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  作者: 葵月詞菜


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調べの中のかくれんぼ<前編>

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上3年生。ギターを弾く。

一.

 あっという間に八月に入ってしまった。

 相変わらず蝉がけたたましく鳴いている。カラッとした暑さではあるが、逆に言うと全然雨が降る気がしない。この前降ったのは一週間ほど前の夕立だったろうか。

 今朝もいつもの時間に目覚ましが鳴って、高瀬也梛(たかせ やなぎ)はベッドから半身を起こした。天井に頭をぶつけないように、無意識に背中が丸まった。

「……あっつ」

 冷房もとっくに切れて閉め切られた部屋はただ暑く、とても二度寝する気分にはならなかった。

諷杝(ふうり)はまだ寝てるんだろうな……」

 よくもまあ寝ていられるなと思いつつ二段ベッドの梯子をそろりと下りると、ふわりと風が吹いて来た。

「!」

 扇風機が動いていた。憎らしいことに、諷杝が寝ている所に風が一番あたっているような気がする。焦げ茶の髪を泳がせながら、当の本人は気持ち良さそうに夢の中だ。

 それが面白くない也梛は扇風機の場所を移動させ、できるだけ部屋の中に風が届くようにした。ついでにカーテンごと窓を開ける。

 さあっと、扇風機よりも涼しい風が入って来た。まだ朝は気持ちよい。

「うう……」

 下段で諷杝が寝返りを打つ。まだ寝るつもりか。

 也梛は溜め息を吐いて、ルームメイトを起こすのは諦めて自分の身支度を整えに向かった。

 一段落したところで時計を見ると七時少し前だった。

「もう少ししてからの方がいいか」

 今の時間帯、食堂には運動部の連中がいるような気がした。

 学園全体が休業に入る盆休み一週間以外は、学園と兼用の食堂は平常通り運営されている。ただ少しだけメニューが限られているので、だいたい同じものをぐるぐる食べていた。

 その時、ようやく諷杝がベッドの中でもぞもぞと動いて声を発した。

「……おはよう、也梛」

「おそよう、諷杝」

 彼にしては早い時間とも言えたが、扇風機の恨みもあって也梛は意地悪く返した。

「……あれ? 也梛、今日もバイトないの?」

 そろそろ暑くなってきたのか、それとも也梛の圧力を感じ取ったのか、諷杝はさっさとベッドから起き出した。

「ねーよ。今日は昼から練習だろ」

「いや、そうだけど……」

 諷杝は少し不思議そうに首を傾げた。

「最近……っていうか、今年の夏はバイト少なくない?」

「別に。他に稼ぎたいってやつが多いからそれに甘えてるだけだよ」

 也梛は面倒くさそうに答え、「ほら早く顔洗って来い」と諷杝を洗面所に押しやった。

 諷杝に言ったことは半分事実、半分嘘だ。昨年は音楽祭だ何だと色々あったが、バイトは休み前と変わらない量を入れていた。それでも十分にこなせていたし、也梛も無理をしていたわけではなかった。

 だが今年の夏はその半分くらいに減らしていた。音楽祭実行委員としての役割が去年より忙しいのと、あとはそう――今年が最後だからだ。諷杝と出る最後の音楽祭。きっと文化祭には出ないような気がするから、観客が大勢いる舞台で三人で演奏するのは学生生活最後だろう。

(それに……)

 最後なのは音楽祭だけではない。諷杝と過ごす寮での夏休みも最後だ。ただでさえ限られた時間なのだからと、也梛はバイトより彼と過ごす方を優先したのだった。

(ていうか、あいつ本当進路どうする気なんだろう)

 三年は夏休み初めに三者面談が行われたと聞いた。もちろん諷杝も三者面談を終えたはずなのだが、それ以降特に受験勉強に励む様子もなければ、大学のパンフレットを見るということもなく、オープンキャンパスとやらに参加する様子も見せない。

(まさか就職?)

 正直なところ、諷杝が大学に進学するイメージはあまり沸かない。かといってどこかの会社に就職してスーツを着ている姿も思い浮かばない。

「どうしたの、百面相して」

 顔を洗ってさっぱりした諷杝がきょとんと首を傾げる。

「……別に」

 一体誰のことを考えていたと思っているんだ、と内心で毒づき、也梛は小さく溜め息を吐いた。

「今日は午後から並早先生や世良君たちと少しだけ打ち合わせをして、それから練習だったよね」

「ああ」

 運良く空いている教室があればそこで練習させてもらおう。

 音楽仲間の笠木矢㮈も午後から学園にやってくることになっている。午前中は彼女自身のバイオリンのレッスンらしい。

「也梛は午前中どうする?」

「特に何も予定はないけど。まあキーボードでも弾いてるかな」

「ああ、通常運転」

 キーボードを弾いていると落ち着くのは昔からだ。暇な時に気付いたら鍵盤に触れているのは、もう癖みたいなものだろう。

「お前は?」

 逆に訊ねてみる。諷杝はうーんと顎に手を遣って視線を宙に彷徨わせた。

「コンビニにヨーグルト買いに行って朝ごはん。ついでに散歩コース?」

「……じいさんか?」

 心の声が思わず漏れた。苦笑する諷杝に、也梛は「いやいや」と手を振った。

「まず朝ごはんはしっかり食べろ。食堂に行く」

「ええ~」

「その後にコンビニに行ってデザートを買う。……まあ、散歩にも付き合ってやってもいい」

「デザートを食べたいのは也梛だよね?」

 諷杝はじとっとした目をこちらに向けたが、次の瞬間には「うん」と笑って頷いた。

「イツキさんとお散歩することもできなくなったからね。也梛が付き合ってくれるなら嬉しいな」

「お前の貴重な友人……友鳩だったもんな」

「うん……」

 也梛がわざと冗談で言ったのに対して、諷杝は困ったように笑う。あの白い鳩を失ったのを、まだ引きずっているようだ。

 也梛は気持ちを切り替えるように言った。

「じゃあさっさと出る支度をしろ。食堂に行くぞ」

 もうそろそろ、運動部の連中も食事を終える頃だろうと思った。



二.

「ああ、お腹が張って来た……何か今日の仕事は全て終わった感じがする……」

「何言ってんだアホ。まだ朝ご飯食っただけだぞ。しっかりしろ、これからデザートが待ってる」

「ええ~、也梛、本当に食べるの? さっきコンビニで買ったのってめっちゃクリーム乗ったパフェじゃなかった?」

 信じられないような目で見て来る諷杝を也梛は鼻で笑い返した。

「逆にお前はトロピカルフルーツジュースだけで良かったのか?」

「十分だよ……」

 服の上からお腹をさすりながら、諷杝が呆れたように息を吐いた。

 食堂でしっかり朝食を取った二人はその後近くのコンビニに行き、也梛はデザートを、諷杝はジュースを買ってまた学園に戻って来ていた。

 寮に戻らずに屋外のカフェテリアのテーブルに着き、一休みがてらデザートタイムにする。日差し除けのパラソルは色褪せていた。

「いつ見ても不思議だよねえ」

 紙パックにストローを突き刺して諷杝がこっちを見ながら言う。

「何だよ?」

 也梛はいそいそと小さなパフェのプラスチックの蓋を開け、長いスプーンでクリームを一口掬ったところだった。

「無表情で甘いものを食べる君の姿に決まってるじゃん」

「何か文句でも?」

「もっと満面の笑みを浮かべて、嬉しそうな雰囲気を出してくれたら少しは納得というか……」

「そんな俺が目の前にいたらお前は今頃爆笑してるだろうな」

 楽しいのは諷杝だけに決まっている。どっちにしても失礼だ。

「……ふふ、まあね」

 諷杝が否定せずにふんわり笑い、子どものようにじゅーと音を立てて吸う。

 いつの間にか蝉の声が合唱を始めていた。一気に暑苦しさが増したような気がした。

 特に会話をすることなく、也梛は黙々とパフェを食べ、諷杝はゆっくりジュースを飲んでいた。二人の間に流れるのは蝉のけたたましい鳴き声と、生温くなり始めた風だけだ。

 諷杝はぼーっと遠く中庭の方を見ている。そちらには彼の思い出のある朴の樹があった。

「――そういえば、旧校舎ってもう壊されたのか?」

 中庭の方を見ていて也梛はふと思い出した。中庭の繁みのさらに奥にある、今は使われていない旧校舎の存在を。

 昨年の秋の学園祭の時には、老朽化の問題で取り壊されることが決まっていると聞いていた。

「うーん、どうだろ。重機とか入っている感じには見えないよね。人もあんまり出入りしてないし」

 諷杝も首を傾げた。確かに工事をするという雰囲気はなく、その類の掲示も目にしたことはない。

「ちょっと見に行ってみる?」

「そうだな。散歩の時間だ」

 也梛と諷杝は同時に立ち上がって、中庭の方へと散策に出掛けたのであった。


 中庭を突っ切ってさらに奥の繁みへと入っていく。以前に来た時よりも雑草が伸びて歩きにくい。諷杝は早速虫に刺されたのか、露出した腕をぼりぼりとかいていた。

 自然と二人の足が早まり、雑草の途絶えた道に出た。本来旧校舎へ行くのに中庭を突っ切ったりしないのだ。

「前にイツキさんがここを突っ切ってたからついついそうしちゃったけど、ちゃんと遠回りしてこれば良かったね」

 鳩のルートと人間にルートは違うことを思い知った。

「でも確かに近道ではあるよな」

 きっと昔、遅刻をしそうになった生徒はここを通り抜ける者もいたに違いない。

 雑草がまばらに生えた細い道をしばらく行くと、やがて目の前に古びた校舎が現れた。三階建ての木造の校舎だ。

 入り口の前にベンチがあって、そこに一人、初老の男性が腰かけていた。

「?」

 訝しんで歩みを躊躇った也梛とは反対に、諷杝が軽い足取りで男性に近付いていく。

「おい、諷杝……」

「おはようございます――副理事長先生」

 にっこり微笑んで挨拶した諷杝を振り返った眼鏡の男性は、ここ彩楸学園の副理事長、松殿(まつどの)だった。

 副理事長は少し驚いた顔で諷杝と也梛を順に見た。

「おや、海中(わたなか)君に、高瀬君。おはよう」

 まさに初めてこの旧校舎に辿り着いた日に彼と出会ったのだが、あれ以来顔を合わせる機会はなかった。副理事長は随分と忙しいらしく、学園にいないことも珍しくないようだ。

「ずいぶんと久しぶりな気がするなあ」

「僕たちのことを覚えてくれていてほっとしました」

 諷杝が冗談めかして言うのに副理事長は苦笑した。

「今日はもう一人の女の子――笠木さんはいないのかな?」

「はい、僕たちはちょっと散歩に来ただけなので」

「そうか。でもまたどうしてここに?」

 もっと他に散歩に向いた場所はあるだろうと言わんばかりの言葉に、諷杝は旧校舎を見上げた。

「たまたま旧校舎のことを思い出して、そういえばどうなってるんだろうと気になったので」

「副理事長先生こそどうしてここに?」

 也梛も疑問を挟んだ。

「私もちょっと早めに学園に出勤してしまったから散歩にね。特に久しぶりに帰って来た時なんかは学園のあちこちを歩き回っているんだ」

 それでは仮に副理事長が学園に戻って来ていても、なかなか捕まらないはずだ、と也梛は心の中で思った。

「旧校舎の取り壊しは秋ぐらいになりそうだ。昨年から話し合いは続いているんだが、実際動くとなると色々と処理するものが多くてね」

 副理事長の話によると、建物の校舎そのものよりも、中に詰め込まれている様々な物品たちの整理と管理確認が大変らしい。旧校舎は部室にも使われていたので、部によっては卒業生たちにも確認を取っているところもあるという。

(そういえば軽音部の部室もすごかったもんな)

 これまでに二度、軽音部の旧部室に入ったことがあったが、床の面積の半分以上が様々な物で溢れ返っていた。そしてそのほとんどがもう使われないがらくたばかりだった。

「そうなんですね……」

 諷杝が校舎を見上げる。教室の窓には全てカーテンがかかっていた。

「そういえば、例の楽譜探しの進捗はどうだい?」

 副理事長が話を変えた。諷杝と也梛は顔を見合わせて、同時に溜め息を吐いた。

「まあ、少しは進展もあったんですけど、またさっぱり行き止まりで……」

 諷杝はぽつぽつとこれまでの経緯を話し始めた。――昨年の文化祭の放課後に副理事長に会い、彼の父親が残した学生時代の譜面の山を見つけた後に起こった出来事を。

 副理事長は諷杝の話にじっくりと耳を傾け、途中で口を挟むことをしなかった。白い鳩の不思議な行動の件も興味深そうな顔で聴き入り、全てが終わった時に「へえ、それはそれは」と微笑んで何度も頷いた。

「つまり君たちは今、ピックに残された二つの数字の謎に悩んでいる、と」

 諷杝の父親が何らかのヒントとして残したのだろう、ピックに書かれた二つの数字。

「はい。父親の譜面を全て浚って記号とか音とかで考えてみたり、単純に誕生日とかで考えたりしてみたんですけど違うみたいで。もう全く見当がつかないんです」

 肩を竦めた諷杝に、副理事長は「そうかそうか」と相変わらず微笑んでいる。

「……副理事長先生、何か知ってます?」

 諷杝が困ったように眉をしかめて尋ねると、副理事長はあっけらかんと笑う。

「いや、全く。私も君と同じようなことしか思いつかない。ましてや私は音楽の知識もそうないからなあ。譜面のことはさっぱりだ」

 これでよく軽音部の顧問だったなあ、と副理事長は独りごちる。

 昔を知る先生だからと密かに期待した諷杝と也梛だったが、どうやら当てが外れたようだ。

「私が三桁の数字と聞いてパッと思い浮かぶのはロッカーのナンバーくらいかな」

 それは也梛も考えていた。どこか楽譜をしまっておける場所ではないかと。しかし彩楸学園にあるロッカーで数字が振り分けられたロッカーと言えば生徒に与えられた個人ロッカーしかない。各学年それぞれ『001』から『330』までのナンバーが用意されている――だいたい一学年三百人前後なので、全てを使っているわけではない。

 今回問題になっている数字は『407』と『268』で、後者は該当するロッカーがあれど前者は無い。そもそも毎年使用されるロッカーであり、二十年も前の私物が放置されているとも思えなかった。

「うーん、何を示すんだろうねえ」

 副理事長は腕を組んで空を仰ぐ。木々の間から見える空は真っ青だった。

 いつの間にか也梛の服の下にもじっとりした汗が滲んでいる。順調に気温は上がっているようだった。

「……よく考えてみたら新校舎を建てた時に個人ロッカーを導入したんだった」

 副理事長が思い出したように呟く。

「え、そうだったんですか?」

「うん、そうそう。今は選択科目も増えて、移動教室も増えたから同じ教室にいることが少ないだろう? だから個人ロッカーを導入して、荷物はそこに入れるようにしたんだ。昔はほとんど一つの教室で、先生の方が入れ替わり立ち替わりで授業に来るスタイルだったから、みんな机に教科書詰めたり横に荷物を置いていたりしていたんだ」

 そうなるとキーボードを持ち込んでいる也梛は移動教室の度に黒いケースを背負って行かなければならなそうだ。鍵のかかるロッカーに保管できることはありがたい状況と言えた。

「ちょっとすぐにとはいかないけれど、私も考えておくよ」

 副理事長は苦笑を漏らした。どうやらお手上げらしい。

「……よろしくお願いします」

 諷杝と也梛は揃って頭を下げた。この際どんなに小さなことでもいいから引っかかることがあれば知りたい。

「そういえば君たちは今年も音楽祭に出るんだって?」

 また話が変わって、つい最近の話題になった。

「ああ、はい」

「そうか……今年は私も聴きに行きたいなあ」

「え? 副理事長先生、風橋学園に聴きに来るんですか?」

 驚いて目を丸くした諷杝に、副理事長は白が混じる髪を軽くかいた。

「昨年の話を並早先生から聞いてね。あまりにも楽しそうだったから羨ましく思っていたんだ」

「お時間があってお暇だったら、ぜひ聴きに来て下さい」

 也梛は苦笑を滲ませて言う。この忙しい副理事長にそんな時間などないだろうなと思いながら。

 副理事長もそんな也梛の内心を見越したように苦笑した。

「そうだね。私もできる限り努力しよう。何といっても海中君は今年で最後だしね」

「……無事に卒業できると良いですけど」

 控えめに呟いた諷杝に、副理事長は今度は大らかに笑う。

「いやいや、よっぽどのことがなければ大丈夫だよ」

 諷杝が心配げに也梛の方を見るので、也梛は困った顔になった。

(何でそんな顔でこっちを見るんだ)

 しかしすぐに彼は気を取り直したように笑みを戻すと、まさに今思い付いたとばかりにポンと手を打った。

「あっ、じゃあ副理事長先生も並早先生みたいに即興ライブ参加とかどうですか?」

 途端に楽しそうな顔をする諷杝に、副理事長は手を振ってやんわりと断った。

「それは遠慮しておくよ」

 諷杝が残念そうに肩を落としたのがおかしかった。


大変お待たせしました。中編か後編に続きます。忘れた頃にやってきた副理事長でした。

いつも読んで下さってありがとうございます。(2021.08.29)

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