二年目の春
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校新2年生。バイオリンを弾く。
・高瀬 也梛…同高校新2年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同高校新3年生。ギターを弾く。父親の残した楽譜を探している。
【その他】
・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。
・並早…英語教諭。諷杝のクラスの担任。
・臣原 千佳…新2年生。矢㮈のクラスメイトで親友。
・松浦 大河…新2年生。矢㮈のクラスメイト。
・衣川 瑞流…新2年生。也梛のクラスメイト。
一.
新年度の始まりはそわそわして落ち着かない。学校が近付くにつれて、そわそわはやがてドキドキに変わる。
駐輪場に自転車を止めた笠木矢㮈は自分を落ち着けるように大きく深呼吸した。
さあ、まずは新学年のクラスの確認だ。
少し早めに来たつもりだったが、昇降口の横にある掲示スペースの前にはすでに生徒たちの人だかりができていた。
手前の三年の掲示の前を通り過ぎ、奥の二年の掲示に向かう。
彩楸学園は一学年九クラスで、そのうち特進科が二クラス、文化・スポーツ優待生徒の特別科が二クラス、残り五クラスがいわゆる普通科となっている。
考えるまでもなく、矢㮈の名前は普通科の五クラスのどれかにあるだろう。
普通科のクラスを端から順に目で追っていくと、二枚目の貼り紙の始めの方に親友の臣原千佳の名前を見つける。
(あ、千佳ちゃん二組だ)
そしてそのすぐ後に自分の名前も見つけた。
「やった。また千佳ちゃんと一緒だ!」
思わず口にしてしまった。少し心細かった気持ちが急に楽しみに膨れ上がる。もう彼女はこの発表を見て教室にいるだろうか。始業式の今朝はさすがに陸上部の朝練もないはずだ。
矢㮈は自分の名前の後に続くクラスメイトたちの名を目で追おうとしたが、前に割り込んできた生徒に視界を塞がれて諦めた。教室に行けば、知っている顔も知らない顔も判明するだろう。
「えっと、二年二組はどこだっけ」
掲示板に貼ってある場所案内を確認し、普通科のクラスがまとめられている校舎に向かって階段を三階まで上る。右手に曲がって二つ目の教室だ。
中に入って名簿順の席に向かうと、矢㮈の席の前に座っていた彼女が振り返った。
「おはよう、笠木。また一年よろしく」
一年の時にも同じクラスだった臣原千佳だ。矢㮈は笑顔を返して頷いた。
「うん、またよろしくね。千佳ちゃんが一緒でホントに良かった~」
「あたしも一緒で嬉しい。――でもなあ」
笑顔だった千佳の顔が一瞬の後に曇り、はああと脱力するように項垂れた。
「ど、どしたの?」
「高瀬君と離れた……」
「あー、高瀬二組じゃないんだ。まああいつの成績なら特進に……」
矢㮈は仏頂面の元クラスメイトを思い出しながら、半ばどうでもいいとばかりに適当に相槌を打った。
「それが特進じゃないんだってばあ! 普通科なの! 隣の三組なの!」
「へ?」
普通科と聞いて思わず自分の耳を疑った。
元クラスメイトの高瀬也梛は、昨年トップの成績で入学したと噂され、また実際常に上位の成績をキープし続けた秀才である。なぜ一年の時も普通科だったのか疑問ではあるが、それは彼がこの彩楸学園に入学した目的の一番が勉学ではなかったからだろう。
しかし彼の成績にはほとんどの教師陣が注目していたわけで、いくら彼が乗り気ではないと言っても特進クラスに入れられるのではと思っていた。
「それは意外」
「でしょ? 特進だったらまだ諦めはついたのよ」
「千佳ちゃんも頑張れば行けたよね」
要領が良い千佳は頭の回転が早く、そこそこの成績をキープしていたはずだ。
「あたしは陸上に専念したいから、初めから普通科って決めてたわよ」
彼女は陸上部の単距離走者だ。一年の時から大会で成績を残していて注目されていたが、今年も周りからの期待は大きい。
「でもまさか高瀬君が隣のクラスだなんてー。ううー」
「三組って一年の時一緒だった子他に誰かいた?」
「衣川君は一緒だったはず。松浦君はあたしたちと同じ二組」
「あ、笠木さんと臣原さんおはよー」
噂をすれば何とやら。教室に入って来た茶髪の男子生徒が片手を挙げながらこちらに向かって来た。爽やかな人懐っこい笑顔を見るのも三学期の修了式以来だ。
「松浦君、おはよう。今年もよろしくね」
「ああ、よろしく。って臣原さんは何をそんなに難しそうな顔をしてるの?」
眉間に寄った皺を解しながら、千佳が溜め息を吐く。
「ああ、やっぱり高瀬君は現れないのね」
「高瀬? あそっか。あいつ衣川と一緒で三組だもんな」
松浦が納得とばかりにポンと手を打った。矢㮈はあははと苦笑いする。
「いいじゃん。お昼は衣川が高瀬引っ張ってうちの教室来させるっつってたし」
「え、本当!? ねえそれ本当よね!?」
途端に千佳がパッと明るい顔になって姿勢を正す。
「まああの衣川だから絶対とは言い難いけど……。まああっちが動かないならこっちから行けばいいんじゃね?」
「そうね。そうしましょう」
千佳がうんうんと頷いている。
(千佳ちゃん、そうまでして高瀬と会いたいのか……)
彼女の高瀬お気に入り度も変わらない。
(って、千佳ちゃんが高瀬とお昼を一緒にするとなるとあたしも……)
千佳と一緒にいるつもりの矢㮈も自動的に彼と昼を共にすることになるのか。
「……あれ? 今度は笠木さんが難しい顔になっちゃってるけど、大丈夫?」
うーむと黙り込んだ矢㮈の顔を見て、松浦が不思議そうに首を傾げていた。
二.
新学期の朝は何かとバタバタする。だから今朝はいつもよりも早く起床して、さっさと朝ごはんを済ますために、寝起きの悪いルームメイトも叩き起こしたというのに。
「諷杝! 早く用意しろ! とりあえず飯! 食堂だ!」
「ええ~もういいよお。僕はなしでも大丈夫~。だからもうちょい、寝かして……」
「何言ってんだ! 始業式の長い話の間中ずっと立たされるんだぞ! 新学期初日からお前は貧血で倒れたいのか!」
「倒れたら保健室で寝てられる……」
「アホなこと言ってないでさっさと起きろ!」
二段ベッドの下段で掛け布団にしがみつく彼から布団を剥ぎ取ろうとするが強い力で対抗される。普段は力などそうないはずなのに、こんな時ばかりは信じられないくらい布団を握る力が強い。
しかし也梛も負けじとぐいと力を入れ、一気に引っ張り出した。
「さ、寒い……」
掛け布団を剥ぎ取られた諷杝が縮こまって恨めしそうな視線を向けてくるがスルーする。
「寒かったら早く着替えろ。食堂が混む前にさっさと食べてくるぞ」
也梛たちは彩楸学園の寮生だ。一か月前に卒業生たちが退寮したとはいえ、朝の食堂は時間の見極めを間違えると混雑に遭う。特に運動部の連中と一緒になった時は最悪だ。がやがやとやかましく、メニューは一気になくなり、さらに広くない席もすぐに埋まってしまう。
也梛は諷杝を急かし、シャツとズボンを着替えたのを確認すると彼の腕を引っ張って食堂に向かった。
「ああ、今年は何組かなあ~」
「上向いて歩くな。前を見ろ。転ぶぞ」
食堂から部屋に戻って色々と準備をしていたら、結局いつもよりも少し遅い時間になってしまった――もちろん也梛は前日からほぼ準備を整えていて、出掛けまでバタバタしていたのは諷杝である。
(俺は新学期から早速こいつのオカンだな)
本当、こいつは今までどうやって一人で過ごしてきたのだろうと不思議に思う。逆に也梛が世話を焼き過ぎているせいで彼の自立心がどこかへ行ってしまったのだろうか。
「ねえ也梛。また矢㮈ちゃんと同じクラスだったら良いね」
「はあ?」
突然彼女の名前が出てきて思わず眉が寄るのが分かった。
少し前を行く諷杝がくすくすと笑った。
「同じクラスだったら連絡も取りやすいし」
「俺を中継せずに直接連絡しろよ。何のための携帯だ」
「君こそ携帯を携帯してる方が珍しいじゃないか」
「……」
言い返せない。也梛も諷杝同様、携帯を持ちながら携帯していない類の人間だ。持っていたとしても、ほとんど出ない。予め気を付けていないと気付かない。
「僕は矢㮈ちゃんと同じクラスだったら嬉しいけどなあ」
「それも本人に直接言ってやれ」
彼女もまた諷杝と同じことを思っているに違いない。――残念ながら学年が違うので、諷杝が留年しない限りその可能性はないのだが。
ふいにバサバサと羽音が聞こえ、目の前を何か白い物が過ぎった。
「!?」
思わず顔の前に腕を持っていきかけた也梛の目の前で、諷杝がさっと片腕を水平に出した。その腕に一羽の白い鳩が止まる。
白い鳩は小首を傾げるように諷杝を見上げ、諷杝は鳩に微笑みかけた。
「おはよう、イツキさん」
――何度見ても奇妙な光景だ。諷杝と白い鳩は種族を越えた友のように当たり前に挨拶を交わしている。也梛は溜め息を吐きそうになるのを堪え、半眼で彼らを眺めた。
昇降口に着くと、横にある掲示スペースの前には立派な人だかりができていた。
「お、諷杝。お前にしては早いな。まあ高瀬のおかげだろうけど」
掲示スペースの方から男子生徒が歩いてきて諷杝の肩を叩いた。
諷杝の友人、新三年の佐々木だ。也梛も会釈を返した。
「佐々木君はもうクラス見た?」
「見た。今年は四組だ。ちなみにお前もまた一緒」
「え、ホント? そっかあ~結局佐々木君とは三年間一緒だったねえ」
「そうだな。いわゆる腐れ縁ってやつか」
「え、ひどい。腐ってないよ!」
諷杝が小さな子どものように頬を膨らませるのを見て佐々木が吹き出す。也梛も小さく笑ってしまった。
「じゃあ諷杝、俺も自分のクラス確認しに行ってくる」
「あ、うん」
諷杝はもう佐々木が確認してくれたから良いと思っているのか、そのまま掲示に足を向けることなく佐々木と一緒に教室に向かってしまった。
改めて掲示スペースに足を向けた時、後ろからポンと肩を叩かれて振り返る。
「おう高瀬。久しぶり!」
爽やかな人懐こい笑顔が目の前にあった。一年の時同じクラスだった松浦大河だ。
「おはよう、高瀬」
その横に立っているのは同じく元同じクラスの衣川瑞流だ。
クラスの中で好んで一人でいた也梛を無視して、何だかんだと声をかけてきては色々と巻き込んでくれる物好きな二人である。
今では也梛も無視するのも面倒くさくなり、彼らの勉強を見るまでの仲になっていた。
「ああ、おはよう」
そのまま三人で新クラスの掲示前に行く。
「あ、オレ二組だ」
「オレと高瀬は三組だね」
「ああ~オレだけ違うか~。でも二組は笠木さんと臣原さんがいる」
松浦はがっくりと肩を落としたのも一瞬、すぐに顔を明るくした。
「ええ~良いなあ、松浦」
衣川がぼやく。そういえばこいつらは矢㮈と仲が良かったなと思う。
「高瀬もショックか? 笠木さんと臣原さんと離れて」
「いや。むしろ安心したというか、静かな日々を過ごせそうだなと思ってる」
本心だった。元クラスメイトで陸上部の臣原千佳という女子生徒は、なぜか也梛にご執心だった。どういった種類の好意なのか判然としないが、何かと也梛に接して来る。松浦と衣川よりもさらに強力な引力で也梛を巻き込んでいく恐ろしい女子だ。
そしてもう一人、笠木矢㮈もまた千佳とは違う意味で也梛に関わってくる女子生徒であった。彼女とはどちらかというと諷杝と共に音楽仲間である面が強い。だが彼女は千佳の親友で行動を共にすることが多かった故、自然と也梛とも普通に喋る仲ぐらいにはなってしまった。
頭の片隅で、矢㮈と違うクラスになったことを諷杝が知ったら残念がるだろうな、と密かに思いながら也梛は新しい教室へ足を向けた。
「そうだ。昼は一緒に飯食おうぜ。お前ら二組まで来い」
階段を上りながら松浦が言う。
「ええ~松浦がこっちに来なよ」
「俺は行かんぞ。面倒くさい」
「二組に来たら笠木さんたちがいるけど?」
「そっか。なら行こうかな」
松浦に言いくるめられる衣川に呆れながら也梛はぼそりと言った。
「勝手に二人で食ってろ」
「何言ってんの。オレは高瀬も引きずって二組に行くからね」
衣川が珍しく真面目な顔で宣言する。小柄な彼に引きずられる自分を想像しかけて也梛は仏頂面になった。
「笑えない冗談だな」
「冗談じゃないよ。じゃあ松浦も迎えに来ればいい」
「そうだな。そうしよう。てかその前に臣原さんが迎えに行きそう」
「ああ、確かに」
「お前らマジでやめろ」
也梛は頭痛を覚えて額に手をやった。嬉々としてクラスまで迎えにくる千佳の姿が脳裏に浮かんで急いでかき消す。
「だったら諦めてオレと一緒に行こう」
どういう理屈か分からないが、衣川が慰めるように也梛の背中をポンポンと叩いた。
もうだんだん考えるのも面倒くさくなってきて、也梛は答えるのを放棄した。
「そういえば高瀬、お前何で特進クラスに入らなかったんだ?」
松浦がふと思い出したように訊いて来た。
也梛は前を見たまま何でもないことのように答えた。
「特進クラスはもううんざりだからだ。俺はそのためにここへ来たんじゃないからな」
松浦は軽く首を傾げるように、
「へえ? 秀才の考えることってよく分かんねえな」
「うん、松浦には一生分からないと思うよ」
「それはお前もだろ、衣川!」
彼が衣川とやいやい言い合う声を聴きながら、也梛は口の端に小さな笑みを浮かべた。
三.
「いやあ、しっかしびっくりだよなあ。何か新しいクラスなのにあんま新鮮味を感じないんだけど」
「だよねえ」
目の前の席から後ろに体を向けて話す男子生徒は、軽音楽部の世良だった。名簿の順番で、彼は諷杝より一つ前の席だった。
「初とはいえ、海中とクラス一緒だし、担任はまさかのあの並早先生だし」
そうなのだ。昨年彩楸学園に赴任してきて、主に二年と三年の英語教科を受け持っていた並早が、今年は諷杝たち三年のクラス担任になった。
「まあ並早先生って相談しやすいし、僕達にとっては音楽祭とかで色々お世話になってるから馴染みがあるよね」
諷杝にとっては彼が担任であることが気楽だった。すでに個人的な事情の面でも何かと相談にのってもらっているので、変に猫を被る必要も構える必要もない。
そんな並早担任は、教室の前の黒板にせっせと連絡事項を書いているところだった。いつも授業で書かれる英単語はすらすらと滑らかで美しい筆跡なのに、漢字と平仮名になると途端に形と大きさが不揃いなカクカクとした筆跡だった。
頑張って書き終えた並早は小さく息を吐くと、教壇の上から生徒たちに向き直った。
「全員プリントは回ったかな? 早速だけど、三年生になった君たちにはテストが待っている。一番早いのが……」
生徒たちは私語をやめ、手元のプリントに視線を落としつつ並早の声に耳を傾け始めた。
先程まで喋っていた世良も前に向き直ったが、諷杝はぼんやりと窓の外に目を遣った。
風に吹かれて桜の花びらが舞っている中に、早くも青葉を付け始めている木を視界に捉える。
あっという間に春も終わり、すぐに初夏がやってくるのだろう。
(最後の一年かあ)
漠然とそんなことを思って苦笑する。昨年まではこんな感傷に浸ることなど考えられなかった。
だが今は、也梛や矢㮈と過ごす残り一年を考えると少し寂しい気持ちを覚える。まだ新年度は始まったばかりだというのに。
「諷杝君」
いつの間にかホームルームは終わっていたらしい。気付くと周りのクラスメイトたちは帰る支度などを始めていて、諷杝の机の前には担任の並早が立っていた。
「あ、先生」
「最後の方からぼんやり窓の外を見てたけど、大丈夫?」
教卓からは諷杝が上の空状態だったのが丸分かりだったのだろう。それでも注意をせずにそっとしておいてくれた並早は優しいのか単に面倒くさがりなのか。
「大丈夫です、すいません」
一応謝っておくと、並早は特に気にしたふうもなく一つ頷いただけだった。
「それよりどうしたんですか。僕に何か?」
わざわざ大丈夫かどうか声をかけに来たわけではあるまい。
「ああうん。君に渡したいものがあって」
「渡したい物?」
「ほら、春に軽音楽部の一件で『置き土産』の話をしただろう。僕も帰省した際に探してみたんだ」
諷杝は目を見開いて並早の言葉の先を待った。
『置き土産』とは、軽音楽部の伝統で卒業する先輩から後輩に残される物々のことだ。それはピックだったりスティックだったり色々だった。
並早の兄も二十年前に軽音楽部にいて、その時の『置き土産』を並早は探してみたという。
「暫く帰らないと、思ってもみない掘り出し物があるものだねえ」
「何かあったんですか?」
「うん、昔の『置き土産』とつい近年の『置き土産』が」
「近年?」
自然と眉が寄り小首を傾げる。並早の眉が僅かに八の字に下がり、困ったような顔で頷いた。
「君のお父さんは亡くなる前にも、うちの兄に『置き土産』を送ってくれていたらしい」
「え?」
全く想像もしていなかった話の運びに呆然とする他なかった。
「それが君たちが探す楽譜のヒントになるかどうかは分からないけどね。でも僕が持っていた所でどうもならないし、ひとまず君に預けようと思って」
父親が毎年欠かさず、高校時代の友人の墓参りに行っていたことは諷杝も知っている。だが当時の話を詳しく聞いたことはなかった。
「やっぱり先生のお兄さん……樹さんの死に何か関わっているんでしょうか」
諷杝の問いに並早は軽く肩を竦めた。
「さあどうだろうね。僕にも分からない」
ひとまずは並早が探して持って来てくれた『置き土産』とやらを見てみるしかないだろう。
「それにしても諷杝君もとうとう三年生かあ。早いねえ」
「僕もびっくりです」
「何で君がびっくりするんだい」
並早がくすくす笑いながら半身を返して教室の出口に足を向けた。
「用意ができたら職員室においで」
「はい」
諷杝は鞄に筆記用具を片付けながら、『置き土産』とは一体何なのだろうと想像を膨らませた。
四.
始業式の日の放課後は教職員たちの会議などがあるため、原則部活動は無しということになっている。しかし実際は、各部活動で内々のミーティングが行われているらしい。議題内容はもちろん、新入生勧誘について及びその準備である。
陸上部の千佳も例に漏れず、「走らないけど作戦会議があるから!」と教室を飛び出して行った。
部活動に参加していない矢㮈はゆっくりと帰る準備をしながら、さてどうしたものかと考えた。
音楽仲間の彼らは今日も屋上にいるだろうか。
携帯を出して連絡を取ろうかと考えた時、ふと窓越しに廊下を歩く背の高い男子生徒を見た。――高瀬だ。
高瀬は一瞬チラリと矢㮈の方を見たような気がした。
それと同時に矢㮈は椅子から立ち上がり、鞄を引っ掴んで教室を出た。階段の手前で特別棟に繋がる渡り廊下に曲がった彼の背を追いかける。
多分彼も屋上に行くつもりだろう。
「高瀬」
「何でついて来るんだ」
矢㮈が小走りで並ぶと、高瀬はこちらを見ずに言い放つ。
「どうせ行く場所は一緒でしょ?」
「勝手に決めつけるな」
「屋上でしょ? 諷杝もいるんでしょ?」
畳みかけた矢㮈に高瀬は諦めたように小さく息を吐いた。
高瀬の少し後について屋上への階段を上る。
「新しいクラスはどう? 衣川君と一緒なんでしょ?」
「松浦と臣原がいないから静かで良い」
珍しくまともに返ってきた答えはなかなかに辛辣だった。まあ彼らしいといえばらしい。
「そんなこと言ったら千佳ちゃん怒るよ」
「言うなよ」
「あ、分かった。それはつまり静かで寂しいって意味?」
だとしたらさすが天邪鬼の高瀬だ。
「お前、一体どういう思考回路してんだ?」
振り返った彼から、じっとりした睨みが飛んでくる。
「でも千佳ちゃん本気で残念がってたよ。普通科でクラスが分かれたってのが特に」
「へえ」
高瀬はどうでもいいとばかりに相槌を打って前を向いた。
「特進はやっぱり行かなかったんだね」
「当たり前だ。――俺はそのためにここに来たんじゃない」
二年になる前の春休みに、高瀬がこの彩楸学園に来た経緯を知った。彼は以前進学校にいたのだが、諷杝と出会って彼と音楽を奏でるために彩楸学園に来たという。信じられないが、一年学年を遅らせてまで。
屋上の重い扉を押し開けて、高瀬は眩しさに目を細めた。
吹き込んできた風に翻る制服のスカートを押さえながら、矢㮈も柔らかい日が差し込む屋上に出た。
バササッと羽音がして、どこからか白い鳩が矢㮈たちを迎えるように飛んでくる。
そして、いつもの丸太のベンチに彼はいた。
焦げ茶の髪に日の光が当たって輝いている。シャツかカーディガンがお馴染みの彼も、さすがにまだブレザーを着用していた。
「あ、也梛、矢㮈ちゃん」
こちらに気付いた諷杝がにこやかに手を振る。
その姿にふと、約一年前のことを思い出した。
矢㮈はここで彼に出会い、高瀬にも出会ったのだ。
「何だそれ」
ベンチの端に鞄を置いた高瀬が諷杝の手元を覗き込む。彼は片手に何か紙を持っていた。そして膝の上には和柄の布袋。
「これねえ……何だと思う?」
諷杝が歯切れの悪い口調で、高瀬を見上げて逆に問う。
「……何って文章が書いてある紙にしか見えないが」
怪訝そうに答える高瀬に、諷杝は曖昧な表情で頷いた。
「並早先生にもらったんだ。先生のお兄さんに宛てられた、僕の父親が残した『置き土産』だってさ」
高瀬の目が見開き、矢㮈も驚いたように諷杝を見た。
それはつまり、彼が探す楽譜に繋がるヒントを得られたということだろうか。
「とは言っても、僕だけではお手上げ状態だから、君たちの意見も聞きたいな」
諷杝が矢㮈たちにベンチに座るよう促した。
他の部活動が新入部員を獲得するためのミーティングを行っている中、屋上では全く違った難題に向かい合う三人の姿があった。
その周りを、白い鳩が気持ち良さそうに優雅に飛んでいた。
とうとう始まりました、新年度。
諷杝が無事に進級できていて作者もほっとしています。
不定期更新ではありますが、よろしければお付き合いいただければ幸いです。
(2019.11.24)




