければならなくなった。
(……いわゆるお姫様抱っこで)
知らず知らず也梛の眉間に皺が寄る。それを見てなぜか諷杝は愉快そうな顔をしていた。
「あんなに怖がるなら入らなければ良かったんだ」
也梛が溜め息を吐くと、諷杝が苦笑した。
「うん、僕も悪いことしちゃったなと思ってる。まさかあそこまでダメだとは思わなくて」
「思わんだろ。小学生でも普通に入ってたからな」
後は諷杝が一緒だったということもあるだろうな、と思ったが也梛は黙っていた。
「あの後矢㮈ちゃんすごく恥ずかしがってたんだよね」
「そりゃあそうだろうな。俺にあんな運ばれ方したんだからな」
「今日矢㮈ちゃんと顔合わせてもからかっちゃダメだよ」
「俺は礼を言われる方じゃないか?」
なぜ也梛の方が釘を刺されなければならないのか。納得がいかない。
「……別にそこまで重くなかったぞ。若葉と変わらん」
「それだよ也梛。余計なこと言っちゃダメだからね」
諷杝がこれみよがしに肩を竦めて溜め息を吐く。
也梛は「へいへい」と適当に返事をして、マグカップに残っていたインスタントの紅茶を飲み干した。
壁にかけた時計は八時を指している。朝一で演劇を控える諷杝のクラスは集合時間が早いらしい。彼に合わせる必要もないのだが、也梛も一緒に出ようと考えていた。
寮を出ると雲一つない青空が広がっていた。風は少し涼しいが、まだ残暑が残るこの時期、気温は徐々に上がっていくだろう。
「屋内でも暑そうだな……」
也梛は眩しい空に目を細めた。
二.
「あれ? 笠木、海中先輩のクラスの演劇観に行くんじゃなかったの?」
教室の窓の桟に腕を乗せて唸っていた矢㮈は友人の声に振り返った。
いつもの二つくくりを三つ編みにアレンジして、クラスTシャツをバッチリ着こなした美少女がそこに立っていた。
「千佳ちゃん……」
「どうしたの。どこか具合悪いの?」
「悪くないけど……」
歯切れの悪い矢㮈の返答に臣原千佳は小首を傾げた。一緒に三つ編みもさらりと揺れる。
(言えない。千佳ちゃんにはとても言えない)
昨日の夕方から矢㮈を苛んでいる出来事は、特に目の前の彼女にだけは絶対に知られたくないことだった。
千佳は暫く矢㮈の顔を覗き込んでいたが、
「後十五分で始まるわよ?」
それ以上理由を聞くのはやめて現実的なことを知らせてくれた。
「あたしも陸上の先輩のクラス見に行く約束しちゃってるから一緒に行けなくてごめんね」
あまつさえそんなことまで言ってくれる。矢㮈は申し訳なさで一杯になってしまった。首を横に大きく振って、
「大丈夫! あたしこそごめん。行ってくる!」
それだけ言って逃げるように教室を出た。
色とりどりの生徒が溢れる廊下を体育館に向かって歩く。
別に諷杝のクラスの演劇を見に行くことに対して気が進まないわけではないのだ。
ただ、恐らく同じように見に来ているだろう「彼」と顔を合わせることを考えると憂鬱だった。
(いやでも小ホールだから会うとも限らないし)
少なくとも教室で行う小劇とは違って客も多い。そんな中で彼と遭遇する確率は低いはずだと自分を言い聞かせる。
「ねえそこの君、ちょっと遊んで行かない? 今なら空いてるよ!」
半ば上の空で歩いていたせいだろうか、気付くと目の前に人が立ち塞がっていて矢㮈は急停止した。
「え? えっと……」
「輪投げに射的に色々揃ってるよ! 今なら参加賞も豪華!」
祭の法被を着た男子生徒がメガホンを手に勧めて来る。
「は、はあ。でもあの、あたし……」
「ヨーヨー掬いとかどう?」
今度は横から同じく法被姿の女子生徒が現れた。
「あ、いえ、すいません、あたし小ホールに向かってて――」
矢㮈が胸の前で両手を振って二人を振り切ろうとした時、後ろから二の腕を掴まれて引っ張られた。
「何やってんだ。劇見に行くんだろ」
「!」
上方から降って来る声は不愛想この上ない。二の腕を掴む指は細く長いのを知っている。
法被姿の生徒たちに頭を下げてその場を離れ、再び小ホールへと足を向けた。
少し前を背の高い黒髪の男子が歩いている。――高瀬也梛だ。
矢㮈が今、最も会いたくないと思っている相手だった。小ホールどころかこんな所で会う羽目になるとは。
手持無沙汰に先程掴まれた二の腕をさする。
そもそもこの真面目男がこんなギリギリの時間に移動しているとは想定外だった。いつもならもっと余裕をもって小ホールの観客席にいるはずだった。
「……あんたにしてはギリギリの時間移動じゃない?」
沈黙に耐え兼ねて発すると、彼はちらとこちらに視線を寄越した。
「今日の準備に少し時間がかかった」
「……そう。今日もあんたはお化けを――」
そこで足が止まる。ダメだ。自らこの話題を出すとは墓穴を掘った。一番触れたくない話題だったのに。
(――もうこなったら早いとこ決着つけとこう)
矢㮈は意を決して深呼吸した。羞恥心を一瞬忘れて次の一言に集中する。
「昨日は、ありがとうっ」
「――ああ。あれから大丈夫だったのか」
数歩先で立ち止まった高瀬はあっさり頷き、何事もなかったかのように、ただの世間話の如く返した。その反応に矢㮈の方が拍子抜けする。もっと一言二言余計なことを言われると思っていた。
「何だその顔」
高瀬が眉間に皺を寄せる。
「……ううん、何でもない」
「そうか。なら早く行くぞ。あと十分もない」
「あ、うん」
高瀬が再び長い足で歩き始める。矢㮈はそれに追いつくために小走りになった。身長分のリーチは大きい。
いつもならふざけたやり取りで場を濁していただろうに、この時はただ黙っていた。彼の方も何も言わない。
(とりあえずお礼は言ったから良しとしよう)
そう無理矢理納得させて、矢㮈は人が吸い込まれていく小ホールの入り口前の列に加わった。
朝一番の演劇発表とはいえ小ホールはそこそこ客が入っていた。
舞台に近い前列はギッシリで、なぜか生徒たちはデコった団扇やタオルを持っていた。まるでアイドルのコンサートのような準備だ。
「何あれ?」
「さあ」
矢㮈と高瀬が揃って首を傾げたところに、近くから聞き覚えのある声がした。
「高瀬君、笠木さん」
「あ、並早先生」
見れば彩楸学園の英語教諭、諷杝たちのクラスの担任の並早が端の席に座っていた。
「先生、こんなとこいて良いんですか?」
自分の受け持つクラスの発表なのだから、舞台袖などで待機していなくて良いのだろうか。
「いや、僕はビデオ係だから客席からで良いんだ」
そう言って並早は手に持っているビデオカメラを示した。
「だったらもっと真ん中の席から撮った方が良くないですか?」
「真ん中にはプロのカメラマンがいるからね。そちらはそちらでお任せするよ」
答えになっているのか分からない返答に、矢㮈は曖昧に頷いた。
並早の隣の二席が空いていたので、矢㮈と高瀬はそこにお邪魔することにした。
「どうだい、二年目の学園祭は楽しんでるかな?」
並早が改めて訊いて来る。矢㮈は僅かに首を傾けて苦笑した。
「まあ、そこそこには」
「高瀬君は?」
「まあ、ほどほどに」
「何だい二人ともその微妙な反応は」
並早は肩を竦めた。
その時、ホールに開演のアナウンスが響き渡った。
海中諷杝は裏方の役割だと初めから聞いていたので舞台に上がらないことは知っていた。だが唯一知り合いの出演者もいた。軽音部部長の世良である。
世良は売れないミュージシャンという役だったが、劇中で演奏する音楽はさすが軽音部部長というべきか安定したものだった。正直、劇の中で一番集中して耳を澄ませてしまった。
そして前列に座っていた生徒たちのアイドルファン装備の理由は最後に明らかになった。
「キャー、辰美センパーイ!」
「丸山先輩―!」
カーテンコールで飛び交う歓声。
「バレー部だね。辰美さんと丸山さんは二大エースなんだ」
のほほんと解説してくれる並早に矢㮈はなるほどと納得した。
「世良せんぱーい! 良かったですよー!」
そんな中、小さいながらにも主張する声を耳が捉えた。
(世良先輩?)
「良かったわよー! 世良!」
続く声にも軽音部部長の名前があった。
矢㮈が不思議に思ってそちらに首を巡らすと、二列前の席に見知った顔が数人あった。
「あ、実歩ちゃんたちだ」
「春日井さんもいるな」
高瀬も気付いたらしい。そこに固まっていたのは現軽音部部員と卒業生だった。
「世良君も人気者だねえ」
並早がビデオを片付けながらふふっと笑った。
「そういえば今日の軽音部のステージは世良君が出るんだったね」
「そうです」
彼にとっては三年最後のステージだ。矢㮈も見に行くつもりだった。
「彼は何だかんだで部長として頑張って来てくれたからね。思い切り楽しんでくれたら良いなあ」
並早は今年から担任になっているが、今まで音楽祭などで世良と関わって来ている。彼は目を細めて舞台の上で笑う世良を見つめた。
「――うん、自分のためにも、後輩のためにも、目一杯楽しんでほしいな」
そっと呟かれたその言葉には、どこかどうしようもない、切ない気持ちが含まれているように感じた。
三.
今日も少し早めの昼食をとって、午後一の公演に向けて宣伝活動があった。千佳は打ち合わせがあったため、クラスメイトの松浦大河と一緒に看板を持って廊下を練り歩いてきた。
「うーん、今日で終わりかあ」
「そうだね。千佳ちゃんの魔女も見納めだ」
「臣原さんの魔女は大人気だったからなあ。多分今日の公演は観客一杯だよ」
「だろうね」
嬉しいが、あまり多すぎても教室が苦しいことになることを考えると複雑だ。
(諷杝見に来るって言ってたけど大丈夫かな……)
人混みが苦手な彼のことを思い出して少し心配になる。
「しかも今日ってあれやるんだろ。観客参加型企画」
今日は最後にちょっとした参加型企画が盛り込まれている。
小劇に出て来る魔女たちに質問や相談をすることができるというものだ。当初は千佳の相手役を参加者から募るという企画だったのだが、時間の問題もあるので他二人の魔女を含めた軽い企画に調整されたのだ。
観客は入場時に数字の書かれた紙を渡され、抽選して当たった者が発言権を得る。もし何もなければ他の人にパスをするのもありだ。
「すごいよね、あれ……」
全く見ず知らずの人から質問および相談が飛んでくるのだ。矢㮈はとても対応できる気がしない。自分が魔女役でなくて良かったと心底思っていた。
「臣原さんはめっちゃ楽しそうにしてたけどね」
「さすが千佳ちゃん」
尊敬する。楽しめるところがすごい。
「しかも今日は高瀬が見に来るっつってたしな。臣原さんノリノリだと思うよ」
「ああ……」
それは想像に難くない。千佳は高瀬が見に来るのを楽しみにしていたのだ。
「高瀬の感想がすげー楽しみだ」
「確かに」
これで高瀬が抽選に当たったとしたらさらに盛り上がるに違いない。彼は一体何を彼女に訊ねるのだろう。
教室に戻ると出演者たちはすでに衣装を着て準備万端だった。監督たちと最後の打ち合わせをしているが、そこに深刻さはなく和やかな雰囲気だった。
妖艶な魔女の姿をした千佳もいつものにっかりした笑顔で応じている。
「あ、笠木、松浦君、お帰り」
「ただいま。準備バッチリだね」
「ええ、期待しててね」
途端に笑顔を引っ込めて口の端を上げた彼女は妖艶な魔女の片鱗を覗かせる。傍で見ていた松浦が小さく呟いた。
「うわあ、ホント臣原さんの魔女怖い」
「何ですって? 松浦君」
「何でもないよ? 麗しい魔女様」
松浦の誤魔化しに千佳は美しい無言の笑みで答えた。今度はちょっと怖い。
昼休みが終わる頃には教室の前に客の列が並び始めた。隣の教室の前まで延びそうなのを見て、少し早めに開場することになった。
魔女への質問企画のための抽選ナンバーの紙を渡した人から順に、客席へと案内する。三列目以降は立見席だ。
もうすぐ部屋が一杯になるという間際に、彼らはやって来た。
「うわあ、満員だね」
「諷杝」
入り口で案内をしていた矢㮈は彼らにも抽選の紙を渡して教室の中へ促した。
「この紙は?」
当たり前のように問いが返って来る。
「最後の質問イベントの抽選ナンバー」
「質問イベント?」
「そう。当たったら三人の魔女へ質問できるの」
「へえ」
興味深そうに紙片を見る諷杝の横で、高瀬が苦々し気な顔をしていた。
「絶対当たらないでほしい」
それは紛れもなく本心だと分かる。矢㮈は思わず苦笑してしまった。
丁度客が途切れたところで閉め切り、矢㮈も教室の中に滑り込んだ。千佳の活躍を是非ともこの目に焼き付けなければならない。
「矢㮈ちゃん、こっちおいで」
後ろの方に立っていた諷杝に呼ばれて隙間を縫って近づいた。
「諷杝、前見える?」
「うん、隙間から見えるよ。こういう時、也梛くらい背があったら良いなって思うね」
諷杝が隣の長身男子を見上げる。高瀬は腕を組んで余裕で前の舞台を見ていた。
矢㮈も諷杝と同じく人の頭越しから、隙間から、頭を動かして観劇することになった。練習やリハーサルで話の内容や演出は知っているとはいえ、やはり本番はまた違うのだ。観客がいるいないで雰囲気が全然違う。
(千佳ちゃん絶好調だなあ)
先程の松浦の言葉ではないが、怖い程に妖艶な魔女だった。
「すごい……」
思わずというふうに諷杝が感嘆を漏らす。
ちらと高瀬を見遣ると、彼はいつもの仏頂面でそこから感情は読み取れない。
魔女たちの迫真の演技に呑み込まれると時間はあっという間だった。スタッフの一人である矢㮈でさえ観客と一緒に拍手を送っていた。
「さあて、今日は最後の特別企画! 三人の魔女様に質問ターイム!」
「あいつが司会なのか?」
高瀬が目を眇め、矢㮈も舞台に立ってマイクを握る松浦に驚いた。彼が司会をするとは矢㮈も知らなかった。だが不思議とお似合いだ。
「みなさん入場時に配られた数字の紙を出してくださーい! 抽選に当たった方は魔女様に質問もしくは相談をすることができます! ただしあまりに個人的なことや……」
松浦が注意事項を述べる中、諷杝と高瀬もあの紙片を取り出していた。
「マジで心から当たらないでほしい」
再び力強く呟く高瀬はこれでもかという程眉間に皺を寄せている。
「あはは。臣原さん魔女だから不思議な力を発揮したりして……」
「嫌なこと言うな諷杝」
諷杝の冗談に高瀬はじとっとした視線を向けた。
「万が一にも俺が当たったらお前にパスしてやるよ笠木」
「え、あたし!? いや嬉しいけどそれはちょっと……」
それは心底羨ましい提案だったが、高瀬からの質問を楽しみにしていた千佳を知っている身としては心苦しい。ここは心を鬼にしても高瀬に応えさせなくては。
「ではまずは一人目の魔女さんへ質問。抽選ナンバーは――」
松浦が抱えた箱から一枚の紙を引き抜く。どうやらそこに書かれた数字の紙片を持つ客が質問できるらしい。
「はい、13番の方~」
松浦がA4用紙に書かれた13の数字を見せて観客に声をかける。二列目にいた女子生徒がおずおずと手を上げた。
「はい、ではそこのあなた。こちらの魔女さんに何か質問はありますか?」
女子生徒は少し考えこむように黙り、やがて魔女の方を見つめて口を開いた。
「あ、あの、実は私好きな人がいて――」
一発目から恋に関する相談だった。一番目の魔女――「かわいい」魔女担当のクラスメイトが頷きながら丁寧に話を聞いていた。他の女子生徒の客たちも真剣に耳を澄ませていた。
二番目の魔女――「カッコイイ」魔女担当には、男子生徒から部活動に関する相談があった。最後に「もしよければ一声応援をくれませんか!」というリクエストにもクールに応えていた。
そして最後の、「妖艶」担当の三番目の魔女――千佳の抽選が来た。
心なしか高瀬の方からは「当たるな、当たるな……」という切実なオーラが放出されているような気がした。
「はい、それでは――」
松浦が箱から紙を引く。今思うと彼は結構重大な役割を担っている。矢㮈だったらあんなプレッシャーのかかる抽選、絶対やりたくない。
「――26番の方!」
ざわざわと落胆の波が広がる中、横でポツリと声がした。
「あ、当たった」
矢㮈は横を向く。諷杝の手元にある紙の数字が目に飛び込んできた。26――。
諷杝越しに、高瀬が目を見開いてそれを見ている。
「26番の方――」
松浦がもう一度確認するのに、諷杝がすっと手を上げた。
観客の視線が一気に集まり、舞台上にいた千佳が少し驚いたような表情でこちらを見ていた。
(諷杝は一体何を言うつもりなんだろう)
もしかしてここに来て高瀬にパスをするんだろうか? ――いや、さすがにあれだけ嫌がっていた彼に意地悪をするような人ではない。
果たして、諷杝は歌うように口を開いた。
「――I have a question for you witches.Can you make all your wishes come true?」
(え?)
紡がれた音が言語だと認識するのにタイムロスがあった。きっと周りの客たちも同様だろう。
諷杝は綺麗な発音で、英語で問い掛けたのだ。
その場の空気がしんと静まる。教室一杯にいる人々の気配はあるのに、誰もが呆然と諷杝を見つめていた。
クスリ、と小さく笑う声が空気を震わせた。矢㮈は舞台上に視線を戻す。
三人目の魔女は妖艶な笑みを浮かべて、真っ直ぐに諷杝を見返した。
「――What do you think about it?」
彼女の唇から紡がれた言葉もまた英語だった。このフレーズは矢㮈にも聞き取ることが出来た。
魔女から返された問いに諷杝は微笑んだままで答えない。
妖艶な魔女は少しだけ眉を八の字にして、もう一度口を開いた。
「You can't have your cake and eat it too.」
諷杝が僅かに目を見開いたのを矢㮈は見逃さなかった。
「――いかがでしょう?」
今度は日本語で魔女が言う。
「――はい。ありがとうございました、魔女様」
諷杝も日本語で礼を言って頭を下げた。
矢㮈を含め、周りは二人に置いてきぼりにされたようにまだポカンとしていた。一体誰がこんなやり取りになると予想しただろう。
結局、まだ時間に余裕があるとのことで、追加で数人の抽選があった。幸か不幸か高瀬が当たることはなく、高瀬はかつてないくらい松浦に感謝していた。
四.
二日目の小劇も無事に終了し――諷杝の問いについてはしっくりこない矢㮈ではあったが――本日最後のイベントを楽しむべく体育館に向かった。
諷杝と高瀬も一緒だが、彼らもまた先程の魔女への質問の件のことなどおくびにも出さなかった。
体育館に近付くと、演奏中の音楽が漏れ聞こえて来た。学園祭中、体育館では主に音楽系の発表が行われていた。
「笠木ちゃん!」
入り口の前で二人の知り合いに出会った。
一人は昨年卒業した元軽音部の春日井という女性、そしてもう一人は合唱部部長の築地果歩という女子生徒だった。
「先輩たちも見に来たんですね」
「まあね。世良は最後だし、そもそもこの空間が好きだし」
春日井が後輩の音楽を聴きに来るのはもう恒例だった。夏の音楽祭にも来てくれたのだ。
「築地さんは妹さんの演奏を聴きに来たの?」
同じクラスでもある諷杝が果歩に訊ねると、彼女はわずかに頷いた。
「はい。音楽祭よりはマシになったからと力説されたので」
少しだけ苦笑するその姿は姉のそれだった。
「それから、最後に世良君の演奏も聴いておこうかと。何だかんだ言いながら、あの人合唱部の発表も聴きに来たので」
「へえ、あの世良君が」
築地は二年から合唱部一本に専念したが、元軽音部にも所属していたと聞いていた。こうして春日井と仲が良いのもその繋がりであり、世良とも元部員同士何か思うところがあるのかもしれない。
「そういえば合唱部の発表、笠木さんも来てくれてましたね」
「あ、はい! 丁度時間が空いていたので。挨拶できなくてすみません」
「いいえ。聴きに来てくれてありがとうございました。楽しんでいただけましたか?」
「はい。優しく響く声で素敵でした」
矢㮈の感想に果歩は嬉しそうに微笑んでくれた。
矢㮈たちはそのまま一緒に体育館の中に入った。途端、体の芯に響くような派手な音が突き抜ける。
タイムテーブルを確認すると、今は自由参加枠の発表時間だ。軽音部の発表はこの後だ。
「あ~この空気もう懐かしい~」
長椅子に腰を下ろした春日井が声を震わせる。
去年、矢㮈たちはここで春日井の熱量たっぷりの音楽を浴びた。演奏を聴いた後、思わず自分たちの楽器を持って集まらずにはいられないくらいの刺激を受けた。
今年はどんな音楽を浴びることができるのだろう。
音が止み、拍手の中ステージから演奏者たちが退場していく。
いよいよこれから軽音部メンバーの発表が始まる。
「なあ、諷杝」
「何?」
諷杝を挟んだ向こうから高瀬の声が聞こえ、諷杝がそれに答えた。
高瀬は準備が進められているステージを見たまま、
「お前はあそこに立たなくて良かったのか?」
「どうしたの急に?」
諷杝がきょとんとするのが伝わって来た。
「いや、お前三年だろ。あそこに立てる最後のチャンスだったじゃねえか。――お前の父さんたちと同じステージ」
矢㮈は何も言えずに二人の会話を聞いていた。
かつて諷杝の父親が組んでいたバンドグループは学園祭のステージでも大人気だったという話を聞いたことがある。
父親の後を追うように彩楸学園に入学して来た諷杝は、同じようにこのステージに立ちたいとは思わなかったのだろうか。
ステージでは準備が整ったらしい。まず一つ目のグループが出て来て音の確認を始める。
諷杝が小さく笑った。
「僕は父さんの楽譜を探しにここへ来たんだ。別にバンドを組もうとか、あのステージを目指してやってきたわけじゃないよ」
目を細めて、ステージ上で手を叩き合って鼓舞する生徒たちを見つめる。
「也梛と矢㮈ちゃんと出逢えたから、あの曲を一緒に演奏したいと思ったし音楽祭にも本気で出てみようかなと思ったんだ」
だから、といつもの微笑みが高瀬と矢㮈を順に見る。
第一音が鳴り響き、そのまま音が連なる。早いリズムが耳を打つ。
矢㮈は掻き消されそうになる諷杝の声を懸命に追いかけた。
「――君たちにはちゃんとステージを用意してる。もう少し、僕の音楽に付き合ってね」
彼の言葉を正確に捉えられたか自信はない。
会場が音の波に呑まれて、観客たちの気持ちを高揚させていく。
もう、少しの声の大きさでは隣にも聞こえないだろう。
次第に矢㮈の体内にも音の波が浸食してくるのを感じていた。
先程の諷杝の言葉が頭から離れ、耳が、意識が目の前のステージに集中する。
高音と低音が混じり合い、早いテンポと遅いテンポが絶妙に合わさって一つの曲になっている。ボーカルの歌の上手い下手もあまり気にならない。精一杯歌っている、演奏している、その熱量は伝わって来る。
だんだんと矢㮈の腕がムズムズしてきた。
(ああ、バイオリンを弾きたい)
こうして誰かの音を浴びるのは好きだが、浴びた後は必ず自分も弾きたくて仕方なくなる。
そして誰よりも、諷杝と高瀬と一緒に。
彼らも同じように思っているだろうか、と矢㮈は頭の隅の隅で考えたが、次の一音と共にそれも吹き飛んだ。
***
妖艶な魔女は彼に言った。
二つを同時に手に入れることはできない――即ち、二兎追う者は一兎も得ず、と。
ここまで読んで下さってありがとうございます。学園祭2日目でした。
本編からは外れるかなと書ききれなかった小話もあるので、それはまたいつか。
(2022.09.19)




