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  作者: 葵月詞菜


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32/98

先輩の置き土産〈前編〉

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…2年生。ギターを弾く。

【その他】

臣原おみはら 千佳ちか…1年生。矢㮈と也梛のクラスメイト。

松浦まつら 大河たいが…同上。

衣川ころもがわ 瑞流みずはる…同上。

春日井かすがい…3年生女子。元軽音部員。

世良よら…2年生男子。軽音部員。

一.

 毎年この時期になると、何だか学校中の空気がふわふわそわそわしている気がする。

(と思っていたら早速)

 早めに登校した笠木矢㮈(かさぎ やな)は、昇降口の端のスペースで男子生徒に小さな包みを渡している女子生徒を横目に階段を上った。二階に上がった所でも、廊下の端でそれらしき姿を見かける。

 心なし、廊下にも甘いチョコレートの匂いが漂っているような気分になる。

 言わずもがな、バレンタインデーである。今年は十四日が休日なので、学校で渡そうと思っている者は少し早めの今日持ってくるのが多いだろう。

 かく言う矢㮈もまたその考えの一人であった。手提げ袋の中には昨日用意したバレンタイン用のチョコレートが待機している。こちらは主にクラスメイト用の友チョコだった。

「あ、笠木ちゃんだ。久しぶり!」

 渡り廊下の手前で背の高い女子と行き会った。

「春日井さん! お久しぶりです!」

 思いがけない人物に矢㮈は目を丸くしてまじまじと彼女を見つめた。

 学園祭のステージでのライブ演奏からまた少し髪が伸びただろうか。そういえば夏は短かったスカート丈が膝頭すれすれの長さになっている。

 夏の音楽祭をきっかけに知り合った、三年の先輩の春日井であった。

 三年はもう自由登校の期間に入っていて、決まった数日しか学校に顔を出さない者も多い。だが今日はバレンタインデーだからか三年の姿をよく見かけた。春日井もその一人だろう。

「あ、春日井さん、良かったらこれ」

「え、いいの!? 笠木ちゃんとこケーキ屋さんだもんね。絶対おいしいに決まってる!」

「いえ、今回ばかりはあたしが作ったんでパティシエ作と比べたらだいぶ劣ると……」

「だーいじょうぶ! 笠木ちゃんのお菓子もきっとおいしいに決まってる!」

 矢㮈が差し出したプチチョコレートマフィンの包みを受け取った春日井は嬉しそうに頬を緩ませた。そしてお返しとばかりチョコレートが入った小さな包みを渡してくれた。

「わわ、ありがとうございます」

「こちらこそありがとうね。……ところで笠木ちゃんは本命どっちに渡すの?」

「え?」

 さらりと訊いて来た春日井に思わずぽかんとする。

 春日井はふわりとした笑みを浮かべたまま黙っている。

「……どっちって……何がですか?」

「あれ? 海中(わたなか)と高瀬にチョコレート渡すんじゃないの?」

「……一応用意はしてきましたけど……」

 矢㮈はちらりと視線を横に逃がした。

 そう、手提げの袋ではなく、肩に掛けた鞄の方にクラスの友達用とは別に用意したチョコレートがある。

「でも、別に本命とかそんなんではないですよ?」

 春日井に視線を戻すと、彼女は相変わらず大人の笑みを浮かべて矢㮈を見ていた。やがて彼女とのにらめっこに負け、だんだんと自分の頬が熱くなってくるのを自覚した。

「いや、ホント、そういうのではっ……」

 もう勘弁してくれという気持ちで目の前で両手を振ると、春日井は眉を下げて「ごめんごめん」と苦笑した。

「……そういえば春日井さんはもう進学する大学が決まってるんですよね。どちらに行かれるか聞いても良いですか?」

 さりげなく話題を逸らした矢㮈に対し、春日井もそれに乗って頷いた。

「私は隣の県の教育大学だよ。幼稚園か小学校の先生になりたくて」

「へえ、そうなんですか」

「幼稚園にも小学校にも私が音楽が好きになったきっかけの先生がいてね、私もそんなふうになりたいなあってちょっと憧れがあって」

 少し照れ臭そうに言った春日井は「もちろん」と続ける。

「まだまだバンド活動もしたいから、大学でもサークルは探すつもり」

「良かった!」

 矢㮈が間髪入れず声を上げたので春日井は目を丸くした。

「あたし、春日井さんの音楽好きです。あの学園祭での最後のライブ、本当にすごくて。あたしたち三人共熱にあてられて、あの後自分たちの楽器持って集合してました」

「そこまで言ってくれると嬉しいなあ。ありがとう」

 今度は春日井の方が頬を赤らめる番だった。

 矢㮈の方こそ、彼女がまだ大学でも音楽を続けていくのだと知って純粋に嬉しかった。

 勝手な思いだが、彼女にはぜひとも音楽を続けて、彼女自身が出会った先生たちのような先生になってほしい。

「でも本当、三年間なんてあっという間だったなあ。気付いたらもうあと半月で卒業式だもんね。びっくり」

 おどけたように肩を竦める春日井に、まだ卒業するわけではない矢㮈の方もしんみりとした気分になる。

「笠木ちゃんと高瀬はまだ後二年あるけど、海中は来年三年だったっけ。集まれるだけ集まって、がんがん演奏しときなよ」

「はい」

 卒業を間近に控えた彼女の言葉だからこそ、じわりと心の奥に染み入った。

「私も笠木ちゃんたちの音楽また聴きたいんだからね。学園祭の舞台は不参加で正直とても残念だったんだから!」

「はは、自分たちのことに手いっぱいですいません」

 矢㮈は素直に頭を下げるしかなかった。初めての学園祭で、矢㮈は模擬店で出すクレープのことで頭がいっぱい、高瀬も普段絡まないクラスメイトたちと何だかんだ関わり合っていた。諷杝にいたっては、演劇の通行人役を果たすためだけに寮でも練習をしていたそうだ――つまり相当の大根役者だったことが判明した。

「来年の音楽祭でも何でもいいけど、舞台に上がる時は絶対連絡してよね!」

「分かりました。是非聴きに来てください」

 矢㮈はまだ悔しそうな顔をしている先輩に向かって微笑んだ。



二.

 お昼休みの教室は、まさにチョコレート配布パーティーだった。

女子の友チョコの究極では、もう個包装せずにタッパーに詰めたチョコレート菓子を片手に皆に振る舞っていた。

 矢㮈は仲の良い臣原千佳(おみはら ちか)と共に自分の席の周りで昼食を食べていたが、じっと座っているだけでクラスメイトの女子たちがやってきてくれる。

「はい、笠木さんと臣原さんもどうぞ!」

「ありがとう。じゃああたしからもお返しに」

 矢㮈は机の横に引っ掛けていた手提げ袋を持ち上げ、彼女たちの前に出した。朝、春日井にあげたのと同様のものだ。

「わーい、笠木さんのお菓子だー」

「学園祭のクレープで定評あるからね、間違いないよね」

 春日井と同じ様なことを言って受け取る。大したものではないのだが、と思いながらも喜んでくれたなら良いかと矢㮈も微笑むに留めた。

 学園祭をきっかけにクラス内では男女ともに仲良くなっていて、友チョコはクラス全員の男子にも振る舞われているようだった。

 矢㮈は自分からは渡しに行くことはしなかったが、そばにいたり話を振られた相手には軽い気持ちで渡していた。

(それにしても千佳ちゃんすごいな……)

 机を挟んで向かい合っていた千佳も、友チョコ用に既製品のチョコレートの詰め合わせ箱を持って来ていた。彼女が持つ箱の中には様々な形をした光沢のあるチョコレートが、一つ一つの仕切りの中で宝石のように鎮座していた。

 しかしそれももうすでに半分がなくなっている。彼女に声をかけてくる男子生徒も後を絶たない。クラスでも――おそらく学年でも上位を争う美人はやはり違う。

「さすが臣原さん」

 矢㮈の心の中を読んだかのような台詞にドキリとして振り返ると、そこにはクラスメイトの松浦大河(まつら たいが)が、その横には衣川瑞流(ころもがわ みずはる)が紙パックのジュースを片手に立っていた。

「あ、二人とも戻って来たんだ」

 二人は頷きつつ、しかし少し疲れた表情をしていた。

 松浦は髪の色が明るい茶髪の、陽気で感じが良く誰とでも話せるタイプの男子だ。一見チャラく見えるが、補講には真面目に出て来て勉強する。

 一方の衣川は、髪がサラサラで一見女子のようにも見える小柄な男子だ。大人しそうに見えて、実は松浦より大雑把で頓着しないタイプだったりする――夏は補講をサボっていた。

 とはいえ、二人とも見目が悪くないので女子の人気は高い。今日は休み時間になる度に誰かしらに呼ばれているのを目撃している。今も暫く姿を見かけなかったから、女子に呼び出されていたに違いない。

「お疲れ様。二人も千佳ちゃんのチョコレート欲しかったら早くもらっといた方が良いよ。ほら、もうあと残り僅か」

 矢㮈が千佳の持つ箱を指差すと、丁度人が途切れた所だったのか千佳が箱を松浦たちに向けて差し出す。

「ああ、二人はまだ取ってなかったっけ。はい、好きなのどうぞ」

「……サンキュ」

「じゃあ一応もらっとく。ありがとう」

 松浦と衣川がそれぞれ一つずつ摘まみ上げると、残りは二つになってしまった。

「もういいわよね。はい、笠木にももう一個あげる」

 千佳はそのうちの一つを摘まんで矢㮈の口に問答無用で押し込んだ。そして残りの一つを自分の口に放り込み、店仕舞いだというように箱をバキバキと折り畳んだ。

「あれ、千佳ちゃん、高瀬にはあげたっけ?」

 まだ舌に甘さが残るまま千佳に尋ねる。

「ううん、高瀬君には別に用意してあるの」

「おお」

 さすが高瀬お気に入りの千佳だった。

「本命は受け取ってもらえなさそうだからあくまで友チョコでって体だけどね」

 自然にかわいくウインクを決めてくるところが彼女らしい。美人な上にサバサバとした明るい性格で付き合いやすい彼女は、同性の矢㮈から見ても好ましい。

 矢㮈が男子だったら絶対片想いしていたと断言できる。

「そういう高瀬はまだ戻って来てないの?」

 衣川が教室の中を見回す。

 そういえば高瀬も今日は声をかけられることが多かった。以前のように周りに対し威圧的な「近付くなオーラ」を出してはいないものの、今でも積極的に関わろうとしない姿勢は変わらない。

 そんな高瀬に声をかけるだけでもすごいことだが、今日はそんな強者が度々姿を現していた。いい加減面倒くさくなって、ひょっこりどこかに逃避したのかもしれない。

「それより笠木さん」

 松浦がじっと矢㮈の机の上にある紙袋に視線を注いでいた。

「それ、俺たちにはくれないの?」

「え? あ、ごめん。まだあげてなかったっけ」

 矢㮈ははっとしたように紙袋からプチチョコレートマフィンを取り出して松浦と衣川に配った。気付くと残りは一個で、先程のお礼だとばかり千佳にあげてしまった。

 これで矢㮈の方も友チョコは完売店仕舞いである。

「良かったー笠木さんのももらえて」

「ホントにね」

 松浦と衣川がふふっと笑う。

「何よ二人とも。私のチョコよりも笠木からもらった時の方が嬉しそうね」

 千佳がマフィンを頬張って小首を傾げる。その姿も愛らしい。

「いや、臣原さんからのチョコも貴重だったよ。なあ、衣川」

「うん。同じクラスの男子の特権だよね」

「二人とも、微妙に話逸らさないでくれる?」

 千佳と男子二人があーだこーだと言い合い始めた時、教室の後ろの出入り口から背の高い黒髪眼鏡の男子生徒が入って来たのが見えた。

 噂に上がった、千佳お気に入りの高瀬也梛(たかせ やなぎ)である。

「あ、高瀬。お帰り」

 松浦が片手を上げて彼を呼ぶと、高瀬は面倒くさそうな表情をしながらもこちらにやってきた。ここでスルーしなくなったあたりが彼の成長を思わせた。

「はい、高瀬君。これ私から友チョコ」

 千佳が早速鞄から高瀬用の包みを取り出して渡す。一瞬反応に遅れた高瀬のその隙を逃さず、見事なテンポで彼の手に包みを押し付けていた。矢㮈は思わず感心してしまった。

「……ありがとう」

 先に「友チョコ」と言われていた手前、すでに彼女の手から離れて自らの手の中にあるチョコを断るわけにもいかず、高瀬がぼそりと礼を呟く。

「高瀬、帰りまで色々気を付けないとな」

「そうそう。臣原さんのファン多いから」

 松浦と衣川が他人事のように高瀬の肩を叩きながら言う。高瀬は邪魔そうにその手を振り払って、それから矢㮈の机の上に放置されたままの空の紙袋を見下ろした。

「……これは?」

「ああ、これ。あたしが持って来た友チョコが入ってた袋」

「中身は?」

「さっき完売した」

「俺たちがラス三でしたー」

 松浦が高瀬の目の前に、矢㮈が渡したプチチョコマフィンの包みをちらつかせて笑う。その横では衣川が涼しい顔で、自分のマフィンの包みを眺めていた。

「一足遅かったわね、高瀬君。私ももう食べちゃった」

 千佳が若干申し訳なさそうに空になった包みをひらりと返した。

「……」

 高瀬が無言で紙袋を見つめ、それから小さく溜め息を吐いた。

「……別にそこまで欲しかったわけじゃない」

「まあそうだよね。今回はあたしが作ったやつだし、父さんみたいに上手じゃないし」

 矢㮈は紙袋を畳みながら苦笑した。

「そんなことないわよ。あんたが作ったのすごくおいしかったわよ」

 千佳が間髪入れずにフォローしてくれたので、それがお世辞ではないことが分かり少し嬉しくなる。

「まあまあ、高瀬は臣原さんのチョコがあるからいいじゃん」

 松浦がバシバシと背中を叩くのを鬱陶しそうに振り払いながら、高瀬はまた溜め息を吐いた。



三.

 放課後、最近の集合場所になりつつあるカフェテラスに向かった矢㮈は、そこに背の高い黒髪眼鏡のクラスメイトを見付けた。

「高瀬。諷杝はまだ?」

 高瀬は見事に矢㮈の問いをスルーし、珍しく携帯を手に操作していた。

 もう無視には慣れっ子なので、然程気にすることなく丸テーブルの彼の向かい側に腰を下ろした。彼の椅子の横には、いつも持っている黒い長方形のケースが立て掛けてあった。中身はキーボードである。

 何げなく周りを見遣ると、ポツリポツリと席に座る生徒の姿はあるが、騒ぐような者はいないし話しているグループもないので静かだった。

 ふと、携帯の画面から高瀬が顔を上げた。矢㮈は無言で目を合わせる。

「何か面倒くさそうなことに首突っ込んでるらしい」

「面倒くさそうなこと?」

 誰が、と聞かなくてもその対象は明白だった。彼が携帯で連絡を取っていたのは、矢㮈たちが待っていた人物・海中諷杝(わたなか ふうり)だ。

 高瀬が静かに椅子から立ち上がってキーボードケースのストラップを肩に掛けたのを見て、矢㮈も慌てて立ち上がった。

「どこ行くの?」

「軽音部の部室」

「部室?」

 さっぱりわけが分からなかったが、高瀬がそれ以上説明せずに歩き出したので、矢㮈も後を追うしかなかった。


 音楽室や理科科目の実験室等の特別教室がある特別棟の奥に、四階建ての長方形の建物がある。彩楸学園(さいしゅうがくえん)ではそこに各部活動に割り当てられた部室があった。

 一階と二階は主に運動部、三階と四階に文化部の部室が並んでいる。

 矢㮈は初めてその建物に足を踏み入れた。学園祭の時に、もう使用されていない旧校舎の部室には立ち入ったことがあったが、長年の劣化と放置された物の残骸がなかなかにカオスな場所だった。

 しかし現在使われているこの建物は、少なくとも部室の外の空間――玄関ホールや廊下など共用スペース――は整然としていて淀んだ空気もなく開放的だった。

 グラウンドや体育館、音楽室とそれぞれ活動場所に散っているからか静かだ。

 迷うことなく前を行く高瀬について三階に向かう。その一番奥に軽音部の部室はあった。

 部室の扉は開いていて、中を覗くと普段授業で使っている教室と同じくらいの大きさだった。壁際にスチールロッカーが三個程並び、その横の木製の棚には機器類や紙類が乱雑に置かれていた。部屋の中には長机と椅子が適当に散らばっていた。

 その長机の一つを囲むように、諷杝と他生徒二人の姿があった。

「諷杝」

「あ、也梛、矢㮈ちゃん」

 高瀬の呼びかけに諷杝が振り返って手を上げた。

「あれ、春日井さんに世良さん?」

 諷杝と一緒にいたのは、春日井と、こちらも音楽祭の時に知り合った軽音部の二年・世良(よら)という男子生徒だった。明るい髪色は地毛だと聞いたような気がする。

「ああ、ごめんね、二人とも。海中巻き込んじゃって」

「どうしたんですか?」

 矢㮈と高瀬が長机の方へ行くと、机の上には色褪せたグリーンのプラスチックファイルが開かれていた。

中には直接メモが書かれたルーズリーフと、透明のクリアポケットに入ったプリントが挟まれていた。

 その一番上に一枚、折り目のついた五線紙。

そこには丁寧な字が綴られていた。



『春日井さんへ

 この前はどうもありがとう。

 直接お返しができなくて申し訳ない。それだけが心残りです。

 その代わりと言ってはなんですが、もし良かったら軽音部慣例の置き土産、僕の分をもらってください。

 もしかしたら少しは君の役に立てるかもしれない。


 君の音楽はいつもとても楽しい気持ちにさせてくれました。

 どうか、これからも楽しく君の音楽を奏で続けてください。

 的芭 葉一』



「これは?」

 全てに目を通し終えた矢㮈は春日井を見た。

「手紙よ。私が一年の時、お世話になった三年の先輩にもらったもの」

「……二年前の手紙をなぜ今頃になって?」

 キーボードケースを下ろしながら高瀬が無表情で問う。

「今頃、じゃなくて、正確には『ずっと』よ」

「?」

 矢㮈と高瀬は思わず顔を見合わせて眉を顰めた。そんな二人に諷杝が補足した。

「春日井さんは、まだこの『軽音部慣例の置き土産』を手に入れられていないらしいんだ」

「そんなもんこの手紙を書いた先輩とやらに聞けば一発だろう?」

「あのねえ也梛。それができてないから今こうなってるんだよ」

 呆れたように肩を竦める諷杝に、高瀬の眉がピクリと動く。

「……それはつまりこの先輩と連絡が取れないということか?」

「そういうこと」

 なぜだろうという矢㮈の視線を受け、春日井は少し困ったように眉をハノ字にして笑う。

「その先輩、卒業式前の二月後半には学校に来なくなっちゃったんだよね。……もともと持病を抱えてたんだけど、急に入院することになったって」

 結局卒業式も出席できず、先輩は家族と一緒に病院のある所へ転居してしまったらしい。春日井はその連絡先を知らないと言う。

「携帯持ってなかったんですか、その先輩」

 世良が思わずと言ったふうに聞くと、春日井は肩を竦めた。

「何かあった時のためにって家族との連絡用に持ち歩いてたみたいだけど、それを学園内で使ってるとこは見たことがなかったわね。一度聞いたら、あんまり好きじゃないからって言われたような気がする」

「なんか分かるなあ~」

 諷杝が同感とばかりに頷く。確かに彼もまた携帯を持ってはいるが最低限必要な時にしか使わない。というか、携帯なのに携帯していないことも多々ある。

「『軽音部慣例の置き土産』って何なんですか?」

 もう一度手紙に目を落としながら訊ねると、世良が「ああ」と頷いた。

「それは軽音部の卒業生が残していく諸々のことだな」

「何ですかそれ?」

「最近ではピックとかドラムスティックとかかなあ。たまにボーカルの人がマイマイクを置いてくってのもあるけど」

「へえ」

「ある意味寄付って見方もできるかもな。だいたい人気の先輩のやつはすぐに消える。ひどいときは戦争勃発だ」

「ああ、あったねえ。私あれ見て何てはた迷惑な慣例だろうって思ったよ」

 春日井が苦い表情でため息を吐いた。矢㮈は軽く頬を引き攣らせた。

「だから今年の私たちは穏便に色紙にメッセージを書いて残そうって話し合ったんだけど、まあ、人によっては置いて行きたい物もあるかもだから各々に任せるしかないよね。正直なところ、もう個人的に譲るなりしてくれた方が楽なんだけど」

「ですよねえ」

 世良も春日井の意見に賛同とばかり相槌を打った。

「春日井さんがその先輩の置き土産を探しているということは分かったが、それで何でお前まで首を突っ込んでいるんだ?」

 高瀬がじろりと諷杝を横目に見る。

「たまたまだよ。世良君と世間話をしてたら春日井さんに会って、そのまま流れで」

「流されたのか」

 諷杝がいつものように呑気に微笑むので、高瀬はもう何も言うまいと思ったのか小さく首を振って息を吐いた。

「ごめんね。私ももう卒業まで時間がないから焦っちゃって。今まで誰にも言わなかったんだけど、この際だから世良にも聞いてみようかなって思ってたら海中もいて、つい……」

 春日井が申し訳なさそうに目を伏せる。

「いえ、春日井さんの気持ちも分かります。お役に立てるか分かりませんが、あたしもお手伝いしたいです」

 矢㮈が口を開くと、春日井は少しだけ頬を緩ませて「ありがと」と言った。

 隣に立つ高瀬をついと見上げると、じろりとした視線とかち合った。

「高瀬も春日井さんにはお世話になったでしょ」

「……まあな」

 音楽祭の時には三人共お世話になっている。そして、学園祭の時には彼女のライブに刺激と熱をもらった。

「でも二年あまり探して見つからなかったんだろ。心当たりはもうあたりつくしたんじゃないのか」

 冷静な指摘に矢㮈は言い返せない。そこに助け舟を出したのは諷杝だった。

「僕たちが話を聞くことで、春日井さんが思う心当たりとは別の何かを見つけられるかもしれないよ」

 高瀬が矢㮈から諷杝へと視線を移す。

「僕の探している楽譜と同じだ」

 諷杝は彼の父親が残したというとある楽譜を探している。そのために、この彩楸学園に入学して来た。彼だってもう二年が経とうとしているのに、未だ探し出せていない。

「それに軽音部の慣例とやらにはちょっと興味を引かれない?」

 諷杝が唇の前に人差し指を立てて微笑む。高瀬は一瞬驚いた顔をし、やがて「なるほど」と小さく呟いた。

「お前の考えていることは分かった。……どれほど力になれるかは分からないが、協力しよう」

 高瀬の言葉に、春日井が戸惑いを見せながらも表情を明るくした。



まだ続きます。(2019.05.18)


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