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  作者: 葵月詞菜


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35/98

懐かしい音と歌声<中編>

※第34話「懐かしい音と歌声<前編>」の続きです。

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同高校1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同高校2年生。ギターを弾く。

【その他】

若宮わかみや たく…前の中高での高瀬の同級生。

小影こかげ…同上。

芳賀はが…同上。

四.

 若宮から誘われて参加することになったイベントは、春休みに入ってすぐの土曜日だった。

 急なイベントの話を聞いた矢㮈(やな)は驚きつつも、久しぶりに三人で演奏できるのが楽しみだと笑顔で参加を承諾した。

 期末テストが終わってから、也梛(やなぎ)たちは集まって練習を始めた。

 あまり時間はないが、曲は夏の音楽祭で演奏したものと同じなので一から作曲する程の大仕事はない。

 そして一度ステージで演奏を体験しているからか、特に問題もなく練習は進んでいた。


 春休みに入った翌日、当日のことで確認したいことがあるからと若宮に呼び出された。場所は彼の従兄弟がいるあの楽器店だ。

 也梛一人で十分事は足りるだろうに、

「あの子! あのバイオリンの子も連れて来い!」

 とあまりにも若宮がうるさかったので、しぶしぶ矢㮈と諷杝(ふうり)も一緒に向かうことになった。

「今から行く楽器店って高瀬のキーボードのメンテナンスをしてくれたとこなんだよね?」

 道中、矢㮈はうきうきした様子だった。そういえば前に、楽器店と聞くとテンションが上がるのだとか言っていたような気がする。その気持ちは也梛にも分からなくはない。

「そうそう。前にキーボードの音が出なくなったことがあって、その時もお世話になったとこなんだ」

 代わりに諷杝が答えるのを聞きながら、也梛の胸中はどこかざわざわとしていた。

 今回のイベントに矢㮈を巻き込んだのは間接的にとはいえ也梛の都合なのだから仕方ない。だが、これから彼女を若宮に会わせることに躊躇する気持ちがあった。

 若宮という一人の友人に会わせること自体は別に問題ではない――あの見た目と性格だから全く問題ないといえば嘘になるが。

 落ち着かないのは、也梛個人の領域に彼女が足を踏み入れることに対してだった。

 もちろん夏にも実家のことで矢㮈を諷杝諸共巻き込んでしまったが、それと同じくらい今回も也梛自身のことに関わっている。

 何より、若宮はこれまでの也梛を知る旧友だ。

(あのお喋りが余計なことを言わないと良いけど……)

 端からあまり期待はしていないのだが。

 楽しそうに諷杝と話している矢㮈をちらと見ながら、也梛は小さく溜め息を吐いていた。


 春休みに入ったからか、楽器店の店内にはちらほらと客の姿が見えた。新しく楽器を始めようとしている学生や、趣味の楽器の買い替えを検討しているだろう者が銘々に見入っている。

 店内に入るなり矢㮈がきょろきょろと見回すのをスルーして、也梛は真っ直ぐにカウンターに向かった。

 カウンターには佳孝(よしたか)がいて、にこやかな笑顔を向けた。

「いらっしゃいませ。わざわざ来てもらってありがとうございます」

「いえ。それよりあいつ……若宮は」

(たく)ならこの店の裏手にある音楽スタジオで練習中だそうです。イベントの確認が終わったらそちらに来て欲しいと伝言を預かっています」

 つまりイベントの説明は佳孝に任せ、それが終わったら音楽スタジオに来いと言っているのか。

 也梛は呆れたように息を吐き、佳孝からイベントの確認事項を聞いた。特に大きな問題や疑問点もなく、すぐに終了した。

「相変わらず好き放題な従兄弟だけどよろしくお願いします」

「はあ……まあ、もう慣れましたから」

 佳孝に苦笑を返し、也梛は弦楽器コーナーにいる二人に声をかけた。

「こっちの用事は済んだけど。まだ見てるか?」

「あ、大丈夫」

「それより若宮君はここにいないの?」

 矢㮈が慌てて見ていたバイオリンから目を離し、諷杝が軽く首を傾げた。

「裏のスタジオで練習してるらしい。今からそこに行く」

「わあ、もしかして若宮君の歌聞けるかなあ?」

 途端に諷杝の声が弾み、今度は矢㮈が小首を傾げた。

「その若宮さんって歌上手いの?」

「うん。若宮君はただの歌好きだって言うけど、本当に聞いていて心地良い声なんだ」

 認めるのが悔しいので言葉にはしないが、也梛も同感だった。

 本人に言うと調子に乗るだろうし、もっと悔しいので絶対に言わない。

「へえ! あたしも聞いてみたいなあ」

 矢㮈の期待する顔を見て、諷杝があははと笑った。

「矢㮈ちゃんが頼んだら即オーケーしてくれそうだけど」

 その言葉にも同感だった。

 一応楽器店を出る前に若宮にメールを入れておいた。見ていないだろうなと思っていたのだがちゃんとチェックしていたらしく、音楽スタジオの入り口前で出迎えてくれた。

「おうこの前ぶり、二人とも! それから、へえ、君があのバイオリンの子!」

 友人の男子二人への挨拶もそこそこに、矢㮈に向かって笑顔で手を差し出す。

「オレは二人の友達の若宮拓。ちなみに高瀬とは中学からの付き合いだよ」

 勢いに押された矢㮈がちらりと也梛の方を見たので、也梛は目で「悪い」と謝った。それが伝わったのかどうか、矢㮈は少し困惑しつつも自分の右手を差し出して若宮の手を握り返した。

「あ、えっと……高瀬と諷杝の音楽仲間の笠木矢㮈です。ちなみに高瀬とは高校で同じクラスです」

「同じクラスまで言わんでいいだろ」

 也梛は呆れたように口を挟みつつ、若宮と矢㮈の握手を強制解除した。

 若宮が「つれないなあ」と文句を言ってくるのを無視する。

「こいつ、クラスの中でどんな感じ? ちゃんと馴染めてる?」

「とても近付きにくいオーラを放ってますけど、今はだいぶ馴染んだような気がします。いつも一緒にいる友達もいるし、高瀬も何かと世話焼いてますよ」

 仕返しとばかりに矢㮈に尋ねる若宮に、彼女も彼女で正直に答えている。

「若宮、いい加減にしろ。笠木、お前もわざわざ答えなくていい!」

 いい加減聞いていられなくなって釘を刺すと、若宮と矢㮈は苦笑するようにお互い顔を見合わせた。その様がまたムカつく。

「まあ話は入ってからゆっくりしようぜ」

 若宮に促されて、也梛たちはスタジオの中の足を踏み入れた。

「高瀬は懐かしいだろ」

「ああ。中学の頃はよくここでお前はずっと歌って、俺はずっと弾いてたな」

 この音楽スタジオは佳孝が務める楽器店のオーナーが運営していて、也梛も若宮もいつの間にか常連となっていた。

 その頃二人が通っていた学校は、この辺りでは超進学校の中高一貫校だった。何だかんだと成績を保持しつつ、部活の代わりだとでもいうように、ここでストレスを発散していたのだ。

 恐らく若宮は今もそうなのだろう。

「あたし、こういうとこ来たのは初めて」

 矢㮈が物珍しそうにきょろきょろ見て、足元が疎かになる。

「危ない。しっかり前を見て歩け」

 思わず注意すると、若宮がぷっと笑う。

「高瀬、お前オカンじゃん」

「うるさい」

 そしてそのやり取りに諷杝が小さく笑う。

 先頭を行っていた若宮が扉を開けると、中からは涼しい風が漏れ出て来た。

「おー、拓お帰りー」

 中から気怠そうな声が聞こえて、

「って、うわ! マジで高瀬じゃんか!」

 前に飛び出してきた小さい影が思い切り指を突き立ててくる。

「ああ、チビの小影(こかげ)か」

「ああ!? 高瀬、お前がでかすぎるんだろ! オレにニ十センチくらい分けやがれ!」

 目つきの悪い小影が突き出した拳を手の平で受け止めて、久しぶりのやり取りに也梛は小さく噴き出した。

「ホント、お前は相変わらずでけえし黒いし、重いモン肩にかけてるな」

 奥からまた気怠そうな声が聞こえてそちらを見ると、長めの茶髪で前髪を横に流した一見優男がいた。

「黒いってなんだよ、芳賀(はが)。それからこれはキーボードケースだ」

「知ってる。お前のお気に入りのキーボードだろ」

 もう何回も聞きました、とでも言うように肩を竦める旧友に也梛は溜め息を吐いた。実際は芳賀の方が余程腹黒い性格をしている。

 若宮と同じく、この二人も変わっていない。彼らもまた中学からの付き合いだ――つまり進学校組で、馬鹿そうに見えても頭は良い。

「はいはい、とりあえず中に入って入ってー。後ろつかえてるからねえ」

 若宮がパンパンと手を叩いて小影を部屋の中へと追いやる。

 振り返ると、諷杝の後ろで目を見開いて固まっている矢㮈の姿があった。

(そりゃあいきなりこんなやつらに会ったらビビるよな)

 そもそもこの場にいるのは男子ばかりだ。女子一人では入り辛い空気かもしれない。

 とりあえず若宮が要求した顔見せは済んだのだし、矢㮈と諷杝は別行動しても問題はないだろう。

「笠木、諷杝、お前らは……」

「若宮さん、ここで歌ってくれるんですか?」

 也梛の言葉を遮って矢㮈がおずおずと前に出た。

 若宮がきょとんとした顔で「ん?」と小首を傾げる。

「ここに来る前に、若宮君の歌がめっちゃ上手いって話をしてたんだよ」

 諷杝がわけを話すと、若宮がへらっとした顔で髪をかいて笑う。

「ええー、そんなー。照れるなあー」

「ぜひ聞いてみたいです!」

 矢㮈は謎に拳を握って持ち上げる。ちょろい若宮は「じゃあ僭越ながら一曲……」といそいそと準備にかかり始めた。

 期待した目で若宮の歌を待っている矢㮈を見て、也梛は馬鹿馬鹿しいと肩を竦めた。

 変に心配する必要はなかったようだ。

 だいたい、也梛や諷杝に劣らず矢㮈もまた歌や音楽が好きな子だった。特に歌は母親の影響もあって関心が強いのだろう。――彼女自身はというとあまり歌いたがらないのだが。

「……諷杝、あんまり笠木の傍から離れるなよ」

 それでも一応念のため、諷杝にこそりと囁くと、彼は頷きながらも苦笑した。

「分かってる。でもやっぱり也梛は過保護だなあ」

「何かが起こってからじゃ遅い」

「あそこにいるの、みんな君の友達でしょ?」

「……まあな」

 それはそうなのだが。也梛は眉間に寄った皺を指で解して息を吐いた。

「それでもあいつをここに連れて来た責任は俺たちにあるだろ」

「まあそれはそうだね」

 諷杝はあっさり頷いて、それ以上は何も言ってこなかった。

 そんな二人の会話など知らず、矢㮈はわくわくした表情で若宮がマイクを握るのを見て、ふいに也梛と諷杝の腕を引っ張った。

「ほらほら! 二人もちゃんと聞いて!」

「ちょっ……聞くから放せ!」

「あはは。矢㮈ちゃんテンション上がってるなあ」

 若宮がマイクの前で一礼すると同時に、スピーカーから最近よく聞くポップスのイントロが流れてきた。

「お前らは演奏しないのか」

 也梛がオーディオ機器の側にいる小影と芳賀を見ると、二人は揃って苦笑した。

「オレ達は今回の緊急助っ人要員だからな」

「主役は言うまでもなく拓だよ」

「何だそれ――」

 也梛の言葉が途切れた。

 マイクを通して聞こえてくる声にはっとする。

 伸びやかで、癖のない、清々しい声。

 それは、若宮という人間が奏でる音だった。

 よく知るポップスが、知っている曲なのに全く違うものにも聞こえる。音程もリズムもどこも狂ってはいないはずなのに。

 也梛にとっては懐かしく、いつ聞いても感嘆せざるを得ない声だった。

 それは隣で聞いている諷杝と矢㮈もまた同じようで、惚けた顔でただじっと若宮だけを見つめていた。

(それに、あいつのあの顔)

 歌っている時の若宮の顔ときたら、いつも自然で楽しそうな表情をしているのだ。まさに、何かから解き放たれたような清々しい顔をしている。

 也梛は小さく息を吐いて、変わらないな、と心の内で呟いた。


 若宮の歌が終わっても、諷杝と矢㮈はまだしばらく余韻に浸っているようだった。

「……何か、高瀬のピアノを初めて聞いた時を思い出した」

 やがてポツンと呟いた矢㮈に、也梛は軽く首を傾げた。

「俺のピアノ?」

「あたしの中では楽しい遊び曲の『ねこふんじゃった』が、あの時まるでクラシックのように聞こえたの」

 也梛はただ普通に譜面通り弾いていただけだったが、彼女にはそう聴こえたようだ。

 それと同じ、と矢㮈はマイクを掌で弄んでいる若宮を見た。

「よく耳にしてたはずの曲なのに、全然違うふうに聞こえた。ううん、元は一緒だって分かるの、でも、違う」

 上手く伝えられないともごもごする矢㮈の隣で、諷杝がいつものように微笑んだ。

「相変わらず、君の声は心地いい」

「! うん、あたしも聞いててとても心地よかったです」

 矢㮈が同意すると、若宮が本気で照れた様に髪をくしゃりとする。

「それはどーも。……高瀬は?」

 若宮が真っ直ぐに也梛を見た。

「……飽きもせずに歌い続けてる馬鹿なんだなと思った」

 口を開いて出て来たのが憎まれ口だったのはもうお約束だ。若宮もそれを分かっていて、わざと乗って来た。

「飽きもせずその黒くて重いキーボードケースを持ち歩き続けてるお前が言う?」

「――お互い変わらないな」

 ふっと口元を緩めると、若宮が一瞬目を見開き、それから嬉しそうにニッと笑った。



五.

「おお、何かオレら上手くなったような気がしねえ?」

「するする。これなら大丈夫かもな」

 小影と芳賀がギターとベースを掻き鳴らすのを見ながら、諷杝が「ふんふん」と頷く。

「うん、最低限の音程とリズムは取れてるし、大丈夫だと思う。何よりメインが若宮君の歌なら、多少失敗しても目立たないよ」

 話を聞いたところによると、若宮たちは普通のバンドとは少し違った組み合わせで参加するらしい。

 あくまで主役は若宮の歌声であり、小影と芳賀は最低限の伴奏という役割だという。そのためリズムを刻む要となるドラムはいない。

 しかも小影と芳賀は昨年の秋頃からそれぞれ本格的に楽器に触れたらしく、まだ半年も経っていない。そのため今回、諷杝に色々と指導を乞うことになった。

 諷杝の指導は思いの外効果があったようで、指導前と比べると二人の演奏は格段に良くなっていた。

 本人たちも前より上手くなった手応えがあるのか楽しそうだ。

「別に若宮の歌だけでも十分だろうに、何でまたお前らまで?」

 遠慮なく訊いた也梛に、小影が自嘲的に笑った。

「何でってオレらもうすぐ受験生本番だし、この春休みを目一杯満喫したいだろーが」

「高瀬、オレたちにかかってるプレッシャー舐めんなよ? まあお前はもうそれを背負う必要もないんだろうけど」

 芳賀のセリフに皮肉を感じ取り、也梛は僅かに眉を寄せた。

 微かに走った緊張を察した小影が「まあまあ」ととりなす。

「芳賀、オレたちが抱えるプレッシャーは高瀬には関係ないだろ。――まあ、そういうわけだ、高瀬。オレたちはただの気晴らしも兼ねて。あとは、何より若宮が楽しそうだったから付き合っただけ」

「……あいつ、お前がいなくなってから暫く歌わなかったんだぜ」

 ボソリと呟いた芳賀に、也梛はさらに眉を顰めた。

(あの若宮が?)

 彼にとって歌を歌うことは呼吸をするに等しく、そこに也梛がいようがいまいが関係ないことだと思われた。

 黙り込んだ也梛の耳に、諷杝がポツリと零した声が届いた。

「……若宮君の気持ち、僕は少し分かるような気がするなあ」

 也梛にはよく分からない。

 同じ場所にいて、也梛もまた若宮と一緒に歌っていたならいざ知らず、也梛はただ好きなようにキーボードを弾いていただけだ。

 若宮は歌い、也梛は鍵盤を弾く。

 たまにその二つが重なることもあったが、基本的にはそれぞれが自由に歌って弾いていた。

 意図して合わせようなんて思ったことはなかったような気がする。

 也梛は無意識に視界の中に若宮の姿を探し、部屋の中に姿がないことに気付いた。

「おい、若宮は?」

「え? 若宮君ならさっき喉乾いたから飲み物買って来るって……」

 諷杝が当たり前のように言って扉の方を指差す。

「……笠木の姿も見えないんだが?」

「ああ、あの女の子も手伝うって言って後追いかけて行ったけど」

 あっさり答えた小影の言葉を聞いてすぐに足が扉の方へ向く。

 也梛は舌打ちして扉の取手を引っ張った。後ろで、微かな溜め息が聞こえたような気がした。

「本当に過保護だよね。本当は何の心配をしてるんだか」

「うるさい」

 心の中で呟いたはずの言葉が口から音として飛び出した。


 スタジオの入り口横にある休憩室に行くと、並んだ自動販売機の前に若宮と矢㮈の姿があった。

 二人は飲み物を選びながら、楽し気に喋っている。

「若宮さん、本当に歌上手ですね」

「いやあ、ずっと歌ってきたけど我流甚だしいよ? っていうか、その『さん』付けと敬語やめようか。何かむず痒い」

「え……じゃあ、若宮君で……。若宮君は、小さい時から歌うのが好きだったの?」

「うーん、あの頃は好きって言うか、それしか楽しみがなかったって言うか」

 ピッという軽い電子音の後に、ガコンと重い音がする。

 取り出し口の前に屈んだ若宮がゆっくりとした動作で手を伸ばしながら、何げない口調で続けた。

「うち、お受験家庭でさ。昔からあんまりゲームとかの遊びはさせてもらえなくて。ていうかそもそも友達とも遊ぶ時間とかなくて。唯一、空いてる時間に一人でできる遊びが歌だったんだ」

 也梛も昔、彼から聞いたことがある話だった。

「これがまた飽きなくてさあ。歌うって結構ストレスも発散されるもんじゃん? 気持ち良いし、誰にも怒られなかったし、一人で満足できたし、一石三鳥くらいあった。風邪ひいて喉やっちまった時は最悪だったけどな」

 ニッと笑う若宮に、矢㮈は少し驚いた表情をしながらも頷いていた。

「別に一人で満足してたんだけど、中学で高瀬に会って、あいつはキーボード弾いてて、今までオレ一人だったのに音が増えてもっと楽しくなったのを覚えてる」

 自分の声に、音に、誰かの音が重なる楽しさ。

 それは今の也梛にはよく分かる。

 一人で弾いて当たり前。誰かと同じ場所にいたって、自分はただキーボードという一つの楽器を弾いているだけ。

 ずっとそう思っていた。

 でも、一人で弾いているようで、実はそうではなかった。

 諷杝の歌とギター、矢㮈のバイオリン。

 誰かが奏でる音を聴きながら、それに同調する。

 彼らの音を探りながら、時に対抗し、挑戦し、新しい響きに胸を躍らせる。

 それはまるで、音楽を通じた会話だった。

 共に演奏することがあんなに気持ちよくて、楽しいものだと心から知ったのは彼らと出会ってからだった。

(若宮にとって、俺はすでにそういう存在だったのか)

 ようやく、腑に落ちた気がした。

 中学の時、也梛は特に意識していたつもりはなかったが、若宮は也梛のキーボードの横で一緒に歌っていることが楽しかったのだ。

 そしてその場所は、也梛にとっても決して居心地悪くはなかった。

「若宮君、本当に高瀬のこと大好きなんだね。さっきの歌も本当は高瀬に聞かせたかったんじゃない?」

 矢㮈がふふと笑いながらペットボトルを受け取る。

「はは、そう見えた? それもちょっとは……ううん、だいぶあったかもね。オレはあいつに歌を認めてもらえるのが嬉しいんだ、昔から」

 若宮が苦笑するように言い、新たに三本のペットボトルを抱える。矢㮈がすでに二本持っているのであと一本だ。

「歌や音楽に関して、あいつの意見はいつも正直だから」

「ああ、それはあたしも分かるような気がする。……コテンパンに言われることも結構あるけど」

 矢㮈が思わずといったように苦笑するのに、若宮も「分かるー」と同意して頷いている。

「てかあいつ、女の子に対しても容赦ないのな。高瀬らしいというか何と言うか」

「音楽に対して正直なのに女子も男子も関係ないだろ」

 タイミングを逸して声をかけられなかった高瀬は、ようやく彼らの前に出ることができた。

 最後の一本を手に持った若宮が少し驚いたように目を丸くする。

「あれ、お前何しに来たの。部屋で待ってたら良いのに」

 也梛はその問いをスルーして、彼の腕から二本を抜き取った。

 若宮はちらと矢㮈を見て、小さく笑う。

「もしかして心配だった?」

「……別に」

「あはははは。なるほど、この子はよっぽどお気に入りらしい。海中以外で、しかも女の子とは珍しいこともあるもんだ」

「それ以上ぐだぐだ言うならその口にジュース突っ込むぞ」

 ペットボトルのキャップを開けようとする也梛を見て、「それは勘弁」と若宮が詫びの意味のウインクを返してくる。それが妙に様になっているのがまたムカつくやつだ。

 その様子を見ていた矢㮈がふふっと笑う。

「二人とも、本当に仲が良いんだね。高瀬に諷杝以外にこんなに打ち解けてる友達がいたとは」

「笠木、お前もあんま余計なこと言うとジュースの刑だぞ」

「何よ、ジュースの刑って。そんな刑なんかありませんー」

「今作った。お前が第一号かもな」

「何でそうなるのよ!」

「ぷっくくくくくく! あー、高瀬が女の子とこんなにフツーに会話してるとこ初めてみたかも」

 若宮は堪えられないといったふうに横を向いて笑い続ける。也梛は軽く睨んで舌打ちした。

「ああー、マジ腹痛い。ヤバい、お前ら誘って正解だったわ。オレ、この春休みめっちゃ楽しくなるような気がする」

 笑う呼吸の合間に吐き出された声は余韻で震えている。心の底から楽しそうに笑う彼に懐かしさを感じながら、少し安堵する自分がいた。

 そうだ、中学の頃から彼はこんなやつだった。仏頂面がお決まりの也梛の横で、何が楽しいのかいつも笑っていた。

「よっしゃ、この春休みは目一杯楽しんで、受験もさっさと終わらせるぞー」

「受験? 若宮君、受験するの?」

 若宮の言葉に矢㮈が不思議そうな顔をする。

「ん? オレこう見えて四月から高三なんだけど」

「え、諷杝と一緒? あたしてっきり同い年かと……」

 矢㮈が也梛の方を見て、頭に?マークを浮かべているのが見て取れた。

 現在、矢㮈と也梛は同学年だ。若宮が也梛と中学からの付き合いと聞いて、也梛と同年なら自分とも同じ年だと思ったのだろう。

 若宮もまた不思議そうに也梛の方を見た。

 也梛は小さく息を吐いた。

 今まで特に話す必要もないと黙っていたが、この機会だしさらっと伝えておこう。

「笠木、若宮は諷杝と同年だけど、本来は俺とも同年になる」

「え?」

「俺と若宮は同じ中高一貫校に通っていて、昨年俺は高校を退学して今年彩楸学園に入学した。だからお前と同級生ってわけ」

 彩楸学園では途中編入が認められておらず、也梛はわざわざ翌年に受験し直したのだ。そのため、本来は諷杝や若宮と同じ学年のはずが一年遅れとなった。

 矢㮈は少しの間、也梛の言葉を咀嚼するようにポカンとしていたが、相変わらず不思議そうな顔で疑問を口にした。

「……一度退学してまで何でわざわざ彩楸学園に?」

 やはり彼女もそこが気になったらしい。

 しかし也梛もそこは肩を竦めてみせるしか答えがなかった。

 唯一、はっきりしている事実があるとすれば。

「諷杝がいたから、かな」

 その一点に尽きる。恐らくこれ以外の理由は出て来ない。

 也梛の答えに矢㮈の目が見開く。

 そんな矢㮈を見て、若宮が半分呆れたように笑った。

「マジかよ、って思うだろ。でも、これがマジなんだよ。こいつは海中を追いかけて、彩楸学園に入学したんだよ」

 矢㮈が大きく目を見開いたまま、也梛をまじまじと見つめるので、その視線を振り切るように足を部屋に向けて歩き出した。


中編です。これ次の後編で終わるか謎なんですけど、終わらなかったらまた次に続くと思います。

だらだらと続いてますが、読んでくださってありがとうございます。

(2019.07.14)

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