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  作者: 葵月詞菜


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親友が戦う場所<後編>

※前話「親友が戦う場所<前編>」の続きです。

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上3年生。ギターを弾く。

【その他】

臣原おみはら 千佳ちか…2年生。矢㮈のクラスメイトで親友。陸上部短距走者。

四.

 その週末、矢㮈(やな)は滅多に体験することない空間にいた。

 あちらを見ても、こちらを見ても、それぞれの学校のユニフォームを身に纏った陸上部員たちが集まっている。中にはすでにウオーミングアップを開始している選手たちもいた。

「うわあ、体育会系だ……」

「そうだねえ」

「お前ら何言ってんだ」

 呆然と立ちすくむ矢㮈と、どこにいても変わらず呑気な諷杝(ふうり)と、呆れた顔でツッコむ高瀬がいた。

弓響(ゆき)の野球の試合の応援は家族と行ったことがあるけど……)

 弟の野球の試合は何度か見に行った覚えがあるが、それとはまた雰囲気が全然違う。

 もちろんバイオリンの演奏会とも全然違う。

「この中からうちの学校を探すのは大変だろ。中に入るぞ」

 高瀬に先導されて、矢㮈は競技場内の観戦スタンドに向かった。

 短距離走が見やすいメインスタンドの空いている席を探して座る。

 すでに各学校関係者やその家族たちで良い場所から順に埋まっていた。

 そう、今日は親友の臣原(おみはら)千佳(ちか)の陸上競技を観戦しに来たのだ。矢㮈が最後まで懸念していた高瀬も、案外あっさりと見に行くことを承知してくれた。もちろん諷杝も一緒に。

 タイムテーブルを確認したところ、千佳の出番はまず200の予選、それから100の予選だ。

「そういえば臣原には行くって言ってあるのか?」

 高瀬がふいに訊いて来る。矢㮈は曖昧な笑みを浮かべた。

「……ううん、言ってない」

 高瀬が行かないと言ったらどうしようと思ってギリギリまで報告を渋っていたら結局機会を逃した。

 事前にプレッシャーになっても嫌だと思ったのもあったのだが――

「何で言わないかなー」

「!」

 突然聞き慣れた声がすぐ近くで聞こえて驚く。

 振り返ると、そこには今日の主役がいた。ベンチコートに身を包んだ千佳が仁王立ちしていた。

「千佳ちゃん」

「おはよう、笠木。来るなら来るって言いなさいよ」

「う、ごめん」

「まああたしも勝手にあんたの演奏聴きに行ったんだからお互い様か」

 千佳は苦笑して、矢㮈の頭をポンポンと叩いた。

「ありがと、わざわざ来てくれて。嬉しい」

 そして彼女は諷杝と高瀬に視線を向けた。

海中(わたなか)先輩もありがとうございます。高瀬君もまさか来てくれるとは思わなかった」

「……別に。でもお前の本気の走りは一回見ておきたい気がして」

「え、ホントに!? それじゃあ今日はカッコいいトコ見せなきゃなー」

 千佳がにっかりと男前に笑う。このあいだ教室で見た妖艶の魔女とは全く違うからっとした笑顔だ。

 千佳はスタンドから競技場のトラックの方を見下ろした。

「あそこに立つまではいつもドキドキだけど、立ったら一瞬なのよね」

 あの場所は、矢㮈にとっての演奏ステージと同じなのだろう。

 千佳が己の力を出し切る、束の間の舞台。

 彼女がくるりと矢㮈の方に向き直る。その目が強い光を湛えていて気圧されそうになった。

「笠木、見ててね」

「――うん」

 矢㮈が自らの音に迷ってスランプに陥った時、千佳は彼女自身の陸上の経験を話して励ましてくれた。

 そんな彼女がずっと挑んできた世界が今目の前に広がっている。

「千佳ちゃん、頑張って」

「おう!」

 ガッツポーズして応えた千佳が頼もしく見えた。



 本当に、一瞬だった。瞬きをしたらその間に終わってしまうかのような。

 スタートラインに立った彼女は、空気の抵抗を抑えるため身体にピタリと合ったセパレートのユニフォーム姿だった。彼女の綺麗に鍛えられたラインに息を呑んだ。

「千佳ちゃんカッコいい」

「引き締まってんな……俺より筋肉ありそう」

「アスリートだね」

 三者三様の感想を呟いているうちに選手たちがスターティングブロックに足をかける。

 クラウチングスタートから飛び出した彼女は、あの綺麗なフォームで走る。矢㮈は目が離せず、そして息をするのも忘れていた。

 ぐんぐんと前に出る彼女は、追随を許さずそのままゴールを切った。

「やったっ……!」

 歓声の中、思わず隣にいた高瀬とハイタッチをしてしまった。

 トラックの方を見ると、走り終わった千佳がこちらに向かってピースサインをしていた。

 矢㮈も笑顔でピースを返した。


 結局、千佳は100と200の二本とも予選を突破して本選に進み、100は一位、200は三位の結果を残した。どちらも自己記録を更新している。

「圧巻だったな……」

 あの高瀬が本当に珍しく、心からの感嘆の声を漏らしたのを聞いた。

「もう素晴らしいの一言だね」

 諷杝もうんうんと頷いている。彼は他の競技にも関心を持ったらしく、今日はいつもよりも積極的に動いて観戦していたように思う。

 そして矢㮈はというともう色んな気持ちでいっぱいいっぱいで、言葉にすることさえできなかった。いっそのこと勝手に頭の中を読み取ってほしいと思う。

 千佳は部の招集がかかる前の少しの時間に、矢㮈たちに会いに来てくれた。

「どうだった? 200はちょっと悔しい結果だけど」

 照れた様に笑う彼女に、ぶんぶんと首を横に振る。

「っ、充分だよ! すごすぎるよ!」

 矢㮈の勢いに千佳が思わず仰け反る。

「楽しんでくれた?」

「楽しむとかそういうレベルじゃないけど……でも、千佳ちゃんがカッコ良かったからいい」

「あはは。そりゃ良かったわ」

 千佳は満足したように頷き、それから高瀬の方を見た。

「高瀬君は楽しんでくれた?」

「――お前がすごいやつなんだなってのは分かった」

「おっと、これは高評価」

 高瀬の返しにおどけたように言う千佳は、もしかしたら本当に驚いていたのかもしれない。

 千佳は何か考えるように少し黙り、やがて口を開いた。

「あたしの勝負している場所では絶対に順位が出るからね。単に走りが綺麗でも、そのフォームを褒めてくれる人がいても、順位に反映されるとは限らない。記録が残らなければそれはあたしにとって負け」

 もちろんこれはあたしの持論だけど、と千佳は付け足す。ただ走ることや競技が好きで出場している者もいると。

「笠木たちが戦っている場所とは全然違うでしょ」

「芸術性という観点を抜けば、な。でも音楽コンクールでは点数と順位をつけられるぞ」

 高瀬がさりげなく反論すると、千佳は「それでも」と続けた。

「陸上は記録が全てよ。誰が見ても、反則などがなければ出たタイムや距離で順位が決まる。そこに審査員の趣味嗜好が入る余地はない」

 確かにそういう意味では明白でシビアな判定基準だ。

「あたしはそういう分かりやすい世界で戦って来たのよね。だから初めて笠木の演奏会に行った時は新鮮だった」

「新鮮?」

 矢㮈が不思議に思って繰り返すと、千佳が唇の端に笑みを浮かべた。

「みんな演奏の仕方が違うでしょ? 一定基準としての上手い下手はあるんでしょうけど、でもどれが一番かなんて聴く人次第じゃない? あたしなんか専ら笠木の演奏が一番だったわよ」

 ふふと笑う千佳は冗談でなく言っているのだと分かる。

「これでどうやって順位をつけるの? って。それこそさっき高瀬君が言った点数があるんだろうけど、でもそれだけで終わらない追及が人によってあるんだろうなって思ったの」

 だからね、と千佳は改めて矢㮈と高瀬を順に見た。

「笠木は笠木のあのバイオリンの音を大切にしてほしいし、高瀬君も高瀬君の音を極めてほしいなって。そこから広がる音楽は、きっととても奥行きのあるものになると思う」

 矢㮈は呆然と千佳を見つめていた。彼女が一体何を言い出したのかと不思議に思っていたが、まさかこういう流れになるとは思わなかった。

 今日は千佳の応援に来ただけなのに、彼女はずっとそんなことを考えてくれていたのだと知る。

「――っと、何か偉そうなこと言っちゃったな。見当違いなこと言ってたらごめん。さすがにあたしも四本走って疲れてるみたい」

 笑って誤魔化す千佳に、矢㮈はゆっくりと首を横に振った。

 千佳の言葉はとても嬉しくて、そして聞けて良かったと思っている。

「ありがとう、千佳ちゃん」

「いやいや、ホントごめん」

 片手で拝む千佳に、少し離れた所から部員仲間の声がかかる。そろそろ集合の時間らしい。

「じゃああたし行くね。今日は本当にありがとう」

 千佳が笑って踵を返したその時、高瀬が口を開いた。

「臣原」

「?」

 きょとんとした顔で振り返る千佳。

「――今日はお疲れ」

 かけられた労いの言葉に、彼女の顔が緩む。そして大きく頷いた。

「うん、ありがと! じゃあまたね!」

 キラキラとした笑顔のまま、千佳は部員仲間の元へと駆けて行った。



五.

「いやー、ホント運動部の人の鍛えられた身体ってすごいよね」

「うん。もう美しいのレベルの人がいるよね。千佳ちゃんみたいに」

「お前らも挑戦してみたらどうだ」

「そのつもりならこんなとこにいないよ、也梛(やなぎ)

 矢㮈(やな)たちは三人でテーブルを囲み、それぞれがメニュー表とにらめっこをしていた。

 競技場からの帰り、小腹が空いたその足で適当にカフェに入った。

 諷杝(ふうり)は飲み物のページを開いて数種類あるクリームソーダを見比べ、矢㮈と高瀬はデザートのページを開いてその豊富なラインナップに頭を悩ませていた。

 最終的に、諷杝は王道定番のクリームソーダ、矢㮈はベリーソースのパンケーキセット、高瀬はフルーツパフェに落ち着いた。

「何だろう、すごく女子会っぽい」

 諷杝がクリームソーダの上のアイスを掬いながら、テーブルの上の華々しいデザートたちに目を細める。

「矢㮈ちゃんはともかく、也梛は相変わらず違和感が」

「うるさい。俺は気にしない」

 高瀬は諷杝の言葉を跳ねのけて、パフェスプーンを手にした。柄の長いはずのそれは高瀬の大きくて長い指に挟まれると途端に短く見える。

 矢㮈も紅茶を一口含んだ後、パンケーキにナイフで切り込みを入れた。ベリーソースに絡めて一口頬張る。うん、甘酸っぱくておいしい。

「でも本当に千佳ちゃん速かったね」

「うん、あっという間だった」

 矢㮈の感想に諷杝も相槌を打つ。

「也梛も驚いたでしょ」

「まあな。前からフォームは綺麗だなと思っていたが、まさかあれほどとは思わなかった」

 高瀬の素直な感想に、やっぱり今日は珍しいと矢㮈は内心で思う。

「カッコ良かったよね」

 矢㮈が彼の顔を覗き込むと、高瀬は一瞬言葉に詰まり、それから目を逸らした。

「……そうだな」

 おお、やっぱり素直だ。矢㮈は思わず凝視して、すぐに彼に睨み返された。

「臣原さんはまだ次の大会があるんだっけ」

「そう、100も200も両方だって」

 本当にすごい。何よりこの結果を見ても彼女自身がけろっとしていたのがすごい。中学の頃からそれなりの結果を出していたというから、彼女にとっては慣れたことなのかもしれないが。

(あたしも頑張りたいな……)

 矢㮈にとっては一つ一つの大会にまだまだ慣れない。

 出来る限り練習して、本番を迎えては達成感と悔しさを両方抱え、ただ弾くだけは満足できなくなる。もっと上手く弾きたいと欲が出て来る。

 この前のコンクール予選も、自分なりにはそこそこ弾けたと思った。しかし家に帰る頃にはあそこはもっとこう、ここはもっとこう、と色々反省が出て来た。

 挙げ句、居ても立ってもいられず夜中に弾きだした孫に、祖母が強制ストップをかけるという事態になってしまった。――さすがにあれは矢㮈も反省している。

「次の大会は少し遠方になるから、今回観に行けて良かった」

 矢㮈自身、まだ余裕があるこの時期だから観戦にいけたところもある。

「また彩楸学園(さいしゅうがくえん)では話題になりそうだね」

「陸上部の顧問の先生は鼻高々だろうね~」

 諷杝と矢㮈が笑い合う中、高瀬は黙々とパフェを堪能していた。

「そういえば諷杝、文化祭の準備は順調?」

「うーん、まあスケジュール通りに進んではいると思うよ?」

 若干苦笑気味になった彼の顔が気になったが、特に問題なく進んでいるなら良いことだ。

「矢㮈ちゃんとこは?」

「うちもわりと順調。脚本とか衣装とか、文化部のみんなの協力体制がすごくて」

 とても助かっている。帰宅部の矢㮈は言われたままに動いて小物を準備するくらいしかできない。効果音で協力できないかとも思ったが、バイオリンを生演奏するくらいしか思いつかなかった。

「也梛のとこは?」

 諷杝が振ると、高瀬はパフェスプーンをくるりと回して「多分、問題ない」と短く返した。

「也梛は何の作業してるの?」

「あ? 段ボール切ったり……」

「あ、それで最近頻繁にハンドクリーム塗ってるんだ」

「ああ。手ががさつくからな」

 すらりとした指はいつ見ても優雅で、矢㮈は知らず知らずのうちに目で追っていた。

「何だ笠木、ハンドクリームが気になるのか?」

 高瀬のとんちんかんな問いに矢㮈は首を横に振った。

「なりません」

 諷杝が横を向いて小さく笑っているのが見えた。

「段ボールがさらに追加されてその作業だろ、あとはお化け役の黒子衣装の採寸とか――」

 高瀬がここ最近の出来事を列挙する。何だかんだでクラスの中に溶け込んでいるようだ。矢㮈は密かにほっとしていた。

「黒子衣装着るの? 本格的だね」

 諷杝が興味を示すと、高瀬がニヤリと笑った。

「結構手の込んだ内容になりそうなんだよな。お前も見に来るんだろ?」

「そうだね。也梛がお化けの時間帯を教えてよ」

「いいぞ。その代わり泣くほど驚いても後悔すんなよ」

「ええ~。矢㮈ちゃんも行くでしょ?」

 突然諷杝に声をかけられてビクリとする。

(お化け屋敷なあ……)

「う、うーん……」

 対象が小学生くらいなら参加しても良いなと思うのだが。基本的にお化け屋敷は敬遠してきたきらいがある。

「あ、もしかして怖いのダメだった?」

「多分ダメなんだろうなあ……。でもちょっと興味はあるっていうか……」

 煮え切らない返事に、高瀬が溜め息を吐いた。

「苦手なやつに強要するつもりはないが、諷杝と一緒に来れば?」

「え?」

「うん、そうだね。もしよければ僕と一緒に行こう。お化け也梛に会いに行こう」

「その言い方は語弊があるだろ」

 にこにこと矢㮈の返答を待つ諷杝に心を動かされる。最後に背中を押したのは高瀬の次の言葉だった。

「――まあ、来客に合わせたオプションがあるらしいから、お前でも大丈夫だと思うけどな。小学生も入れるお化け屋敷だ」

 それなら――いけるかもしれない。

「絶対、絶対、怖くない?」

 思わず確認してしまう。

「いや、絶対とはいえないけど……ていうか怖くないお化け屋敷って何だよ」

「でも小学生レベルもあるんだよね?」

「あるとは聞いてる」

「じゃあ……行こうかなあ」

「怖かったら諷杝にしがみついとけばいいだろ」

「なっ……」

「しがみついてくれても良いけど、出口までは歩いて欲しいかなあ。さすがに僕、矢㮈ちゃんを抱えて歩くのは難しそう」

 素直に受け取る諷杝が天然で怖い。

「そ、そんなことしなくていい!」

 逆にそんなことをされたら気を失いそうだ。

 顔を赤くする矢㮈に、諷杝は真面目な顔で言った。

「まあどうしてもダメになったら也梛がこっそり出してくれるよ」

「おい、俺をあてにすんな」

 高瀬が呆れたように返してパフェの下層部分のジュレを口に含む。

「ていうかそんなレベルのオプションがあるって何で僕には教えてくれなかったのさ」

「お前の場合は変に鈍いから、中途半端なやつじゃ驚かし甲斐がなさそうだと思って」

「それ褒めてないよね?」

「さあな。でも笠木が一緒ならレベルも考えてやる」

「あたし、小学生レベルじゃないと無理だよ!」

 すかさず矢㮈が口を挟むと、諷杝がきょとんとした後に苦笑した。

「うん、そうみたいだね。矢㮈ちゃんのレベルに合わせよう」

「ありがとう……」

 いやそこまでしてお化け屋敷に入らなければならないのか?

 矢㮈はふいに疑問に思ったが、諷杝と一緒に文化祭を回れるのならばまあ良いかと思い直した。

「楽しみだなあ、お化け也梛」

 鼻唄でも歌いだしそうな諷杝に、高瀬が迷惑そうな声で釘を刺した。

「だからその言い方やめろ」



 彩楸学園の学園祭はもう来週末に迫っていた。


ここまで読んで下さってありがとうございます。このお話のタイトル回収は後編になりました。千佳ちゃんのお話はまたがっつり書きたいところです(前も言ってたような…)。

作者は陸上経験がないので、ゆる~く読んでいただけますと助かります。(2022.04.22)

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