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  作者: 葵月詞菜


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懐かしい音と歌声<後編>

※第35話「懐かしい音と歌声<中編>」の続きです。

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同高校1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同高校2年生。ギターを弾く。

【その他】

若宮わかみや たく…前の中高での高瀬の同級生。

小影こかげ…同上。

芳賀はが…同上。

六.

 それから本番までの数日間、気付けば連日、若宮たちと顔を合わせることになった。

 いつもの彩楸学園の屋上や『音響(おとひびき)』という音楽カフェで練習すればいい話だったのだが、どうせならと若宮たちが使っている音楽スタジオを使わせてもらうことにしたのだ。

 也梛(やなぎ)たちはイベント出場特典として使用料をまけてもらうことができた。そして、若宮たち――特にギターとベースを担当する小影(こかげ)芳賀(はが)――は諷杝(ふうり)の指導を受けることができた。

「やっべえ。矢㮈ちゃんホントにバイオリニストだった」

 矢㮈(やな)のバイオリンの生演奏を初めて聴いた若宮は小さな子どものように目を輝かせていた。

 彼は自分が歌うために、普段ポップス等歌詞のある曲を中心に聴いている。クラシックはあまり聴かなかったはずだが――昔、也梛が弾くピアノの曲を聴いていたくらいだ――矢㮈の演奏には興味を引かれたらしい。

 その気持ちは分かる。恐らく、生演奏という効果だけではなくて、矢㮈がもつ彼女自身の音にも惹かれるものがあったのだろう。

 小影も芳賀もしばらくぽけーっと惚けたように矢㮈のバイオリンの余韻に浸っていた。

「ねえ、何なのこの最終兵器みたいなバイオリン。しかもこんなかわいい子が弾いてるって最強じゃない?」

 若宮が興奮した口調で言うのに、矢㮈は頬を赤くして首を横に振る。

「最終兵器って何! そんなのじゃないから! 諷杝のギターと高瀬のキーボードがあってこそだから!」

「そうでしょー、矢㮈ちゃんかわいいしバイオリン上手いし本当最強なんだよねえ」

 諷杝がうんうんと頷くのを見てさらに赤面した矢㮈が、弓を持つ腕で顔を隠した。

「ね、也梛」

「……そこで俺に振るな」

 也梛は溜め息一つでスルーして、手元の譜面に目を走らせた。

 若宮たちは休憩時間こそあれこれ無駄に絡んできたが、練習時間は部屋を別にして真面目に黙々と練習していた。

 さすが進学校の生徒というべきか、まるで勉強に取り組む時のようにその集中力は変わらない。そして自分たちに効果のある練習方法を早くも編み出していた。

「即席にしては良い線いってると思うよ」

 小影と芳賀の面倒を見ていた諷杝が驚いたように言っていた。

 各々の練習に入ると、若宮たちのことを気にしている場合ではない。也梛たちも少しでも良い演奏ができるように練習あるのみだ。

 もう何十回と繰り返し演奏した曲はすっかり体に馴染んでいたが、安定して合わせることができるようになった後にはそこからさらにどう広げていけるのかを模索する。也梛は自分たちが奏でる音楽に完成形などないと思っている。

 この模索は、ある一定の完成で満足する者にとっては、そんなことをするなら次の曲に取り掛かる方が良いと感じるのかもしれない。

 だが幸いなことに、諷杝も矢㮈もこの模索を楽しいと感じる類のようだった。也梛の新しい提案に興味を示し、逆に二人の方が弾き方を変えてきたりする。

 そんなやりとりがとてつもなく楽しい。練習時間はあっという間に過ぎ去っていく。

「ここはこうすると少し音が強すぎる気がするから、やっぱりこっちで行こう。諷杝と俺はここで少し溜めて、笠木の音だけ聴かせる」

 あれこれ言い合った最後にまとめていくのは也梛の仕事になっていた。諷杝と矢㮈はただ「うんうん」と頷いているだけだ。

「うーん、やっぱりこうしてまとめてる姿とか見てると高瀬は先輩って感じもするね」

「あ?」

 バイオリンをケースにしまいながら矢㮈が言った何げない言葉に也梛は動きを止めた。

「あはは。そりゃあこの中では実は一番年上だからねえ」

 諷杝が遠慮なく笑う。也梛が本来は諷杝と同級生だということを矢㮈に告げたのを知ってから、さらに年上の貫禄はなくなった。――いや、今までもそんな貫禄など諷杝にはなかったかもしれないが。

「これは年は関係ないだろ。ただの性格の問題だ。てかお前がいつもそんなだから」

「僕は也梛ほど上手くまとめられないし、まとめようとも思ってないし」

「思ってないのかよ」

 也梛たちのやりとりに矢㮈がけらけらと笑っている。

「でも本当、諷杝って不思議だよね。あたしもそうだったけど、高瀬

も引き込んじゃうなんて」

 彼女が言っているのは、也梛が諷杝がいるからと彩楸学園に再入学した件についてだ。

 にこやかに笑っていた諷杝が微かに困ったように眉を下げた。

「……ホントにね。僕もすごく不思議だ」

 也梛の方は見ずにポツンと呟く。

「あの頃は僕の方が空っぽで、もしかしたら也梛はそこにスポンと嵌まり込んでしまったのかもしれない」

「諷杝?」

「どういうことだ?」

 矢㮈がきょとんとして、也梛も初めて聞く言葉に眉間に皺を寄せた。

「やっぱり君は僕に毒されてるのかもね、也梛」

 それだけ言った諷杝の顔は、次の瞬間にはもう元の微笑みを浮かべていた。


「悪いな、イベント明日なのにこんな時間まで見てもらって」

 イベントの前日、若宮たちは午前中に学校に行く用事があり、集まったのは昼過ぎからであった。そこから夕方まで彼らの最終確認を行い、也梛たちも軽く調整を終えた。

 若干申し訳なさそうに礼を言った若宮の頭を軽く叩いて、也梛は「アホか」と小さく笑った。

「別に、頑張ってるやつの音を聴くのは嫌いじゃない。むしろ学校をサボってたらそっちに怒る」

「はっ、お前クサイこと言うようになったなあ」

 お返しだとばかりに若宮が也梛の肩を叩き返し、お互いにまた笑う。

「明日、楽しみにしてるからな。高瀬」

 若宮は結局、矢㮈のバイオリンや諷杝のギターを耳にはしたが、也梛たちの演奏を全て通して聴くことはなかった。当日のお楽しみとでもいうかのように、彼の方が聴くことを避けているようだった。

「そっちも、この数日間の成果を期待してるからな」

「任せとけ! な、小影、芳賀」

 若宮が振り返った先で二人は曖昧に笑った。

「いやあ、お前の歌で何とか誤魔化してくれよ、若宮」

「ああ、お前の歌に期待してる」

「何でだよ!」

 がやがやと言い合う三人を前に、也梛は少し懐かしい気持ちになった。この数日間でもその姿は目にして来たが、以前はそこに自分も入っていたのだなあと改めて不思議な気分になる。

 ふと、芳賀が也梛の方をじっと見ているのに気付いた。

「高瀬。お前が転校してまで選んだのが何なのか、オレたちにちゃんと見せろよ」

「!」

「そうだよ。まあ一番それを見たがってんのは若宮だけどな」

 小影が若宮と肩を組んでにっかと笑う。若宮は唇を尖らせたかのようにそっぽを向いていたが、やがて観念したように也梛の方に視線を戻した。

「お前がキーボードを弾き続けるやつだってことはとうの昔に知ってた。……でもまさか転校するまでとは思わなかった」

 ちらと一瞬、諷杝の方を見たような気がした。

「お前が選んだ音楽がどんなものなのか、お前がどんなふうに演奏するようになったのか、ただそれが見たい」

 心の中にある思いをそのまま口に出したような、真っ直ぐな言葉だった。

 也梛はすぐにその言葉に返すことができず、一拍の後に頷いた。

「……分かった。存分に聴いていけばいい」

 知らず知らず、口の端に笑みが浮かぶ。

 後ろを見ずとも、そこにいる諷杝と矢㮈が笑っている顔が想像できた。



七.

 小腹が空いた三人は商店街に寄ってみた。すると偶々、店仕舞いの準備をしていた肉屋の前を通りかかった。

「あ! まだコロッケ残ってる!」

 一番に反応したのは、ここのコロッケがお気に入りだった諷杝だ。

 その声に反応した店のおばちゃんが、旗を片付ける手を止めてこちらを振り向いた。

「あら、どこかで見かけた顔ね」

「こんばんは。あの、まだコロッケいいですか?」

「そこにある余り物でよければ半額におまけするよ」

「やった! じゃあ三つください」

 諷杝はるんるん顔で注文し、小さな紙に包まれたコロッケを受け取ってそれを一個ずつ也梛たちに配った。

 薄い衣がサクッと揚がったじゃがいもほくほくのコロッケは、冷めても十分においしい。そしてどこか懐かしい味がした。

「そういえばお前、よくここのコロッケ食いながらバイトに来てたな」

 思い出しながら言うと、諷杝が口をもごもごと動かして懐かしそうに目を細めた。

「うん、あの頃と味も変わってない。おいしいなあ」

「手づくりの優しい味だね」

 矢㮈もパクパクと食べながら幸せそうな顔をしている。

 とはいえ、歩き食いをしているこの姿はあまり行儀がよろしくない。

 也梛たちは商店街を離れ、少し行った先の公園に足を向けた。

「お、ここも懐かしい」

 諷杝が何かを思い出したように頬を緩ませた。

 その公園はわりと大きく、遊具が置いてあるコーナーの他に噴水や花壇が設置され、ベンチも多い。さらに公園をぐるりと一周巡るように遊歩道があって、散歩している人をちらほらと見かける。

 さすがに陽も落ちたこの時間は、遊具で遊んでいる子どもの姿もなく、ひっそりとした静けさが漂っていた。

 見える範囲内のベンチにも人影はない。

 そのうちの一つに並んで腰かけ、也梛たちは残りのコロッケを頬張った。

「あー、おいしかった」

 食べ終えた諷杝は満足そうな顔で包み紙を丸めた。

「それよりここも変わってないなあ」

「ここの公園来たことあるの?」

 矢㮈が尋ねると、諷杝は笑って頷いた。

「うん。也梛と初めてギター合わせたのはここだった」

「そうなの!?」

 諷杝と初めて話したのはここからもう少し離れた所にある小さな公園だったが、二人で楽器を弾くようになったのはこの公園だった。ある程度広さがあるのと、周りは道路に囲まれているのとで、多少は音を出しても怒られなかったからだ。

「ていうか也梛はそれより前からここで練習してたみたいだけど」

「ああ、スタジオが使えない時はここで弾いてたな。夜は今日みたいに人もいなくなるし、いい練習場所だった」

「ちょっと待って、あんた夜にこんなとこで一人で弾いてたの?」

 矢㮈が意外な点を突っ込んできたので、也梛は思わず笑ってしまった。

「何でそこ突っ込むかな、お前は。家帰ったら弾けないし、ここで弾くくらいが丁度良かったんだよ」

「家では……弾けなかったの?」

「別に弾いても怒られはしないけど、俺が弾きたいとは思わなかった」

 そう、別に家でキーボードを弾いても特に何も言われなかった。むしろどちらかというと音楽には馴染んできた家だったから、音が響いて流れて来てもそれが当たり前の空気だった。

 でも、あの頃は也梛もどこかピリピリとしていて、とても家で音をだそうとは思えなかった。

 弾きたくても弾けない。そんな感じだったように思う。

 だから家にいる時はひたすら頭の中に思い描いたメロディを譜面に記すか、もしくは学校の勉強か読書に没頭していた。

「この公園にいる時が一番解放されてたのかもな、色々と」

 ちょろちょろと流れ続けている噴水に目を細める。あの水はやはり夜中には止められるのだろうか。

 矢㮈は暫く何かを考えこむように黙っていたが、やがてポツンと漏らした。

「今は……高瀬は今は、弾きたいように弾けてる?」

「何言ってんだお前。そんなの当たり前だろ」

 鼻で笑って言い返すと、ようやく矢㮈の顔に笑みが戻る。

「なら良かった」

「お前に心配されるとか心外だ」

「な、何よ! 別に心配とかそういうのじゃないし」

 べえと子どものように舌を出す矢㮈に呆れながら、諷杝が笑っている顔を視界の端に捉えた。

「諷杝、何笑ってんだ」

「いやあ、矢㮈ちゃんはたまに核心ついたこと言ってくるなあって」

「……そうだな」

 まだむくれている彼女の頬を見て、也梛は心の中で小さく笑った。

 彼女は案外鋭いことがある。本人はきっと無自覚なのだろうが、さらりと核心をついたことを口にすることがあるのだ。

 そして彼女に問われると、それに対して案外さらりと返してしまうことがある。――もちろん意地を張ってしまうことの方が多いが。

「あたし喉乾いたから飲み物買って来る」

「あ、じゃあ僕も一緒に行くよ。あっちに自販機があるんだ」

 矢㮈がコロッケの包み紙を丸めてベンチから立ち上がる。つられるように立った諷杝に、也梛は自分の分のゴミを預けた。

「ついでにお茶があれば買って来てくれるか」

「オッケー」

 諷杝は軽く頷いて、矢㮈と共に歩き出す。

 その二つの後姿を見て、也梛は小さく息を吐いた。

 まさかこの公園に、あの二人と一緒に来ることがあるとは。

 膝の上に黒いキーボードケースを引き寄せて、蓋をそっと開ける。

(あの頃は一人で弾いてたのにな)

 ここで、このベンチで、一人で思うままに鍵盤に指を走らせていた。

 ケースを開くと、明日のイベントのチラシが挟み込まれていた。そういえば一枚もらったのだったと思い出しながら、それを何げなく見遣る。

(こんなイベントにも誰かと参加するようになるなんてな)

 諷杝と出会う前の也梛からすればとても考えられない。

 いや、矢㮈に出会い、三人で夏の音楽祭に出るまでそうは思わなかった。

 ふわりと鍵盤に指を置く。勝手に動き出した己の指に流れを委ね、紡ぎ出された音に耳を澄ませるように目を閉じた。

 ひやりとした空気が頬を撫でて通り過ぎていく。

(ああ、明日が楽しみだなんて変な感覚だ)

 明日の演奏が楽しみだと思う自分が確かにいる。

 自分たちの演奏に、若宮たちの歌と演奏に期待が募る。

 ふと、目の前に人の気配を感じて指の動きを止めた。

 諷杝と矢㮈が戻って来たのかと思いつつ目を開く。

「――!」

 その目がそのまま大きく見開かれるのが自分でも分かった。

 目の前で、同じように大きく目を見開いて固まっている少女がいた。

「――高瀬、君?」

 小さな唇から絞り出された声はか細かったが、也梛の耳にはきちんと届いた。

 若宮の歌と同様に、約一年以上振りに聞く、懐かしい声だった。

「……鶴見(つるみ)、か?」

「! そう! やっぱり高瀬君だった!」

 少女が途端に顔を明るくさせて、少し興奮したように前のめりになる。

「眼鏡かけてるからちょっと自信なかったんだけど、そのキーボードの音は忘れない」

「ああ、これは伊達だ」

 也梛は眼鏡を外して、裸眼で改めて彼女の姿を窺った。

 鶴見香凜(つるみ かりん)。彼女もまた、前の高校の時の友人だった。彼女は高校受験での入学だったため、関わった期間自体は短い。

 だが、也梛にとっては印象に残っている少女だった。それは彼女が、也梛のキーボードに興味をもって声をかけてきたからかもしれない。

「まだキーボード弾いてるんだね。変わらないなあ、高瀬君は」

「鶴見も……元気そうだな」

 周りの同級生たちと比べると驚くほど白い肌に、どこか儚げな印象が付きまとう彼女は以前と変わらなかったが、それでも前よりは生気が溢れているように見えた。

「てかこんな時間にこんなとこで何してるんだ」

「あ、私は塾の帰り。公園の横を通りかかったら何となく懐かしい音が聞こえた気がしたから」

「そうか」

 風が彼女の長くて柔らかそうな髪を吹き上げる。顔にかかったそれを払いながら、香凜は「えっと……」と言葉を継ごうとした。ベンチの上に置いたキーボードケースの中にちらと目をやり、少し驚いた反応をする。

「高瀬君、そのチラシって……」

「香凜!」

 突如聞こえた大きな声に也梛と香凜は揃ってビクリとした。

 彼女の後ろから走って来たのは、同じ年くらいの少年だった。

「はっちゃん! 何でこここに」

「お前がなかなか駅に来ないからだろ! こんなとこで何して……ってお前、まさか高瀬か?」

「ああ……梅村か」

 梅村八弥(うめむら はちや)もまた前の高校の同級生だ。香凜の幼馴染であり、元々体が弱く病気がちだった彼女を支えるべくよく一緒にいたのを覚えている。

 彼の気持ちは見るからにはっきりしていて、香凜と接点を持った時から也梛はすでに敵と認定されていた。

「お前こそ何でこんなとこにいるんだよ! 転校してどっか行ったんじゃねえのか!」

「ちょっと用事があって戻って来てるだけだ」

「用事? じゃあ何で香凜と話してたんだよ」

「それはただの偶然だってば、はっちゃん」

 慌てて間に入る香凜に梅村は気まずそうに目を逸らして舌打ちする。

(ああ、これも今となっては何か懐かしいな)

 思わず心の中で小さく笑い、しかし表面は仏頂面のまま也梛は腕時計を見た。もうあと数分で午後八時になろうとしていた。

「そろそろ帰らないと晩ご飯遅くなるぞ、二人とも。特に鶴見は親が心配するんじゃないか」

「そうだ! 香凜、帰るぞ」

 梅村が早くも踵を返そうとするのに対し、香凜は迷うように也梛を見た。

 也梛は一つ息を吐き、キーボードケースをチラと見た。

「……明日予定ある?」

「! 明日は午前中補講があるだけ」

「だったらこれ、もしよければ」

 例のイベントのチラシを彼女の方に差し出すと、香凜は微かに頬を赤くして受け取った。

「高瀬君、これ出るの?」

「一応な。若宮たちも出るぞ」

「そうなの!?」

「香凜!」

 少し先で、なかなか来ない香凜に少し苛ついた様子で梅村が呼ぶ。

 香凜はチラシを握り締めたまま、也梛に軽く手を振った。

「絶対行くね。また明日」

「ああ、またな」

 最後に彼女は嬉しそうに笑い、梅村の方に駆けて行った。

 視力の良い也梛には、梅村がこちらを睨んでいるのがありありと分かってしまった。

「……いや、だから俺に敵意を向けられても困るんだけど」

 こんなところもあの頃と変わらないと溜め息を吐く。

 もうすっかり昔のことだと思うあれこれは、案外あの時と変わらないまま也梛の目の前に現れる。それを懐かしいと思う気持ちはあるものの、嬉しいのかどうかと考えると少し複雑な気分だ。

「でも、元気そうだった」

 無意識に、キーボードケースの内ポケットの上をそっと撫でていた。そこには、彼女からもらった手紙が入っている。

 感傷に浸っていたのも束の間、也梛は溜め息を吐いて空に言葉を投げかけた。

「――で、お前らは一体いつになったら出てくるんだ?」

 暫くして、後ろから人の気配がして諷杝と矢㮈が姿を現した。

 二人は何と言おうか迷うようにお互い顔を見合わせ、最後に困ったように也梛の方を見た。まるで叱ろうとしている親を前に言い訳を考えている子どものようだった。

「えっと……」

 矢㮈が口を開きかけたのにかぶせるように、也梛はキーボードケースの蓋を閉めて立ち上がった。

「俺たちもそろそろ帰るぞ。本格的に腹減った」

 腹が減ったというのは嘘ではなかった。

 ただ、今は彼女たちに色々と質問攻めにされるのが嫌で逃げたのは認める。

「そうだね、帰ろっか」

 諷杝がいつものように微笑んで矢㮈を促すと、ようやく彼女もバイオリンケースのストラップを肩にひっかけた。

 少し後ろを歩く矢㮈の、まだ何か言いたそうで、でも何を言ったら良いか分からないという胸中が丸分かりなのが少しおかしい。

 だから一つだけ、言っておくおことにした。

「お前らがどこから聞いてたのかはしらないが、あいつらも俺の元同級生のやつらだ。若宮たちと一緒」

 若宮たちと全く同じ関係であるかといえばそうではないのだが、元同じ学校の同級生という括りでは同じだ。

「……ふーん」

 後ろから聞こえてきたのは曖昧な相槌だった。まあ、彼女からしたら也梛の交友関係に思うことなどその程度のものなのだろう。いや、それで十分だ。

 也梛はそれきり考えていたことを放棄して、ただぼんやりと目の前の景色を眺めた。

 耳を澄ますと、暗くて静かな公園にキーボードの音色が風に乗って聞こえてくるような気がした。


ここまで読んで下さってありがとうございます。

全然書きたいことが終わらなかったので、次のエピソードに継続します…。高瀬祭りは長い…。

次回はイベント後の打ち上げ話になると思います。もしよろしければまたお付き合いくださいませ。

(2019.07.26)

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