迷子とオルゴール
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・イツキ…諷杝に懐いている白い鳩。
・マスター…音楽喫茶『音響』の店主。
・並早…彩楸学園英語教諭。諷杝のクラスの担任。兄(樹)が諷杝の父親のバンド仲間だった。
一.
人の話し声、食器が触れ合う音、小さな子どもの賑やかな声――と店内は常にざわざわとしている。
海中諷杝は冷水を一口含み、目の前でメニューを広げる男女の二人を見遣った。男子の方はすでに決まったのかおしぼりに手を伸ばし、女子の方はまだ決めかねるようにページを捲ったり戻したりしている。
「海中も決まったか?」
「うん。僕はバジルとトマトの冷製パスタで。相田君は?」
「俺は鯖の味噌煮定食」
「将ちゃんはいつもそれだよねえ」
「あやめはいつも迷いすぎだろ。この前頼まなかった夏野菜カレーでいいんじゃないか」
「ちょっと待って将ちゃん。限定メニューの冷やし中華セットも気になるのー」
「なら存分に迷え。ただし後三分経ったら俺たちは先に注文するからな」
「ええ~」
相変わらず仲の良い二人の会話を微笑ましく思いながら、諷杝はまた一口水を飲んだ。
諷杝は今、雲ノ峰高校三年の相田将と淡海あやめと共にファミリーレストランに来ていた。別に会う約束をしていたわけでもなく、偶然にも道でばったり行き会っただけだ。諷杝が特に用事もないことを知ると、二人は半ば連行するように店に向かったのである。
「うう~ん……すっごく悩ましいけど、今回はササミトッピングの冷やしサラダ担々麺にする!」
何とかあやめも決まったらしく、三人揃ってオーダーする。結局彼女が頼んだのは夏野菜カレーでも冷やし中華セットでもなかった。
「それで、今日は一人なの? 高瀬と矢㮈ちゃんは?」
メニューを決める悩みから解放されたあやめが気を取り直したように訊ねて来る。
「也梛はバイト、矢㮈ちゃんはバイオリンの発表会の打ち合わせだって」
「高瀬はよく働くわねえ。矢㮈ちゃんもバイオリン頑張ってるんだ」
あやめはどこか楽しそうに笑った。
彼女たちは昨年の夏に開催された音楽祭に、実行委員として参加していた。諷杝だけでなく也梛や矢㮈とも顔見知りどころかコラボで一緒に演奏した仲である。
「本当はどこかに行くつもりだったとか?」
相田が今更ながら僅かに眉間を寄せて気遣うように言った。
諷杝が彼ら二人と行き会ったのは、雲ノ峰高校のそばの住宅街にある小さな公園だった。ベンチにポツンと座っていたところ、通学路にもなっている公園の前の道を通りがかった二人に発見されたのだ。
諷杝はあっさりと首を横に振った。
「ううん。別に。どこに行くってのでもなくて、まあ、あえて言うなら探していた、かな……?」
「人をか?」
「いや人じゃなくて鳩……いや、突き詰めると人……?」
「海中、何言ってるの?」
「悪い。俺も分からない」
目の前で不思議そうな顔が二つ並ぶ。諷杝は苦笑した。
「ごめん。実は僕もよく分からなくて。ただ気の向くままにふらふらしてただけ」
別に諷杝にとっては何も珍しいことではないのだが。今までにもこんなことはよくあった。そういえば也梛が来てからは少し減ったかもしれない。
「……海中も相変わらずの天然ぶりね」
あやめがどこか呆れたように息を吐く。
「海中らしいけどな」
相田もなぜか納得するように頷く。二人の中で諷杝はどんなふうに位置付けられているのか気になるところだ。
「そういう二人は日曜日なのに学校行ってたの?」
休日だというのに、二人はそれぞれ学校の制服を着用していた。
「ああ、午前中部活だったから」
彼女たちは雲ノ峰高校の軽音部に所属している。ちなみにあやめはボーカル、相田はドラムスでロックバンドを中心にしている。
「そういえば今年の音楽祭についても聞いて来たぞ」
相田が思い出したように言う。
音楽祭とは、毎年夏休みにいくつかの学校が合同で行う、音楽系の部活動自由参加の催しである。特徴は当日までの数日間、参加者が会場校で合宿をすることだろうか。
昨年は彩楸学園が会場校となっており、相田たちを含む他校の生徒が彩楸学園にやってきて合宿という名の共同生活を送っていた。
しかも相田の場合は実行委員長だった。
「今年の会場校正式に発表されたの?」
合宿込みのイベントのため、他の部活動の調整と学校側の態勢の確保で少なくとも一年前には決まっているはずだが。
「顧問から世間話で聞いた限りだと、私立の風橋学園だったらしい」
「へえ」
そしてやはり受入れ態勢が整いやすいのは公立高校よりも私立高校だった。
諷杝は頷きながら、ふと首を傾げた。
「……『だったらしい』?」
相田が口の端に笑みを浮かべた。
「ああ。風橋に決まってたらしいんだが、もしかしたら急遽変更になるかもしれない」
「どういうこと?」
「これこれ」
あやめが携帯端末を操作して諷杝にその画面を見せた。
風橋学園の運動系の部活動が取り上げられているページだった。でかでかと場所を占めているのは野球部とバドミントン部の写真だ。
「今年の野球部とバドミントン部が今までになく期待されてるんだって」
「へえ」
他校どころか自校の部の活躍にすら特に興味のない諷杝は、そんなニュースなど全く知らなかった。
「で、どういうことなの?」
「OB・OGとか保護者とか後援会の人がまた力を入れてるらしくてね、風橋学園全体でこの二つの部活の応援に全力を注ぐだろうって話よ」
「吹奏楽とかはもちろん応援に駆り出されるだろうし、そうなると練習場所も必要になるし……ここまで言えば分かるだろ?」
つまり、風橋学園での優先順位が音楽祭よりもそちらが上と変更された場合、会場校の変更も余儀なくされるということだ。
「ええ~でもさあ、音楽祭だってずっと前から計画されてたことでしょ? それに風橋学園って結構大きい学校だし、学園内で場所を移たりして代わりになるとことかないの?」
「俺も同感だけど、その辺は学校側の都合だからなあ」
「でもこんな時期に変更とか無理じゃない?」
音楽祭は例年八月上旬に行われる。今はもう六月に入って後二ヵ月あるかないかだ。
「まあ最悪、今年は合宿なしの当日二日間だけの開催かなと思う」
確かに合宿となると泊まりこみや食事処等の施設の確保が必要になるが、当日の場所だけならまだ何とか確保できる可能性が高い。
そこへ、注文した料理がやって来て話が一時中断する。
諷杝の目に鮮やかなトマトの赤とバジルの緑が飛び込んできた。
「いただきます」
三人で揃って合掌し、それぞれフォークと箸を握る。
実際に料理を見ると途端にお腹がすいてきて、諷杝は話もそっちのけでパスタを食べ始めた。だが相田もあやめも同じだったようで、話を再開せずに口を動かしていた。
それから暫くして一段落した頃、改めて相田が口を開いた。
「当日だけなら、うちでもありかもなあって話してたんだよ」
紙ナプキンで口元を拭ったあやめがニヤリと笑う。
「そうそう。うちは公立だから合同合宿の場所提供となると色々難しいんだけど、会場だけだったらそこまでハードルは高くない」
一度自分の高校でやってみたかったのよねえ、とあやめは楽しそうに手を組んだ。
「ふふ。淡海さん楽しそうだなあ」
諷杝もつられて笑うと、相田が溜め息を吐いた。
「あれは合宿も含めて楽しいんだけどな。でもなくなるよかは全然いいし。欲を言えば今年も彩楸でやってくれないかなとは思うけど」
「うーん、うちはどうだろうねえ」
それこそ諷杝にはどうしようもない。副理事長とは少々顔見知りではあるが、それでも音楽祭をどうこうしてくれと頼めるほどの仲ではない。
「それはそうと、二人は今年も実行委員するの?」
二人とも――特に相田は昨年立派に委員長を務め上げている。会場校の生徒だからと流れで副委員長を押し付けられた諷杝が何とか最後まで乗り切れたのは、間違いなく彼のおかげだった。
「さすがに今年は三年だし遠慮したいところだけど」
「私は会場校だったら委員やってもいいわよ」
「淡海さんが委員に入ったらもれなく相田君も委員決定だね」
諷杝が苦笑すると、相田が「問答無用でな」と肩を竦めた。
「委員はともかく、海中もあの二人と音楽祭に参加するでしょ?」
あやめが少し前に乗り出して訊ねて来る。
「まあ、多分ね」
「多分って何よ。もう最後なんだから、強制参加よ」
「はは」
諷杝たちが参加を申請する前にあやめが勝手に申請してしまいそうな勢いだ。
あやめは一口水を飲むと、相田の肩をパシンと叩いた。
「私たちも高校最後の音楽祭だから、やり切るわよ。ね、将ちゃん」
「……そうだな。ある意味雲ノ峰の文化祭より力入るよな」
相田が頷き返して、諷杝に向かって笑った。
「一年経ってどうなったのか、海中たちの演奏も楽しみで仕方ないんだ」
その言葉に諷杝は軽く肩を竦めた。
「そこまで期待されてるとは思わなかったなあ」
脳裏に音楽仲間の彼と彼女の姿が過ぎった。
二.
相田とあやめと別れてから、諷杝はまたふらりとあてもなく適当に道を歩き出した。何となく、彩楸学園の方向に向かっているような気もするが、あくまで大体であり、数キロ以上は離れているだろう。
今日はいい天気に恵まれたが、梅雨時期特有のじめじめとした空気が肌にまとわりつく。あちこちで紫陽花が様々な色で咲いている。
一人で歩きながら、ふとした拍子に横を振り返り、足元に視線を落としてしまう。
そしてその度に、そこに白い鳩が存在しないことを知る。
「イツキさん、本当にどこ行っちゃったんだろ」
諷杝に懐いていた白い鳩は、あの水無月祭の夜をきっかけに姿を現さない。気配すら感じられず、まるでこの世から消え去ってしまったかのように思えた。
人間の友人以上に友だったかもしれない鳩が消えた現実を、諷杝はまだ完全に受け入れられていなかった。今日みたいに一人になると、ふらりと彼を探してしまう。
それから気分で寄り道や休憩をしながらも歩き続け、気付くと見覚えのある店の前に辿り着いていた。
彩楸学園近くにある、音楽好きのマスターがやっている喫茶店『音響』だ。
そういえばさっき時計店で見た時計が三時の少し前を指していたから、そろそろおやつの時間帯だろう。折角だからここでおいしい珈琲でも飲んで行こうかと扉の前に立つ。
しかしそこには『CLOSED』の札が掛かっていた。
「うわあ~閉まってるか~」
残念な気持ちでそっと息を吐いた時、扉の横の窓がスッと開いた。
「おや、諷杝君?」
顔を覗かせたのは、顎髭がトレードマークのマスターだった。
「こんにちは。今日はお休みなんですね」
「ああ、ちょっと中の掃除と片づけをしていてね。丁度今休憩に一杯淹れようと思っていたところなんだ。諷杝君も良ければどうだい?」
「いいんですか!」
諷杝はマスターの言葉に甘えることにして、『CLODED』の札が掛かったノブに手をかけた。
店内に足を踏み入れると、馴染みのカウンター席が目に入った。左手には数席のテーブル席、さらに向こうには小さな演奏用のステージが見える。開店時と違うのは、マスターの気分でピックアップされた音楽がかかっていないことくらいだろうか。
一時的に姿が見えなくなっていたマスターが奥の作業室から出て来る。そちらは兼業でしている弦楽器調律の仕事部屋だった。片づけは主に作業室の方のことだったのかもしれない。
マスターはいつものようにエプロンをしてカウンターの中に入り、慣れた手順で珈琲を淹れる準備を始めた。
「どこかお出掛けの帰りかい?」
「お出掛けと言うほどでは……どっちかって言うと散歩?」
諷杝は曖昧に答えながら、カウンターのスツールには座らずにふらりと壁際に近付いていった。
壁には音楽関係のポスターが貼ってあって、とある演奏家のサインが入った古いものや、最近のイベントのものなどが入り混じっている。
その壁のあちこちに取り付けられた小棚には、色形様々なものが並んでいた。この店にはマスターの世界中の音楽仲間が集い、各々が持って来た世界中の土産が集結するのだ。
「ああ、その棚も随分と賑やかになったものだなあ。そろそろ整理しないと溢れてしまいそうだ」
マスターが苦笑しながら言う。
諷杝は棚の中でも一際華やかな一角に目を留めた。繊細な細工を施したオルゴールやフラワリウムが並んでいる。
(そういえば矢㮈ちゃんはこの棚がお気に入りだって言ってたなあ)
幼い頃、あれやこれやと手にとってはネジを巻いて、オルゴールの澄んだ音色を楽しんだのだと懐かしそうに話していた。彼女の表情を思い出して心の中が温かくなりながら、諷杝は並んだオルゴールを順に見た。グランドピアノを模したもの、宝石箱のようなものなど、本当に見ているだけで楽しい。
オルゴールの中には、小さな鍵穴のついたものがいくつかあった。鍵付きの小物入れと一体になったものだ。
「鍵……」
頭の中で何かがカチリと反応する。
「はい、諷杝君」
壁際の棚の前から動かない諷杝を気遣ってか、マスターは諷杝の分のマグカップを持って来てくれた。
「ありがとうございます」
湯気の立つマグカップを受け取って、諷杝はふうと息を拭いてから一口飲もうとした。だがすぐに猫舌には厳しいと諦めた。
「ああ、諷杝君は猫舌だったか」
「すみません。いつも也梛に呆れられるんですけど」
苦笑して、マグカップを一旦そばのテーブルに置いた。
「何か気になるものでもあったかい?」
マスターが自分のカップに口をつけながら訊く。諷杝はまたオルゴールの方に目を戻した。
「いえ、気になったというか何と言うか……相変わらず見てるだけで楽しいなあと」
「はは。確かに。実はまだこの下の棚にも眠っているんだよ」
マスターは自分のカップを置くと床に膝をついて、下方の四角い扉らしきものについた丸い取っ手に手をかけた。
「あれ、それ飾り棚じゃなかったんですか?」
「うん。一応収納できるんだよ」
取っ手を引っ張ると、ギイと音を立てて扉が開く。
そこには三段に仕切られた棚が隠れていて、マスターがひょいひょいと仕舞われていた品々を取り出した。
「これもこれもオルゴールだなあ。あ、これはどっかの天然石の置き物か。こっちは写真立て……」
国内外を問わず、本当に色々なものが集まっているのだなあと諷杝は感心してしまった。まるでどこかの博物館か展覧会にでも来たような感じだ。
「ん……? これもオルゴールですか?」
テーブルの上に並んだ一つを指差す。
それはシンプルな木の小箱だった。全体は落ち着いた深い赤色、側面に一ヵ所だけ小さな穴が開いている。
「ん……? 何だったかな、これは……」
マスターが小箱を手に取って首を傾げた。どうやら心当たりがないらしい。軽く振って見ると、カタカタと音が聞こえた。
「中に何か入ってる? 小物入れ?」
「重さからするとこれももしかして……」
マスターが調べるようにいじっていると、上部がカパッと開いて音が鳴り出した。ゆっくりゆっくりと、途切れそうな速度で単音が紡がれる。
「あ、ネジがあるな」
マスターの大きな手が器用に小さなネジを巻く。マスターが小箱をテーブルの上に置き直した時には、今度は繋がったメロディが紡ぎ出された。二人は耳を澄ませる。
「これは何の曲だ? どっかで聞いた覚えがあるような……」
首を傾げるマスターの横で、諷杝は目を見開いていた。
単調な音だが、そのメロディを諷杝は知っていた。
「校歌だ」
そう、彩楸学園の校歌だった。つい最近もその替え歌のことであれやこれやと考えあぐねていたところだ。
「ああ~なるほどなあ。そうか、彩楸の校歌だったか」
曲が分かりすっきりした顔で髭を撫でるマスターに、諷杝は前のめりで訊ねた。
「マスター、これ誰が置いて行ったか分かる?」
「え? さあなあ。これがあること自体忘れていたくらいだからなあ」
マスターは暫く考えてくれたが、はっきりした答えは返ってこなかった。
諷杝は喉を上下させ、斜め掛けにしたバッグのポケットから小さな袋を取り出した。掌の上に、小さな鍵が転がる。
並早からもらった、父親から樹への置き土産だ。
(まさか)
震える手でゆっくりと小箱の鍵穴に鍵を近づける。
諷杝の緊張も知らず、鍵は驚くほどスッと鍵穴に吸い込まれていった。
捻ると、奥でカチャリと軽い音がした。
「……開いた」
穴の開いた側面部が手前に引き出される。
「ひょっとしてこれは諷杝君の持ち物だったのかい?」
諷杝が鍵を持っていたからだろうか、マスターが勘違いして訊ねて来る。それに軽く首を横に振って、
「いえ、これは多分……父親が置いて行ったものだと思います」
小箱の中に入っていたのは、二つのギターピックと折りたたまれた小さな用紙。
二つのギターピックにはそれぞれ数字が書かれていた。
そして小さな用紙を開くと、そこには手書きの譜と歌詞があった。
あの、矢㮈の母親が合唱部に残した校歌の替え歌だった。
三.
諷杝は寮に向かわずに、彩楸学園の校舎の方へ足を向けていた。
グランドからはどこかの運動部だろう掛け声が聞こえて来る。
体育館の方からも数を数える声が微かに聞こえて来た。
普段休みの日は学校に近付かないので気にしたこともなかったが、日曜日でも部活動は盛んらしい。
当然文化系の部活動も活動をしているところはあるわけで、昇降口は施錠されておらずすんなりと校舎に入ることができた。
上靴に履き替えて、一直線に職員室に向かう。
事前に連絡を入れていないが、何となく、彼はそこにいるような気がしていた。
軽くノックした後に、「失礼します」と声をかけながら職員室の扉を開いた。
三年の担任が集まる島の一つの机から、一人の男性教諭が顔を上げる。
「あれ? 諷杝君?」
並早は大層驚いた顔をした。当たり前だ。日曜日の夕方近く、まさか部活動でも何でもない諷杝が職員室に顔を出すとは想像もしなかっただろう。
「先生……並早先生」
諷杝はいつになく逸る心を押さえこむように一つ深呼吸をした。
「どうしたの」
並早が席を立とうとするのを見て早足で近付く。
「これに見覚えありますか?」
諷杝はマスターから借りて来た深い赤い色の小箱を取り出した。
並早は小箱を手に取って、じっと眺めまわした。
「これ……もしかしてオルゴール?」
一発でオルゴールと分かるということはやはり見覚えがあるものだったのか。諷杝は期待した目で彼を見た。
「そうです。小物入れと一体型の」
上部の蓋を外してネジを巻くと、『音響』で聴いたあの校歌が流れて来た。並早が目を大きく開いた。
「ああ、これ学校の実習で作ったオルゴールか! 僕の時はもう少し装飾が増えたんだけど、これは確か……兄さんたちの代の」
「並早先生も作ったんですか?」
「そうそう。好きな音楽選びたかったのに、問答無用で校歌一択しかなかったんだよ」
懐かしそうにオルゴールの音に耳を澄ませていた並早だったが、はたと気付いたように諷杝と小箱を見比べた。
「ん? ちょっと待ってくれ。これをなぜ君が持っているんだい? もしかして旋さんの?」
「それ、『音響』にあったんですよ」
諷杝は偶然の経緯を説明して、小さな鍵を取り出した。
「これは春に、並早先生が僕に預けてくれた鍵です」
「ああ、旋さんが兄さんに送ったやつ……え、まさか」
並早の目の前で、鍵を小箱の穴に差しこんで開く。
「何で『音響』にあったのかは分かりませんけど、父さんのであることは確かだと思います。それから、これ」
続けて小箱の中に入っていた、二つのギターピックと校歌の替え歌が書かれた譜を見せる。
「……ああ、この譜は見たことあるなあ」
並早が懐かしそうに目を細めて呟いた。
「これ、兄さんたちが作ってた記憶があるよ」
「なかなかいいセンスしてますよね。あの也梛も感心してました」
「ふふ、そうだね。これをまた合唱部の唱奈先輩が綺麗な声で歌いあげるものだから、バカバカしくても結構いけてるように聞こえちゃったりして」
当時を思い出したのか、並早はくつくつと笑う。
「先生、こっちのピックに関しては何か思うことはありませんか?」
諷杝は改めて数字の書かれたピックを並早に見せた。
それぞれデザインと色も少し違っているのだが、その上にペンで数字が書き込まれていた。
一つには「407」、もう一つには「268」。
「さあ……この数字は何だろうね?」
「先生も心当たりはありませんか。誰かを指してるとか誕生日? とか」
「いや……別に特に思いあたる節はないかなあ。でもこれを旋さんが残したとなると、絶対何か意味があるよねえ」
わざわざ鍵を、並早の兄の樹への手紙と一緒に送って、さらにその鍵で解錠できる小箱は『音響』に置いてあった。思うに、あそこに置いておけばあのマスターの性格からして、そう簡単に捨てられたりしないと考えたのだろう。
(じゃあ、イツキさんからの最後のヒントは何だったんだろう……)
諷杝は『灯の樹』の下に埋まっていた金属片のことを思い出した。
掘り起こしてみるとあれは四角い缶の箱で、中には三枚の紙が入っていた。そしてその内の二枚にはこの二つのピックに書かれたものと同じ数字が書かれていたのである。
(あの缶と今回のオルゴールはほぼ同じヒントを与えてくれてる。この数字が意味するものが分かれば、もしかして楽譜が見つかる……?)
諷杝はそこまで考えて、一旦思考を停止した。
「ひとまず先生のおかげでこの小箱が父親のものであることと、あの替え歌にも父親が関わっていたことがはっきりしました」
「なるほど。それを確かめに来たんだね。――それで、例の楽譜は見つかりそうかな?」
並早が目を細めて諷杝を見る。いつの間にかオルゴールの音色は止まっていた。
諷杝はもう一度ネジを巻き戻しながら、困ったように微笑んだ。
「さあ、どうでしょうね?」
再び、オルゴールから単調な音で彩楸学園の校歌が流れ出した。
四.
その夜、ルームメイトの高瀬也梛は午後八時半くらいに寮に帰って来た。
「ただいま」
「お帰り、也梛」
「ちゃんと飯食ったか?」
也梛は鞄を置きながら、世話焼きなオカンみたいなことを言ってくる。
「ちゃんと食べたよ。それより也梛こそ遅かったね。何か食べてきた?」
苦笑しながら返すと、也梛は「はあ~~~」と長くて重い溜め息を吐きだした。
「どうしたの」
「実はバイト帰りに実家に寄って飯食って来たんだ」
「へえ。それはまた珍しい」
彼はあまり実家に帰りたがらず、だからこそ寮に入っているのだと聞いていた。
「ていうかお前も暇なら誘おうと思って一応電話したんだけどな? 気付いてねえだろ」
也梛の言葉に「え?」と返しながら、鞄の中に突っ込んだままの携帯を取り出してみる。本当だ、確かに一件、不在着信が入っている。
「ごめん今気付いた」
「だろうな」
也梛は怒るよりも呆れたように息を吐き、手を洗いに洗面所に向かった。
「何か姉さんたちが思いの外あいつと仲良くなっててビビった」
洗面所から声だけが聞こえて来る。まだ話は続いているようだ。
「あいつって……もしかして矢㮈ちゃん?」
そういえば確か今日は次の演奏会の件で、也梛のピアノの先生と会う予定だと言っていた。仲介するはずだった也梛が急にバイトの穴埋めに入ることになり、渋々彼の姉にその役目をバトンタッチしたところまでは昨日聞いていた。
「そのまま俺ん家で晩飯食って帰って行った」
戻って来た也梛は電気ケトルのスイッチを入れ、自分のコップを持ってテーブルの前に胡坐をかいた。
「わあ、楽しそうな夕食会だったね」
便乗して諷杝も自分のコップを取り出し、お湯が沸くのを待った。
「楽しいもんか。あいつが余計なこと言い出さないか、ずっと心臓に悪かった」
心底疲れた顔でテーブルの上に突っ伏した也梛に苦笑する。
「それはお疲れ様。でもまあそうやって家に帰れたんなら良かったじゃないか」
今まで頑ななに必要最低限しか実家に顔を出さなかった彼のことを思うと、矢㮈という客の存在があったとはいえ進歩したと思う。
「不可抗力だ……」
「はいはい。よく頑張った頑張った」
諷杝は適当にいなしながら、コップの中にフレーバーティーの粉末を入れた。也梛の分も適当に選んで入れる。
お湯を注いでスプーンで軽くかき混ぜる。也梛はすぐに口をつけたが、諷杝はまだ暫く飲めない。
「そういうお前は今日どっか行ってたのか?」
湯気の向こう側から問いが飛んでくる。
「うーん……ふらりと散歩に出掛けたら、途中で相田君と淡海さんに会って、一緒にお昼ご飯食べた」
言ってから、これではまるでその日あったことを親に報告している小学生のようだなと感じた。
也梛は「へえ」と興味深そうに反応する。
「二人とも元気そうだった?」
「うん。今年の音楽祭について少し話したかな」
「そうか。……ていうか、雲ノ峰の方まで行ってたのか?」
散歩のわりには随分遠いな、と也梛がぼやく。
諷杝はふふと微笑んだまま、黙っていた。自分でもどうしてあそこにいたのか分からない。ただ、足の赴いたままに歩いていただけだ。
「――それで?」
「え?」
続きを促されてきょとんとする。也梛も不思議そうな顔をした。
「お昼ご飯食べてその後どうしたんだよ。俺の電話に気付かないほど何か面白いことでもあったんだろ」
也梛は何でもないことのように先を促す。そういえばいつも、彼は諷杝の話を聴こうとしてくれる。何があって、どう思ったのか。何を考えているのか、どうしたいのか。諷杝自身、自分はよく脈絡もなく突拍子もないことを口にすると自覚しているが、也梛はその上できちんと話を整理して聞き出そうとしてくれる。
彼と話すようになってから、自分は随分と話をするようになったと感じる。
諷杝はまだ湯気が立つコップの表面を見つめながら言った。
「相田君たちと別れた後はまたふらふら歩いて、気付いたら『音響』の前に辿り着いてた。店はお休みで閉まってたんだけど、マスターが気付いて入れてくれて……」
「ラッキーだったな」
「うん」
おかげでおいしい珈琲を飲むことができた。
そして、あの鍵と対になったオルゴールを見つけた。
そこでまた黙り込んだ諷杝に、也梛は何も言わなかった。だが、まだ話の続きがあると分かっているのか彼も黙っている。
「――ねえ、也梛」
「何だ」
コップを置いて、也梛の目を見る。也梛は平然とフレーバーティーを飲みながら、諷杝の言葉の先を待っていた。
諷杝は一つ息を吐いて、口を開いた。
「……僕ね、本当は今日、またイツキさんを探してたんだ」
「ああ」
「もしかしたら也梛も気付いてたかもしれないけど、もうイツキさんはいないんだ。……いなくなっちゃった」
也梛は微かに眉を顰めたが、何も言わない。
「イツキさんを見つけることはできないと思いながらも気付いたら探しに出掛けてて、それで偶然相田くんたちに会ったんだ」
「うん」
「その後、『音響』でマスターが珈琲を淹れてくれるのを待ちながら、壁際に飾られた世界中のお土産の品々を見てたんだ。そしたらその中に、これがあった」
昼間並早に見せたオルゴールと小物入れが一体になった小箱を出す。也梛がコップをテーブルに置いて小箱を手に取った。
「箱?」
「オルゴールだよ。上部を開けたらネジがある」
諷杝が言う通りにした也梛は「へえ」と面白そうな顔でネジを巻いた。テーブルの上に置くと、彩楸学園の校歌が流れ出した。
「うわ、校歌かよ」
「そうなんだ。びっくりするよね」
まさか校歌が流れるオルゴールを手にすることになるとは思わなかった。
「それからもう一つ」
今度は例の小さな鍵を取り出して、小箱の穴に差して回した。
也梛はすぐにその鍵が何かを理解したらしく、その鍵で小箱が解錠されたことに驚いた表情をしていた。
「これの鍵だったのか」
「そうらしい」
小箱の引き出しに入っているのはあの校歌の替え歌の譜と、二つのギターピック。
也梛は黙ってそれらを見た後、「で?」と諷杝を見た。
「これで分かったのは?」
「この小箱型のオルゴールが父さんのであろうこと。あの校歌の替え歌は、父さんと樹さんも一緒に考えたものだろうこと」
「ふーん」
「後はそのピックの数字が何を指しているか分かればいいんだけど、並早先生も思い当たるものがなさそうだった」
也梛は二つのピックをじっと見つめていたかと思うと、ふいに何か考えこむように目を閉じた。
「――諷杝、実は俺もこの前実家に帰った時、偶然にも発見してしまったことがあるんだけど」
「ん?」
ようやく冷めてきただろうフレーバーティーに口を近づけながら、諷杝は軽く相槌を打った。
「確証もないし、これは単に俺が勝手に思ったことなんだけど」
いつになく前置きをする彼に不思議な感じを覚えながら、諷杝はふうと液体の表面に息を吹きかけた。そしてゆっくりと一口啜ったところで、真面目な顔でこちらを見る也梛と目が合った。
「前にお前、お前の父さんが組んでたバンド『ZIST』のメンバーを知ってるって言ってただろ」
「言ったような気もするね」
「一人目はお前の父親の旋さん、二人目は並早先生のお兄さんの樹さん。残るは二人。笠木の母さんの話では男子三人女子一人のグループだったよな」
「うん、そうだよ」
諷杝はゆっくりともう一口啜った。ベリー系の酸味が鼻に抜けていく。
「最後の男子はあの大量の楽譜にあった几帳面な字の持ち主じゃねえか?」
也梛が机の上に置いていた譜面を一枚手に取ってテーブルの上に広げた。続いて、部屋の端に置いた自分の鞄を引っ張って来て、中から一冊のファイルを取り出す。
「何それ?」
開かれたファイルには、拙い線と字で書かれた譜が綺麗にファイリングされていた。
「これもしかして小さい也梛が作った曲とか?」
うわあ、と思わず興味を惹かれて覗き込んだ諷杝の目の前に、也梛の細くて長い人指し指がすっとのばされた。そこには少し角ばった、几帳面そうな大人の文字が並んでいた。
「このコメントの字と」
続いてテーブルにある譜面に書き込まれた字を示す。
「このコメントの字。似ているような気がするのは俺の気のせいか?」
諷杝は二つの楽譜に書き込まれたコメントの筆跡を見比べ、小さく息を吐いた。もう、諷杝には答えがとうに分かっている。
「――気のせいじゃないよ。同一人物だ」
諷杝の答えを聞いて、也梛は一瞬だけ目を見開いたが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。
「……何で黙ってた?」
「別に直接は関係ないと思っていたから」
諷杝は手を温めるようにコップを手で包み込んで持ち、液体の表面を軽く波立たせた。
「元々これは僕と父さんとの楽譜探しのつもりだったから。むしろ樹さんや『ZIST』がここまで大きく関わってくるとは思ってなかった」
今やどちらかというと、父親と『ZIST』のための楽譜探しとなっているように思う。
(父さんはどうして僕にあんな楽譜探しを提案したんだろう?)
ますますその疑問は強くなる。
「もちろんできる限り最後まで探すつもりではいるけどね。でも、やっぱりこうなってくると余計に思ってしまうね」
也梛が怪訝そうに諷杝を見る。
「何を?」
諷杝は小さく息を吐くと、也梛にいつのも微笑みを向けた。
「あの楽譜が見つかっても見つからなくても、僕は君たちと作る曲が楽しみだし、演奏したいなあって」
父親が残した楽譜は、きっと『ZIST』のためにある曲なのだろう。それはそれでいい。
でも今の諷杝には、その楽譜を見つけて彼らと演奏をしても、きっと満足はできないような気がしていた。
(今の僕はきっと)
きっと、也梛と矢㮈が関わった曲を演奏する方が何倍も満足度が大きいと思うのだ。
也梛がふうと息を吐いて、テーブルの上の譜面と持って来たファイルを片付け始める。
「そんなことを言うならそろそろ本格的に曲作りに入らなきゃな気がするけど? 音楽祭ももうすぐだ」
曲に至っては也梛がいなければ進まない。
諷杝は応えてくれる相棒を見ながら、心の中が温かくなるのを感じた。
「矢㮈ちゃんは演奏会もあるみたいだけど大丈夫かな?」
「こっちに無理が出るようならやめろと言ってる。さすがにあいつの将来を決めるようなコンクールについては口出しできないが、もしそれで無茶するようなら本人が正直に言ってくるだろ」
それくらいの覚悟はないと困る、と也梛は相変わらずの物言いだ。
内心矢㮈に同情しつつも、諷杝は頬を緩ませてノートを広げる也梛を見ていた。
「――ねえ也梛」
「今度は何だ」
諷杝はノートに書きこまれていく思いの外綺麗な字を目で追いながら、ポツリと呟いた。
「もう一つ、大事な話があるんだ。今度三人で集まったら、聞いて欲しい」
也梛は束の間ペンを走らせる手を止め、「了解」と短く返事をした。
読んで下さってありがとうございます。年が明けてしまいましたね…。お待たせしていましたらすみません。今年も相変わらずマイペースの更新になりますが、よろしければお付き合いくださいませ。
(2021.1.11)




