夏休みの初め<後編>
第11話「夏休みの初め<中編>」の続きです。
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校1年生。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
【その他】
・並早…英語教諭。
五.
「で、何か聞いておくことがあるのかな、僕は」
諷杝が也梛の座っているベンチの反対側に座った。そして也梛が話し出すのを待っている。
也梛は眉をひそめつつ平静を装って口を開いた。
「昨日、家と交換条件をつけてきた」
「交換条件?」
「そう。俺がピアノの演奏会に出ることを条件に、この夏は家には帰らなくてもいいことになった」
端的に告げた也梛に、諷杝がやんわり首を傾げる。
「ピアノの演奏会? 君が?」
也梛は一つ頷いて、気が重くなりながらも話し始めた。
昨日、並早たちと音楽祭の実行委員について話している時にかかってきた電話の相手は妹だった。その電話にて、突然とある演奏会の件を持ち出された。まとめると、也梛にその演奏会にピアノで参加してほしいという話だった。
いきなりすぎて也梛はもちろん不可解であったが、なぜか話している妹すらよく分かっていない感じだった。ひとまずどういった経緯でその演奏会の話が持ち上がったのか訊ねてみたが、妹も今一つ要領を得ない感じで、最終的に分かったことは、その演奏会場が父親の会社の催しと関わっているということだった。それが判明した瞬間に、このまま話していても妹が板挟みになるだけだと思った也梛は渋々家に帰ることにしたのである。気が乗らないが、直接父親に聞いた方が早いと思ったのだ。
帰ると運良くと言うべきか、父親と母親が揃っていた。ただ一つの慰めは、姉が留守だったことである。
もちろん仏頂面で話を聞いてみると、そもそもの発端は母親だった――というか、彼女の知り合いで也梛の幼い頃からのピアノの先生だった。なんでも、先生が八月末に海外に行くことになったとかで、出発前に也梛ともう一度演奏をしたいと母親に頼んだらしい。
これ自体には別に也梛としても異論はなかったのだが、問題はその後だった。
先生も結構名の知れた人だったのと、也梛と同じく教え子だった一人が、父親の仕事関係者の一人娘だったのである。結果、どういうわけか父親から話が回り、何とその少女を含めた三人で演奏会を開こうという信じられないくらい迷惑な話になったのだった。
「それでよく承諾したね」
「……先生じゃなかったら、絶対お断りだ、あんなの」
也梛は舌打ちした。
もちろんそんな話をいきなり聞かされて、はいそうですかと納得できるはずもない。だいたい、也梛に一言の相談もなく――相談されていたところでその時点で断っていたに決まっているが――勝手に進められ、ほぼ決定事項になっていたことが気に食わない。
何より也梛は、父親の希望通りにピアノを弾くのが嫌だった。
父親はまだ、自分にピアニストを目指して欲しいと思っている。だが也梛は、ただ自分の好きなようにキーボードを弾きたいだけなのだ。
しかしそれでも、ピアノの指導をしてくれた先生にはやはり恩を感じていて、彼女とは演奏しておきたいという思いもあった。
そこで、
「演奏会には出る。その代わり、この夏の帰省は無しにしろ、って条件を出した」
母親は思った通り表情を暗くしたが、父親は演奏会に出るだけマシだと思ったのだろう。渋々という体ではあったが頷いた。
だがプラスアルファとして、先生に失礼のない演奏をするという条件で、演奏会までまたレッスンを受けることになった。
「――てわけで、何日か先生の指導がある日は夕方くらいから抜けるから」
也梛の説明が終わる。このことは初めにきちんと言っておかなければ、也梛が中途半端になるだけでなく、諷杝たち周りにも迷惑をかける。
全てを聞き終えた諷杝は、困ったように苦笑した。
「いや、それくらい全然構わないけど……也梛は大丈夫?」
「何が?」
意味が取れず也梛が率直に聞き返すと、
「掛け持ちしてしんどくないかってこと。もし大変だったら、丸一日とか休んでも大丈夫だから」
彼らしい心遣いが返って来た。
我知らず一瞬きょとんとしつつ、苦笑した。
「大丈夫。てか俺は、お前たちとの演奏、本気だからな」
諷杝が意外そうな表情をして、目を見開く。
「正直言うと、今までは好きなようにやってるだけで――自分勝手で満足してた。けど」
也梛の脳裏に、彼女の顔が思い浮かぶ。
「アイツの浮かれ切った笑顔を見て負けた。お前らがあまりにも楽しそうだったから、オレも参加せざるを得なくなった」
「矢㮈ちゃんかあ」
諷杝がどこか納得したように微かに笑う。
「認めたくないが、アイツのバイオリンには惹き付けられた」
ピアノを習っていた頃、バイオリンを弾く生徒もいたので聴く機会は多くあった。しかし、彼女程惹き付けられた音は無かった。
初めて諷杝に出会った時、彼の鼻歌とギターに惹かれたように。
「もしかしたらまた新しい道が開けるかもよ、也梛」
諷杝がいつものように柔らかく微笑む。
也梛は束の間目を閉じた。
自由になりたくて、彼を追ってここに来た。
だから、彼の横でキーボードを弾いていられることだけで満足だった。
だけど、今は。
彼以外に、もう一つ、新しい音が加わった。
ゆっくり目を開けた時、諷杝が携帯を取り出して耳にあてた。そして通話を終えるとこちらを見た。
「音楽室、使えるってさ。お昼買いに行って、それから早速曲作りに取り掛かろう」
「ああ」
「ねえ、さっきのこと矢㮈ちゃんには?」
「……まだ言わなくていい」
「そう? 昨日からずっと君のこと心配してるみたいだったけど」
「は?」
諷杝が立ち上がる。
也梛もキーボードケースを持って立ち上がった。
「也梛」
「何だ」
「きっと僕とは違う立場で、矢㮈ちゃんは相談に乗ってくれると思うよ」
「……」
也梛は黙っていた。
彼女の進む道は知らないが、少なくとも也梛と通じる部分はある。――しかし、
「――アイツに相談するようになっちゃ俺も終わりだ」
つい、そんなことを言ってしまう。
彼女のバイオリンの音には惹かれるが、別に「彼女」に惹かれているわけではない。
諷杝がため息を吐いて小さく笑った。
「本当なら、君は矢㮈ちゃんのセンパイなんだよ?」
「今は、ただの同級生だ」
也梛もため息を吐いて、彼より先に歩き出した。
六.
次の日の午後。
会議室でミーティングの準備をしていた矢㮈たちは、開いた扉から並早の姿が見えて顔を上げた。
並早が扉の前で脇にどいて、来客を中へと促す。会議室に入って来たのは、スポーツ少年のような引き締まった身体つきで髪の短い少年と、長い髪を片方の高い位置で一つに結った少女だった。二人共上は白いポロシャツで、下はそれぞれチェックが入った紺のズボンとスカートだ。
諷杝が笑いながら前に出た。
「わざわざようこそ、二人共。全然変わらないね」
「それはお前もだろ。俺を委員長に推薦してくれたそうで」
「あははは。君なら引き受けてくれると思って」
「海中の頼みだからって将ちゃん引き受けたのよ」
「そりゃどーも。淡海さんも元気そうで」
「当たり前でしょ。夏と言ったら私の季節だもの。――と、あれ? もしかしてあの子たちも実行委員?」
少女が諷杝の肩越しに矢㮈と高瀬を見た。諷杝は微笑み、
「とりあえず二人共座りなよ」
二人に長机の前のイスを勧めた。
矢㮈は用意していたプラスチックのコップに氷と麦茶を注ぎ、二人の前に置く。
「ありがとう」
少女の方が笑顔で言い、少年の方は軽く頭を下げた。
並早の前にも置き、矢㮈は端に下がろうとしたが、
「矢㮈ちゃん、也梛、こっち」
諷杝が来客の向かい側のイスを手で示した。
思わず緊張する矢㮈と違い、高瀬はあっさりとイスに腰を下ろす。矢㮈も彼の隣に座ると、諷杝が「さて」と口を開いた。
「こちら、雲ノ峰高校二年の相田将君と淡海あやめさん」
「初めまして」
「よろしくね」
相田と淡海が笑う。続いて諷杝は矢㮈たちを示した。
「こっちは、一年の高瀬也梛と笠木矢㮈ちゃんだよ。二人共、僕の音楽仲間だ」
頭を下げる矢㮈と高瀬。
すると淡海が「へえ」と驚いたような声を上げた。
「名簿見てびっくりしたんだけど、今年海中もちゃんと出るんだ」
「うん。去年は君たちに少し混ぜてもらっただけだったけど」
「今年も是非誘いたいなと思っていたんだがな」
相田の言葉に諷杝はフフと笑って、
「それは合同企画で、ということで。先生」
並早にバトンタッチした。先生はプリントを配り、委員長が揃ったミーティングを始めた。
内容はほとんどこの前と同じようなものだが、相田は細かく聞いて質問している。さすが長だ。
矢㮈は皆のコップが空になっているのを見てそろりと立ち上がった。麦茶のペットボトルと氷の入った袋を持って席に戻る。
すると気付いた淡海が、相田と自分の分のコップを矢㮈の方に出した。
「お願いします」
矢㮈はうなずいて注ぎ、氷を追加した。
続いて並早の方も足し、諷杝と高瀬の方を見た。諷杝は仮にも副委員長として話に割合口を挟んでいるが、高瀬は腕を組んでイスに深く腰掛けている。顔は俯き加減で窺えない。
(……もしかして寝てる?)
矢㮈は眉をひそめた。全く、この来客中に大したヤツだ。
しかし暇なのは確かなので、放っておくことにする。
それから十五分程ミーティングは続いた。
「ねえ、矢㮈ちゃんでいい?」
彩楸ではゴミの分別が厳しいので、きちんとゴミやらは片付けなければならない。給湯室でコップを片付けていた矢㮈に声をかけてきたのは淡海だった。
「あ、はいお好きに」
緊張する矢㮈に、彼女はクスクス笑った。
「いーよいーよ、そんな固くならなくても」
その屈託のない口調は、友人の臣原千佳に似ていた。淡海も美人タイプなので、千佳も一年後にはこんな風になっているのかもしれない。
淡海は氷の入った袋の口を縛って矢㮈に渡した。
「はい」
「ありがとうございます」
この氷は職員室の冷凍庫行きだ。
「矢㮈ちゃんたちは、どんな集まりなの?」
「集まり?」
「楽器とか、どんな風にしてメンバーとして集まったのか、とか」
「ああ、楽器は、あたしがバイオリンで、高瀬がキーボードで、諷杝がギターです」
「おお! バイオリン!!」
淡海が驚く。
「オケ部とかじゃないの?」
「いえ、ちょっと訳あって長らく弾いてなくて、また最近始めたんです。それに弾きたいと思ったのは、諷杝たちと一緒に演奏してみたいと思ったからで……」
「そっかあ。それは楽しみだなあ。海中は去年私たちと少しやったんだけど、将ちゃんがうちのグループに引き抜きたいって言う程だったのよ」
「ギターですか?」
「うーん……ギターは正直人並みだと思う。けど、海中には何かあるのかもしれない。人を惹き付ける何かが」
淡海は曖昧に笑った。
惹き付ける、何か。
矢㮈が諷杝に惹き付けられたのは事実だ。
そして、いつか高瀬も言っていた。諷杝がいるからここに来た、と。もちろんその真意は分からないが。
「あの、淡海さんは何をしてるんですか?」
「私? 私は楽器の方はさっぱり。でも、歌うのが好きだからボーカルなの。将ちゃんや皆の音楽の中で歌ってる時が楽しくてしょうがない」
彼女の弾んだ声が、矢㮈にストレートに気持ちを伝える。
同じ音楽に関わる者として、その気持ちは十分わかる。
矢㮈は淡海に好感を持った。
その時、
「あやめ。そろそろ行くぞ」
相田が給湯室に現れた。その後ろには諷杝がいる。
「はーい。じゃ、矢㮈ちゃん、またね」
「はい」
淡海が笑顔で手を振り、相田が軽く頭を下げる。
「僕下まで送って来るから。すぐ戻るから会議室で待ってて」
「うん」
矢㮈は三人の背中を見送った。
会議室に戻ると並早の姿はなく、高瀬が窓枠に肘をついてボケーッと窓の外を見ていた。
矢㮈も横から眺めてみると、丁度諷杝たちが外に出てくる所だった。諷杝は相田と淡海と何か話しながら、屈託なく笑っている。
「諷杝楽しそうだね」
呟くと、高瀬も目を細めて頷いた。
「ああ。あいつがあんな風なのは珍しい。いつも広く浅く――みたいな感じだからな」
何となく、分かる。校内で諷杝を見かけるとだいたい一人か、たまに数人といる。しかしその数人も毎回同じメンバーではない。
だが諷杝は『孤独』ではなかった。好んで一人でいるように見える。決して、人と関わることを避けているわけではない。そこにはある程度の距離があり、彼はそれを保っている。
「あたしたちはどうなのかな……」
矢㮈の呟きに高瀬は答えない。ふと横を見ると、何とも言えない――どこか泣きそうな、悔しそうな表情をしている彼がいた。
「高瀬?」
「――え? ああ……そうだな、どうだろうな」
「何よそれ」
「あいつのことなんて俺だってまだ全然知らねえんだから、しょーがねえだろ」
そう言う彼の口調が、少しふて腐れた子どもみたいだ。
だが、矢㮈はその言葉に目を見開いた。
「高瀬も諷杝のこと全然知らないの?」
「……そーだよ。まあ、お前よかは知ってるつもりだけどな」
「……何か悔しい」
高瀬は苦笑し、それから窓の外を遠く眺めた。耳を澄ますと、グラウンドの方から野球部の掛け声が聞こえてくる。
「――でも」
「ん?」
「俺にとってあいつは特別だ。それは変わらない」
高瀬の表情がふっと緩む。矢㮈は思わず目を見開いた。
それは愛の告白か、と突っ込みたいのを無理やり抑えた。
突っ込む以前に、自分の中にも同じような気持ちがあるのを感じたのだ。
「あたしにとってもそうだよ。大切なきっかけをくれた」
きっと彼がいなかったら、今バイオリンを弾く自分はここにいない。
隣で高瀬がはあとため息を吐いた。
「そうだった。お前はあいつのことが好きだったな」
「!? な、何を……っ!?」
矢㮈の頭の中が真っ白になる。
いきなり何を言い出すのだ、こいつは。
(人が折角突っ込みたいのを我慢してやったっていうのに……!!)
「何話してるの?」
「! 諷杝!?」
一気に矢㮈の顔が真っ赤になる。俯いた矢㮈に諷杝が首を傾げた。
「矢㮈ちゃん……? どうしたの? ――也梛、また意地悪言ったとか?」
「俺は何も悪くねーよ。こいつが勝手にこーなっただけだ」
飄々と言ってのける高瀬が憎らしい。諷杝は困ったように眉を下げた。
「それは絶対也梛になんかあるような感じだね……。と、これからだけど、今日は音楽室が使えないから空き教室でやるよ」
高瀬が「へいへい」と返事し、矢㮈は俯いたままこくこくと頷いた。
いよいよ、本格的な夏休みを迎えようとしていた。




