音楽祭 合宿<それぞれの事情と音楽3>
「音楽祭 合宿<それぞれの事情と音楽2>」の続きです。全3話に渡って掲載しています。
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
【その他】
・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。
・並早…彩楸学園の英語教諭。音楽祭の担当にされる。
・相田 将…雲ノ峰高校2年。音楽祭実行委員長。
・淡海 あやめ(おうみ あやめ)…同上2年。将の幼馴染みで音楽仲間。
四.
「矢㮈ちゃんだいぶ声出てきたよね」
諷杝がギターを爪弾きながら言った。
「だいぶ慣れたからね……」
矢㮈は答えつつ照れ笑いだ。本番が近付くにつれて、「恥ずかしい!」などと言ってはいられない状態に追い込まれて行くのである――そう、本番で失敗したくはない。
今日は八月六日。本番は九日、十日で、矢㮈たちは十日である。だが九日の交流発表では淡海たちと何かやる予定であった。
バイオリンを片付けようとして、グランドピアノのイスに腰掛ける高瀬を視界に捉えた。
彼は今から彼自身の都合による演奏会の練習をするのだ。今日は音楽室を割り当てられており、しかも諷杝が早めに切り上げたので、ピアノは自由に使える。
その高瀬の演奏会はというと、明後日八日にあるらしい。
ほとんど確認のための楽譜を並べ、高瀬は鍵盤に置こうとした手を膝にもどしてこちらをふり返った。
「……お前ら、いるつもりかよ」
「当たり前でしょー。也梛のピアノ聴ける機会なんてそうそうなさそうだし」
諷杝がサラリと言ってのけ、うれしそうににっこり笑う。矢㮈もその隣でコクコクうなずいた。
高瀬が「やれやれ」とため息を吐きつつ、何も言わずにピアノに向き直った。
次の瞬間、ピンと空気が張り詰める。
そして音が紡ぎ出された。
曲は、バッハ作『G線上のアリア』――。
矢㮈も昔、一度弾いた覚えがあった。祖父のお気に入りの一曲だったのである。
(でも本当にいつ聴いても――)
矢㮈はなめらかに滑る彼の手から目が離せなかった。
(――お手本のCD聴いてるみたい……)
高瀬の顔は無表情に近いのに、流れてくる音は表情豊かだ。まるで、彼の感情が全てピアノの音に注ぎ込まれてしまったようである。
ぷつりと音が止まった。
「どうしたの?」
諷杝がやんわりと訊く。
高瀬は難しい顔をして、楽譜をじっと覗き込んだ。そして、ある小節を何回か繰り返し弾く。
「うーん……」
彼にしては珍しい、困ったようなうなり声。
矢㮈は気になってそっと彼に近付き、横から楽譜を覗いた。
「どうかしたの」
先程諷杝が尋ねた内容を、繰り返す。
「いや……一緒に演奏するバイオリンのやつがいるんだけど、この部分何か合わせ辛くてな。どう弾いたら良いかなと思って」
高瀬は「あーでもない、こーでもない」とひたすら鍵盤に指を滑らせた。
「え、バイオリンの人もいるんだ」
矢㮈は思わず声を漏らした。てっきり、高瀬一人だと思っていた。
「ああ、後ピアノの先生もな」
高瀬は付け加えた。
「ふーん」
ぼんやりと楽譜を目で追う。
この高瀬のピアノと共演する、そのバイオリンを弾く人は一体どんな人なのだろう。どういう経緯であれ、彼が承諾したということは、きっとそれなりの実力を持った人なのだと思う。
(ちょっと……羨ましいな……)
心の中でそうつぶやいた時だった。
「じゃあ矢㮈ちゃんに弾いてもらえば?」
諷杝がにっこりして提案したのだ。
「え!?」
考えていたことが考えていたことだったので、矢㮈はドキリとして慌てた。
「な、何であたし!?」
「だって矢㮈ちゃんバイオリニストだし」
「そんな大そうなもんじゃないよ!」
高瀬をちらりと見ると、眉間にしわを寄せて何やら不機嫌そうな顔になっていた。
(あーそうでしょうねー。こいつがあたしに頼むわけないのよ)
彼の反応はもう予想できている。今まで高瀬は矢㮈の前でピアノを弾くことすら嫌がっていたのだ。まして矢㮈との演奏など、たとえ練習であっても認めるはずがない。
「――嫌だ」
高瀬が案の定言った。しかしそうはっきり言われるとグサリとくる。矢㮈は下を向いた。
「――けど、もう時間もないから……」
高瀬が続けて言い、口ごもった。
矢㮈が顔を上げると、なぜか彼は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「……笠木、弾けるか?」
「えっ……いいの?」
まさかの展開に、頭が追い付かない。
「でもでもっ、高瀬、さっき嫌だってはっきり言ったじゃない」
「嫌って言ったのは……多分、お前が思ってる理由とは違う」
「それ、どういう……」
「弾けるのか? 弾けないのか? どっちだ?」
高瀬は矢㮈の追及を強引に遮った。矢㮈は気になりつつも、問いに答えた。
「昔、弾いたことあるから、多分なんとか……」
「別に全部とは言わない。特に引っかかるこの部分だけだ」
高瀬が楽譜上の、先程止まった箇所をトントンと指で突いて見せた。
矢㮈はまだ自信なさげにうなずき、しまいかけてそのままだったバイオリンに手を伸ばした。
諷杝が黙って、しかし面白いものを見るような顔で成り行きを見守っていた。
「楽譜、見てもいい?」
「バイオリン用も持ってるよ」
高瀬はピアノの上に置いていたファイルから、楽譜を一部取り出した。本当こういう所は感心する。音楽に対して真面目だ。
「とりあえず、一通り弾いてみるね」
「ああ」
矢㮈はふうと一息吐いた。そして、程良い緊張感の中、弦を構えた。
ようやくブランク前の感覚が戻りつつある状態になっていた。『音響』での演奏会の時よりも、バイオリンが自分に馴染んでいる。それが矢㮈自身にも分かる。
(『G線上のアリア』……おじいちゃんの音……)
弾き始めて、懐かしさがどっと胸に押し寄せた。
不思議だった。たった今まで、「昔弾いたことがあるような」という曖昧な記憶だったものが、音を紡ぎ出す毎に鮮やかに蘇ってくる。
『矢㮈、キレイな曲だろう? 題名も何か凛々しくないかい?』
祖父の声が聞こえてくる。
(……ごめん、おじいちゃん。あたしすっかり忘れてた……)
バイオリンを弾かなくなって、祖父との思い出も心の隅に追いやっていたのかもしれない。
――気付いた時には、余韻を残すのみとなっていた。
パチパチパチパチパチ……。拍手の音が聞こえる。
「さっすが矢㮈ちゃん」
諷杝がピースして矢㮈に向ける。その無邪気な姿にでキュンとしてしまったのはきっと気のせいだ。
矢㮈は少し頬を赤らめて、高瀬の方を窺った。彼はため息を吐いて、ボソリと小さくつぶやく。
「あー、これだから……」
後半は何を言ったのか聞き取れなかった。
そして、改めて高瀬はピアノに向き直った。
「前言撤回。初めから通しで行く」
「えっ……何、もうやるの? あたしちゃんと弾けてた?」
「初めから、行くぞ」
高瀬から文句が出ないということは、一応合格点はもらえたのだろうか。そうだとしたら、少しうれしい。
コイツを認めさせることなど、滅多とできることではない。
再び、高瀬のピアノが流れ出す。
この音と、一緒に演奏できる日が来るなんて思いもしなかった。
(……どんな曲になるのかな)
矢㮈は高瀬のピアノに身を委ねた。
五.
也梛はぼんやりと、体育館入り口前の段差に腰掛けて暗い空を見上げていた。
「也梛、そろそろ消灯だよ」
諷杝がひょっこり後ろから現れる。毎度のことながら、彼は気配が読み辛い。
「どーかしたの?」
諷杝が微笑んで也梛の顔を覗き込んだ。
「……別に」
「えー、うそだあ。矢㮈ちゃんのバイオリン、見事だったね」
さらりと核心を突いてくるのが諷杝の嫌なところだ。
「だから、也梛はあの時『嫌だ』って言ったんでしょ」
「……」
也梛は答えなかった。全てお見通し、と言わんばかりの彼が少し憎らしい。
実際、図星ではあった。也梛が共に演奏するバイオリン奏者は、技術的には申し分ない――同年代として。コンクール常連なだけあり、恐らく矢㮈よりも細かいところで断然上だろう。
だが、矢㮈の音程惹き付けられるとは思わなかった。
今日はたまたま矢㮈が練習に付き合う運びとなったが、実際は彼女の音に合わせられても意味がないのだ。当日演奏を共にするのは彼女ではない。
「明日、ヤバいかもしれない……」
明日は本番前日になる。本番当日も軽くリハーサルが行われる予定だが、それは最終確認だ。明日中に細かい打ち合わせを行い、調整することになっていた。
「矢㮈ちゃんのバイオリンと比べてイライラしちゃだめだよ」
諷杝が面白そうに笑って注意する。
「――分かってるよ。ああもう、マジでやめときゃ良かった……」
後悔している、と言えば半分ウソだ。
矢㮈に合わせたピアノは、まるでキーボードを弾いている時のような感覚だった。昔、まだピアノを弾くのが好きだった頃の気持ちと似たものを感じた。
「おーい、諷杝、高瀬。寝るぞ」
相田が声をかけにやって来た。委員長自らに迎えに来られては、大人しく従うほか仕方がない。
「今日はレアなもん見れたし聴けたし、良い夢見れそー」
諷杝がうーんと伸びをして、真っ先に体育館一階の男子部屋に入って行った。
ずいぶん長く引っ張ってしまいましたが、次話はいよいよ也梛の演奏会です。




