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  作者: 葵月詞菜


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忙しない風橋学園

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上3年生。ギターを弾く。

【その他】

相田あいだ しょう…雲ノ峰高校3年。昨年の音楽祭実行委員長。

・淡海 あやめ(おうみ あやめ)…同上3年。将の幼馴染みで音楽仲間。

一.

 もう午前中から日差しが強すぎる。しかもあちこちからは蝉の大合唱。これで蝉が鳴かなくなる気温にまでなったら、外を歩くのは危険だろう。

(こんな中でも千佳ちゃんは走ってるのかなあ)

 陸上部の友人を思い出す。きっと走っているんだろう。今度会う時には彼女はまただいぶ肌が日に焼けているような気がした。

 そんな夏も真っ盛りの日、笠木矢㮈(かさぎ やな)は私立風橋(かぜはし)学園に来ていた。

 午前中に音楽祭実行委員の会議が予定されていて、絶対参加と決まった高瀬也梛(たかせ やなぎ)に付き合わされる形で海中諷杝(わたなか ふうり)と共に足を運ぶことになった。

 会議自体は情報共有がメインで案外あっさりと終了した。だがその後で、実行委員長と副委員長を中心に担当別に確認や指示がとぶ。

「うちが合宿で提供する施設の準備なんですが……」

「大学の体育館の前に置く椅子が」

「合宿の受付なんですけど」

 相田(あいだ)が見事にテキパキと采配を振っている様を見て、矢㮈はほうと息を吐いた。

「すごいね、相田さん。さすが委員長の貫禄がある」

「うん、さすがだね」

 隣では諷杝も他人事のようにうんうんと頷いていた。彼も相田と同学年のはずだがこちらは全く貫禄も何もなく飄々としている。

「それから僕たちの頼れるオカン、也梛もさすがだね」

 相田の斜め後ろに控えるようにして立った高瀬が忙しくプリントの束を捲りながら、委員長の確認に逐一受け答えしている。そして相田の代わりに他の委員に同伴してあちこち現場に走ることもあった。

「相変わらず仏頂面だけど、仕事だけは早いわよね」

 今もまた実行委員二人とともに会議室を出て行こうとする高瀬の姿を見遣りながら苦笑する。

 矢㮈と諷杝もちょこちょこ手伝いをしていたのだが、まだ基本的な準備の確認もままならない風橋学園の中ではできることが限られていた。高瀬ほど相田の足になることもできそうにない。

「矢㮈ちゃん、僕らは飲み物でも買ってこようか?」

「あ、そうだね」

 諷杝の提案に頷き、矢㮈たちは相田に一声かけて会議室を出た。

 一度中高の校舎を出て、大学の建物が集まる方へ足を向けた。

「あっつ!」

「あー、ダメだー、溶けそう」

 日差しと気温がさらにパワーアップしている。心なし、蝉の鳴き声が落ち着いた気がした。つまり、とてつもなく暑い。

 じりじりと肌を焼かれる感覚を味わいながら、流れる汗を拭いつつ足を急がせる。

 中高と大学の丁度真ん中辺りに食堂があって、すぐ側にはコンビニがあった。矢㮈たちはコンビニに向かおうとして、食堂前にある学園内の地図の前で立ち止まった。

 現在地の食堂が地図の中でも真ん中くらいにあり赤い逆三角マークがついていた。向かって右側に中高の校舎とグラウンドと体育館、左側に大学のキャンパスが広がっている。

「こうして見るとやっぱり大きいよね」

「そうだね。彩楸学園の倍以上はあるね」

 さらに付属幼稚園と大学のキャンパスを他所に持っているのだ。

「ねえ、音楽祭のステージってどの辺なのかな?」

「確か大学の第三体育館って書いてあった気が……」

 諷杝の指が大学キャンパスの上を彷徨う。第一体育館と第二体育館は見つけられたが、第三体育館が見当たらない。

「あれ? ないね。もしかして他のキャンパス?」

「いやでも、隣の大学のキャンパスって言ってたよ」

「第三体育館は第二体育館の隣の施設に入ってるのよ」

 二人揃って首を傾げていると、後ろから聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、半袖のポロシャツに膝上丈のチェックのスカート姿の女子生徒が腰に手をあてて立っていた。片方の高い位置で結った髪が揺れる。

淡海(おうみ)さん!」

 相田と同じ雲ノ峰高校三年の淡海あやめだった。淡海は日差しを避けるように額に手をあてて庇をつくり、第二体育館の方を見た。

「ほら、あそこに見える青い屋根が第二体育館で、その横にグレーの建物があるでしょ? あの中に第三体育館が入ってるの」

「そうなんだ」

 さすが淡海はすでにチェック済みらしい。だが、

「私も一度見に行こうと思ってたの。二人も一緒に行かない?」

 まだ第三体育館の場所自体には行ったことがなかったようだ。

「将ちゃんと一緒に行こうと思ってたんだけど、あの通り引っ張りだこ状態だから」

 困ったように肩を竦める淡海を見て、矢㮈と諷杝は苦笑した。

「それとも二人はデート中だったりした? お邪魔だったかしら?」

 一転しておちゃらけた淡海に、矢㮈は忙しなく手と首を横に振った。

「そんなそんな! デートとかじゃないです!」

「うん、ちょっと飲み物買いに来ただけ」

 諷杝ものほほんと返す。淡海はその反応に少しつまらそうな表情をしたが、「じゃあ」と気分を変えるように言った。

「二人とも、しばらく私に付き合ってくれる?」

 コンビニに向いた足を一転、大学キャンパスの方に向かった。



二.

 淡海はすたすたと迷いなく、青い屋根の第二体育館を目指して歩いて行く。その後を矢㮈と諷杝はついて行くだけだ。

「淡海さんがいなかったら多分たどり着けなかった気がする」

「そうだねえ。自分で言うのもなんだけど、僕もたいがい方向音痴らしいしなあ」

「諷杝の場合は高瀬がいれば何とかなりそうだもんね」

「うん……その通りだけど、改めて言われるとちょっと悲しくなってくるな」

 諷杝が溜め息を吐いたのを見て思わず笑ってしまった。

 大学のキャンパスは緑が多かった。そしてあちこちにベンチが置かれている。だがこの暑さの中、ほとんど人の姿は見えない。遠くグランドの方から部活の掛け声が聞こえてくる程度だ。

 そういえば中高のグラウンドでは躍進中の野球部が大きな声をあげながら練習をしていた。それを応援するように、校舎からは吹奏楽部の楽器の音が聞こえてきていた。話を聞いたところによると、体育館では同じく期待がかかるバドミントン部が朝から練習をしているそうだ。

「ここのはずなんだけど」

 第二体育館に着くと、何ヵ所か開いた扉の内からキュッキュッという音とダンダンとボールが跳ねる音が聞こえて来た。

「バスケしてる」

 こちらはどう見ても中高生ではなく、おそらく大学生だろうと思う。

 矢㮈たちは隣のグレーの建物の方に行き、入り口のガラス扉の前で立ち止まった。扉には「関係者以外立ち入り禁止」の紙が貼ってある。

「僕たちって関係者になるのかな?」

「音楽祭の実行委員なんだしなるんじゃないの?」

 それにただの見学だし、と淡海が扉の取手に手を伸ばした時、

「あれ、君たちどうしたの?」

「!」

 また後ろから声をかけられた。先程とは違って「立ち入り禁止」の扉を開けようとしていた後ろめたさもあって過敏に驚いてしまった。

 三人で振り向くと、丁度そこを通りがかったというような青年が段ボールを手に立っていた。

「高校生だよね? そちらの二人は彩楸かな」

 そう訊ねた青年はひょろりと背が高かったが、全体的に線が細くどこか儚い印象を受けた。肌が白いせいもあり、病み上がり的な雰囲気がある。

「えっと私たちは、毎年近隣の高校と合同でやる音楽祭の実行委員メンバーで、会場が第三体育館らしいので見に来たんです」

 反応が早かったのは淡海だった。落ち着いたふうに事情を説明する。こういうところは少し相田に似ていた。

「ああ、なるほど。そっかあ、もうそんな時期かあ」

 青年はうんうんと頷いて、どこか懐かしそうな表情になった。どうやら音楽祭という行事について知っているようだった。その証拠に理解が早かった。

「今年はうちの付属高校が会場校だったんだね。あれ、でも大学の体育館でするの?」

「高校の体育館を使う予定だったんですけど、野球部とバドミントン部の活躍で色々と再調整がありまして……」

 察してくださいと言わんばかりに肩を竦めた淡海に、青年は「ああ」と残念そうに眉を下げた。

「取られちゃったのか。で、大学まで流れてきたわけだ」

 矢㮈たちは揃って頷いた。

「それは大変だったね」

「はい、直前の変更過ぎて今めちゃくちゃ慌ただしいです」

 特に風橋学園側が。そして実行委員長の相田が。

 青年は苦笑をこぼし、「そういうことなら」と一度段ボールを脇によけてガラス扉を押し開いた。

「どうぞ。確か今日はどこも使ってなかったと思うから」

「入って良いんですか?」

「良いよ。もし心配なら僕も付き合おうか?」

 突拍子もない申し出に矢㮈たちはポカンとした。矢㮈は段ボールと青年を見比べて尋ねた。

「え、良いんですか? 何か用があったんじゃ……」

「ああ大丈夫大丈夫。僕はここの大学生なんだけど、友人の雑用を手伝ってただけだから」

 青年は楽しそうに笑って、改めて矢㮈たちを建物の中に入るよう促した。

「ほら、暑いでしょ。早く入りな」

 三人で一瞬顔を見合わせた後、淡海を先頭に建物の中に足を踏み入れた。

 今日は使用がないという言葉は正しかったようだ。建物の中に人の気配はなく、薄暗い。青年が電気をつけてくれた。

「ごめん、クーラーはついてないから暑いね」

「いえ、日差しがないだけでもありがたいです」

 やはり屋外と屋内でだいぶ違う。ただ屋内は空気が籠っているせいでじめじめ感が肌にまとわりつく。

「第三体育館はこの通路の奥だよ」

 真っ直ぐに伸びた通路を青年の後に続く。両側には会議室や教室くらいの部屋がいくつか並んでいた。

「あの、あなたも音楽祭に出たことがあるんですか?」

 ずっと黙っていた諷杝が何ともなしに青年に訊いた。

「ううん、僕は出演してはいなかったんだけど、同じ軽音部のみんなの演奏を聴くのが好きで参加はしてたんだ。いわゆる裏方?」

「え、自分は出演しないのに準備だけ参加してたんですか?」

 思わず声に出してしまった矢㮈に青年は苦笑した。

「裏方って言っても僕はそんなに役に立たなかったから恥ずかしいけど。でも何と言うか、あのお祭りの雰囲気が好きでさ。いつもはあまり聞かないような音楽を聴けるのもまた楽しくて」

「それは分かるような気がします」

 穏やかな顔で諷杝が同意する。そういえば彼は一年の時――当然まだ矢㮈たちは入学していない――淡海と相田に誘われて参加したと聞いた。あまり一人で賑やかな場所に行くのは好きそうでない諷杝が参加したのにはその辺りにも理由があったのかもしれない。

「ここが第三体育館だよ」

 バスケットコートがぎりぎり二面取れるくらいの大きさの空間が広がっていた。やはり閉め切られた空間はむしむしとしている。

「ここにステージを組み立てるのかあ。去年の彩楸学園と同じくらいかしら」

 淡海が顎に手をあてて見えないステージを想像し始める。

「あ、実はね、ステージはあの奥にあって」

「え?」

 青年が北面を指差す。一見壁のように見えるが、よく見ると床と接した部分がスライドになっている。

「ここ、大学でも小ステージとして色々使われるんだ」

「ってことは去年みたいにステージを組み立てる労力はいらないんだね」

「あれ大変だったもんね……」

「さすが風橋学園。設備が整ってる」

 矢㮈と諷杝と淡海はそれぞれに呟いた。

 とはいえあまり長くいられる所ではなかった。シャツが汗でべったりして来て、そこにいた面々の顔には汗の玉が浮き上がっていた。

「そろそろ行こうか」

 青年の言葉に速攻で頷いて、足早に第三体育館を後にした。

 入り口のガラス扉を抜けると、温い風が通り抜けた。暑い。でも風があると不思議とマシな気もする。

「あ、いた、トバ!」

 どこかから声がして、青年が振り返る。道の向こうで段ボールを抱えた大柄な青年が立っていた。

「僕もそろそろ行かなきゃ」

『トバ』と呼ばれた青年は入り口の近くに置いていた段ボールを抱え直し、矢㮈たちに微笑んだ。

「機会があったら君たちの音楽も聴いてみたいな。またね」

「ありがとうございました」

 矢㮈たちは声を揃え、強い日差しの下に、儚い後ろ姿が遠ざかっていくのを見送った。

「あー、喉乾いたわねえ」

「コンビニ行こうか」

「そうだ、飲み物買いに来たんだった」

 三人の足はもう迷うことなくコンビニに向かっていた。



三.

「分かりました。じゃあこれで新藤先生に確認してきます!」

 はきはきとした返事を残して、風橋学園二年で副実行委員長の槙野灯里(まきの あかり)が会議室を飛び出していった。

 それを見送って、今までテキパキ指示を出していた相田がやれやれと椅子の背に凭れ掛かった。

「……お疲れ様です、委員長」

 也梛(やなぎ)は持っていたファイルを閉じて机の上に置いた。ひとまず急ぎ確認すべきことはしたはずだ。後は風橋学園で調整してもらって、決定したことを実行していくだけだ。その段階になってようやく他の実行委員のメンバーも本格的に動き始めることができる。

「あー……」

 相田が天井を仰いで意味のない音を発する。想像以上に疲れたらしい。傍に淡海がいないせいもあるのだろうかと也梛は密かに思った。テンションの高い淡海が隣にいると、相田はいつもしっかりしている印象だ。

「高瀬もお疲れ様だったな。サンキュ、色々助かった」

 ようやく相田が頭を起こして首を回しながら言う。コキリと小気味良い音がした。

「いえ。俺はただ言われた通りにしてただけなんで。すごい指示だったなあって感心してました」

「……もう少し心を込めて言ってくれるか? 棒読みに聞こえるぞ」

「本心ですよ」

 也梛は小さく笑い、会議の際に配られたプリントを再度確認した。

「これで今日の打ち合わせは全て終了したんですよね?」

「ああ。午後からは各グループの練習に充ててくれ。場所はプリントに指定されてる通りだ。時間はだいたい夕方の四時頃まで」

 丁度正午を回った辺りだった。これから昼休憩を挟んで練習といったところか。

それにしても四時までとはずいぶん長い時間を確保してもらえたものだ。もしかしたら相田が頑張ってテキパキ問題を片付けてくれたおかげかもしれない。

「とりあえずお昼だけどな」

「そうですね。諷杝(ふうり)たちを探しにいかねえと……あいつらどこ行ったんだ」

 也梛が一度会議室を離れて戻って来た時には二人の姿はなかった。相田からコンビニにでも行ったらしいと聞いたが、まだ帰って来ない。

(まさか迷子になってるとか……?)

 二人揃ってまさかと思うが、完全に否定しきれない自分がいる。あの二人なら十分にあり得ると思ってしまう。

「あー、こっちもあやめを探さないとな」

 相田がスマホを取り出して電話をかけるが通じなかったらしい。メッセージに切り替えていた。

 也梛も携帯を取り出して、少し迷ってから矢㮈の方にかけた――諷杝よりは取る可能性が高かったからだ。しかし出ない。

 仕方なく諦めて、探しに行くことにする。コンビニに向かいがてら探すつもりだった。

「じゃあ高瀬、俺はしばらくここで待ってるから、もしあやめがいたら声かけてくれるか」

「了解です。逆にもし諷杝たちがここに来たら連絡ください」

「オッケー」

 也梛が部屋を出る直前、相田がまた椅子の背にずるずると凭れ掛かったのが視界の端に入った。

 委員長は結構、だいぶ、お疲れのようだった。


 コンビニに向かうためには一度屋外に出なくてはならない。也梛は内と外を隔てるガラス戸越しに熱されたコンクリートを見てげんなりした。

 しかし行く他ない。これであの二人が見つからなかったら後で文句を言ってやろう。今にもガラス戸に手を掛けようとした時だった。

「あ、高瀬さん」

「……槙野か」

 先程まで会議室で熱心に相田から指示を受けていた彼女が運よく通りかかった。

「どこかに行かれるんですか?」

「ちょっとコンビニまで、な。うちの連れ二人を探しに」

「えーっと、もしかしてあのほわっとしたお二人ですか?」

「ほわっとした……?」

 疑問に思いながらも、言わんとしていることは何となく分かってしまった。槙野は慌てて付け加える。

「すいません、お名前を覚えていないのですが、高瀬さんと一緒にいらっしゃった二人ですよね」

 恐らく彼女が認識している二人で合っている。也梛は頷いた。

「さっきうちの部室で、雲ノ峰の淡海さんたちと一緒にいる所を見ましたよ」

 淡海も一緒なら都合が良い。相田からの言付けもある。

「部室ってどっち?」

 也梛は槙野から場所を聞き、灼熱の外に出ないで良くなったことに感謝しながら校舎内に引き返した。

 いくつかの楽器の音が耳に入ってきて、部室が近付いたことが分かった。真っ直ぐに伸びた廊下の両側に教室が並んでいる。

 通常の授業を受ける教室とは雰囲気が異なっているのは、部屋の中に机はなく、数脚の椅子が無造作に置かれているだけだからだろう。

 横目にちらちらと教室を確認して行くと、ついに奥の教室に辿り着いた。

(確か右側一番奥とその横が軽音部――)

 だが、その声は右側ではなく左側から聞こえて来た。

「あ、バイオリンの子だ!」

 半分開かれた扉の奥で、小柄な男子が矢㮈に向き合っているのが見えた。驚いて固まる矢㮈の斜め後ろには諷杝がいて、同じく驚いたように目を開いていた。そばには淡海もいて笑っている。

 也梛はちらと扉に貼られた紙を見た。そこには『ジャズバンド部』と書かれていた。

「え、あの……」

「あ、俺、風橋二年の本田陵(ほんだ りょう)っていうんだけど。楽器はアルトサックス」

 本田は自然な流れで自己紹介をして、隣の机に置いていた金色の楽器を軽く示した。矢㮈が本田よりもそちらに目を惹かれたのが分かった。

「サックス! 久しぶりに見た」

「良かったら後で音も聴いて行ってよ。で、えっと君の名前は?」

「あ、あたしは彩楸二年の笠木矢㮈です」

 すっかり楽器に意識を持って行かれた矢㮈の警戒は解かれている。也梛は溜め息を吐いて、無防備すぎるだろ、と思わず心の中でツッコんだ。

「笠木さんか。うん、覚えた。去年の夏、君のバイオリンを聴いてずっと気になってたんだ。今年も参加してくれて良かったー」

「え、そうなの?」

「そうだよ。まずバイオリンってとこが……」

 本田の話は続き、矢㮈はそれを真面目に聞き始める。

 也梛はそっと諷杝の元に近付いた。先に淡海が気付いて片手を上げる。その手には飴の入った袋があり、也梛の方に向けて来た。

「お疲れ、高瀬。飴一つどう?」

「お疲れ様です。……いただきます」

 塩飴を一つ摘み、微笑んでこちらに手を振る諷杝を呆れた顔で見返す。

「で、どういう状況?」

「何か矢㮈ちゃんの注目度が想像以上にすごかった感じ」

「さっき軽音部に顔出した時も同じような感じで声かけて来る子いたもんね~。矢㮈ちゃんモッテモテー!」

 追加情報をくれた淡海はどこか楽しそうだ。

「まあ大丈夫だよ。そんな変な人はいなさそうだったし」

 諷杝がのんびり言うので、

「変なヤツが言い寄って来たらそれは問題だろ」

 也梛は小さく溜め息を吐く。とりあえずここは諷杝を信用するしかない。

「それより也梛、仕事は一段落したの?」

「ああ。今日は終わりだって。だから飯食いに行こうと思ってお前らを探してたんだよ」

「ごめんごめん。ちょっとコンビニで飲み物買うつもりだったんだけど、第三体育館とか見て回ってたら時間経っちゃって」

 そうだ、はいこれ也梛の、とペットボトルを渡されて受け取る。水滴がついたペットボトルはまだかろうじて冷たい。

「ていうかここまで引きずって来ちゃったのは私なのよ。ごめんね」

 淡海が間に入って諷杝たちと出会ってからの経緯を説明してくれる。

「そもそも淡海さんは何でここに?」

 第三体育館の後コンビニに寄ったところまでは分かったが、その後なぜ風橋の音楽関係の部室を訪ねて回っていたのか。

「え? だって折角風橋学園に来てるんだし、実行委員メンバーとしても交流はしておくべきでしょ?」

 淡海は当たり前のように答えた。曰く、実行委員長として動けない相田の代わりに、彼女が音楽祭に参加する面々を見て回っているらしい。

「そうしたら何かあった時声かけやすいし、伝達もスムーズでしょ? 何より一緒に音楽祭出るんだから」

 飴の袋を持って差し入れをする感覚で、参加者たちと顔見知りになっておく。もちろん彼女にはその交流自体が楽しいらしいが。

(なるほど。まあ確かに淡海さんはこっちの交流の方が合ってるよな)

 まさに適材適所というべきか。何も打ち合わせなどはしていないはずだが、しっかり役割が分かっている。相田もそんな淡海のことは承知済みなんだろう。

 也梛は心の中で感心しつつ、表情は仏頂面のままで淡海に言った。

「そうだ、淡海さん。相田さんが会議室で待ってますよ」

「そうなの? あ、携帯見てなかったな」

 彼女はスマホを取り出して相田から連絡があったことに気付いたようだ。

「ごめん、じゃあ私先に行くね」

「淡海さん、道案内ありがとう」

 諷杝が手を振る。

「こちらこそ付き合ってくれてありがと。また後でね」

 淡海は矢㮈をちらと見たが、まだ本田と話しているのを見て諦めたように踵を返した。その背に、也梛は軽く付け足した。

「相田さん、結構疲れてたんで後はよろしくお願いします」

「――了解。高瀬も将ちゃんの手伝いありがとうね」

 淡海はすぐに教室を飛び出して行った。

「そっか。さすがの相田君も疲れたかあ」

 諷杝が微かに眉を寄せて溜め息を吐く。

「指示はさすがだったけどな。さすが去年に引き続き実行委員長だよ。――去年副委員長だったどこかの誰かさんと違って」

 思わず応じた也梛に、諷杝が若干むくれた表情になる。

「それ、どこの誰のこと?」

「さあ? 誰だろうな。――さて、そろそろ俺らも飯食いに行こうぜ。腹減った」

 疲れているのは相田だけではない。也梛もまた疲労を感じていた。午後からの練習に備えて少しでも回復しておかなくては。

「そうだね。頑張った也梛にデザートくらいご馳走してあげるよ」

「マジか。じゃあ遠慮なく」

「でも値段制限は決めさせてね」

「心が狭い」

 諷杝が笑って、矢㮈を迎えに彼女と本田の間に入っていく。

 まだ心惜しそうな本田と、少しほっとした表情の矢㮈が同時に諷杝を見た。

 先に廊下に出た也梛の後を、すぐに二人が追い付いて来た。

「高瀬、お疲れ」

 矢㮈が隣に並ぶ。也梛はちらと彼女を見遣った。

「ホントお疲れだよ。誰かさんは楽し気にサックスの話に夢中だったけどな」

「っ……だってあたしじゃ手伝えないし、サックスは久しぶりに見て思わず興奮しちゃったというか……」

 ぼそぼそと言い繕う矢㮈を鼻で笑い飛ばす。すると彼女は勢いよく顔を上げて、

「じゃあ仕事をしてめっちゃ疲れてへばってる高瀬に、デザートぐらい奢るわよ! ただし二百円以内ね!」

「何だそれは」

 別に「めっちゃ疲れてへばってる」わけではない。反論しようとしたがバカバカしいのでやめた。

「じゃあ僕は三百円出すから、合わせて五百円以内ってことで」

 諷杝が楽しそうに便乗する。也梛は溜め息を飲み込んで、

「じゃあ五百円ギリギリまで使ってやる」

 二人と共に昼食に向かったのであった。



今回は前後編とかなくあっさりと短編です。新しい人が増えたりしますがもうさらーっと流していただいて大丈夫です。

いつも読んで下さってありがとうございます。(2021.08.12)

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