水無月祭と彼の願い<前編>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・並早…英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・イツキ…諷杝に懐いている白い鳩。
・臣原 千佳…2年生。矢㮈のクラスメイト。
・松浦 大河…同上。
・衣川 瑞流…2年生。也梛のクラスメイト。
一.
とうとう来てしまった。
水無月祭当日。
そもそもは梅雨の時期の憂鬱な毎日を楽しく過ごしましょうと始まった行事らしく、その内容は全校生徒の仮装行列である。
(何ともはた迷惑な行事だよな。仮装のことを考えると、それこそ憂鬱になるだろ……)
高瀬也梛は本日何十回目となる溜め息を吐いた。普段からため息が多い方だと自覚しているが、この水無月祭の準備が始まる頃から数えるとゆうに百は越えている。
彼にとって、この行事は如何せん憂鬱そのものだった。
「おう高瀬。着替えたか?」
同じクラスの衣川瑞流が軽い口調で様子を見に来た。
小柄な友人が、十センチ以上身長差のある也梛を足の爪先から頭のてっぺんまで順に見上げた。
「ぷっ……似合ってんじゃないの? いいじゃん」
「その笑いは何だ」
衣川は横を向いて笑い出し、挙げ句の果てには腹まで抱えだす。昨年から同じクラスの彼だが、たまにツボに入るとこうして笑いが止まらなくなるようだ。
しかし解せない。なぜ自分がこうも笑われなければならないのか。
也梛は自分の足元から胸の辺りまで、見える範囲で姿を再確認した。
衣装は紺地に縞模様の浴衣に、足元は二枚下駄。これだけだと、単なる夏祭りにでも行くのかという格好だ。
だが、顔には狐の面。白い面に、糸のように細い目や模様が黒と朱で入っている。ずっと見ていると背筋が冷やりとするような得体の知れない感じがする。
そして、黒髪の中からにょっきり生えている、青黒い鬼の角。
今年の也梛たちのクラスのテーマは夏夜の百鬼夜行だ。面倒臭がっていたクラスメイトたちだが、テーマが決まりいざ準備が始まってみると、思いの外やる気になってしまった。
也梛はまた溜め息を吐いて、鬼の面を取り外した。面をつけることになったせいで、邪魔になる眼鏡は外さざるを得なかった。――外したところで、元々伊達眼鏡であるから視力に不自由はない。
「去年の狼の仮装とどっちがマシ?」
笑う呼気の間に衣川が訊いて来る。
「どっちも勘弁だ」
舌打ちして狐の面を弄ぶ。
「そういうお前だって随分とかわいらしい子どもみたいな格好してるじゃねえか」
衣川は小柄な体格と中性的な顔立ちのせいか、浴衣に高下駄姿がさらに彼を幼く見せた。
「子どもみたいに見えるならそれはラッキー。俺はこれだから」
ようやく笑いが収まって来たらしい衣川は、得意げに後ろ手に隠していたものを出した。
「ふっふっふ。これ被って一つ目小僧!」
彼が取り出したのは薄手の紙袋で、真ん中に妙にリアルな一つ目が取り付けられていた。
「お前もまた去年の子ヤギからえらく様変わりしたな」
昨年の也梛たちのクラスは童話がテーマだった。也梛は『赤ずきん』に登場する狼を、衣川は『狼と七匹の子ヤギ』に登場する子ヤギに扮したのだった。
「しっかしその感じだとまた臣原さんがキャーキャーうるさそうだなあ」
「……絶対会いたくないな」
隣のクラスの臣原千佳のことを思い出してげんなりする。彼女はなぜか也梛のことがお気に入りで、クラスが離れても昼食に誘いに来たり何だと関わって来る物好きだ。
ちなみに昨年は彼女が赤ずきんに扮し、狼の也梛は――そもそも狼役に也梛を抜擢したのは千佳だったような気がする――行列で並んで歩かされた。
「今年も楽しんで写真撮ってそう」
「……しかも隠し撮り、な」
まだ顔を面で隠せるだけマシかもしれない。よし、極力被ったままでいよう。
再び也梛は重い溜め息を吐いて教室の中を見渡した。
教室の中では浴衣に着替え、銘々妖怪や化け物に扮したクラスメイトたちが待機していた。あれだけやる気がなかったというのに、今の彼ら彼女らからあふれ出ている高揚感は何なのだろう。心底不可解だ。
「そういえば笠木さんは何の仮装なんだろうね」
「知らん」
臣原千佳と同じクラスの笠木矢㮈のことだ。隣のクラスは也梛たちのクラスとは違い、すでにテーマ決めからアンケートを取るくらい熱心な担当係がいたらしい。
相当こだわりがあるのか、当日まで他のクラスにはテーマもどんな感じなのかも絶対守秘の姿勢を貫いていた。
千佳も矢㮈も、そして松浦大河も也梛たちに何も情報を漏らさなかった。
(まあ何でも良いけどな)
也梛にとっては水無月祭自体に興味がないせいか、どれだけ秘密裏に彼女たちが動いていても特に気にはならなかった。
(ああ、でもあいつはちょっと気になるな)
一つ年上のルームメイトを思い出す。彼は確か昨年、日本昔話『桃太郎』のキジに扮していたはずだ。
(あいつ今年も担当係になっちまったって言ってたけど、結局どうなったんだろ)
海中諷杝がまた貧乏くじを引いて水無月祭のクラス担当係になったことは聞いていた。面倒臭そうにしながらも、同じく貧乏くじを引き当てたもう一人と頑張るしかないとも言っていた。
しかし也梛はバイトとその他諸々で忙しかったせいもあり、その後の詳しい経過は知らなかった。その内に自分のクラスの話し合いも進み、気付けばこうして本番の日を迎えていたのである。
也梛はふと窓の外に目を向けた。
外は梅雨時期が嘘のように、からりと晴れ渡って眩しい程だった。梅雨明けはまだ発表されていないが、ここ一週間程ずっとこんな天気が続いている。
(どこが梅雨だよ……)
綺麗な青空は皮肉のように、也梛の心の中の憂鬱を増幅させた。
「うぎゃー! ちょっとっ、高瀬君……っ!」
仮装行列の終着地、体育館でとうとう彼女と対面することになった。いや、正確に言うと、千佳の方から突撃して来たのである――狐の面をしていてもすぐにバレた。
也梛を前にするなり千佳は急に声を失い、ただ感極まったように口元を手で覆っていた。何なんだ、その反応は。
狐の面の下で也梛の眉間に皺が寄る。
「見て見てー角もついてるんだよ~」
衣川が徐に手を伸ばして来て、それを避けようとしたら狐の面がズレた。
「ぎゃー、眼鏡~!」
裸眼の也梛を見た千佳が、意味不明な叫びを上げてしゃがみ込むのが見えた。
舌打ちしながら、諦めたように面を取る。
「眼鏡かけてたら面しにくいだろ」
通気性のあまりよくない面をしていると蒸れる。吹き出た汗をタオルで拭っていると、横からクスクスと小さな笑い声が聞こえて来た。
「鬼だ。高瀬にぴったり」
「うるさい笠木」
矢㮈が衣川の一つ目小僧と一緒になって笑っていた。この光景には覚えがある。去年はマッチ売りの少女と子ヤギが並んでいた。
「高瀬君! 写真撮ろう写真! 一緒にって言うか、むしろ高瀬君オンリーで良い!」
勢いを取り戻した千佳がデジカメを手ににじり寄って来る。
「何言ってんだお前。てかもうすでに撮ってるんだろ」
「そうだけど! でも改めて!」
改めてってどういう意味だ。也梛はもう考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、「……勝手にしろ」と諦めた。どうせ彼女から逃げることはできないに決まってる。
「お、高瀬きまってんな!」
陽気な声に振り返った也梛はそこで呆然とした。
こちらに向かって来たのは、予想した声の主とは全く違う容姿をしていた。
「あれ? どうしたの高瀬? あ、もしかしてオレに見惚れてる?」
目の前で、フリルのついたスカート衣装を着たツインテール女子が笑っている。ただ、何となく『でかい』という印象が先に来るのが否めない。
「……松浦か?」
「せいかーい!」
サービスとばかりウインクしてくる松浦は、しかしそこまで違和感がない。気になるのは声くらいだろうか。衣装も化粧も小物も、彼にぴったり合わせて上手く女装を馴染ませている。
「想像以上に松浦君かわいいよね。あたしびっくりしちゃった」
松浦と同じような衣装を着た矢㮈が乾いた笑いを漏らす。
「……むしろ松浦君の方がプロポーション良いような気がする」
ボソリと呟いたのは本音だろうか。
衣川が「よく化けたねえ」と松浦を観察しながら、
「二組は結局何の仮装テーマなの?」
「二組全員アイドルグループ『SG2―2(彩楸学園二年二組)』だよ」
「……」
松浦の回答にやんわりと首を傾げ、也梛と顔を見合わせてさらに首を傾けた。
そういえばとカメラを構えて写真撮影に勤しむ千佳に目を走らせると、確かに彼女も色は違うが同じようなフリル付きのスカート衣装を着ていた。ただし彼女の場合は、矢㮈が言うところの『スタイル完璧美少女』らしいので、アイドルグループにいても納得してしまいそうに着こなしている。
「二組のみんなはこれをずっと秘密にしてたわけ?」
「インパクトは大きい方がいいだろって担当係がうるさくて」
「うん、大きかったよ。松浦だけじゃなくて二組の男子ほとんど全員違和感ないもん」
衣川が若干呆れたように体育館の中に散らばる二組男子たちを目で追う。
「こっち方面で力を注いできたわけだ」
也梛も呆れつつ、しかしその力作揃いにむしろ感心を覚えた。
「なんかうちのクラスね、メイクとか衣装とか、色んな方面の創作意欲満載なメンバーとアイドル好きが集まってたみたいで」
矢㮈が苦笑気味に言う。
「ちなみにデビュー曲は『先生、四時間目もう少し早く終わって下さい』だって」
「……意味が分からん」
そんな設定まであるのか。実際に作詞作曲まで手掛けているのなら、ぜひとも一度拝聴したいくらいには気にならないこともない。まさか作曲関係には矢㮈も関係していたりするのだろうか。
「笠木、写真撮ってー」
也梛を撮るのに満足したのか、千佳がデジカメを矢㮈に渡して也梛の隣に並ぶ。格好のせいか、まさにアイドルが間近にいるような錯覚に陥る――今までアイドルと並んだことなどないが。
「はいはーい。じゃあ撮りまーす」
矢㮈は慣れたように少し距離を取り、カメラを構えた。也梛はもうされるがまま突っ立っていた。
「あ、笠木さん、次オレたちとも撮って! 臣原さん、カメラマンしてよ」
「ちょっと待ってあと五枚撮ってからね」
「どれだけ撮るんだお前は……」
千佳の言葉にげんなりしていたら、カメラを構えた矢㮈がおかしそうに笑っているのが見えた。あいつ、また笑っていやがる。
(その格好、諷杝に見せて笑われろ)
心の中で呟いて、いや諷杝のことだから「かわいい」とか褒めるに決まってるなとまたげんなりする。
何枚か撮り終えて千佳に確認してらっている間、矢㮈がこそりと也梛に囁いた。
「そういえば諷杝、もう見た?」
「いやまだだ。どっかにはいるはずだけどな」
体育館には各学年のほとんどのクラスが揃いつつあった。特に一年は初めてのイベントに一層騒がしい。昨年の自分たちも――自分は途中で抜けたも同然だったが――あんな感じだったのだろうか。
「ねえねえ、千佳ちゃん本当のアイドルみたいでしょ?」
矢㮈が突然キラキラした目で見上げてきたので也梛は少し身を引いた。先程までは特に意識しなかったが、近くで見ると彼女もまた薄っすらとメイクをしてかわいいアイドルに仕立て上げられている。頭の上の大きなリボンがおめでたいやら何やら……。
也梛はふいと視線を外し、誤魔化すように狐の面をつけた。
「アイドルがどんなもんかいまいち分かんねえけどな」
「またそんなこと言う~。さっき写真撮った時、満更でもなさそうな顔してたじゃないの」
「してねえよ。お前の目おかしいんじゃねえの」
「そんなことないですー!」
矢㮈が子どものように頬を膨らませる。お前は小学生か。
「……とりあえず諷杝を探しに行くかな」
踵を返した也梛に、矢㮈も「あたしも行く!」とフリルが揺れる。
狐面の鬼とどこかのマイナーアイドルの少女は、魑魅魍魎が跋扈する群衆に紛れるように人探しを始めた。
二.
「諷杝、この中にいると思うか?」
「……逃げて人気のないとこにいるに一票」
矢㮈の返答に也梛は、こいつもなかなかに諷杝のことが分かって来たなと思う。
騒々しい人混みの群れを抜け、二人は体育館の外に脱出した。
蒸れる面を外し、也梛はふうと息を吐いた。
「高瀬、下駄のくせによくそんなすらすら歩けるね」
後ろを追って来ていた矢㮈が、今更のように也梛の足元を見て言う。
「いつもよりだいぶ遅いけどな」
「浴衣に下駄って歩き難そうなのに」
「まあこんなイベントでなけりゃ着てない」
仮装行列のルートでない廊下の方に足を向ける。先生の目を盗んで、さっと校舎の中に侵入した。
「諷杝どこにいるのかなー」
矢㮈が呟きながら心当たりのある場所に思案を巡らす。腕組みをする際にまたフリルが揺れる。
「……そのフリルすごいな。頭の上のリボンもだが」
「こんなイベントでないと着ないわよ」
先程の也梛と同じ様な台詞が返ってくる。
「ねえ高瀬」
「何だ」
「……その角、ちょっと触って良い?」
「は?」
思わず立ち止まって彼女の方を振り返る。矢㮈が少し遠慮がちに、しかし気になって仕方がないというように也梛の頭の上を見ていた。その視線はまるで、猫を前に耳と尻尾を触らせてくれというようなそれだった。
「触れるもんなら触ってみろ」
素直に触らせてやる気にはなれず、ついそんなことを言ってしまったものだから、矢㮈が案の定こちらに手を伸ばして来た。だが背伸びをしても、届くかどうかという身長差だ。
「高瀬の意地悪―」
「頑張って牛乳飲んで背伸ばせ」
「今からじゃ遅いでしょ!」
それでも諦め悪くジャンプまでしだす矢㮈に、こいつは本当に子どもか、と也梛は呆れた溜め息を漏らした。
このまま意地悪をしていてはこちらこそ大人気ない。
「どうぞ」
「え!」
軽く、彼女の前に屈んでやる。矢㮈は少し驚いていたようだったが、やがておずおずと角に手を伸ばした。
「あんま強く引っ張ったら抜けるからな」
「大丈夫、ちょっと触れるだけだよ」
つんつんと突くように触れられ、その微かな振動が也梛の頭にも響く。角は作り物であるし、也梛の身体と神経が繋がっているわけではないのに、不思議と妙にそわそわした。
「もういいだろ」
落ち着かなくてとうとう自分から逃げると、矢㮈は名残惜しそうにまだ宙で指を動かしていた。
「それより諷杝だ。心当たりのある場所はあるか?」
話を本題に戻しながら携帯を引っ張り出そうとして、浴衣に着替えた際に貴重品を預けたことを思い出した。
「お前、携帯持ってるか?」
「持ってるけど」
矢㮈が察したように衣装のポケットから携帯を取り出し、諷杝の連絡先を呼び出す。
「出てくれるかなあ?」
「出ない確率の方が高いだろうな」
出てくれたらラッキーだ。あまり期待はせずに、矢㮈の電話を待つ。
「あれ? 高瀬君?」
誰の姿もなかった廊下の向こうから、見知った顔がやって来た。
英語教諭の並早だ。今年の四月から諷杝のクラスの担任をしている。
「何か去年も同じように君に会った気がするなあ。あれ? 今年は笠木さんも一緒にサボり?」
也梛も思い出した。昨年、仮装行列の途中で気分が悪くなったと言い訳をしてサボったところを並早にバッタリ出くわしたのだった。
「わあ、今年はまた風流な格好をしているね、高瀬君。笠木さんは何だかキラキラふわふわした格好をしているなあ」
詳しい説明をするのも面倒臭くて也梛が黙っていると、
「あ、並早先生。諷杝どこにいるか知りませんか?」
どうやら電話が繋がらなかったらしい矢㮈が並早に尋ねる。
「諷杝君ならもうずいぶんと前にクラスの行列で体育館に向かったはずだけど……会わなかった?」
「一通りは見たんですけど、諷杝は一人でどっかに退避してそうだなって」
「あはは。二人とも諷杝君のことよく分かってるなあ。クラス写真はもう撮り終えたはずだから、どこかで休憩してるかもねえ」
「ちなみに諷杝は何の仮装をしているんですか?」
也梛が訊くと、並早は意外そうな表情をして答えた。
「あれ? 高瀬君聞いてない? うちのクラスは『日本昔話マイナーバージョン』らしいよ」
「日本昔話……」
「マイナーバージョン……」
また諷杝のクラスも少々変わったテーマにしたものだ。
「その中で諷杝君は確か……あ、そうそう、『花咲かじいさん』のいいおじいさんだったかな」
「おじいさん……!」
今度は也梛と矢㮈の声が重なった。
「あいつの得意分野じゃねえか。すでに性格がじいさんのとこあるし」
「高瀬……でも、言いたいことは何となく分かる」
也梛と矢㮈の正直な感想に、並早は愉快そうに笑っていた。
「しかし、今年の水無月祭は良いお天気になったねえ」
窓の向こうに視線を向けた並早が目を細めた。
「どこが梅雨だ、って感じですよ」
也梛もぼやきながらつられるように窓の外を見て――目を見開いた。
そこに、一羽の白い鳩の姿が見えたのだ。
「あ、イツキさんだ」
矢㮈も気付いたのか声を上げる。也梛は反射的に並早を振り返っていた。
「先生……」
「はは。またもデジャヴかな。去年の君も窓の外を歩くイツキさんを見て走って行ったっけ」
並早は懐かしそうに微笑む。
也梛はもう一度、窓の向こうでひょこひょこと中庭を過ぎろうとする白い鳩を見つめた。
一年前、サボって休憩していた也梛は並早とばったり出会い、『灯の樹』なるものの話を聞いた。その時もこの白い鳩・イツキは、雨だというのに今日と同じ様に中庭を横切ろうとしていて、也梛が後を追って辿り着いた先は『灯の樹』の前だった。
白い鳩が也梛を導いたような、そんな出来事があった。
(まさか、二度も同じことがあるわけ――)
ない、と思いながらも、視線は白い鳩から離すことができなかった。
今、あの鳩の後を追ったら、自分はどこへ導かれるのだろう?
ちら、とイツキがこちらに嘴を向けた気がした。
「もしかしてイツキさん、諷杝のいる場所知ってるかもよ」
先に動いたのは矢㮈だった。フリルを翻して踵を返す。
「あ、おい、ちょっと待て笠木!」
也梛の制止も聞かず、矢㮈は早くも中庭に出ようとしている。衣装として履いていた靴のまま、躊躇いなく外に駆け出す。
「失礼します、先生」
也梛が並早に頭を下げると、頭の上から微かな笑みを含んだ声が聞こえた。
「今日はずぶ濡れになる心配もないし、元気に外へ行っておいで」
まだ行事中なのだし、普通は教員として也梛たちを止める立場のはずだ。だが並早は面白そうな表情でひらひらと手を振った。
「諷杝君にとってのポチは君たちかもしれないね」
「あいつには犬じゃなくて白い鳩ですよ」
矢㮈の後を追って走り出した也梛の後ろでは、まだ笑い声が聞こえていた。
いよいよ2年目の水無月祭です。後編に続きます。
最近ふと思ったのですが、この小説は皆さまどこを楽しんでもらっているんでしょう?
何となくの恋模様?それとも音楽を奏でる三人?賑やかなクラスメイトたちの掛け合い?
少しでも楽しんでいただける部分があれば幸いです。(2020.07.26)




