お化け屋敷を一緒に<学園祭一日目>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・並早…英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・臣原 千佳…2年生。矢㮈のクラスメイト。
・衣川 瑞流…2年生。也梛のクラスメイト。
・佐々木…3年生。諷杝のクラスメイト。
・世良…3年生。諷杝のクラスメイト。軽音部部長。
一.
学園全体がざわざわとしている。
普段は制服姿の生徒で溢れている校舎内も、風船の飾りや出し物の看板でカラフルに彩られて賑やかだ。
開会式のために集まった体育館を見渡すと、各クラスのユニークなTシャツがお祭り気分を盛り上げる。
中には出し物の衣装を着て整列している生徒もいて、すでに宣伝活動が始まっているのかもしれない。
吹奏楽部の演奏がさらに場を盛り上げ、今年の学園祭実行委員長がマイクを握って熱い開会宣言をした。
彩楸学園の三日間の学園祭が始まる。
笠木矢㮈もまたピンクを基調にしたクラスTシャツに身を包んでいた。背中には怪しい魔女のシルエットが大きく印刷されている。
彼女のクラス二年二組はこの二日間、小劇『三人の魔女』を上演することになっていた。
劇のあらすじは、演目通り三人の魔女が登場し、それぞれ人々の願いや相談を聞いて叶えたり解決したりしていくというものだ。
台本は文芸部のクラスメイトの力作で、衣装も道具類も文化部の面々が力を注いでなかなかのものになっている。
中でも矢㮈が一番推したいのは、三人の魔女の一人、妖艶の魔女の異名を持つ臣原千佳だった。彼女は最高に怖くて魅惑的な魔女を演じてみせるのだ。――その正体は陸上部短距離走の期待の星で、どちらかというと体育祭の方に懸けている美少女なのだが。
「笠木さん、担当の時間になったらこれ持って宣伝お願いね」
「あ、はーい」
出演予定のない矢㮈はちょっとした雑用から宣伝までサポート担当となっている。
美術部員が仕上げたこれまた力作の宣伝ボードを見て、思わず感嘆を漏らした。
(みんなすごいな)
今年の矢㮈のクラスは文化系部員が固まっているらしい。
それにしてもそれぞれの部活動での出し物もあるだろうに、全くすごい仕事量だ。
「あ、笠木、それ宣伝の?」
「千佳ちゃん」
すぐそばに魔女が立っていた。黒い帽子の下に見える顔はにっかりした笑顔で、人懐こくかわいらしい魔女だった。――これが劇ではあっという間に妖艶な魔女になるのだから驚きだ。
「お昼前の宣伝はあたしも一緒に回るからよろしくね」
「一緒に回ってくれるの?」
それは心強い。千佳が魔女の格好で歩けばそれだけで宣伝効果としては抜群に違いない。
本日も明日も午後に一回上演予定となっていた。
「みんな千佳ちゃんの魔女楽しみにしてると思うよ」
「ええ~。あたしは高瀬君のお化け姿の方が楽しみなんだけど」
「……ああ」
隣の三組はお化け屋敷をするらしい。彼女お気に入りの高瀬也梛のお化け姿を大層楽しみにしているようだった。
「笠木も見に行くんでしょ?」
「……まあ。諷杝が行くって言ってたし」
本当はお化け屋敷は苦手なのだが、先日海中諷杝と約束をしてしまったからには行くしかない。
千佳がへえと興味深そうに口元に笑みを浮かべる。
「海中先輩と見に行くんだ?」
「うん、そういう流れになって――って別に変な意味はないよ!?」
彼女の顔を見ていて自分が何を言っているのかにようやく気付いた。
「べ、別に二人で見て回るとかそんな約束じゃなくてっ。そもそもあたしがお化け屋敷苦手だからって話してたら高瀬が諷杝と一緒に来ればいいとか言い出すから――」
訊かれてもいないのにベラベラと口が回る。だめだ、これは完全に墓穴を掘っている。
千佳は優しく微笑んだまま矢㮈が謎に焦って言い訳するのを聞いていた。そして最後に、
「まあ、楽しんで来なさいな!」
矢㮈の背中を叩いて言った。
二.
「うっわ高瀬、真っ黒じゃん!」
黒子の衣装を着た高瀬也梛を見て、同じクラスの衣川瑞流が遠慮なくケラケラと笑い出した。それにつられるように周りからもくすりと笑いが漏れるのを聞いて、也梛の無表情がさらに仏頂面になった。
「黒子なんだからこれが正しい姿だろ」
目立ってはいけない存在なはずだ。しかも暗いお化け屋敷に潜むのだからこれ以上ないくらい適した格好ではないのか。
かく言う衣川もまたほとんど同じ格好なのだが、不思議と彼は「黒い」イメージが薄れている気がする。雰囲気が明るいというか軽いからだろうか。
「あはは。そりゃそうだな。高瀬絶対適役だよ。でもその長身だとちょっと怖い」
「悪いな、身長ばかりは譲れない」
「うわあ、小柄な俺への嫌味?」
衣川が大げさに肩を竦めるのを鼻で笑ってスルーする。
先程開会式を終えて教室に戻って来たばかりだが、也梛たちのクラスでは早速お化け屋敷の出し物が始まる。よそに二つ分の教室を確保しているためそろそろ移動をしなければならない。
「ちなみに今日のシフトはどんな感じ? 俺は午前で終わりだけど」
「午前と夕方に入ってる」
「重宝されてるな~」
衣川はなぜか楽しそうに頷くと、「そういえば」と思い出したように切り出した。
「さっき臣原さんに会って、この後お化け屋敷に来るらしいよ」
隣のクラスの臣原千佳のことだった。絶対に見に行くとうるさいくらい聞いていたが、一日目の初っ端に来るのか。
「笠木さんと一緒に来るのかな~」
「いや、あいつは別なんじゃないか」
千佳の友人の笠木矢㮈の話題に及び、思わず也梛は口を挟んでいた。
「そうなの?」
「……多分な」
也梛はそれ以上の言葉を濁した。
(あいつは多分夕方に諷杝と一緒に来るはずだ)
そんなことを先日言っていた。まあお化け屋敷が苦手だという矢㮈が、やっぱりやめたとならなければの話だが。
「午後から少し自由時間あるじゃん? 松浦誘って一緒に回らない?」
衣川の誘いに也梛は少しだけ躊躇した。自由時間は諷杝を捕まえて適当に回ろうかと思っていたのだ。
「あ、他に約束があるならいいけど」
也梛の表情は変わらなかったはずだが、空気が読める衣川は何気なく付け加えた。
「――いや、大丈夫。ただし、あまりはしゃぎすぎて俺に迷惑をかけるなよ」
也梛の回答に衣川は一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐにため息を吐いた。
「ええー、それは俺じゃなくて松浦に言ってよ」
それでもどこか楽しそうな声だった。
三.
「諷杝、お前今日暇だろ?」
クラスメイトの佐々木が当たり前のように問うてくる。
海中諷杝は微かに眉を八の字にして彼を見返した。
「そんな直球に……。僕だっていつでも暇なわけじゃ――」
「暇だろ。うちのクラスの演劇は明日だし、お前別に出ないし」
容赦なく言葉を継ぐ佐々木に諷杝はついに吹き出した。
「佐々木君ひどいなあ」
「いや当たり前のことしか言ってないぞ。まあオレも背景と大道具担当で後は舞台のセットの仕事だけだけどな」
同じく大道具係だった諷杝が作業の面で彼にとても世話になったのは余談だ。
そんな二人の横を通り過ぎていくクラスメイトがいた。
「あ、世良君」
ギター袋を背負った彼は諷杝と佐々木を振り返った。
「もしかして軽音の発表練習?」
「ああ。発表は明日だけど、明日は演劇とか色々バタバタしそうだからな。それに今日発表のメンバーもいるから手伝いもある」
軽音部部長は忙しそうだった。
「そっか。もし時間空いてたら世良も一緒に回らないかと思ってたんだけど」
佐々木が残念そうに言うと世良が片手で拝んだ。
「悪いな。代わりに海中がぼっちにならないよう連れ回してやってくれ」
「了解した」
「ねえそれどういう意味さ世良君」
佐々木の敬礼と諷杝の疑問が重なる。
軽音部の練習に行く世良を見送って、佐々木が腕を組んだ。
「部長は忙しそうだなあ。お昼頃になんか差し入れてやるか」
「そうだね」
諷杝も世良の頑張りは知っている。差し入れで労うぐらいはしても良いだろう。
「さあてどこ見に行くかなー。あ、高瀬のとこは何やるんだ?」
気を取り直した佐々木が訊いて来る。
「お化け屋敷だよ」
「おお。高瀬、お化け役やるの?」
「らしいけど」
「それは楽しみだな。見に行かないと」
「そうだね。確か今日の午前中もシフトに入ってるらしいから行って来たら?」
「行って来たらって……お前も行くんだろ?」
「悪いけど、お化け屋敷だけは夕方に約束してて」
さらっと言った諷杝の言葉に佐々木が一瞬ポカンとする。
「分かった。並早先生と行くのか」
「え? 何で並早先生が出て来るの?」
「じゃあ高瀬? いやでも高瀬はお化け役なんだろ。じゃあ他に誰と――」
諷杝が他に誰かと行く想像ができないらしい。思わず苦笑してしまった。
「あ、分かった! あのかわいらしい妹ちゃんだな!?」
「義妹たちは明日来るんだけど……まあそういうことでいっか」
「は? 全然そういうことで良くねえだろ。何も解決してない!」
別に諷杝が誰と約束をしていようが佐々木には関係ないような気がするのだが。なぜそこまでムキになるのか諷杝にはただ不思議だった。
「ちょっと待て、他に――」
「いやそんなに悩むなら言うよ。矢㮈ちゃんだって」
彼をそこまで悩ませようと思っていなかった諷杝はあっさり白状した。
「それって確か笠木さん? 高瀬と同じ二年の」
「そう。僕の音楽仲間の」
「ああ、なるほど」
ようやく納得したというようにスッキリした顔になる佐々木。
「でも諷杝が女の子と回る日が来るなんてなあ」
「? おかしい?」
「いや別に。なんか成長したなあって」
「それ誰目線なのさ?」
佐々木が一人でうんうん頷いているのを、諷杝は訝し気な顔で見ていた。
四.
矢㮈に気を遣って陸上部のメンバーと三組のお化け屋敷に行って来た千佳は、お昼前の宣伝に行く前に教室に戻って来た。微かに良い匂いをお供にして。
「千佳ちゃんお帰り」
早めのお昼をとっていた矢㮈に突進してくるような勢いで近付いて来た彼女は満足そうな笑みを浮かべていた。
「高瀬君に驚かされちゃった!」
「……へ、へえ」
お化け屋敷のお化け役なのだから客である千佳を驚かすのは当たり前だろう。
「衣川君におすすめされた一番怖いので入ったんだけどね……」
「ええ!? 千佳ちゃん正気!?」
矢㮈は箸を置いてまじまじと千佳を見つめた。そうか、彼女は自分と違いお化け屋敷が平気な部類なのか。
「ん? 別にそんなに怖くなかったよ? いやまあ一緒に入った子は途中足が竦んで最後には私にしがみついて下しか見てなかったけど」
その友人の反応が普通なのでは。矢㮈が信じられない気持ちで話を聞いている中、千佳は逆に嬉々として手を組んだ。
「もちろんあたしはずっと高瀬君を探してたんだけど! 高瀬君ったら一番良いとこで出て来るんだもん。お化けの演技のセンスある!」
「お化けの演技のセンスって何……?」
だんだん彼女の言葉の意味が理解できなくなってきた。
「逆に高瀬君は、あたしが高瀬君だと見破ったことに驚いてたけどね」
「だろうね。暗いし黒子の衣装着てたんでしょ? よく分かったね」
「あの身長と雰囲気は見間違えないわよ!」
さすが千佳だ。矢㮈は心中で感心してしまった。
「ああ~でもその話聞くとちょっと怖くなってきたなあ」
あの高瀬のことだ。矢㮈相手にも容赦なく驚かせにかかるだろう。いや、そもそも彼に限らずお化け屋敷という装置自体が怖い。
「大丈夫大丈夫。普通に小学生の子も入ってたし、レベルが選べるし。それに」
千佳はふふと微笑んだ。
「海中先輩が一緒なんでしょ」
「それはそうだけど……動けなくなるなんてみっともないじゃん~」
諷杝に迷惑をかけるのも嫌だ。矢㮈がすでに半べそなのに千佳が溜め息を吐く。
「そこは頼って良いところじゃないの? 先輩、放って行ったりしないでしょ」
「それはしないよ! だけど……」
「笠木はそういうとこもっと甘えて良いと思うんだけどなあ」
「甘えるって……」
「お化け屋敷って結構デートの定番じゃない?」
千佳が口元に人差し指を立ててウインクする。矢㮈は思わずポカンとした。
「……だからっ、別にそういうのじゃないの!」
また頬が熱くなってきた自分を誤魔化すように矢㮈は昼食に戻った。
千佳もそばの椅子に座り、屋台で調達してきたらしいたこ焼きとフランクフルトのパックを開けた。先程の良い匂いはこれか。
「笠木も食べて良いよ」
「ホント? ありがとう」
二人で昼食を済ませたら、いよいよクラスの出し物の宣伝だ。
千佳はまた魔女の姿に扮して、宣伝ボードを持つ矢㮈の隣に並んだ。
「じゃあ行くわよ、笠木」
「う、うん」
途端に妖艶の魔女の空気を身に纏う彼女にドキリとする。
(千佳ちゃんって結構役者だよなあ)
普段からくるくると表情を変える彼女だが、本当にどれだけの面を持っているのだろう。
矢㮈は魔女と共に校舎内を練り歩き始めた。
五.
一日目の小劇は予想に違わず満員の末成功に終わった。
宣伝時から千佳を見て興味を持った人や声をかけてくる人が多かったことからも、やはり彼女の影響は大きいのだと実感した。
だが小劇が始まると観客はそのストーリーやキャストの衣装に目を奪われていて、結局はクラス全体の成果だったと思う。
「やっぱり観客がいた方が演じてる方も気合入るし楽しいわね」
堂々と魔女を演じた千佳の感想だ。
明日は高瀬も見に来るはずなので、さらに演技に磨きがかかるのではと予想している。
矢㮈は教室が落ち着いたのを見計らって、携帯を確認した。
諷杝に待合場所を確認するメールを送ったのだが、まだ返信がない。
教室を出て人の少ない廊下の端に寄り、彼の電話番号を開こうとした時だった。
「諷杝ならこっちに向かってるぞ」
「え?」
上から降って来た声に顔を上げると色々な意味で真っ黒の人物が立っていた。
「真っ黒の高瀬」
「ああ? 何だその呼び方」
頭巾を取った高瀬は顔周りだけが肌の色で白い。そして眼鏡がない――多分頭巾を被ると邪魔だからだろう。
「お化け屋敷好評らしいね」
実は千佳から話を聞いたお昼以降も、三組のお化け屋敷の評判はいたるところから噂で聞いていた。
「おかげさまでな。だんだんレベル分けがなくても良いんじゃないかってなって、初めは五段階あったのが二段階になった」
「ええ!? ちょっとそれどういうこと! 五から二って! 二択じゃないの!」
矢㮈にとっては聞き捨てならない情報だ。高瀬は首の後ろに手を遣りながら面倒くさそうに言った。
「あまりにも観客が多いから俺たちの手が回らなくなったってのが一つ。だいたいの客は普通以上を選択するからもう二択にしてあとは調整しようってなったのが一つ」
「……あたし大丈夫かな」
急に不安になってきた。悩ましい表情になった矢㮈に高瀬は溜め息を吐いた。
「お前のレベルがどれほどか分からねえけど、まあ普通のでも大丈夫だと思うぞ。所詮高校生の出し物だ」
「……千佳ちゃんの友人が足が竦んだ話聞いたんだけど」
「あれは一番怖いのを選んだからだろ」
「高瀬はお化けの演技のセンスあるって」
「あいつそんなこと言ってたのか。全然嬉しくない」
高瀬が憮然とした表情でまた溜め息を吐いたところで、
「あ、也梛もいる」
お待ちかねの諷杝がやって来た。彼もクラスTシャツを着ている。
「矢㮈ちゃん、ごめんね。実は今日寮に携帯忘れて」
「え!?」
「それで佐々木君の携帯から也梛に連絡したんだ」
「俺が佐々木先輩と連絡先交換してなかったら詰んでたな。お前番号覚えてないだろ」
「いやあホントに。佐々木君に大感謝だよ」
諷杝がほっと胸を撫で下ろす。
ということは高瀬はわざわざ諷杝の連絡を矢㮈に伝えに来てくれたということになる。
「……高瀬、ありがとう」
「別に。まあこのまま諷杝と会えなかったらお前はお化け屋敷に行かなくてよくなったかもだけどな?」
「……」
全く一言多い。矢㮈はふんとそっぽを向いて諷杝に向き直った。
「諷杝、高瀬のとこのお化け屋敷の評判聞いてる?」
「ああうん。今朝佐々木君が入ったけどなかなかだって聞いたよ」
ほのぼのとした様子で答える諷杝は全然怖がっているふうではない。
「なんか怖さの段階が二択になったんだって」
「そうなの? うーん、怖くない方でいこうと思うけど……矢㮈ちゃん怖い?」
顔を覗き込まれて「う」と言葉が詰まる。
「怖いっていうか……怖いんだけど、諷杝に迷惑かけちゃうかもって」
千佳には甘えたら良いと言われたが、やはりそれは恥ずかしい。
諷杝が小さく笑んで、
「僕は全然迷惑だなんて思わないよ。それに、僕たちには大きな味方がいるからね」
「へ?」
意味が分からず首を傾げた矢㮈の前で、諷杝が笑ったまま隣の高瀬を親指で指し示した。
「このお化けは僕たちの仲間だから」
指差された高瀬は眉間に皺を寄せている。
「意味が分からん」
「也梛が怖がる矢㮈ちゃんに追い打ちをかけることはしないと思うんだよね」
諷杝の言葉に高瀬が目を剥く。
「お前、勝手なこと言うなよ」
「はいはい。じゃあ矢㮈ちゃん、行こうか。ほら、也梛も早く準備しておいで」
「――! 覚えてろよ、諷杝」
高瀬は珍しく捨て台詞を残して先に行ってしまった。
矢㮈はまだ呆然としたまま、微笑む諷杝が差し出す手を取った。
「大丈夫大丈夫。折角だから楽しもう」
そんな彼の言葉を聞いていると、なぜか不思議と大丈夫なような気がして来た。
六.
「あ、笠木さんいらっしゃい~」
受付の近くで入場者の整理をしていた衣川が矢㮈に気付いて声をかけて来た。
「衣川君。大盛況だね」
もう夕方になるというのに、矢㮈と諷杝が到着した時にもまだ教室の前には列が出来ていた。
「ホントにね。シフト入ってなかったのにこうして駆り出されちゃったし」
「そうなんだ」
と、すぐ隣の教室から悲鳴が聞こえてきてビクリとした。
「……?」
少ししてその教室から人が出て来る。どうやらお化け屋敷の出口らしい。
そしてまた少しして先程と同じような悲鳴が聞こえて来た。今度の方が大きい。
「……だ、大丈夫かな……」
思わず矢㮈が呟くと、諷杝はのほほんと頷いた。
「大丈夫大丈夫」
その自信はどこから来るのか。
「今更だけど、諷杝はお化け屋敷大丈夫そうだね」
「うーん。本物のお化けをまだ見たことないからなあ。幽霊も樹さんを視てからそんなに怖いと思わなくなったし」
「そうなんだ……」
彼の思考と体験は少し独特だ。矢㮈は早くも心の中で葛藤を始めていた。
(まだ間に合う。あたしが入らないって言っても多分諷杝は受け入れてくれる)
そうこうしているうちに受付まで来てしまった。
「ふつうレベルと怖いレベルどちらにしますか?」
「ふつうレベルの超優しいやつでお願いします!」
間髪入れずに答えた矢㮈は必死だ。受付にいた女子生徒もその勢いに思わず頷き、一度引っ込んだ――恐らく中にいる者に伝達しているのだろう。
「ではどうぞ。暗いので足元お気をつけて、ゆっくりとお進みください。気分が悪くなった場合は遠慮なく声を上げてくださいね」
「は、はい……」
入り口のドアが開いて促される。
諷杝が先に入り、矢㮈はそっとその後に続いた。
ドアが閉まると一気に暗くなる。目が慣れるまで暫くじっとしていると、進むルートにぼんやりと明かりが灯っているのが見えた。
「矢㮈ちゃん大丈夫?」
「う、うん」
「じゃあ行きますか」
諷杝の声に矢㮈が意を決して頷いた時、自分の右手に温かい手が重なった。諷杝が手を引いて歩き始める。
矢㮈は諷杝の手が命綱のように思えて、絶対手放すもんかと握られた手を握り返しながら、一歩一歩を進み始めた。
どこからか漂ってくる冷気にゾッとし、聞こえて来る効果音にいちいちビビりながらも亀の歩みで進む。
思っていた以上に本格的だ。
何も障害物がないと思ってホッとしたのも束の間、ふいに前の壁にライトが灯り血しぶきが目に入って来る。
「ひっ……」
「大丈夫大丈夫。誰も血を流して倒れてないよ」
諷杝が謎のフォローを入れてくれるがそれすらも頭に入って来ない。だんだんと諷杝との間が狭まって、密着までとはいかないものの接近してしまっていた。
(恥ずかしいより怖いが勝つ)
もう恥ずかしい云々言っている場合ではなかった。とりあえず生きた諷杝がそばにいてくれることがほっとする。
やっと半分を超えただろうかという辺りで、先の方から大きな悲鳴が聞こえた。もしかして列に並んでいた時に聞いていた悲鳴だろうか。あそこが最後の最難関なのかもしれない。
「頑張って矢㮈ちゃん。あと少し」
諷杝の声がすぐ間近で聞こえて安堵と緊張を覚える。
いつもの矢㮈なら飛び退いていただろうが今はただ頷くだけしかできない。
諷杝に励まされるように進み、もうそろそろ出口かという時だった。通路の先に黒い幕がある。
(あの幕の先が出口?)
出口であることを祈った瞬間、何かが矢㮈の腕をかすめていく感触がした。ふわりとした、こしょばゆい何か。
「いやっ」
思わず諷杝の腕にしがみつくように突進してしまった。
「矢㮈ちゃん?」
しかしすでに諷杝の片手は黒幕にかかっていて、二人してその先に突っ込んだ。
「――?」
そこは少し開けた空間だった。
真ん中にボウッと青白い光が浮かび、それが複数、空間内を飛び始める。どこからか冷気が漂って来て、白いスモークが視界を曖昧にする。
「え、いや……」
直感的にこれは無理だと思ってしまった。何か分からないが怖い。
諷杝の腕を強く握ると、諷杝が背中をさすってくれた。
「大丈夫大丈夫」
「いや、ホントにムリ、これは――」
その時、微かに声のようなものが聴こえて来た。こんな時にも矢㮈の耳は安定の聴覚を発揮してくれる。
『……で……んで……』
(え、何!?)
もう声も出ない。聴覚だけが研ぎ澄まされる。
『……んで……あ、そん、で……』
耳を塞ぎたくても諷杝の腕を掴んでいるので無理だ。
『……わたしと、あそんで?』
その言葉を聞いた瞬間、矢㮈の体から力が抜けた。
「矢㮈ちゃん!?」
諷杝が慌てて支えてくれるが、矢㮈はそのまま諷杝の胸にしがみついていた。腰が抜けたように自力で立てなくなる。
「――よくここまで耐えたね。もう出ようね」
諷杝の安心する声に、ただただ頷くしかできなかった。
(早く出口に)
諷杝に支えられたままゆっくり顔を上げると、ようやく薄れて来たスモークに人影が浮かび上がった。
今度こそギクリとする。まだ何かあるのか。硬直した矢㮈に気付いた諷杝が耳元で囁いた。
「矢㮈ちゃん、大丈夫。よく見てごらん」
「……へ?」
泣きそうな声を漏らしながら矢㮈が嫌々目を凝らすと、そこには長身の男子が立っていた。
頭巾をとったその顔を見て、心から安堵するのを感じた。今度は安心で力が抜けそうだった。
「……高瀬」
「しっ」
高瀬は唇の前で指を立てた。そして小さく囁く。
「出口はあそこの幕の向こうだ」
あと数メートルだ。
諷杝が微笑んで頷く。――が、矢㮈の足がなかなか前に出ない。
「矢㮈ちゃん、もう少し頑張れる?」
「……頑張りたいけど」
足が震えて上手く前に出ないのだ。
それを見た高瀬が溜め息を吐いた。
「埒が明かねえ」
「え」
彼は矢㮈の前におもむろにしゃがみこんだと思うと、膝立ちになった。
「しゃがめ」
「!?」
高瀬に腕を引っ張られる。力が入っていない体はすとんと彼の膝に落ち、高瀬はそのまま手際よく矢㮈を持ち上げた。
(――え? ちょっと待――)
隣にいる諷杝の視線が自分と同じくらい、いや少し低いくらいにある。彼もまたポカンとしてこちらを見ていた。
高瀬はそのままスタスタと幕のすぐ内側まで移動し、あっという間に矢㮈を下ろして立たせると諷杝に押し付けた。
「ほら、早く出ろ。次の客が来る」
ほとんど追い出されるように二人して幕の外側に押し出された。
廊下の明るさに目を眇める。震えはいつの間にか止まっていた。
「あ、笠木さんたちお疲れ様! どうだった? 最後が一番の盛り上がりどころだったんだけど、大丈夫だった?」
どこからか衣川がやってきて声をかけてくる。
「……最後の……うん、怖かった」
ただそれだけを呟いた矢㮈の顔色はまだ悪くて、衣川がぎょっとする。
「え、もしかして高瀬やりすぎた!? みんなあいつの演出が怖いっていってるから――」
彼の言葉に矢㮈と諷杝は顔を見合わせた。
「也梛の演出って……」
「スモークに紛れてお化け役で驚かす演出ですよ。……あれ? 見たんですよね?」
諷杝と矢㮈はもう一度顔を見合わせた。
(高瀬がお化け役……?)
彼は矢㮈たちを驚かせはしなかった。
「そういえば悲鳴が聞こえて来なかったような……」
不思議そうな顔をする衣川に、諷杝がいつもの微笑みを浮かべた。
「……ふふ。最後は僕たち驚き過ぎて声も出なかったんだよね」
「そうだったんですね。楽しんでもらえたなら良かったです。笠木さんも」
「あ、う、うん……」
また手伝いに戻って行く衣川を見送って、矢㮈は諷杝とともに廊下の窓際で休憩することにした。
何度か深呼吸をしてようやく落ち着く。
「――諷杝、あたしたち高瀬のお化け見てないよね?」
「見てないねえ」
「もしかして――」
本当はあそこからもう一段階怖いイベントがあったのではないだろうか。その前に矢㮈がギブアップしてしまったから、見兼ねて出て来たのではないか。
(ていうか……あたし、高瀬にお姫様抱っこ……)
落ち着いて先程のことを振り返ると、急激な恥ずかしさが襲って来た。
(あんな軽々やるふつう!? てか重かったんじゃ……いやいやそれよりもあんなことされて次どう顔を合わせれば)
さっきまでの恐怖など忘れてすっかり上書きされてしまった羞恥に悶えていると、そんな矢㮈を見ていたのだろう諷杝が笑っているのに気付いた。
「ちょっと諷杝!? 何笑ってるの!?」
「いやあ、僕お姫様抱っこ初めて見た」
「あああいやあああ、今すぐ忘れて恥ずかしい!」
「大丈夫大丈夫。見てたの僕だけだし」
「そういう問題じゃない! 絶対重かったし、次また嫌味言われるに決まってる~」
矢㮈が頭を抱えると、諷杝がその頭をポンポンと叩いてくれた。
「でもやっぱり也梛は味方だったでしょ?」
素直に頷くには悔しくて、矢㮈は窓際の桟に乗せた腕に顎を重ねた。
「諷杝がお姫様抱っこしてくれたら良かったのに」
「あはは。出来たらよかったけど、僕じゃちょっと厳しいかなあ」
矢㮈ちゃん落っことしちゃったら嫌だし、と諷杝はいたずらっぽく言う。
「ああ~高瀬にお礼言わないといけないじゃん~」
また頬が熱くなるのを感じて、それを隠すように顔を腕に埋める。
「ふふ。言ってあげて。――あいつこそ今頃どんな顔してるんだろうね」
諷杝のどこか楽しそうな声が耳に届いた。
ここまで読んで下さってありがとうございました。大変ご無沙汰しております。
本編では学園祭1日目が始まりました。今回は遊びの回として書いたんですが、何であんなことになったのか作者にも分かりません…。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
(2022.08.27)




