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  作者: 葵月詞菜


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昼休みの呼び出し

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同高校新2年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。

【その他】

並早なみはや…英語教諭。諷杝のクラスの担任。

・イツキ…諷杝に懐いている白い鳩。

一.

「たっかせくーん! お昼食べよー!」

 昼休み。臣原千佳(おみはら ちか)の中に遠慮と言う言葉はないようだ。臆することなく隣のクラスを訪ねて行き、目的の男子生徒に声をかける。

 例の男子生徒よりも先に三組のクラス内の生徒が、机の上を片付ける手を止めて千佳を振り返った。

 まず、学年でも上位を争うくらいの美人に対する注目度から。

 次に、クラスの中で恐らく一番取っ付きにくいだろう男子生徒に、わざわざ彼女が声をかける不思議さから。

 千佳の後をついて来ていた笠木矢㮈(かさぎ やな)は、多くの視線に耐え切れず半身を扉の影に隠した。もうそこから一歩も動けない。

 千佳はそんな矢㮈などお構いなくどんどんと教室の中に入って彼の座る窓際の席に近付いて行った。

 そこでようやく黒髪眼鏡の男子生徒が溜め息を吐いて顔を上げる。

「……お前は小学生か?」

「だって私から誘いに来ないと高瀬君すぐにどっかに消えちゃうから」

「当たり前だろ」

 高瀬也梛(たかせ やなぎ)は舌打ちしてまた溜め息を吐いた。今日は彼の負けである。

「今、松浦(まつら)君が席を用意して待っててくれてるから。ほら、行こ」

 容赦なく千佳が彼を追い立てて席を立たせる。

 高瀬は諦めたようにお昼の入ったコンビニ袋を提げて、千佳にエスコートされるまま教室の出口までやって来た。

(千佳ちゃん見事だ)

 そんなことを思っていたら矢㮈の心中を代弁された。

「相変わらず見事な手際だねえ、臣原さん」

 ひょっこり合流した衣川瑞流(ころもがわ みずはる)が愉快そうな顔で千佳と高瀬を見比べた。彼もまたお昼を一緒にするメンバーである。

「千佳ちゃんホント度胸あるよね……」

「ん? 笠木まで何言ってんの?」

 千佳はかわいらしく小首を傾げる。高瀬が逃げないように彼の腕をがっちりとキープしているところが抜かりない。

「他のクラスであれだけ堂々と高瀬に声かけるのもだし、そもそも高瀬を昼食に誘うっていうのが……」

 矢㮈なら絶対にやらない。むしろこうして千佳が彼を誘うことすら賛成し難いところだ。

(あたしは千佳ちゃんと食べれたらそれで良いんだけどなあ)

 なぜわざわざ仏頂面の高瀬と一緒にご飯を囲まなければならないのか。――全ては高瀬が千佳のお気に入りだからである。

「……俺だって御免被りたいところだ」

 矢㮈をじろりと見下ろして高瀬がぼやく。

 しかし千佳は気にしない。この鋼のメンタルが羨ましいよりもただ残念で仕方ない。

「はいはいはい、早く行こ行こ。松浦が待ってるよ」

 衣川がけろっとした調子で言って促した。

 自分たちの二組の教室に戻ると、千佳の命を受けた松浦大河(まつら たいが)が机と椅子を用意してお待ちかねだった。

「あ、来た来た。高瀬、やっぱり臣原さんに負けたんだ」

「……」

 笑う松浦を一睨みして、高瀬は彼の横に座った。その隣にはすかさず千佳が滑り込む。

 矢㮈は千佳の隣の一番端に収まり、持って来た弁当を開いた。

 こうして高校生にもなって男女混じって昼を囲むグループは珍しいと思うのだが、すでに数回目になっているせいか周りも気にした様子はなかった。昨年矢㮈たち五人と同じクラスだった生徒は、「相変わらず仲良いなあ」と完全スルーだ。

 そもそも千佳が高瀬を昼食に誘うからそれに松浦や衣川まで便乗して結果こうなるのである。

「そういえばもうすぐまた水無月祭の時期だろ。衣川と高瀬のクラスは何のテーマにするか決めた?」

 松浦が口にした話題は毎年恒例の行事「水無月祭」のことだった。

 その内容を端的に説明すると、梅雨の時期に行われる仮装行列である。矢㮈たちが一年の時は「童話」をテーマに、千佳は赤ずきん、高瀬は狼、松浦はシンデレラの相手役の王子、衣川は子ヤギ、そして矢㮈はマッチ売りの少女の仮装をしていた。

「いや、まだ全然だよなあ、高瀬」

「……ああ」

「うちのクラスそこまで乗り気じゃない感じみたい」

 衣川に相槌を打つ感じで高瀬が頷く。

「水無月祭は年々、やる気のあるクラスと面倒になっていくクラスとに分かれていくってどっかの誰かが言ってたな。俺も面倒な方で大いに結構だけど」

 そういえばそんな話を矢㮈も一つ上の先輩から聞いたことがある。

諷杝(ふうり)が言ってたっけ)

「笠木さんたちのクラスはもうテーマ決まってるの?」

 今度は衣川の方から聞かれて、矢㮈は同じクラスの千佳と松浦と顔を見合わせた。

「うちは……まだ決まってないけど、担当は結構やる気に満ち溢れてたかなあ」

「柏木さんと本間さんでしょ。この前ダンスの相談してたわよ?」

「もう個別にアンケートみたいなこと開始してるらしいから、次のホームルームか何かで話し合いあるんじゃない?」

 千佳と松浦の話から、うちのクラスは大いにやる気のあるクラスらしいと改めて認識する。

 衣川が目を細めて、

「頑張ってー。二組の力作楽しみにしてるよ」

「二組じゃなくて良かった」

 高瀬が心から安堵したように息を吐いた。

 そんな二人に、矢㮈は苦笑を返すことしかできなかった。

「ええー、私、今年も高瀬君の仮装楽しみにしてたのに。貴重なシャッターチャンスが……!」

 千佳が大ダメージを食らったように額に手をあてる。

「こうなったら三組の知り合いに声かけてみようかしら」

「やめろ。マジでやめてくれ」

 高瀬が速効で懇願する。その表情は滅多に見ることができないような複雑で切実なものだった。矢㮈は彼に見えないように小さく笑ってしまう。

 しかし実際、千佳はその愛嬌とサバサバとした人付き合いから顔が広い。どのクラスにも何人か知り合いがいるはずだ。三組の誰かに声をかけるくらい容易いに違いなく、さらにはそこから水無月祭のクラス担当にまでたどり着きそうである。

(千佳ちゃん、高瀬のことになるとちょっとあれだからなあ)

 普段は男前で頼りになるスーパー美少女なのだが、高瀬に関することにはちょっと大丈夫かな?と心配になることが度々あるのだ。

(まあでも去年の高瀬の狼も面白かったから、今年も楽しみといえば楽しみな気も……)

 千佳とはまた違う意味で――矢㮈の場合は「面白い」という理由で――楽しみかもしれない。何だかんだ渋りつつも、生来の真面目さから手を抜けない男子なのだ、高瀬というやつは。

 また心の中で小さく笑いながら水筒に手を伸ばした時だった。

 教室のスピーカーから校内放送のお知らせチャイムが聞こえてきた。


『次の生徒は至急職員室、並早(なみはや)の所へ来て下さい。三年四組海中諷杝(わたなか ふうり)君。三年四組海中諷杝君』


「……」

 矢㮈と高瀬は図らずも瞬時に顔を見合わせていた。

「あいつ何やらかしたんだ?」

「この声並早先生だよね?」

 お互いに言いながら、それぞれの手はパンの袋やお弁当箱を片付け始めている。

 ほとんど同時に片付け終わると、二人揃って椅子から立ち上がっていた。千佳たちが驚いたように矢㮈たちを見ていた。

「千佳ちゃんごめん、ちょっと行ってくる」

「衣川、先に戻ってる」

 それぞれに言い置いて、さっさと廊下に出る。

「高瀬、何か心当たりある?」

「さあ? また授業中寝てたとか、課題提出してないとか……いや、並早先生がそんなことで呼び出すとは思えない」

 高瀬は眉を寄せてぶつぶつ言う。彼の方が足が長い分、矢㮈は早歩きでは追い付かず小走りになった。

「そうだよね……あの並早先生だもんね」

 今年諷杝のクラスの担任になった並早教諭とは、英語のクラスやその他音楽祭の活動などで面識がある。温厚で、諷杝の個人的な事情にも理解があるあの先生が、わざわざ校内放送を使って呼び出すなんてただ事ではない気がした。

「もしくは、諷杝が何かやらかしたんじゃなくて、あいつの家族に何か……」

 高瀬の推測にその線もあったか、と矢㮈は思い至る。

 どちらにせよ、気になることには変わりない。

 二人はただただ職員室を目指した。



二.

 高瀬が先に立って、職員室の扉を開いた。

「失礼します」

 昼休みの職員室は、授業中よりはのんびりとした空気が漂っている。二年担当教員の机が固まったスペースから、矢㮈と高瀬の担任たちが不思議そうにこちらを見たのに会釈だけ返し、三年担当教員のスペースに向かう。

「あれ? 高瀬君と笠木さん?」

 珈琲の入ったマグカップを手に並早が驚いたように小首を傾げた。

「僕は諷杝君を呼び出したつもりだったんだけど」

「あの、さっきの呼び出しは一体何だったんですか?」

 単刀直入に尋ねると、並早はマグカップを机の上に置いて首筋に手をあてて困った顔をした。

「いや、諷杝君、二限後から授業出てないみたいで」

「は?」

 矢㮈と高瀬の声が重なる。

「三限は僕の英語だったんだけど、佐々木君から、体調悪いから保健室行ったみたいです、って聞いてまあそれなら仕方ないかと思ってたんだ。でも三限後保健室に寄ってみたら彼はいなくてね。保健室の先生に聞いたら、来てませんって言われるし」

「……」

 高瀬の顔から焦った表情さえも消える。きっと矢㮈も似たような顔になっているだろう。

「幸い四限は授業が空いていたから少し探し回ってみたんだけど見つけられなくてね。携帯に電話しても繋がらないし」

「それはいつものことです」

 高瀬が即答して溜め息を吐く。

「一応メールも入れておいたんだけど、多分見てないよね、諷杝君は」

「見てないと思います」

 矢㮈も同感だった。すでに諷杝が携帯を携帯しないタイプだと知っている。

「……どうしよう。あたしたちも探しに行った方が良い?」

 諷杝はまだ職員室に姿を現さない。漠然とした不安からじっとしていられなくなった矢㮈に、高瀬は一つ息を吐いてから並早に向き直った。

「……先生は先程まで探していたんですよね。で、放送までしたのに今はゆっくり珈琲を飲んでいる」

 机の上のマグカップからは微かに湯気が立ち昇っている。そろそろ冷たいものが飲みたくなる季節なのにあえてホットなのは、並早の気分なのか好みなのか。

 しかしそこで矢㮈も違和感を覚えた。諷杝の姿が消えて探していたはずの並早が、とても落ち着いて待機しているように見えたからだ。普通だったら職員室待機は他の先生に任せて、並早は引き続き諷杝を探しに行っていそうなものなのに。

 並早は微かに笑って、再度マグカップに手を伸ばした。

「さすが高瀬君。目敏いね。――諷杝君は多分学園内にはいるはずなんだ。それがどこかは僕にも分からないけど」

「どういうことです?」

「諷杝君を探している時、イツキさんに会ったんだ」

 高瀬の眉間に皺が寄る。イツキとは、諷杝に懐いている白い鳩の名前だった。

「イツキさんは僕を落ち着かせるように足元をぐるぐると回って珍しく甘えて来た。その後どこかに飛んで行っちゃったんだけど、多分諷杝君の所に行ったんじゃないかなって思う」

「その根拠は」

 高瀬が苦々し気に尋ねる。

「うーん。そう言われると、直感、としか言いようがないんだけど」

 並早は苦笑して、少し申し訳なさそうに眉を下げた。

「ただの、普通の鳩ですよ? 良いんですかそれで?」

 高瀬の抑えた声には険が含まれているのが分かる。横から見ている矢㮈ははらはらと成り行きを見守るしかない。

 並早が自嘲めいた笑いの後に深い溜め息を吐いた。

「……君が信じるかどうかは任せるけど、僕はイツキさんがただの白い鳩だとは思わないんだ。必要ならきっと諷杝君の所まで案内してくれたはずだ。君たちだって今までそんな覚えはないかい?」

「……あ」

 彼の言葉にいくつか覚えがあったのは矢㮈の方だった。

(そういえば諷杝と高瀬を探してる時によくイツキさんと出くわして、後ついていったら二人に出会えたことあったな)

 高瀬はまだ眉間に皺を寄せたまま難しい顔を崩さなかったが、それ以上並早に何か言おうとはしなかった。口を閉じ、その場で踵を返す。

「高瀬?」

「……俺は探しに行ってくる」

「え、ちょっと待ちなさいよ」

 矢㮈の制止も聞かず、高瀬はすたすたと出口に向かって行く。

 そして、彼が扉に手を触れようとした所で、先に外側から開いた。

「!」

 驚いて反射的に下がった高瀬の前で、扉を開いた本人が目を見開いて固まっていた。

 焦げ茶の少し癖っ気のある髪がふわりと揺れる。

「……也梛、どうしたの?」

 一拍置いてにこやかに微笑んだ彼に、高瀬の方もはっと我に返ったようだ。そして当然ながら、今まで溜め込んでいたものを爆発させた。

「……どうしたの、じゃねえよ! お前一体どこ行ってたんだよ! 諷杝!」

 あの真面目な高瀬が職員室でこんなに大声をあげることがあろうとは。

 矢㮈は高瀬の大声と諷杝の出現の両方に驚いて、ただただ呆然としていた。



 諷杝がひょっこり職員室に戻って来た後、高瀬は職員室で大声を出したことに対するお叱りを受け、諷杝は無断欠席で授業をサボったことに対して並早からお叱りを受けた。加えて諷杝の場合は放課後に担任との二者面談を言いつけられていた。――当たり前だが。

 矢㮈は一足先に職員室を出て廊下で待っていた。

 やがて二人が並早に見送られて出て来ると、少しほっとした気持ちになった。

「じゃあ諷杝君、残りの授業はちゃんと受けること。頼むよ」

「はい。ご心配とご迷惑をおかけしました」

 素直に頭を下げる諷杝に並早は苦笑する。

「もちろん僕も心配したけど、もっと心配してたのは高瀬君と笠木さんだから。後輩に心配かけちゃだめだよ」

 諷杝は矢㮈と高瀬を交互に見遣って、

「二人にも本当にごめん。心配してくれてありがとう」

「とりあえず諷杝が無事に帰って来てくれて良かったよ。ほっとした」

 心の底から言うと、諷杝はもう一度ごめんね、と頭をポンポンと叩いてくれた。

「也梛も、ごめん」

「色々と言いたいことも聞きたいこともあるが、まずは並早先生の言う通りちゃんと授業を受けろ」

「はい……」

 今では後輩の高瀬にピシャリと言われ、諷杝は項垂れて萎む。

 高瀬はまだ憮然とした表情をしていたが、諷杝の頭を乱暴にかき乱して溜め息と共に解放した。

「本当、困った先輩だな」

「……ごめんって」

 先に歩き出した高瀬の後を諷杝が追う。

 矢㮈も二人の後を追おうとして、ふいに並早を振り返った。

「並早先生」

「ん? どうしたの、笠木さん?」

「……さっき先生が言ってたこと、あたしも少し分かるような気がします」

「さっきの……?」

 少し考える素振りをして、並早は「ああ」と頷いた。

「イツキさんのことかな?」

「はい。イツキさんってただの鳩じゃないのかもって」

 真面目に言ったつもりだったが、対して並早は少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「そっか。笠木さんはそう思ったんだね」

「先生?」

「いや。実を言うとね、さっきのは半分口から出まかせだったんだ」

「え?」

 並早は唇の前に人差し指を立てて、声のトーンを落とした。

「イツキさんに会ったのは本当だけど、僕だって鳩に特別何かがあると本気で思ってるわけじゃない。ただ僕は、諷杝君は一人になる時間が必要だったのかなって思っただけなんだ」

「じゃあ先生は諷杝には一人になる時間が必要だと判断して放っておいたんですか?」

「諷杝君のことだからまさか学園の外に出るとは思えないし、まあ学園内だったら好きにさせても良いかなって思って。僕も昔似たような時期があったからねえ」

 後半は少し懐かしそうな口調だった。

「まあ実際諷杝君がどこで何をしてたのかは分からないし、無断でってのは良くないことなんけど。でも何だかんだ言っても、諷杝君ももう三年生だから。将来のことを考え始めないといけない」

「将来……」

 そういえば、諷杝は卒業したらどうするつもりなのだろう。今までそういう話をしたことがなかった。もしかしたら高瀬とは話したりしているのかもしれない。

「とは言っても、諷杝君の中に一番にあるのはお父さんの楽譜かな。それが決着するまでは、次のことに目を向けるのは難しいのかもしれないね」

 諷杝の担任である彼はなかなかに苦労しそうだ。

 矢㮈は曖昧に微笑み返し、「では失礼します」と頭を下げた。

 少し先で二人が矢㮈を待っていてくれているのが分かって、急ぎ足で向かった。



三.

 放課後、いつもなら雨が降っていない限り屋上へ直行するのだが、今日は諷杝が職員室に呼び出されているためどうしたものかと迷っていた。

 職員室の前で待っているのも気が引けるし、そもそもどれくらいの時間がかかるのか分からない。

(先に屋上行って練習してるのが良いかな)

 とりあえずロッカーに向かってバイオリンを取り出したそこへ、

「諷杝の教室行くぞ」

 珍しく高瀬の方から声をかけて来た。彼もいつものように黒いキーボードケースを肩に掛けていた。

「諷杝の教室?」

「ああ。昼間の件で並早先生と二者面」

「いやそれ、諷杝と並早先生だけで良くない?」

 そもそも問題を起こした生徒と担任だけでの話し合いの場ではないのか。なぜそこに矢㮈と高瀬までお邪魔するのだ。

「俺にも分からん。さっき並早先生から君たちもおいでって連絡もらっただけだ」

「先生から?」

 さらに謎だ。並早は一体何を考えているのだろう。

 考えていても分からないので、結局矢㮈は高瀬と共に諷杝のクラス、三年四組の教室がある隣の棟へと向かった。

 その階には三年普通科の三組、四組、五組の教室が並んでいた。すでに部活動と帰宅で散っていったのか、生徒の姿は見えなかった。

 三組の教室は前後の扉が閉められていたが、中からぼそぼそと人の話し声が聞こえた。扉についた小さな窓から中を覗くと、にこやかに談笑する諷杝と並早の姿が見えた。――とても授業をサボったことに対する二者面談とは思えない。

 高瀬を見ると彼も眉を寄せて解せない表情を浮かべていた。

「失礼します」

 ノックをして扉を開くと、二人が揃ってこちらを向いた。

「あ、来た来た。待ってたよ」

 諷杝が嬉しそうに「おいでおいで」と手招きする。だから、二者面談はどうなっているのだろう? 高瀬ではないが、矢㮈もまた眉間に皺を寄せていた。

「あの、並早先生?」

「まあまあ二人ともとりあえず座って。二者面談は終わったから」

「終わったんですか?」

「うん。事情だけなら五分で終了案件だったよ」

 並早が肩を竦める。

「あまりにもな理由だったから、これはもう二人にも一緒に聞いてもらおうと思って呼んだんだけど」

「お前何て説明したんだよ」

 高瀬が胡散臭そうな視線を諷杝に向ける。諷杝は至極あっさりと答えた。

「寝てたんだ」

「は?」

「だから、寝てたんだ」

 高瀬の長い腕が動き、細い指が諷杝の頬を両側から襲う。

「ふざけるな。ちゃんと答えろ」

「だあはあらあ、へへはの!」

「だあかあらあ、寝てたの!」――だろうか。

 頬の肉を横に引っ張る高瀬を並早の苦笑が横から諫めた。

「高瀬君、その辺にしてあげて。本当に寝てたみたいだから」

「先生まで、それ信じたんですか?」

「だって何度聞いてもそうしか答えないし、ウソつく理由もないかなあって」

「先生、甘いですよ」

「本当なんだってば、也梛」

 緩んだ隙を逃さず諷杝は高瀬の指を振り切って頬の自由を取り戻した。

「じゃあ結局ただの昼寝のサボりじゃねえか!」

「まあ、うん、客観的にはそうなるね」

 諷杝は素直に認めた。というか、認めるしかないのだろう。

 高瀬は急に疲れたように椅子に座り込み、脱力した。

「何でだよ。お前毎晩俺より先に寝入って、朝はぐっすり寝坊コースじゃねえか。昨日もそうだっただろ」

 なるほど、それで高瀬が毎朝彼を叩き起こして遅刻を阻止しているのだろうな、と想像がついた。

 諷杝が「さあ?」と心底不思議そうに首を傾げた。

「僕にも分からないんだよね。二限が終わってふと窓の外を見たらイツキさんが見えて、ちょっと気になったから佐々木君に保健室行くって声かけて――」

「ちょっと待て。お前、あの白い鳩が気になって外に出たのか?」

「え? うん、そうだけど」

 またもや素直に頷く諷杝に高瀬の顔が強張る。こめかみに怒りマークが浮かんだように見えたのは気のせいだろうか。

 矢㮈もツッコミたいことはあったが堪えて話の続きを聞くことにした。

「で、佐々木君に一言預けて外に出て、イツキさんを追ったんだ。そしたら辿り着いたのが……」

 そこで諷杝の言葉が途切れた。彼は一瞬窓の向こう、中庭の方に目を遣った。

「朴の樹のある場所だったんだ……」

 諷杝の目はどこか懐かしそうで、しかし下がった眉は少し切なそうにも感じられた。

「……その場所に何かあるの?」

 矢㮈が静かに尋ねると、諷杝はふっと頬を緩ませた。

「うん。――僕がこの学園で大事な人と出会った思い出の場所なんだ」

 それはきっと、高瀬と矢㮈と出会う前の話なのだと直感で分かった。

「諷杝君。もしかしてそれは――」

 並早が何かに気付いたように諷杝を見たが、彼はそっと唇の前に人差し指を立てた。

「先生、今はまだ言わないでおいてください。この話は時期が来たら僕から二人に話します」

「話って何だよ」

 すかさず高瀬が尋ねるも、諷杝は黙って首を横に振る。

「まだ話せない。でもきっと話すから、少し待っててほしい」

「何だそれ」

「お願い、也梛」

 諷杝が真剣な顔なのを見て取った高瀬はそれ以上追求するのを諦めたように息を吐いた。

 諷杝は矢㮈の方を見て、同じように「お願い」のアイコンタクトを送ってきた。矢㮈ももう頷くしかない。

「何だか懐かしくなって、気候も良かったから樹の下で寝転がったら――二限分ぶっ通しで眠りこけてたってわけ」

「……」

 まるで漫画のような話だが、話す諷杝は至極真面目で嘘を吐いているようには見えない。矢㮈も高瀬も絶句するしかなかった。

(そんなに眠るのに適した環境だったの……?)

「つまりはやっぱりただの昼寝のサボりなんだな」

「否定はしないよ」

「……少しは否定してほしかったんだが」

 高瀬が脱力したように長い息を吐き出して項垂れる。

「これで前日にテスト勉で徹夜してましたとか、眠れなかったんですとか理由があるなら少しは言い訳になるんだけどねえ。諷杝君の場合、そうでもないみたいだし」

 並早もやれやれと苦笑する。諷杝が昨夜もぐっすり寝ていたことは高瀬の証言から明らかだ。

「まあどちらにしても反省文は提出してもらうよ」

「はい、もちろんです」

 神妙な顔で頷く諷杝だが、あまり反省しているように見えないと思うのは矢㮈だけだろうか。

(また反省文書くのをサボって、高瀬に怒られなきゃいいけど……)

 しかしそれにしても、諷杝が先程話すのを先延ばしにした朴の樹と、彼の大事な人との思い出とは一体何なのだろう。並早は何か思い当たることがあったような反応だった。

(でもまあ……諷杝が話すその時まで、待ってるしかないよね)

 彼自身が、少し待っててほしいと言ったのだから。

 高瀬も渋々ではあったが彼の意を汲んで追及はしなかった。

(諷杝は一体どんな話をしてくれるんだろう)

 まだまだ知らないことが多い諷杝のことを、少しは知ることができるだろうか。

「ていうか諷杝、お前な、白い鳩が気になったからって仮病を使ってまで授業をサボるな」

 今更ながらに、心底呆れたように高瀬が半眼で諷杝に小言を言う。

「いやあ、何か気になっちゃって」

「しかも結局鳩を追って行った先で一人眠りこけてたんだろ。並早先生、お前のこと探し回ってたらしいぞ」

「……それは本当に申し訳ない」

 叱られて小さくなる諷杝を見ていると少し居たたまれない気持ちになるが、今回ばかりは矢㮈もフォローを入れられない。

「反省文、きちんと書くまで俺が見張ってるからな」

「ええ~……也梛、今日バイトは?」

「今日は休みだ」

「……そうなんだ」

 この様子では、今夜諷杝は反省文を書き終えるまで寝られないかもしれない。しかし寮の消灯は十一時と言っていたから、高瀬がそれまでに書き終えるよう彼を何とかするのだろうなと思う。

 ぶつぶつ言い合いながら反省文を書く諷杝と見張りの高瀬を想像しておかしくなった。

「じゃあ僕はそろそろ職員室に戻るから。諷杝君、明日反省文の提出よろしく」

 並早が諷杝と高瀬の応酬に苦笑しながら教室を出て行った。

「えーっと……今日は練習無理っぽいね?」

 矢㮈は二人の顔を順に見て、一応確認してみた。

「無理だな」

 憮然とした顔で高瀬が即答し、諷杝が「ごめん」と項垂れた。

 とりあえず諷杝の急務は反省文なのである。

(今日は帰ってバイオリンの練習しよう)

 矢㮈は心の中で苦笑して、バイオリンのケースを手に席を立った。



四.

「お、終わった……」

 息も絶え絶えに机に突っ伏した諷杝から、原稿用紙五枚分の反省文を抜き取って確認する。とりあえず、きちんと埋めてはいるようだ。――文章がおかしいところはもうツッコまない。どうせこれを処理するのは担任の並早だろう。

 也梛は、お疲れさんとばかりにコンビニで購入した甘さ控えめクリームぜんざいを出した。頭を使ったからか知らないが、普段甘いものをそこまで求めない諷杝が珍しくさっとスプーンに手を伸ばした。

 無言でクリームを一掬いして口に運ぶ。続いて白玉を一つパクリ。

 それを見ていたら自分も甘いものを食べたくなってきて、こちらは甘さたっぷりの苺タルトを取り出して来た。

「なあ、諷杝」

「んー?」

 也梛はイチゴジャムの甘さを舌の上で転がしながら、迷うように口を開いた。

「あの白い鳩って……ただの鳩だよな?」

 諷杝は特に表情を変えることもなく、黙々とスプーンを口に運んでいる。

「どうしたの也梛? この前までただの普通の鳩だって連呼してたじゃない」

「それはそうだし、今でも俺はそう思ってるよ。だけど、今日……」

 並早の言葉が、意外にも也梛の中に残っていた。


『僕はイツキさんがただの白い鳩だとは思わないんだ』


 並早だってどこまで本気で言った言葉かは分からない。もしかしたら、彼自身も半ば冗談で言っただけなのかもしれない。

 だが、諷杝が言うならともかく、並早からもあの白い鳩がどこか特別であるかのように聞いたらさすがに気になったのだ。

 諷杝は黙り込んだ也梛を暫くじっと見ていたが、やがてクスリと小さく笑った。

「――イツキさんは、普通の鳩だよ」

「え?」

「生物学的には、普通の鳩だよ」

 他でもない諷杝に「普通の鳩」だと繰り返されて、也梛はポカンとしてしまった。

 だが少しその言い方が気になった。

「……生物学的には?」

「そう。生物学的に見て、どこからどう見ても現存する普通の鳩だ」

 はっきり言いきった諷杝に也梛は眉を顰めた。その言い方はまるで、

「……それ以外に何かあるような物言いだな」

 生物学的に見なかったらどのような鳩と言えるのか?

 白玉を掬って、諷杝はそれをぼんやりと見つめる。

「諷杝?」

 艶のある白い塊が諷杝の口の中に消えて行った。

「……僕にもよく分からないんだ。イツキさんが一体どういう鳩なのか。ただの鳩には違いないけど、それにしては色々と都合が良すぎるというか、僕たちを導くのが上手いというか……」

 そこまで言って、也梛の顔を見た諷杝が小さく噴き出した。

「あはは。也梛、変な顔してるなあ。君はこんな話を信じるタイプじゃないもんね」

「……信じ難いだろ」

「そうだね。僕もまだ確信が持てないでいる。けど、イツキさんがまだ何かヒントを持って導いてくれるなら、今はそれに縋ってみようかなという思いもある」

 いつの間にか、諷杝はクリームぜんざいを完食してしまっていた。いつもなら半分くらい残して也梛にパスするのに一人で食べきるとは珍しい。余程糖分を欲していたのか。

「ごちそうさまでした」

 諷杝は丁寧に合掌して也梛に礼を言うと、両手を床について天井を仰いだ。

「一体どこまでが父さんの想定した『ヒント』なんだろうね」

 彼の父親が残したヒントは『彩楸学園』というキーワードのみ。果たしてそこには、どれくらいの手がかりが含まれているのだろう。不思議な白い鳩もヒントの一つに数えられるのだろうか。

(だとしたら諷杝の父さんこそ何者だよ……)

 そんなあやふやなものまで想定していたとしたら、彼は未来予知能力者か霊能力者の類だ。

 そんな也梛の心中を読んだかのように、また諷杝が笑った。

「いやいや、うちの父さんはいたって普通のサラリーマンだったからね。特殊能力なんて持ち合わせてなかったから」

「……そうか」

 だが彼の父親が何を想定して『彩楸学園』をヒントにしたのか、それを確かめる術はすでにない。それは諷杝や也梛が判断しなくてはいけないのだ。

「ひょっとしてお前にはそんな能力があったりしないよな?」

「ないよ。――と言いたいとこだけど」

 諷杝が若干首を捻りながら困ったように呟いた。

「まあ、不思議なことに巻き込まれたりはしたかなあ」

「……何だそれ?」

 本気か冗談か分からない諷杝の言葉に也梛の眉が寄る。

 口の中に残っていた苺タルトの欠片が微かな甘みを残して喉の奥に消えて行った。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。前回から長らく経ってしまい、待っていてくださった方には申し訳ありませんでした。

いつの間にかまた作中の時間軸と現実が重なってきました。一緒に進めるよう精進いたします。

(2020.06.07)

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