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  作者: 葵月詞菜


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58/98

楽しい音<後編>

※第57話「楽しい音<前編>」の続きです。

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上3年生。ギターを弾く。

【その他】

村住むらずみ 華南かなん…バイオリン奏者。

渥美あつみ 和香わか…也梛の元ピアノの先生。

四.

 演奏が終わった矢㮈(やな)は控室に戻らずに、次に待機している奏者の邪魔にならないよう舞台袖に留まった。少し不安に感じながらも、華南(かなん)の演奏を身近に聴きたいと思ったからだった。

 矢㮈がステージから下がると、待機していた華南と目が合った。彼女は目を見開いて矢㮈を見つめていて、そばを通り過ぎる頃に漸くはっと我に返った。

(そんなに変な演奏だったかな……)

 内心びくびくしながら通り過ぎようとした矢㮈に向かって、華南が口を開いた。が、そこから声は出ず、ふいと顔を背けてしまった。

 ポカンとする矢㮈を置いて、彼女はステージに出て行ってしまったのだった。

(何を言おうとしてたのかな……)

 矢㮈は今度こそ青くなりながら、華南のステージを見学することになった。

 彼女の演奏は相変わらず美しかった。前に練習で聴いた時よりもさらに磨きがかかっていて、同じだけ練習期間があったはずなのにさらに差が開いて置いて行かれたような気分になった。

 だが一番印象的だったのは、

(村住さん、笑ってる……?)


『今日はコンクールでもない、ただの楽しい演奏会よ』


 リハーサルで聞いた渥美(あつみ)の言葉が蘇る。まさに楽しい演奏会の雰囲気だった。今まで見て来た華南とはまるで別人のようだ。――ただしそのレベルはとんでもなく高いが。

(すごい……)

 圧倒される。だが今回は不安にはならなかった。

 音色の美しさと彼女自身の美しさに耳と目を奪われる。のびのびとしながらも、細やかさを忘れない旋律だった。

(あたしもこんなふうに弾きたい)

 彼女のような技術を身に付けて、軽々と弾きこなせるようになりたい。

 矢㮈は弾む心を抱えて、ただただ華南の音色に耳を澄ませていた。


 華南の演奏が終わると、矢㮈は小さく拍手をして彼女が戻ってくる前に舞台袖を離れた。

 彼女の演奏にまた自分の中の何かが触発されてしまった。もう矢㮈の出番は終わったというのに、今すぐにでもバイオリンを弾きたい衝動に駆られる。

 このままそっとどこかに消えてバイオリンを思い切り弾きたい。

 控室でバイオリンを片付けていると、華南が渥美と共にステージから帰って来た。控室にいた他の奏者が声をかけるのに応える華南を置いて、渥美が矢㮈の方へ寄って来た。

「笠木さん」

「はい。今日はありがとうございました」

 矢㮈が早々に礼を伝えると、渥美は笑みを浮かべたまま首を振った。

「まだそのセリフは早いわよ」

「え?」

 どういう意味だろう。首を傾げる矢㮈の肩に渥美が大きな手を置く。

「もう一曲、お願いできないかしら」

「は?」

 素で声が漏れた。

「トリをお願いしてた子が急に体調不良で来られなくなったのよ」

 もしかしてリハーサルの時にスタッフと話していたのはその件だったのか。

「で、笠木さんさえよければ、トリもお願いしたいと思って」

「ええ? いや、あたしなんかより他に……」

 控室にいる他の面々――特に華南を見て言った矢㮈に、渥美があっけらかんと笑った。

「奏者は私と華南さんと笠木さんの三人よ」

「!?」

 さらに爆弾を投下されて思考が止まる。

「でも……きょ、曲は……」

「あなたに合わせるわよ」

 華南が口を挟んできて矢㮈は思わず身を引いた。すでに華南には話が通っているらしい。よく矢㮈と共演することにオーケーしたなと不思議に思う。

「もう一度『木星』でも良いけど……そうねえ。笠木さん、『G線上のアリア』は弾ける?」

「!」

 それは昨年、彼女たちと高瀬が一緒に演奏した時の曲だった。矢㮈は高瀬の練習に付き合って弾いたことがある。

「懐かしい曲……」

 華南がポツリと呟く。

 もう一度渥美が尋ねるように矢㮈を見たので、矢㮈は頷いた。

「弾けます」

「うん、じゃあこれで行きましょう。一応楽譜は用意するからね」

「もういきあたりばったりの即興じゃないですか」

 華南が苦笑すると渥美も苦笑を返した。

「そうね。トリにこれはどうかとも思うけど、私の演奏会だから特権で好きにさせてもらうわ。あなたたちも楽しく弾いてくれたら良いわよ」

「どうなっても先生のピアノがちゃんとまとめてくれるってことで良いですか?」

「言うようになったわねえ、華南さん。あなたこそ、しっかり笠木さんを引っ張ってあげてね」

 先生と教え子は笑い合う。渥美が用意をしに控室を出ると、華南が矢㮈の方を向いた。

「笠木さん」

「は、はい」

 一気に緊張する。彼女とこうして真正面に向き合ったのはいつぶりだろう。メイクを施した切れ長の目に見つめられてドキリとする。

 華南は言葉に迷うように束の間黙り込み、やがて小さく息を吐いた。

「……あなたの演奏、良かったよ」

「!」

 矢㮈の目が見開かれる。華南は照れたように頬を赤らめて、

「技術云々じゃなくて……何と言うか、あなたの音。音にすごく惹きつけられたの。高瀬君が言ってた意味がやっと分かった気がする」

「……高瀬?」

「彼に言われたのよ。あなたの演奏をちゃんと聴いてみろって。色々と納得した。……あなたの伸び伸びとした、粗削りだけどいっそ清々しい音を聴いていると、鬱々と考えてるのが馬鹿馬鹿しくなってきて」

 彼女はふっと笑いを零した。

「今日はコンクールでもないし、私も好きに弾いちゃおうと思ったの。そしたらいつもとはずっと違った感覚があって、音も乗ってて、すごく気持ちよかった。何より楽しかった」

 笑みを浮かべたその顔は本当に綺麗だった。今までどこか冷たい感じがしていたのが嘘のようだ。

「だからありが――ってちょっと! 何泣いてるの!?」

 目の前で焦る美人の顔がだんだんとぼやけて、矢㮈は知らず涙がでていたことに気付いた。

「お化粧とれちゃうでしょ! 早く拭いて! ああもう!」

 呆然としている矢㮈に痺れを切らした華南は、そばにあったティッシュを取って矢㮈の頬を伝う涙を拭ってくれた。

「……あ、ありがとう……」

「ほら後は自分で拭きなさい。それからもうすぐに出番だからね」

 全くもう、と呆れる華南は世話焼きのお姉さんみたいな感じだった。少し高瀬に似ているなと頭の隅で思ってしまった。

 涙を拭った矢㮈はもう一度バイオリンを持って、華南と共に渥美の所に向かった。ステージではもうすぐ最後から二番目の演奏が終わろうとしていた。

 渥美から渡された譜面に目を通し、華南とさらっと打ち合わせる。

「笠木さんは基本好きに弾いて良いわよ」

 こんな時には華南の存在が心強い。矢㮈にできるのはせめて周りの音を聴いて自分の音を丁寧に奏でることくらいだ。申し訳ないが調整は華南に甘えることにする。

「まあ最後は先生のピアノがどうにかしてくれるから大丈夫でしょ」

 最後は渥美頼みだった。矢㮈は苦笑しながら頷いた。


 会場にはプログラムの変更がアナウンスされて、予定より少し長い休憩の後に最後のステージが始まった。

 渥美を先頭に華南と矢㮈が続くと、客席から拍手が沸き上がった。

 ピアノの前に座った渥美に目礼して、バイオリンを構える。隣に立つ華南を見ると、彼女は口の端に不敵な笑みを浮かべた。経験の差か、彼女にはずっと余裕があるように見えた。

(……負けられない)

 勝負の勝ち負けではなくて、彼女に恥じない演奏をしなくてはと身が引き締まる。

 渥美のピアノが走り始める。華南が続き、矢㮈も混ざるように並走した。

 矢㮈の弾くべき旋律を追いながら、迷子にならないように渥美の音と華南の音に耳を澄ませる。

 諷杝のギターと高瀬のキーボードと演奏する時とはまた違う。

 どこか手探りの状態だけど、それでも思い切り弾けるのは渥美の安定したベースがあるからだ。

 そしてぶれない華南の音が引っ張ってくれる。舞台袖よりもずっと近いところで聴く彼女の音は鋭く耳に届く。ともすれば呑み込まれそうにもなるが、矢㮈は負けじと自分の音を紡ぎ続けた。

(こんな『G線上のアリア』初めてだ)

 精一杯の中に確かな楽しさも感じる。

(大丈夫。今日は楽しい演奏会なんだから)

 矢㮈は心の奥から湧き上がってくるわくわくに身を委ねて、相棒の弓を動かした。



五.

 演奏が終わった時、かつてない程汗をかいていた。そして言葉が出て来なかった。

 それは華南も同じだったようで、渥美と客席に礼をしてステージを去るまで二人は無言だった。だが彼女の顔には満足が窺えて、きっと矢㮈もそんな表情をしているのだろうと思った。

 カーテンコールよろしく奏者全員の一礼と渥美の挨拶を最後に、今回の演奏会は無事に終了した。

 会場では奏者とその家族が集まり、渥美が順に挨拶に回っていた。

 矢㮈は流れで華南と一緒に会場に顔を出した。

「姉貴!」

 一番に弓響が矢㮈を見つけてすっ飛んでくる。普段はしっかり者の中学生だが、こういうところはまだ子どもらしい。

弓響(ゆき)。聴きに来てくれてありがとう」

 弓響は大きく頷くと、隣にいた華南にもペコリと頭を下げた。華南も軽く挨拶を返し、弓響の向こうにいた高瀬たちに気付いた。

「ちょっと、あの女の子誰?」

「え?」

 矢㮈も前を向いて、目を疑った。高瀬と諷杝(ふうり)の他にもう一人見知った顔があった。

「千佳ちゃん?」

 そう、同じクラスで友人の臣原千佳(おみはら ちか)だった。見慣れた学校のジャージでも遊びに行く服でもないフォーマルな衣装に身を包み、髪もアップにした彼女は華南に負けず劣らずの美人だった。

 そんな彼女が今にも泣きだしそうな顔をして、矢㮈を見つめていた。高瀬に背を押され、堪え切れなかったように一歩を踏み出した。勢いは止まらず矢㮈に突進してくる。

「笠木~!」

「え、えっ? ちょっと千佳ちゃん? どうしたの?」

 思い切りハグされて動揺している矢㮈を、華南も驚いたような表情で見ていた。

「すごいね、あんたすごかった。……もうあたし、終わった辺りから涙が止まらなくて……やっと止まってきたと思ったら、ラストにあんな……っ」

 すでに涙声の彼女は鼻もぐずぐずさせて美人が台無しだ。

「とにかくずごがっだのお~……」

 最後はくぐもって聞き辛かったが、彼女が言いたいことは伝わった。矢㮈は頬を緩ませて、千佳の背中をぽんぽんと叩いた。

「ありがとう、千佳ちゃん」

 そのまま諷杝の方を見ると、彼はすっと高瀬の方を指差した。

「也梛が臣原さんも招待したみたい」

「……お前のことを心配してたからな。結果は自分の目で見たら良いと思っただけだ」

 高瀬がいつもの仏頂面で答える。そして華南の方を見た。

「去年より良かったと思うけど?」

「! ………それはどうもありがとうございました!」

 華南が頬を赤らめて、つっけんどんに返した。

「もう臣原さんの反応が全員の感想代わりになっちゃってるけど、矢㮈ちゃん、素敵な演奏だったね」

 諷杝が柔らかい声で労ってくれた。あらためて少しこそばゆい感じを覚える。

「諷杝も、聴きに来てくれてありがとう」

「ずっと楽しみにしてたからね。当然だよ」

「ふふ。そうだったんだ」

 油断するとまた涙が込み上げてきそうで、矢㮈は無理矢理に笑って誤魔化した。

 千佳にハンカチを渡して彼女が落ち着くのを待っていると、泳がせた視線が高瀬とぶつかった。

「……」

 こちらからは感想を聞き辛くて、だが彼の感想はぜひとも聞いてみたくて胸の内で葛藤する。

 やがて高瀬が何かを諦めたように息を吐いた。

「――心配しなくても、ちゃんとお前の音だったよ」

 珍しく素直な言葉を返してくれたと思っていたら、すぐに彼は眉を顰めた。

「それがちょっと羨ましくてムカつくけどな」

 彼は彼の音を探している。それを知っている矢㮈は、その言葉がただの悪態でないと分かっていた。

「今日のあれが、今のあたしの精一杯なんだ、多分」

「ああ、まだまだ伸びしろがあるな」

 現在の自分を受け入れるように呟いた矢㮈を、高瀬は簡単に前へ向かせる。彼がそう言うなら、矢㮈はまだまだ努力できるような気がした。

「……あんたは本当に天邪鬼よね」

「放っとけ。諷杝もお前も甘やかしたら調子に乗るからな」

 高瀬は軽く肩を竦めた。とばっちりの諷杝が「ええー」と唇を尖らせた。

 挨拶に回っていた渥美が矢㮈たちの元に到着して、どこからか合流した葵も含めて談笑が始まった。その頃には千佳も落ち着きを取り戻して、今度は矢㮈の衣装やバイオリンに興味を持ちだした。すっかりテンションが戻った彼女にほっとする。

 矢㮈は弓響にバイオリンケースを預けながら思った。

(まだ終わりじゃない。ここからだ)

 まだ伸びしろがあると言われたことを信じて、矢㮈はまた練習に励もうと自分を奮い立たせた。



 ***

 渥美と葵を交えて談笑する一団を横目に見ていた也梛に、華南が小さく話しかけて来た。

「高瀬君」

「……何だ」

 華南はいつもの馴れ馴れしい態度をどこにやったんだと疑う程静かで、これには也梛も多少拍子抜けしてしまった。逆に大丈夫かと心配になった。

「笠木さんの音、全然違った」

 やっと口を開いた彼女に、也梛は「そうか」と短く返す。

「上手く言えないけど、生きてる音だなあって……未熟な音なんだけど、彼女自身の思いが乗った、そんな音」

「……何となく言いたいことは分かる」

 也梛も言葉にしろと言われたら上手く説明できる自信がない。

「技術云々を飛び越えて惹きつけられちゃう音だよね、あれ。私も見事に感化されちゃったわけだけど」

「村住も楽しそうに弾いてたもんな」

「楽しかった。すごくすごく。久しぶりだった、あんなの」

 自分のことは棚に上げて言うが、華南もまたプライドが高いところがある。当然、裏には自負するだけの努力が隠れているのも知っている。そんな彼女がここまで素直に口にするとは意外だった。相手が同じ類の也梛だったというのもあるかもしれない。

「まあ、まだまだコンクールでは負ける気がしないけどね。……でも」

 華南の目が真っ直ぐに矢㮈に向く。

「あの演奏に技術が追い付いた時、どんな音になるのかしらね」

 その声音はどこか楽しそうであり、どこか怯えているようにも取れた。

「私も立ち止まっていられない」

 華南は「じゃあね」と言うとくるりと背を向けて去って行った。

 也梛はぼんやりと談笑する矢㮈たちを見ていた。

「あいつも村住もすごいな」

 ポツリと漏れた言葉が自分の中にブーメランで返って来る。

(俺はどうなんだ)

 前に進んでいるのだろうか。立ち止まっているのではないか。

 無性に、キーボードが弾きたくなる。鍵盤に触れたくなる。

 あのリズミカルな音を思うがままに弾き鳴らしたい。

 也梛は身体の横で両手の拳をぎゅっと握り締めた。


「楽しい音」最後までお付き合いいただきありがとうございました。

矢㮈だけでなく、華南もまた何か刺激されて前を向いて行ってくれたらいいなと思います。

演奏会が一段落したところで、そろそろ音楽祭にもどらないといけませんね。

また次話もよろしければお付き合いいただけますと幸いです。(2021.06.28)

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