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  作者: 葵月詞菜


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51/98

樹とイツキ

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同高校新2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。

【その他】

・イツキ…諷杝に懐いていた白い鳩。不思議なところがあった。

・並早…彩楸学園英語教諭。諷杝のクラスの担任。兄(樹)が諷杝の父親のバンド仲間だった。

***

 高校一年の終わり頃だったと思う。

 諷杝(ふうり)の前に現れたお馴染みの()()()彼は言った。

「まだまだ君の人生はこれからだから。出逢いはきっとあるはずだけどね」

 その時は曖昧に微笑み返しただけだったが、すぐにそれを実感することになった。

 彼らが現れて、彼は消えてしまったけれど、その出逢いは諷杝にとって大きかった。


***


一.

 まだまだじめじめとした梅雨は終わらない。いやむしろ本格的になってきたというべきだろうか。

 先日行われた仮装行列イベント・水無月祭の本来の目的である、「じめじめとした梅雨の憂鬱を晴らしましょう!」という願いも虚しく気持ちは勝手にどんよりとしていく。さらにはもうじきやってくる定期テストのことを考え、ますます全身が気怠く感じられた。

 それでもまだ今日は雨が降っていないだけマシだろうか。珍しく時々晴れ間が覗く空の下、矢㮈(やな)は下靴に履き替えて中庭を突っ切っていた。

「折角の雨じゃない日なのに、屋上じゃないなんてどうしたんだろう」

 普段は音楽仲間たちと屋上に集まって曲を奏でたり話したりするのだが、今日は予めとある場所に呼び出されていた。

 屋根のある渡り廊下から中庭に出る。校舎の裏側にあるこの中庭はわりと広い。ベンチもいくつか置かれていて、梅雨時期でなければちらほらと生徒の姿も見えたことだろう。

 頭上で羽ばたきの音が聞こえ、矢㮈は肩をビクリとさせた。何の鳥だかは分からないが、鳥も久しぶりの晴れ間に飛びまくっているのかもしれない。

(そういえば)

 ふと、馴染みの白い鳩の存在を思い出す。先日からずっと姿を見かけていない。梅雨だからどこかに避難しているのかもと思いつつ、昨年は雨など気にせずその辺りをうろついていた覚えがある。

「あとで諷杝(ふうり)に聞いてみよう」

 これから会う予定の彼こそ例の鳩と一番の仲良しだった。心当たりがあるかもしれない。

 中庭の奥に植わった一本の樹の下に、すでに音楽仲間の彼らが集っていた。

「遅いぞ笠木」

「いやあんたこそ逆にいつも何でそんな早いのよ!?」

 同学年の高瀬也梛(たかせ やなぎ)は矢㮈の隣のクラスであるが、掃除当番に当たっていてもいなくても、絶対矢㮈より先に活動場所にいる。なぜだ。

 彼の横にいた一つ学年が上の海中諷杝(わたなか ふうり)がくすくすと笑いを零しながら也梛の肩を叩いた。

「まあまあ。也梛はそれだけ楽しみにしてるんだよね、この放課後の時間を」

「何でそうなる?」

 諷杝の解釈に高瀬が怪訝な表情になる。だが諷杝は気にしない。

「それはそうと諷杝。今日はどうしてここに集合だったの?」

 矢㮈は気を取り直して訊ねた。じめじめした空気の中でも、諷杝の焦げ茶の髪はところどころ飛び跳ねている。もしかして授業中昼寝をしていてついた癖だろうか。

 そして普段荷物をあまり持たない彼にしては珍しく、帆布鞄を斜め掛けしていた。

「うーん、実はねえ」

 諷杝はどこか迷うように視線を宙に彷徨わせ、やがて後ろにある樹を振り返った。

「君たちにこの樹の話をしようと思って」

 矢㮈は彼の後ろにそびえる樹を見上げた。

「えっと……何の樹?」

「朴の樹だよ」

 大きな葉を広げ、枝先に上向いた乳白色の花弁らしきものが見えた。周りにはふんわりと甘い匂いが漂っている。

「前に僕が授業をサボった時のこと覚えてる?」

 諷杝が何ともなしに尋ねる。

「最後まで理由を昼寝って言い続けたあれか」

 高瀬の思い出し方は容赦ない。あの日、校内放送で呼び出しをくらうほどのサボりをした諷杝のことを一番心配していたのは高瀬だったから仕方ないとも言える。

 諷杝は苦笑して頷いた。

「そう、それ。あの日、僕はこの樹の下で昼寝をしていたんだ」

「ここで?」

 矢㮈は樹の根元でに寝転がる諷杝を想像した。ああ、苦も無く想像できてしまう。高瀬も同じことを思ったのか呆れた顔をしていた。

「この場所はね、僕がこの学園に入学してある人と出会った思い出の場所なんだ」

 彼の言葉に、矢㮈ははっと思い出した。

 そういえばあの日、諷杝は言っていた。

『僕がこの学園で大事な人と出会った思い出の場所なんだ』と。

 あの時はそれ以上のことを聞くことはできなかった。諷杝自身、彼の中で整理するを時間を欲しているようだった。

(もしかしてあの時の話のこと……?)

 彼の中でようやく整理ができ、矢㮈と高瀬に話す決心ができたのだろうか。

 諷杝は暫く朴の樹を見上げて黙り、一息吐くと矢㮈と高瀬を振り返った。じっと、真剣な目で見つめてくる。

「今から僕が話すことは、とんでもない話かもしれない。もしかしたら有り得ないって笑いたくなるかもしれない。でも――それでも、これは本当に、僕に起きたことなんだ」

 これからしようとする話に一抹の不安を感じてか、珍しく諷杝は前置きとして念を入れる。一体彼はどんな話をしようとしているのか。

 矢㮈は分からないなりに曖昧に頷いた。どちらにせよ、ここまで慎重な諷杝の話を笑うことはできないだろうと思う。

 高瀬はいつものように眉間に皺を寄せて、頷くでもなく黙って諷杝を見つめていた。

 諷杝はもう一度ゆっくりと息を吐き出すと、口を開いた。

「僕は一年生の時、ここであの人と出会った。――樹さんに」

「え?」

 矢㮈の高音と高瀬の低音の戸惑いが重なる。

 諷杝は微かに笑って、言い直した。

「二人が知ってるあの白い鳩じゃなくてね、元『ZIST』のメンバーだった人。並早樹(なみはや いつき)さんだよ」



二.

 並早樹(なみはや いつき)

 その人物の名を、これまでに何回か聞いて来た。

 諷杝の父親がこの彩楸学園(さいしゅうがくえん)にいた時につくったバンドグループ『ZIST』のメンバーであり、現在諷杝のクラスの担任をしている英語教諭・並早の兄であった。

(でも樹さんってもう亡くなって……)

 確か高校生の頃、事故で亡くなったと聞いている。それが元で『ZIST』は解散したとも言われていたような気がする。

 それは矢㮈はもちろん諷杝も生まれるずっと前の話で、どう考えても生前の樹が今の高校生の諷杝に出会うのは不可能に思えた。

「どういう意味だ?」

 高瀬も恐らく矢㮈と同じことを思いながら、しかし諷杝の話を否定することはせずに先を促した。

 諷杝は否定されなかったことに少し安堵したように眉を下げ、「ええとね……」と考え考え言葉を紡いだ。

「樹さんに会った、としか言いようがないんだけど。僕自身、あれがどういう現象だったのかは未だに分からない。もしかしたら、単に僕が精神的に不安定になっていただけかもしれない」

 己の胸の内でずっと考えていたのであろうことを吐き出す諷杝は、自信がなさそうでありながら不思議と飄々としていた。

「でも僕は確かに人間の樹さんに会って、ここで話をしていた。父さんの楽譜についてはさっぱりだったんだけど、樹さんは高校生だった時の話とか、父さんの話とかしてくれて。あと、僕の友人について心配してくれたりもしたっけ」

「それが樹さんだってどうして分かったんだ?」

 高瀬が短く尋ねる。

「本人が名乗った後で父さんの遺品のアルバムを見つけて確認したよ。あとは樹さんの話の内容かなあ? 僕が知ってる父さんと合致する部分も多かったし、直感だったけど、この人は父さんの友達だった樹さんて人なんだろうな、と」

 高瀬は腕組みをしつつ黙った。

「それでも体自体はこう、うっすらと透けていたような気がするから、生身の人間ではなかったと思う」

「諷杝、それって……」

 矢㮈は思わず口を挟んだ。それはいわゆる、

「うん。幽霊っていう表現がピンとくるかな」

 神妙な顔で頷く諷杝に、矢㮈はやはりそうなのかと謎に納得してしまった。間接的に話を聞いているためか、諷杝が言うからなのか、怖いという感じはしなかった。

「諷杝って前からそういうのが視える人なの?」

「ううん。僕もまさかそんな人が目の前に現れるとは思わなかったし、視えたのは樹さんだけだったみたい」

 父さんたちが視えたら楽譜のヒントももっと聞けたのにねえ、と話す諷杝はいつもの朗らかな表情をしていた。

「樹さんが幽霊でも何でも、ただ父さんたちの話を共有できる存在が僕には嬉しかった。樹さんとの交流は君たちが入学してくるまで続いたんだ」

「私たちが入学するまで?」

「そう。君たちが入学してきて少ししたくらいから、さっぱり姿が見えなくなった。樹さん自身がどこかに消えたのか、はたまた成仏したのか。それとも僕が視えなくなっただけなのか」

 どこか寂しそうに目を伏せた諷杝だったが、ふふと小さく微笑んだ。

「でも樹さんと入れ替わるように、新たに僕の目の前に現れた子がいたんだ。それが、あの白い鳩のイツキさん」

「へ?」

 まさかのそこで白い鳩が出て来るとは思わず、矢㮈は素で変な声を出してしまった。

 高瀬も意外だったのか、口をポカンと開けそうな複雑な表情をしていた。

「初めて会った時から妙に馴れ馴れしいし、一緒にいる時の空気が何となく樹さんに似ていたから、名前をもらってつけたんだ」

「それが諷杝とイツキさんの出会いだったんだ……」

「そう。でも矢㮈ちゃんや也梛も知ってると思うけど、樹さんとは違ってちゃんと実体もあったし、普通の白い鳩だったでしょ?」

「まあ……」

 確かに白い鳩は現実に実体を伴って存在していて、触れて抱き上げることもできた。不思議と高瀬のキーボードがお気に入りだったようで、彼が弾き始めると周りをぴょこぴょこと歩き回っていた。

「でもちょっと不思議なところもあったかなあ。こう、迷った時に道を示してくれるって言うか……ヒントをくれるっていうか……」

 そう、確かに普通の白い鳩ではあったけれど、それだけというわけでもなかった。矢㮈たちが楽譜探しに行き詰まった時、諷杝を探していた時など、どこからともなく白い鳩が姿を現して誘導してくれたのだ。

「あまり認めたくはなかったが……笠木の言うことは正しいと思う」

 高瀬が静かに同意した。彼自身は苦虫を噛み潰したような何とも言えない顔だったが、それでもイツキの存在に思うところはあったのだろう。

「とは言っても、結局樹さんと白い鳩のイツキさんがどう関係していたのかは分からないんだよね。本当に、全然関係なくて、ただの変わった白い鳩だったのかもしれない」

 だとすると大いに変わりものの鳩のような気がしたが、矢㮈は黙っていた。対する高瀬は、

「それすげえ怖い鳩じゃねえかよ」

 容赦なくツッコミを入れていた。同感ではある。

「そんな也梛にもう一つ、イツキさんの興味深い情報を教えてあげる」

 諷杝がわざとらしく人差し指をピンと立てた。さらに何を言い出すつもりなのだろう。

「詳しくは後で話そうと思っていたんだけど、この前、イツキさんが『(ともしび)()』の根元からこれを掘り当ててくれたんだ」

 諷杝は斜め掛けにしていた鞄から錆びて所々変色した、四角い缶の箱を取り出した。蓋を開けると、中には三枚の紙が入っていた。そのうちの二枚を開くと、そこにはそれぞれ「407」「268」の数字が書かれていた。

「お前、それ……」

 なぜか高瀬が驚いたように目を見開いていた。諷杝は軽く頷く。

「也梛はこれと同じようなものをすでに知ってるよね。こっちはイツキさんが最後の置き土産みたいな感じで見つけてくれたんだ」

「最後の置き土産?」

「あ、そういえば諷杝。最近イツキさんの姿を見ないんだけど、どうしたか知ってる?」

 矢㮈はここに来るまでにも考えていたことを思い出して訊ねた。いつもはこんな話をしていればいつの間にか寄って来てもおかしくないというのに、周りには白い鳩の姿も気配もない。

 諷杝は束の間黙り込み、今日初めて泣きそうな表情になった。

「実はイツキさんもね、いなくなっちゃったんだよね……」

「え? いなくなった?」

 驚いたのは矢㮈だけだった。高瀬は知っていたのか黙っている。

「あちこち探してはいるんだけど、見つからなくて。この缶の箱を見つけた日を最後に、僕も姿を見ていないんだ」

「そうなんだ……」

 あんなに矢㮈たちの周りに姿を見せては構ってくれと言わんばかりにまとわりついてきたというのに。もう会えなくなったのかと思うと矢㮈も急に寂しくなってきてしまった。

 沈んだ空気の二人を、高瀬のため息が現実に引き戻す。

「今のお前の話を聞くに、あの白い鳩は最後まで俺らにヒントを残してったってことか」

「……うん。さらに言うとね、声だけだったけど人間の樹さんの声も聞こえたような気がしたんだ」

「樹さんの?」

「何か、僕が前に進めたご褒美とかなんとか言ってたような気がする」

「何だそれは」

 高瀬が肩を竦める。彼はもう樹という存在について追及するのは諦めたようだった。たとえ幽霊でも何でも、諷杝がいると言っているならそれでいいと受け入れているように見えた。

 そしてそれはまた、矢㮈にとっても同じだった。諷杝ですらどういった存在か不明だった樹について、矢㮈が考えた所で答えが出るとは思わない。

 諷杝が出会って話をしたというのならそうなのだろう。声を聞いたというならそうなのだろう。そのまま信じていいような気がした。

「ちょっとその樹さんに、あたしも会ってみたかったなあ」

 漠然と思ったことを口に出すと、諷杝が頬を緩ませた。

「僕も、ぜひ矢㮈ちゃんと也梛を紹介したいと思ったよ。きっと――いや絶対に、樹さんは喜ぶと思うから」

 そうはっきりと言い切る諷杝を少し不思議に思いながら、矢㮈は改めて朴の樹を見上げた。どこかに彼の姿はないかと知らずに探してしまう。

「それで、イツキの置き土産のもう一つのヒントとやらは何なんだ?」

 高瀬は諷杝の手にある四角い缶を見遣った。そういえばもう一枚、紙が残っていた。

 諷杝は何と言って良いか迷うように逡巡した挙げ句、

「新たな謎かな」

 一言だけ口にした。どうやらすぐに分かる手がかりではなかったらしい。

 高瀬もそれを悟ったらしく、わざとらしく額に手をあてて呻いた。

「お前の見つけるヒントは全っ然ヒントじゃねえなホント」

 矢㮈も同感だとばかりに苦笑せざるを得なかった。



三.

 晴れ間が覗いていたと言うのに、暗くなってきたなと宙を見上げるとまた雲行きが怪しくなってきていた。

 矢㮈たちはひとまず諷杝の話が一段落したことから屋根のあるカフェテリアに場所を移した。まだしばらく施錠されるまで時間があるはずだった。

 自動販売機でそれぞれ好きなものを買って椅子に座る。

 諷杝は自分と樹とイツキの話を終えるやいなや、一仕事終わったとばかりリラックスした表情になっていた。レモンティーで喉を潤して満足そうだ。

「お前、一気に腑抜けた面になってるけど、謎は何にも解決してないんだからな。しかも音楽祭の話だって何もしてないんだぞ」

「いやあ、まあそうなんだけど、でも何か胸の内につかえたものがすっきりしたというか」

「それはお前の表情見てれば丸分かりだよ」

 高瀬は呆れた顔で抹茶オレの入ったカップを置き、テーブルの上にある錆びた缶の箱を見た。

「それでこれ――」

「也梛、矢㮈ちゃん」

 言いかけた高瀬を遮って、諷杝の凛とした声が名前を呼ぶ。

 彼はまた真面目な顔になって、矢㮈と高瀬を順に見た。

「僕の話、ちゃんと聞いてくれてありがとう」

 微かな語尾の震えに、彼が二人に話すことに不安を感じていたことを知る。リラックスしたように見えて、実はまだ奥の方で緊張は残っているのかもしれない。

「幽霊云々の話は別として、俺は実際その樹さんに出会ったわけじゃねえからな。お前があそこまで言うならそうなんだろ」

 高瀬が何ともなしに言ってのける。矢㮈も頷いた。

「そうだよ。むしろ鳩のイツキさんのことはあたしたちも馴染みがあったし、不思議だなあと思うことも話を聞いて少し納得したというか」

 イツキと名付けられた鳩が結局何ものなのかは置いておくとして。

「――そっか。ありがとう」

 諷杝は再度礼を呟くと、改めてテーブルの上に目を向けた。

「也梛が気になったもう一枚の紙だけど」

「ああ」

 諷杝は缶の蓋を外し、中から例の紙を三枚取り出した。内、二枚は先程も見た数字が書かれた紙だ。

 残る一枚には、短い文章が書かれていた。


『僕だけでは完成させられない。でもきっと、いつか絶対完成させて届けるから。

 それまであの楽譜はあのままあそこに置いておく。未来の僕が迎えにいくまで待っていて』


「何だこれ。手紙か?」

「さあ? でも全然ヒントじゃなさそうでしょ」

 眉間に皺を寄せて紙を睨む高瀬に、諷杝も困ったようにため息を吐いた。言わずもがな、矢㮈にもさっぱり分からない。

「こっちの紙はあのオルゴールに入ってなかったんだから、ヒントであることは違いないんだろうがさっぱり分からん」

「オルゴール?」

 意外な単語に矢㮈は首を傾げた。どうしてここでオルゴールが出て来るのだろう。しかもオルゴールの中に紙が入っていた?

「あ、そうだ。矢㮈ちゃんにはまずその話をしなきゃなんだった」

 諷杝が思い出したように手を叩く。

「その話? どの話?」

「実はね、春に並早先生から預かった鍵に対応するものが判明したんだ」

 紙をじっと見つめて考え込む高瀬を放って、諷杝は矢㮈に経緯を説明してくれた。

 並早から預かったあの小さな鍵が、彩楸学園の近くにある音楽喫茶『音響(おとひびき)』に置いてある、オルゴールと一体になった鍵付き小物入れの鍵だったこと。そのオルゴールは諷杝の父親が学校の実習で作ったものだったらしいこと――ついでに流れる曲は、彩楸学園の校歌らしい。

「え、もしかしてその当時の実習で作ったってことはうちにもあるのかな? 母さんが作ったやつが」

 矢㮈の母親もまた彩楸学園の出身で、丁度年代が諷杝の父親の頃と重なっていたと聞く。

「ああ、あるかもね。帰ったら聞いてみたら?」

 よりによって選曲が校歌というオルゴールとは。一度聴いてみたいと思ってしまった。

「で、その小物入れにはこれが入ってたんだ」

 諷杝は鞄から小さな袋を取り出し、中に入っていたものをテーブルの上に並べた。

 柄の違うギターピックが二個と、手書きの楽譜が書かれた紙が一枚。その楽譜には歌詞も書かれていて、よく見るとそれはいつぞやの母親が作ったという替え歌だった。

「こんなところにも母さんの替え歌……?」

 よほど広まっていたのだろうか、この替え歌は。確かに高瀬も上手いと褒めた程のセンスある歌詞だが、とはいえこんなに頻繁に目にするものだろうか。

「このピックに書かれた数字がね、今回缶に入っていた二枚の紙に書かれた数字と同じなんだ」

 ああ、それであの時高瀬は驚いた顔をしていたのだなと納得する。

「『407』と『268』かあ」

 出席番号にしては桁数が大きいし、学籍番号の下の数字と考えても四百番台は越えないはずだ。

(しかも数字は二つか)

 二つの数字の関連性もよく分からない。もしかしてこれには数学的な意味が隠されてでもいるのだろうか。そうだとすれば矢㮈にはお手上げだ。

「分からないでしょ? それで缶に入っていたもう一枚の紙にさらにヒントがあるのかと思ったんだけど……」

 諷杝の視線が高瀬の手元にある紙に行く。高瀬はまだ紙を睨みつけて考え込んでいた。

「もう少し分かりやすいヒントが欲しいね」

 本音がぽろりと零れる。

「本当に。これに限ったことじゃないけど、今までを思い返してみても本当に行き当たりばったりだったもんね」

 諷杝が同意して申し訳なさそうに目を伏せる。そもそもは彼の父親が息子に吹っ掛けた楽譜探しに端を発する。

「イツキさんがいなかったら校歌の替え歌にも気づけなかったし、この缶も見つけられなかったし」

「イツキ様様だよね」

「うん。返す言葉もない」

 矢㮈と諷杝がぼそぼそと呟き続ける間にも高瀬はじっと考え込んでいたが、やがて視線を上げて紙を諷杝の方に突き出した。

「分からん」

「うん、だろうね」

 すでに考えることを諦めた諷杝が紙を受け取って苦笑する。

「でもこれ、字は父さんのものだと思うんだよね。だとすれば文面通り素直に受け取ると、父さんが未来の父さん宛に書いたものということになるんだけど」

「お前の父さん、作詞が趣味だったんだろ? もしかしてこれも歌詞の一部とか?」

「否定はできない。けど……何となくだけど、この文面をそのまま信じるなら、ここに書かれた『あの楽譜』は僕たちが探している楽譜なのかも」

「だろうな。そしてそれはどこかに置きっ放しになっているっぽい」

 その場所のヒントが残る二つの数字なのかもしれない。

 矢㮈は再度文章に目を通した。二回程読んで、諷杝を見る。

「ねえ、ここに書いてあるのを読むに、もしかして『あの楽譜』は完成してないんじゃないの?」

 一人では完成させられない、それまで楽譜はどこかに置きっ放しになっている、とある。諷杝の父親がずっと迎えに行かず――もしくは迎えにいけず――なのだとしたら、今もまだ当時のままの楽譜がどこかで待っている状況ということだ。完成せずに。

「お前、国語の読解はできるんだな」

 高瀬が失礼な褒め方をする。諷杝が肩を竦めて再度ため息を吐いた。

「矢㮈ちゃんの言う通り。おそらく楽譜は未完だと思う」

「諷杝のお父さんは迎えに行かなかったってこと?」

 諷杝は頷きながら、ふと視線をカフェテリアの窓の外へと移した。そちらは先程までいた朴の樹がある中庭の方角だった。

「――ああ、もしかしたら、父さんは自分が行けないと分かったから、僕に楽譜探しの話をしたのかもしれない」

 ぽつりと、諷杝は独り言のように呟いた。



四.

 その霊染みたモノを見始めたのは、一体いつ頃からだったろう。多分この高校に入学してからだ。そう、彩楸学園に――。


「ヤーッホ!」

 そんな声と共に、透けた彼は微笑んで諷杝の前に現れた。

 諷杝は手元の紙から顔を上げて、彼を見た。

「樹さん」

「また何か詩書いてんのか?」

「はい。書くのが楽しくて」

 樹は手元にある紙を覗き込んだ。そして一通り目を通したのだろう、また口を開いた。

「いいんじゃない? うーん、題名は『春風』ってとこ?」

「春風……」

 それは確かに合っているかもしれない。不思議なことに、諷杝が考えた詩に彼はいつもぴったり合う題名をつける。

「しっかしまぁ、お前ホント親父に似たなぁ。彼奴も詩書いてる時が一番楽しそうだった」

 彼は感心しているのか呆れているのか分からない口調で言った。

「父さんの為にも早く、そろそろ成仏したらどうですか」

 諷杝が半分冗談気味に言うと、彼はバーカと笑った。

「だいたいもうかれこれ二十二年ここに留まってるんだぜ?」

 それは別に胸を張って言うことではないと思ったが、黙っておく。

 諷杝の父親はもう既にこの世にはいない。

 だが、樹は父親とは昔の音楽仲間だったと言う。

「ちょっと探してるモノがあるみたいでねー」

 樹は他人事のように言って鼻歌を歌いだす。

「探しモノ……?」

「それと後は諷杝にお友達ができることかなー。やっぱり友人の可愛い一人息子だし、心配だよね」

「……」

 軽口を叩くように言うが、半分本気だろう。別に諷杝に友達が全くいないわけではない。ただずっと一緒にいるのはしんどいと感じてしまい、どうしてもそれなりの距離をとってしまう。

「それもあまり心配要りませんよ。僕は今のままで満足してます」

 諷杝はマイペースなこの性格が嫌いでもなく、同時に今の交友関係にも納得している。だいたい、一人でいるのがあっている性分だ。

 それよりも、むしろ心配なのは樹のことである。彼も透けた姿見たまんま、疾うの昔に亡くなっている。

 学生服を来て学生そのまんまだから、余裕で諷杝たちに紛れることも可能だろう。ちなみに、彼が着ている制服は諷杝の今着ているものと同じである。

 だが、彼にその必要はなかった。なぜなら、彼の姿を見ることができるのは諷杝のように極稀な者だけであるからだ。

「そう? でもまだまだ君の人生はこれからだから。出逢いはきっとあるはずだけどね」

 樹は相変わらず鼻歌混じりで言って笑い、いつの間にかいなくなっていた。

 結局彼の探しモノとは一体何だったのか、それもあやふやにされてしまった。

「出逢い、か」

 樹と出逢ったのもそうだろう。自分はこれから何時何処で誰と出逢うのだろう――?

 その答えは、思ったよりも大分早くやってきた。


「諷杝、ここんとこのリズムどうだったっけ?」

 彩楸学園に入学して二年目、諷杝は一年前に樹に言われた『出逢い』をなんとなくだが実感していた。

「ねぇねぇ、諷杝。今回はどんな詩なの?」

「お前なぁ、今は俺が諷杝に訊いてんだよ。横から口挟むな」

「なっ……別にいいでしょ! あたしはフウリに訊いてるの!」

「だからそれが迷惑なんだよ」

「まぁまぁ、二人共喧嘩しないで。僕はちゃんと聞いてるよ」

 諷杝は二人の言い合いに苦笑しながら、詩を書くのを一時中断した。少年の方はふいとそっぽを向いて、少女の方は嬉しそうにフウリを見る。二人共、今年入学してきた一年生である。

 少女の名は笠木矢㮈。そして、同室者でもある少年の名は高瀬也梛という。

 諷杝はそれぞれの問いに答えると、また詩の方に意識を戻した。也梛がキーボードを鳴らして、矢㮈はそれをじっと見ている。

 不意に風が吹いて、諷杝の焦げ茶色の前髪をふわりと乱した。

「ヤーッホ。楽しそうだね」

「……! 樹さん!」

 いつの間にかすっかりお馴染みである、透けた彼が目の前に現れていた。

 他の二人には見えていないらしく、こちらを気にした様子はない。

「いい『出逢い』があっただろう?」

 樹がニヤリと満足気に笑う。諷杝は思わず口をポカンと開けて、彼を見つめた。

「……はい」

 本当に彼の言う通りだった。……かもしれない。

「そういえば、樹さんは一体何してたんですか?」

 よく考えてみれば、也梛たちと一緒にいるようになってから、彼の姿を見かけなくなっていた。

「あぁ、んー、探しモノを探してたから」

 彼は何事もなかったように言って微笑んだ。

 探しモノ。それはいつかの話に出てきたモノだろうか。

「見つかったんですか?」

 あえて何が、とは訊かない。

 樹は曖昧に笑って、也梛たちの方に目を向けた。

「えっと、ヤナギにヤナだったっけ? ――全く彼奴らもややこしい名をつけたもんだ」

「え?」

「――いや。これはただの独り言。でもいい出逢いをしたね。何か懐かしい」

 彼は昔を懐かしむように目を細めた。いや、きっと昔を思い出しているのだろう。彼らの音楽時代を。

「まぁ、と言うわけで、オレはもう逝くから」

「え、樹さん?」

 何が一体「と言うわけで」なのだろう。

「可愛い後輩たちよ、オレたちが羨ましがるくらいの楽しい音楽時代を築いてくれ」

 樹はいつかのように鼻歌を後に残し、諷杝の目の前から消え失せた。

「……諷杝?」

 ベンチに座った諷杝の背から覆い被さるようにして、也梛の心配気な顔が視界に入ってくる。

「どうかした?」

 横から諷杝の顔を覗き込んでいるのは矢㮈だ。

「ううん、何でもない。大丈夫」

 諷杝は二人を安心させるように微笑むと、何気なく空を見上げた。

 彼は今頃、父親と会えているのだろうか。


 キーボードが好きで、わざわざ諷杝のいるこの彩楸学園に入ってきた也梛。

 音楽が好きな矢㮈――彼女がバイオリンを弾くことをまだこの時は知らない――。

 そして、詩を書くのが好きな諷杝。

 こうして、彼らの音楽が幕を開けたのである。







長らくお待たせしてしまいました。少し長くなってしまいましたが、やっと諷杝と樹の回想を入れられました。

しかしまだまだ終わりまではもう少しありますので、よろしければのんびりお付き合いいただけますと幸いです。少しでも楽しんでいただけるところがありますように。

(2021.02.27 葵月)

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