それぞれの冬休みと新年<前編>
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園1年生。
・高瀬 也梛…彩楸学園1年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…彩楸学園2年生。ギターを弾く。
【その他】
・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。
一.
目まぐるしいクリスマスの忙しさが終わると、実家の洋菓子店はすっかり年末年始のお休みモードになった。
もちろん親戚一同が集まることが多いこの期間、お土産に洋菓子を求める客も少なくはなく、全く暇というわけでもない。年末は二十九日まで、仕事始めは年始六日からの営業だったが、お誕生日ケーキの特注も数件入っていたりする。
パティシエの父親はまだ少し仕事が残っているものの、笠木矢㮈はといえばすっかり冬休みだった。
部活動の代わりとばかり毎日バイオリンの練習をしつつ、しっかりだらだらとした休みを満喫していた。
本当は音楽仲間である諷杝や高瀬とも何日か一緒に練習できればと思ったのだが、彼らは学園の寮が閉まると同時にそれぞれ実家に帰ってしまった。
さらに高瀬は冬休みもバイトに明け暮れる予定だと聞いている。本当によく働くやつだと変に感心してしまった。
明日はいよいよ大晦日だ。年始にはいとこたちが挨拶がてら遊びに来ることになっていた。お年玉をもらって、一緒におせちを食べ、初詣に参る。これも毎年恒例の行事だ。
「おばちゃんが持って来てくれる大福がまた最高なのよねえ……」
こたつでぬくぬくとしながら楽しみな気持ちでいっぱいになる。
向かい側に座っていた弟の弓響が、呆れた顔になった。
「姉ちゃん、それじゃあおばちゃんの持って来てくれる『大福』が楽しみなように聞こえるよ」
「……だって楽しみなんだもん。塩加減がいい感じで」
「うん、そこは否定しないけど、でも大福よりおばちゃんを優先してあげて」
家が洋菓子店故なのか、矢㮈は無性に和菓子に対する憧れが強く、食べるのも好きだ。それとは真逆に、親戚のいとこたちは矢㮈の父親が作るケーキを楽しみに来る。
「でもおばちゃんたちが来る前に、明日は正月準備に忙しいよ。特におせちの準備」
弓響が少し遠い目になる。毎年、母親と祖母が妙にこだわったおせちを作るものだから、それを手伝わされる矢㮈と弓響も一苦労だった。
「いつもいかに見ためが良く栄養の行き届いた手抜き料理を作るかに注力している母さんが、おせちの時だけは別人だもんね」
「ホントそう。ばあちゃんも目の色変えてこだわるからな。去年なんか、どんだけ昆布巻きの巻き方レクチャー受けたか」
「ああ、弓響頑張ってたよね」
祖母のお眼鏡に適う昆布巻きができるまで、弓響は延々と巻き続けた。その成果か、じっくり味のしみ込んだ美味しく立派な昆布巻きが重箱に収まっていて皆に好評だった。
「あんなけ褒めてくれるならお年玉アップしてほしかったなあ」
ぽつりと本音を漏らす弓響。
「今年はいよいよだし巻き卵を伝授されるんじゃないの?」
調理することに関しては、断然矢㮈よりも弓響の方が手際良くセンスもありそうだった。それを分かっている母と祖母は専ら弓響に手伝わせる。矢㮈にとってはそれが少し羨ましいと言うか、むしろラッキーと言うべきか、複雑なところだ。
「お風呂、お先でした」
噂をすれば何とやら。先に風呂に入っていた祖母がほっこり湯上り姿で居間に顔を出した。
「姉ちゃん、先入る?」
「いいよ、弓響が先に入って」
「じゃあ遠慮なく」
弓響が思い切ったようにこたつから這い出て、小走りに廊下に出て行くのを見送る。弟と交代で今度は祖母がこたつに入った。
「ああ、そういえば矢㮈。今年も『音響』でニューイヤー演奏会するそうだから、よろしくね」
祖母が急須からお茶を淹れながら当たり前のように言う。
「ああ、毎年のやつ……ってえ? あたしが参加するの!?」
矢㮈は途中まで頷いていたが、まさかの演奏依頼に驚いて聞き返した。
『音響』は弦楽器の調律などを専門に扱っている、音楽好きマスターの店だ。マスターはそこでカフェを開いてコーヒーを御馳走している他、店内で演奏会を催したりもしている。
「マスターたってのお願いだし。昨年はあなたも色々とお世話になったでしょ」
祖母の言葉に矢㮈は確かにと頷いた。昨年の初夏、『音響』でバイオリン演奏をさせてもらったし、定期的なメンテナンスでも現在進行形で大変お世話になっている。
矢㮈の演奏で何かを返せるなら願ってもいないことだ。
「四日だっけ?」
「そう。選曲は自由だから、あなたに任せるわ」
矢㮈の頭の中をいくつかの曲のフレーズがぐるぐると回り出す。やはり正月らしい華やかな曲が良いだろうか。
(そういえば昔、おじいちゃんは何を演奏してたっけ?)
マスターと知り合いだった生前の祖父も、『音響』のニューイヤー演奏会には何度か参加していた記憶がある。その時彼は何の曲を奏でていただろうか。当時の矢㮈は自分も演奏してみようとは思わなかったが、今は同じものに挑戦してみようかという気持ちがあった。
「……でもどうせなら、あの二人と一緒に演奏するのも楽しいだろうなあ」
今度は頭の中に音楽仲間の二人が過ぎる。彼らは今頃どんな冬休みを過ごしているのだろう。
(学園の寮っていつから始まるんだろう? 二人はいつ帰って来るのかなあ)
携帯で連絡を取ってみれば良いのだろうが、今まであまり頻繁にメールをやり取りしたことがないため気後れしてしまう。特に、諷杝はともかく高瀬は論外だ。
(いや、あたしあいつの電話番号しか知らないし)
それも知ったのはつい最近、文化祭の打ち上げの時に遅刻連絡をもらってそのまま登録しただけだ。もちろんそれ以降、その番号からかかって来たこともなければこちらからかけたこともない。
(ていうか……あの二人、そもそも携帯を携帯しない人たちじゃんか)
矢㮈はふとそのことを思い出して脱力した。そう、諷杝も高瀬も携帯を携帯していないことの方が多く、連絡手段としての役割を果たしていない。きっとこの冬休みも、帰省して自分の部屋に放置している可能性が高い。
(諷杝の場合は携帯よりもイツキさんに頼んだ方が確実そうだよなあ)
彼の場合は仲良しの鳩・イツキを伝書鳩として活用した方が、確実に連絡が取れそうな気がする。
(そういえばイツキさんは今頃どうしてるのかなあ? 相変わらず学園にいるのかしら。まさか諷杝が家に持ち帰ってないよね……?)
ニューイヤー演奏会のことを考えていたはずなのに、気付いたら馴染みの白鳩のことを考えている自分にはっとして我に返る。
隣では祖母が湯呑みを片手に、日曜日の新聞に掲載されているクロスワードパズルを解いていた。
明日で今年も終わりだと言うのに、あまり普段と変わらない。
矢㮈はまたくたっと力を抜いて、ぬくぬくとこたつの中にもぐりこんだ。
二.
どこからかピアノの旋律が聞こえてくる。
どこか懐かしいと感じていたら思い出した。
小さい頃、大好きだった音色だ。この音に憧れて、自分もピアノを習い始めたけれど、やっぱりこの音は彼女だからこそのものだった。
「……ん」
高瀬也梛はまだ半分夢の中を漂いながら、薄目を開いた。まだ旋律が頭の中を巡っている。
長らくご無沙汰だった自分の居心地の良いベッドで寝返りを打つ。
相変わらず微かに旋律が聞こえていた。――部屋の壁越しに。
「……夢じゃなかったのか」
也梛はそのまま二度寝の誘惑に陥ることなく、無理矢理布団から身を起こした。伸びをしながら時計を確認すると、午前七時前。
高瀬家では休みの日でも八時半起床という暗黙のルールがある――と言ってもこれは、この時間までに起きれば母親が朝食を用意してくれるというものだ。しかし自分で用意をしないで良く、しかも母親の地味に凝った朝食効果は覿面で、也梛も他の家族も朝食に食いっぱぐれないようこのルールを守り続けていた。
母親は最近パンを焼くのに凝っているらしく、元旦におせちを食べた以外のこの冬休みの朝食は全てパンだった。甘党の也梛は、そろそろ砂糖をまぶしたフレンチトーストでも出ないかなと期待している。
洗面所に行った帰り、自室の手前で姉の葵と鉢合わせした。
葵はすでに寝間着から着替えており、どこかへ出かけるのかトートバックを肩に下げていた。
「おはよう、也梛」
「……おはよう」
あまり会いたくない相手だが、実家に帰省している間は仕方がない。也梛が最低限の挨拶を返すと、葵は気にしたふうもなく微笑んで横を通り過ぎた。
「――なあ、さっきの」
聞こえていなければそれで良いと思いながらも口にした。
「さっきの?」
しかし葵はちゃんと聞いていた。不思議そうな声で訊き返す。
さっき、ピアノ弾いてたか?
その問いが喉元まできているのに、結局声にはならない。
也梛は小さく息を吐いて諦めた。
「……いや、何でもない」
「……そう」
葵もそれ以上何も訊かず、後ろで足音が遠ざかって行った。
(……弾いてたん、だろうな)
あの微睡の中で聞こえてきたピアノの旋律。
あれは間違いなく、姉の奏でるピアノの音だった。
昔、也梛が大好きで、ずっと聴いていたかった音色だ。
自室に入って服を着替えながら、ぼんやりとカレンダーを見る。
あと一日。今日が終われば明日には寮に戻れる。
たいがいの者には短く思えるこの年末年始の休暇も、也梛にとってはとてつもなく長く感じられるものだった。
とはいえ年末年始も出来得る限りバイトを入れていたため、そこまで暇を持て余していたわけでもない。
「ええー、お兄ちゃんもう明日には帰っちゃうのー? まだ始業式まで日あるでしょー?」
妹の若葉がぶつぶつと文句を言いながら、冬休みに出た課題に嫌々向き合っている。離れて暮らしているとたまに連絡を取るぐらいなので忘れてしまいがちだが、今年彼女は受験生だった。
だが若葉はとあるスポーツですでに推薦枠での高校入学が決まっており、後は無事に中学を卒業するだけの身だった。――もちろん年明けには最後の定期テストが控えている。
「ああー、ここは確か have で……」
ひょいと覗き込むと、英語の長文を解いているのだと分かった。
「もう~ここの have の意味は何なのー!」
辞書を捲り出した若葉に、高瀬は小さく溜め息を吐いた。
何かこんな場面を、つい最近も見たような覚えがある。――そう、クラスメイトの勉強会参加トリオのことだ。期末試験勉強を教えていた時、「have」の用法について全く同じことを言っていた。
(あいつら中学生と同じレベルなんだな……)
改めてそう思うと少しげんなりして悲しくなる。
「お兄ちゃん、これ何なの? 教えてー」
早くもヘルプを求めて来た妹にまた溜め息を吐きつつ、それでも一緒に前後の文脈を確認しながら助言をしてやる。
「……というわけで、もう分かるな?」
「うん。ここの意味はこれか! やっと意味が通じたー」
妹びいきかもしれないが、若葉はなかなかに呑み込みが早い。矢㮈や松浦たちに教えるよりも理解が早いのだ。そう思うとまた少しあの三人が残念に思えてくる。
(まあ無事に二年には進級できそうだし大丈夫だろ……)
勉強会の成果かどうか、三人共赤点はまだ取っていないはずだ。先生役を務めている也梛にとってはひとまず安心である。
(諷杝も何とか進級できそうだし……)
ついでのようにふとルームメイトのことを考えて、也梛ははっとした。
進級。来年。
(――あいつ、三年になるのか……)
そんな当たり前の事実に今更ながら気付き自分で驚く。
そうだ、そうだった。諷杝はもう来年が高校生活最後なのだ――このまま赤点を取って留年しなければ。
也梛よりも先に学園を卒業してしまう。
「……お兄ちゃん?」
若葉の呼びかけにはっと我に返る。
「……ああ、何だ? また分からないとこがあるのか?」
「えっとね、ここなんだけど」
再び長文に目をやりながら、頭の片隅でぼんやりと考える。
(あいつ、進路どうすんだろ)
父親の残した楽譜を探しに彩楸学園に入学して来た諷杝。也梛は春からこれまで一緒に活動してきたわけだが、彼が卒業後どうするかなどの話は一度も聞いたことがなかった。
大学に入学するイメージも今一つで、ともすれば、飄々としたままどこかに消えてしまいそうな――そこまで考えて、頭を振った。
まだ彼が卒業するまで一年ある。彼の父親の楽譜だってまだ見つけられていない。
(そもそも、俺だってどうするのか……)
彩楸学園の普通科は二年生から文理クラスの選択があり、ある一定の上位成績者たちは特進クラスを選択することもできる。
学年でも上位の也梛には当然特進クラスを視野に入れるよう先生たちから言われていたが、也梛自身はまだ迷っている。
そもそも、以前通っていた高校がなかなかの進学校だったからだ。そこから離れてこの彩楸学園に来たのに、また同じような道を進むのか。
そして、キーボードやピアノ――延いては音楽とどう関わっていくのかも考えなければならない。
(あいつ……笠木はどうするんだろうな)
バイオリンを弾く彼女のことがふっと頭を過ぎる。暫くのブランクを経て再びバイオリンを弾き始めた彼女はこの先どうするのだろう。普通にどこかの大学へ進学し、オーケストラ部にでも入るのだろうか。それとも趣味で続けるのだろうか。
(もしくは……)
音大を始めとする、本格的な道に進むのか。
「――だから、このセリフはこの一文を根拠にしてるんだよ」
頭の中では色々と思いを巡らせながらも、英語の長文はしっかり読んでいたらしい。也梛は難なく妹に説明を終えていた。
「ああー、なるほどー」
若葉は「そっかそっか」と頷いて解答を記していく。
也梛はぼんやりとそれを目で追いかけていた。
「あ、お兄ちゃん、携帯光ってる」
「あ?」
若葉に指摘されて也梛はテーブルの端に置いていた携帯を手に取った。着信だ。
「……はい?」
『也梛? 今大丈夫?』
かけてきたのは諷杝だった。也梛は席を立って、若葉から少し離れる。
「大丈夫だけど、何かあったのか」
彼が電話をかけてくるなんて珍しい。――メールはもっと希少だったが。
だから少し心配になったというのに、当の諷杝は弾んだ声で続けた。
『明日、也梛も帰ってくるんだよね? 何時頃だっけ?』
「若葉が昼ご飯か晩ご飯を一緒に食べるってうるさいから、早くて夕方もしくは夜かな」
『そっかあ』
「何かあるのか?」
『ああ、実はね、「音響」でニューイヤー演奏会があるんだって』
『音響』とは学園近くの音楽カフェである。マスターは管弦楽器の調律の仕事も受け持っていて、その繋がりから知り合いの音楽家たちが店内で演奏会をすることもあった。
『それにね、矢㮈ちゃんも演奏するんだって』
「……それ何時からだ?」
『夕方の五時開演予定。……行く?』
訊かれるまでもない。
「昼ご飯食ったらすぐそっちに戻る。お前は?」
『僕も三時頃には寮に戻る予定。じゃあ一緒に行こうか』
「了解」
諷杝が電話の向こうで楽しそうに笑った。
『矢㮈ちゃんの演奏、楽しみだね?』
「……そうだな」
言い訳も思いつかず、仕方なく素直に相槌を打つと、諷杝がさらに笑う気配がした。
「諷杝」
咎めるように言うと、彼はまだクスクスと笑いながら「ごめんごめん」と謝った。
『じゃあ、明日』
「ああ」
通話を終えてテーブルに戻ると、若葉がじとーっとした目でこちらを見上げた。
「明日の昼には帰るって?」
どうやら聴き耳を立てていたらしい。
「ちょっと用事ができた」
「また海中さんとデートー? 良いなあ~」
「デートじゃない。ていうかこの冬休みはお前とも十分一緒に遊んでやっただろ」
也梛がピシャリと言うと、若葉は「むむう」と唸って唇をかむ。そんな妹に苦笑しながら、也梛はその頭をポンポンと軽く叩いた。
「だったら早くその課題終わらせてどっか散歩でも行こう」
「ホント!? ダッシュで終わらせる!」
現金な妹は俄然やる気になったようで、集中して問題集と睨めっこを始めた。
也梛は呆れつつも微笑ましい気持ちで若葉の様子を見守っていた。
その夜、也梛はふらりとコンビニに買い物にでかけた。丁度切れていた牛乳とパンのお遣いも兼ねて。
コンビニを出た後、何となくぶらぶらと周辺を歩いた。昼間若葉と一緒に散歩をした時とは違う、夜の道と住宅街だ。
(そういえば前も夜にぶらついてた時があったなあ)
実家にいた時、あまり家にいたくなくて、バイトだ何だとよくぶらぶらとしていた頃があった。と言っても非行に走っていたわけではなく、ほんの一時間ほどぶらついていただけだ。時には公園でキーボードを弾いたりしていた。
冷たい空気に白い息が微かに見える。何となく、マフラーを顎の上まで引っ張った。この寒さでは牛乳が腐る心配も皆無だ。
駅前の繁華街の近くまで来た所で踵を返す。そろそろ引き返すのが丁度良い。
通り慣れた裏道に入ろうとして、也梛はふと足を止めた。昼間は何てことない路地だが、夜になるとめっきり人気がなくなり、電灯の光量も虚しい寂れた道となる。
そこに、也梛よりもずっとぶらぶらするのが似合う少年たちがたむろしているのが見えた。
(そういえばこの辺りって溜まり場だったっけ?)
まるで道を間違えましたと言わんばかりにスマートに進路を変更し、也梛は大通りを歩き出した。進むこと、三メートル程。
唐突に、後ろから声をかけられた。
「おう、待てよ! そこの黒髪眼鏡!」
黒髪も眼鏡も、也梛に該当する。だが、念のため周りを見回して他にそのような人物がいないか確認した。――残念ながらいなかった。
仕方なく、也梛は振り返る。最悪走って逃げよう。
振り返ったそこには、黒い革ジャンにジーンズ、黒いブーツという出立の金髪の少年が立っていた。年は也梛と同じくらいだ。
金髪の彼が口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「久しぶりだな、真面目君」
也梛は眉間に皺を寄せて、小さく溜め息を吐いた。
それぞれの冬休みと新年〈後編〉に続きます。




