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  作者: 葵月詞菜


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数多の欠片<後編>

【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上2年生。ギターを弾く。

【その他】

・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。

臣原おみはら 千佳ちか…彩楸学園1年生。矢㮈のクラスメイト。

松浦まつら 大河たいが…同上。

衣川ころもがわ 瑞流みずはる…同上。

・佐々ささき…諷杝のクラスメイト。

並早なみはや…英語教諭。

三.

 昨日、也梛(やなぎ)諷杝(ふうり)と共に旧校舎から大量の手書きの楽譜を抱えて寮に戻った。

 理事長に会ってから旧校舎へ案内されるまでの流れは突然すぎて、促されるままついて行く他なかったと言える。おかげで文化祭が無事に終わったことも、久しぶりの諷杝と矢㮈(やな)との演奏も頭から吹っ飛んだ。

 今現在、也梛の頭の中の大方を占めているのはテーブルの上に積み上げたA4サイズの紙の塊だった。厚さは三十センチ定規を立ててもまだ少しある。

 諷杝曰く、彼の父親が書いたのだろう大量の譜面。

(さすがに俺でもこんな量は書いたことねえな)

 こうして一つに積み上げてみると、改めてその量に圧倒される。

 当の諷杝は珍しく眉間に皺を寄せて紙の束を見下ろしていたと思うと、やがて一つ息を吐いて腕まくりをした。

「――よし。とりあえず全部に目を通そう」

「いやいや、ちょっと待て」

 テーブルの前に腰を下ろそうとした諷杝を慌てて止める。

 ここで彼を座らせたが最後、食事も睡眠もスルーしてひたすらこの楽譜と向かい合うのが目に見えている。

 也梛は壁に掛かった時計をちらりと確認し、諷杝の腕を摑んで引っ張った。

「まずは夕飯だ。あと、先に風呂にも入ってからな」

 ただでさえ日頃から自分の身の回りのことに無頓着がちな諷杝を、也梛はいつもよりも手のかかる弟を見るような気持になって誘導したのだった。

 食事中も諷杝はどこかそわそわしていて、風呂に至っては烏の行水で出て来た。也梛がしっかり温まって部屋に戻った時には、すでに彼はテーブルに向かって楽譜とにらっめこを始めていた。

 とりあえず食事と入浴を済ませたことに安心し、後は明日の体育祭に支障を来さない程度の時間に切り上げさせようと思いながら――我ながら本当にオカン並の世話焼きだ――也梛もテーブルを挟んで諷杝の前に腰を下ろして胡坐をかいた。

「諷杝。お前今何やってる?」

「うーん……とりあえず上から順に目を通してる……」

 諷杝は応えながらも視線は紙から離れない。彼の目の前にはすでに数十枚の紙が重ねられた新たな山が築かれていた。

「全部繋がってるか?」

「ちょっと待って……」

 諷杝が持っていた紙を裏返して目を走らせ、それを山の一番上に置いた。

「多分これで一つの曲に関する分かな……。右上端に数字が振られてるのが、最終的に形になった譜面だと思う」

 諷杝は今できた山の塊を也梛の方へ押しやった。

 さっと目を走らせると、確かに同じ曲調というかリズムというか、一つの曲だなと分かる。諷杝が言ったように、右端上にある数字順に五線譜を辿っていくと、ちゃんと曲が形になって完成していた。

(へえ、こここんなリズムを刻むのか。面白いな)

 也梛の頭の中に、目についたその一節分がキーボードの音で鳴り響く。

 実を言うと今すぐにでも直に弾いてみたい気分だが、こんな初めからそんなことをやっていては作業が全然進まない。也梛はぐっと堪えて、自分の反応を窺っている諷杝に視線を戻した。

「確かにそのようだな。ということはまだまだ、作成中譜面とその完成形が混じったのが複数曲分出て来そうだな」

「うん、そうだと思う」

 紙は基本的に両面とも五線が印刷されているものだったが、全てがそうというわけでもなかった。ただの白紙のコピー用紙に殴り書きしたようなものもある。

 さらに、書き込みも白黒オンリーのものからカラフルなもの、それから明らかに字体が違う文字のコメントも見られた。

「これ、お前の父さん一人で書いてたわけじゃないのか?」

「どうだろ。基本的には父さんが書いてたみたいだけど、それに意見をもらったりしてたんじゃないかな。ほら、『ZIST』は父さん以外にもメンバーがいたらしいから」

 そういえばそうだった。『ZIST』とはバンドグループの名称だった。

「とりあえずまずはこれを曲ごとに分けてみようと思う」

「そうだな。半分こっちでもらうぞ」

 テーブルの上の一番大きな山の下半分を引き受ける。

「だいたい一曲分でかたまってると思うよ。たまにどことも関係ないような落書きとか詩みたいな文章だけのやつとかも混じってるけど」

 諷杝が言ったように、どうやら楽譜だけでないらしいということには、作業を初めてまもなく分かった。どう考えても曲と関係なさそうな連絡プリントや進路調査プリント、はてには英語と数学のミニテスト解答用紙まで出て来た――点数はあえて言わない。

「さすがお前の父さんだな」

「也梛、それどういう意味?」

 二人で黙々と紙を捲り続け、五線譜に踊る音符を目で追い続ける。

 頭の中にはひっきりなしにメロディが流れていた。也梛の場合、譜面を見るだけですぐに頭の中でその音が再現されてしまうのだ。

(……それにしても)

 也梛はもうすっかり見なれたその文字を何ともなく見つめた。

 これまで見て来た楽譜のほぼ全てに書かれたコメント――指摘等の内容は適切で、也梛の感性と少し通ずるものがあった――の文字。

 諷杝の父親のだろうおおらかな字体とは正反対の、角ばった几帳面な文字。

 文字自体にも、そしてコメントの内容にも決して柔らかさはないのに、それでもどこか安心する不思議さがあった。もう何十枚も目にして来たからだろうか。

(そういえば、『ZIST』のメンバーって、諷杝の父さんと並早先生の兄さんの他にどういう人たちがいたんだろう)

 楽譜の書き込みからうかがえるメンバーたちの個性的な筆致に、彼ら彼女らがどんな人物で、どんなグループだったのか気になった。

「って、もうこんな時間じゃねえか」

 喉が渇いたから何か飲もうと思って顔を上げると、早くも壁の時計の針は午後十時半を指していた。午後七時過ぎから作業を始めたので、約三時間半ぶっ通しで紙の束と向かい合っていたわけだ。

 諷杝の分と合わせても、まだ四分の一も進んだか進んでいないかといったところだ。

「諷杝。何か飲むか?」

「……んー……」

 声をかけてみたがまともな返答はなかった。也梛は一つ溜め息を吐いて、電気ケトルをセットした。部屋に常備している粉末ココアスティックを二本取り出す。

 お湯が沸くまで、軽く首や腕を動かして凝り固まった体をほぐす。結構目にも疲労が溜まっているのが分かった。

 砂糖を諷杝の分には少し、自分の分にはたっぷり入れて、マグカップをテーブルの上に持って行く。

「ほら、ココア。そのままやってたら干からびるぞ」

 無理やり彼の視界にマグカップを割り込ませると、ようやく諷杝は顔を上げた。

「ああ、ありがと」

 マグカップを受け取った諷杝はしかし、湯気の立つそれをじっと見つめて口をつけようとはしない。

「也梛、気持ちはありがたいけど、猫舌の僕にこれは熱すぎるよ」

「だろうな」

 別にわざとではない。也梛も渡してから気付いたのだ。

「もうそろそろキリのいいところで今日は終わりだ。明日は体育祭があるんだから」

 さすがにぶっ倒れられては困る。也梛だけでなく、周りにいる他の生徒や先生にも迷惑だ。

「……何だか明日、熱が出そうな気がするなあ……」

 諷杝がポソリと呟くので、也梛はじとっとした目で睨んだ。

「それはただの気のせいだ」

 分かり易い仮病宣言にピシャリと言い返す。諷杝が小さく舌打ちした。

「むしろ熱が出そうなら今すぐ布団に入れ」

「也梛の意地悪―」

 諷杝は文句を言いながら、ココアの表面に息を吹きかけて少しでも早く冷まそうと試みる。

 彼の気持ちも分からなくはない。やっと見つけた大きな手掛かりが目の前にあるのだ。もしかしたらその中に彼がずっと探していた楽譜自体があるのかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられないのだろう。それは也梛もまた一緒だった。

 だが、だからと言って明日の体育祭を仮病で休んでいいわけがない。

「どんなにキリが悪かろうが、十一時には消灯だからな」

 ここの寮はテスト期間だろうが消灯時間は十一時と決まっている。

「ああ~何で消灯時間そんなに早いんだろうね。こんな時に限って~」

「諦めろ。ほら、ココアも早く飲んでしまえ」

「無理だよ! 熱いんだから!」

 諷杝が自棄になって言い返す。

 思うに、ココアを呑み終わる頃にはすでに消灯時間を迎えているような気がする。

「まだ半分にも程遠いししばらくかかるよ、これ」

 也梛はテーブルの上の減らない紙の束を投げやりに見下ろした。

 諷杝は冷めないココアに対してか、減らない紙の山に対してか、はたまた両方に対してしかめっ面になった。

「……ねえ、也梛」

「何だ」

 先程までとは違って一気にトーンダウンした彼の声が静かに響く。

「あの曲の続き、無かったらどうしよう」

「……」

 彼はこう言った。

 ()()()()()()()()()()()()()()、ではなく、()()()()()()()()()()、と。

 それは彼の父親が残した言葉を完全に否定するものだった。

 今までただ父親の言葉を信じて楽譜を探して来た諷杝にとっては根本を揺るがされることであり、この学園に来た理由すらも意味をなさなくなる。

「阿保か。まだ分からないだろ、そんなこと」

「そうだけど……何かそんな気がしなくもないというか」

 諷杝の声は弱々しいものに変わっていた。そんな彼を見て、無性に何とも言えない腹立たしいような気持ちが沸きあがる。

(……少なくとも、俺がこの学園に来た理由は諷杝がいたからだ)

 也梛がこうして今この学園にいるのは、他でもない、諷杝がここにいたからだ。彼と出会ったきっかけはあの曲だったかもしれないが、彼が父親の残した楽譜を探していると知ったのはずっと後になってからだった。

 也梛の中にあるのは、ただ諷杝と共に音楽を奏でたいということだけだ。

 也梛は一つ大きく息を吐き、心細げな諷杝の額を思い切り弾いてやった。

「痛ったッ……也梛!?」

 額を押さえて涙目の諷杝がこちらを睨んでくる。

「……大丈夫だよ」

 静かに、でも強く言葉にする。

「え?」

「もし見つからなかったら……そん時は俺が続きを一緒に考えてやる」

 まるで無邪気な子どもが見せるような、目を大きく開いた諷杝が目の前にいた。

「俺だけじゃない。……笠木も誘って三人で考えれば良いだろ」

 矢㮈のことだから、諷杝のためなら喜んで参加するだろう。

 諷杝の顔にいつもの微笑みが戻って来る。

「……うん。ありがと、也梛」

「別に。――それより、もう消灯だぞ」

 急に恥ずかしさが込み上げて、也梛はそれを隠すように自分の空のマグカップを手に簡易流しへと持って行った。急いで歯磨きをしている時、ようやくココアを飲み干す諷杝の姿が見えて吹きそうになる。

 何とか消灯五分前には諷杝も布団に入ることができてほっとした。

「おやすみ、也梛」

「ああ、おやすみ」

 下段から聞こえた声に返事をし、也梛は部屋の電気を消した。



四.

 体育祭翌日は、午前中だけの登校となっていた。主に学園祭全体の後片付け日であるので授業はない。そして、明日は文化祭初日が日曜登校だった分の代休だ。

 といっても二日目の文化祭が終了した時点である程度の片付けは終えていたし、体育祭は特に準備物もなかったので――用具等の片付けは体育委員の担当である――分別したゴミを決められた場所に持って行くくらいで済んだ。

 也梛が松浦(まつら)と共にゴミを運んで教室に戻ると、すでにほとんどのクラスメイトたちが帰り支度をしていた。

「はーい、みなさん、今夜の打ち上げについてお知らせでーす!」

 前方の黒板の前に立ったのは文化祭担当係だった佐藤だ。帰り支度をしていた皆が手を止めて彼女に注目する。

「事前に予定を聞いたところ、うちのクラスの打ち上げは今夜ということになりました。場所は〇〇駅の近くの……」

(……打ち上げか)

 也梛は我知らず眉間に皺を寄せた。

 正直、行くのが面倒くさい。そして、今は早く寮に戻って諷杝の父親が残した楽譜の整理の続きをしたかった。

「おーい高瀬、お前すげー顔してんぞ」

 隣にいた松浦が也梛の顔を指差して苦笑する。

「顔に面倒くさいって書いてあるぞー」

「ああ、その通りだから俺はパス……」

「パスなんてダメだからねー! 高瀬君は立派な功労者なんだから!」

 どこから現れたのか千佳が也梛と松浦の間に割り込んできた。

「もうあの格好での接客最高だったんだから! また見たい!」

「そうか、それは却下だ」

 熱く訴える千佳をさらりといなし、也梛は大きく息を吐いた。

「高瀬、何か用あるの?」

 衣川(ころもがわ)がひょっこりやってきて尋ねる。

「いや、用って言うか……用はあるんだけど」

 何と言っていいか分からずにそのまま口に出すと、やっぱり意味が分からなくなってしまった。衣川と松浦がそろって首を傾げる。

「あれ、高瀬君今夜難しそう? 臣原さんの言う通り高瀬君は今回の立派な功労者の一人だから、参加してほしいんだけどなあ」

 出欠の確認表を持った佐藤が口を挟んだ。

「そうそう、この学園祭で高瀬君とだいぶ馴染めた感じするし」

 佐藤の後ろにいた女子生徒がおずおずと声を上げると、その近くにいた男子生徒もひょいと顔をのぞかせた。

「そうだよ、高瀬。お前って見た目のわりに結構話しやすいやつでびっくりした。一緒に打ち上げしようぜ」

「……」

 也梛は束の間、素で呆然としてしまった。まさか松浦や衣川以外のクラスメイトたちから、こんな風に言われるとは思っていなかった。

「はいはい、じゃあ高瀬君、参加ね~」

 千佳が早くも決めつけたのを見て、高瀬は小さく息をついて頷いた。

「……ああ、じゃあ参加で」

「やった!」

 周りのクラスメイトたちが揃ってガッツポーズをする意味が分からない。

 佐藤は確認表にチェックを入れて、次に矢㮈に声をかけた。

「笠木さんも参加するよね。てか笠木さんは絶対だよ。あのクレープの一番の功労者だもの!」

「いやいや、簡単なレシピだったし……」

 矢㮈は謙遜しつつ、打ち上げへの参加を伝えた。

 そして帰る用意を整えてから、也梛たちが集まっているこちらへやって来た。

「ねえねえ笠木! 高瀬君も参加するって!」

 千佳が聞いて聞いてと言わんばかりに言うのを聞いて、矢㮈は苦笑しながら頷いた。

「うん、聞いてた。良かったね、千佳ちゃん」

 それから也梛の方をちらりと見て――どこか小さい子の成長を見る親の目を思わせた――ふふと微笑む。

「何だその笑いは」

「いやあ? 高瀬もずいぶん馴染んだなあと思って」

 矢㮈がくすくすと笑うので、也梛は若干イラっとしてじろりと睨んだ。

「笠木さん、気持ちは分かるよ。オレも、高瀬の成長を感じてる」

「俺も俺も」

 松浦と衣川が「うんうん」とうなずく。

(お前らは俺の親か何かか)

 也梛はもはや言い返す気も失せて、自らも帰り支度を始めた。打ち上げの集合は夕方であるし、寮に戻ってもまだだいぶ時間がある。

 もしかしたら諷杝の方もクラスの打ち上げの予定があるかもしれない。

(……あいつの方が余程思い切りパスしそうだけど)

 体育祭すら仮病でサボろうとしていた諷杝を思い出し、もしや彼は打ち上げも行かないのではないかという思いがよぎる。

 諷杝は也梛と違って、あの人当たりの良さでクラスに馴染んでいる。だが一方で、その付き合いは浅く広い。唯一、佐々木という男子生徒とはそこそこ一緒にいることが多いくらいだ。

 なにせ、一番の友達は白い鳩という変わったヤツだ。

(って……あいつのこと心配してる俺こそあいつの親かってーの)

 諷杝のことになるとついつい余計な世話を焼いてしまう自分に苦笑し、也梛は鞄を手に席を立った。

「あ、高瀬もう帰るのか?」

「ああ。夕方までに色々やっておきたいこともあるしな」

 せめて夕方までは、楽譜整理の続きの作業を少しでも進めておきたい。

「サボらないでよ、高瀬」

「分かってるよ。じゃあな」

 笑いながら念を押す衣川に返し、教室を出た。


 寮に戻ってから、一悶着だけあった。

 諷杝がだだをこね始めたのである。

 彼もまた今夜にあるクラスの打ち上げに参加する予定だったそうなのだが、そろそろ出なければならないという時間も近付いた頃、やっぱり行くのをやめようかな、などと言い出したのだ。

「今から佐々木君に電話して……」

 諷杝が滅多に開かない携帯をここぞとばかりに取り出した時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「はい」

 也梛が出ると、

「諷杝! ほら、行くぞ!」

「うわっ、佐々木君、何でこんなトコいんの!?」

 開いた扉の前で仁王立ちしていたのは、諷杝のクラスメイトである佐々木だった。諷杝は携帯電話を持って固まっている。

「ちょっと用があって学校に戻ってたんだけど、さっき同じクラスの寮のヤツらが丁度出るとこに鉢合わせて、お前の姿は見てないって聞いたからまさかと思ってな」

 佐々木の勘は鋭い。也梛は思わず感心してしまった。

「丁度いいところに。俺もそろそろ出ようと思ってたんで、こいつのこと頼んでも良いですか」

 也梛が佐々木に言うと、彼は頷いて、それから呆れたように諷杝を見た。

「お前、後輩にまで手をかけさせるなよ。いいぞ高瀬、先に行け」

「ありがとうございます」

 也梛は礼を言い、久しぶりにバイト以外の私服に上着を羽織った。

 佐々木が迎えに来たことと也梛が出かける準備を始めたことで、諷杝がやっとのろのろと動き出す。それを視界の端に捉えながら、也梛は鞄を斜め掛けにした。

「也梛」

 也梛が靴を履こうとしたところへ、諷杝が後ろから声をかけた。

「何だ」

 振り返ると、諷杝は先程までのうだうだした様子など微塵も感じさせない爽やかな微笑みを浮かべて也梛を見ていた。

「打ち上げ、楽しんでおいで」

 その目は、昼に教室で見た矢㮈や松浦たちのものと同じだった。

 まるで子どもの成長を見守る親の目。

 いつもは諷杝の方が手のかかる子どものような、弟のような感じなのに、たまにふとこういうことがある。

 也梛は反射的に何かを言い返そうとしたが言葉に出ず、ぷいと顔を逸らした。

(ったく、何なんだ一体)

「……行ってきます」

 それだけを呟いて、也梛は部屋を後にした。

 

 しかし思ったより時間をくってしまった。腕時計を見てこれは集合時間ギリギリか、と思った也梛は仕方なく携帯電話を取り出した。

 諷杝のことを言えないくらい、滅多に開かない携帯を手の中で弄ぶ。

 参加すると言ってしまっている以上、遅れるとなれば誰かに連絡をしておかなければならないだろう。

 おもむろに携帯の電源を入れ、連絡先を引っ張って来る。

 クラスメイトの中で、現在連絡先を知っているのは唯一人だけだった。

 夏の音楽祭準備の際、一応何かあった時の連絡用にと、諷杝から彼女の連絡先を聞いて登録していたのだ。もちろん本当に緊急時でなければ連絡する気はさらさらなかったし、実際そんなことは何も起こらなかった。ほとんどが、諷杝と連絡が取れれば解決することであったからだ。

 也梛はその電話番号を数秒見つめ、一息吐いた後に通話ボタンを押した。

 数回のコール音が鳴る。暫くして、切られたのが分かった。

(そりゃ、知らない番号からかかってきたら出ないよな、フツー)

 想定内のことなので、也梛は改めて二回目をかけた。

 また数回のコール音。しかし今度はどこかに繋がって、ためらいがちな、訝しむような声が聞こえて来た。

『……はい、もしもし?』

 思い切り不審がる顔をした彼女の姿が目に浮かぶようだ。

「笠木か。俺だ」

 俺だ、と言ってから、これでは詐欺を疑われるのではと思う。

『もしかして高瀬?』

 改めて名乗ろうとした也梛より前に、矢㮈の方が気付いた。

『その不愛想な声、あんたよね。うん、あんたしかいないわよ』

 電話の向こうで「うんうん」と頷いている矢㮈に舌打ちする。

(こいつは一体俺を何で判断しているんだ)

「それより用件だ。ちょっと出かけにごたついて、少し遅れるかもしれない」

『あ、そうなの? でも大丈夫だよ。松浦君も少し遅れるみたいだから。あたしと千佳ちゃんと衣川君で残って待ってることになったの』

 だからあんたもゆっくり来なさい、と上から目線で言う矢㮈。

 也梛は駅の改札を抜け、二段飛ばしで階段を上った。

 集合場所は学園の最寄り駅から一つ先、大型ショッピングモールのある駅だった。

『ていうか、今さらだけどあんた、あたしの番号知ってたのね』

「……まあな。じゃあ電車来たから切るぞ」

『はいはい。また後でね』

 矢㮈はまだ何か言いたそうだったが、諦めたように話を切り上げた。

 通話を終了させたと同時に、ホームに電車が滑り込んできた。

 携帯を上着のポケットに突っ込む。

 也梛は電車に乗り込んだ。


ここまで読んで下さってありがとうございました。

ゆっくり不定期更新ではありますが、まだまだ続きますので、もしよろしければまたお付き合いいただけますと嬉しいです。

頑張って続き書こうと思います。(2018.12.09 樹氷)

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